阪神3801・3901形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阪神8701・8801・8901形電車 | |
---|---|
尼崎駅にて | |
営業最高速度 | 106km/h |
設計最高速度 | 110km/h |
車両定員 | 先頭車140 中間車150 |
全長 | 18,880(8902のみ18,980)mm |
全幅 | 2,800mm |
全高 | 4,067(8701,8901形) 4,089(8801形)mm |
車両重量 | 37.5t~30.0t |
軌間 | 1,435mm |
電気方式 | 直流1,500V |
歯車比 | 81:14(5.77) |
駆動装置 | 中空軸平行カルダン駆動 |
電動機 | 東洋電機製造製 TDK-8140-A 130kW×4 |
制御装置 | 三菱電機製 ABFM-138-15-MDHA 電動カム軸式抵抗制御 |
ブレーキ方式 | HSC-D発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ |
メーカー | 武庫川車両工業 |
阪神3801・3901形電車(はんしん3801・3901がたでんしゃ)は、阪神電気鉄道がかつて所有していた優等列車用の通勤形電車である。1974年から1977年にかけて、西大阪線の難波延長計画を見越して、同線用に4両編成3本計12両が製造された。その後の情勢の変化に伴い、1986年に6両貫通編成の8701・8801・8901形と2両編成の7890・7990形電車に改造された。なお、改造後の8701・8801・8901形は阪神本線優等列車仕業に充当され、7890・7990形は7861形とともに武庫川線で運行されており、両形式とも現在在籍している。
本稿では、本形式及び本形式からの改造車両である8701・8801・8901形、7890・7990形の両形式についても紹介する。
目次 |
[編集] 急勾配への対応
阪神西大阪線は当初伝法線という名称で開業したが、もともと大正時代に計画された第二阪神線の一部として建設された経緯を持つ。開業当初の大阪側の終点は千鳥橋と、現在から見ると町外れに設定されていたが、当初計画ではここから一直線に福島を経て梅田に向かう予定になっていた。その後第二阪神線の計画が頓挫すると、伝法線は終点の千鳥橋で大阪市電に連絡するだけのローカル線になってしまった。
太平洋戦争後、阪神と近鉄の両社線を結ぶ路線が計画されるようになると、伝法線の存在がクローズアップされるようになる。その第一歩として1964年5月に伝法線を西九条駅まで延長して西大阪線と改称、近鉄側においても1970年3月に難波線を開業させて難波駅までの延伸を果たした。引き続いて阪神側が西九条駅から大阪市営地下鉄中央線と接続する九条駅までの延伸工事を開始したが、この区間では西九条駅が大阪環状線をまたぐ重層高架となっているほか、安治川橋梁までの区間も、安治川を小型船舶が遡上することから、OP(大阪湾平均海面)+10m以上の高高架で越すように設計された。しかし、安治川橋梁以東は一転して中央大通までの1km前後で地下トンネルに入る必要があることから、この区間で35‰~40‰の急勾配が生じることとなった。このため、西大阪線延伸時には急勾配に対応した車両を投入することとなり、急行系車両の「赤胴車」の一種として、当時最新鋭の7001・7101形をベースに、急勾配に対応すべくモーターの出力を増強し、ブレーキも7801形以降に新製された電車が省略していた発電ブレーキを再度取り付け、さらに抑速ブレーキを追加して連続急勾配に備えた本形式を製造することとなった。
なお、本形式の設計計画時には、乗り入れ先の近鉄奈良線の車両規格に対応した20m級の4扉車として計画されたという話が残っている[1]。
[編集] 概要
本形式は1974年に3901Fと3903Fの4連×2本が登場し、少し遅れて1977年にマイナーチェンジが施された3905Fの4連×1本の合計12両が製造された。メーカーは全車武庫川車両工業である。両端の先頭車は制御車、中間車は電動車からなるTc-M-M'-Tcの4両編成を基本とし、奇数番号車が大阪側、偶数番号車が神戸側に連結されていたのと、奇数番号車と偶数番号車とでM-M'ユニットを組んでいたのは7001形と同じである。
車体は7001・7101形に準じるが、屋根が僅かに浅くなっている。1977年に増備された3905Fではは阪神で初めて車体正面及び側面に種別・行先表示器が設置され、両端の先頭車の車長が100mm長くなって運転台部分の拡大に使われ、乗務員扉の幅も従来の500mmから550mmに拡大された。パンタグラフは3801形の奇数車に下枠交差式パンタグラフを2基搭載し、クーラーは阪神標準のMAU-13Hを7001形同様パンタグラフ搭載車は6台、非搭載車は7台搭載した。座席は他形式と共通のロングシートで、緑色格子柄の化粧板も7001形を踏襲した。なお、方向幕は3905Fが登場した1977年に先の2編成にも追加で設置された。
台車及び電装品は、台車はそれまでのペデスタル式コイルばね台車から阪神初のS型ミンデン台車である住友製FS-390(3801形)、FS-090(3901形)を履くこととなった。以後の新車は8000系の最終増備車まで、廃車発生品利用の5131・5331形を除くと、急行系・普通系双方ともS型ミンデン台車を採用している。前述のように西大阪線延長区間に急勾配が予測されたため、主電動機は出力を従来標準の110kW/300Vから130kW/340Vに増強された東洋電機製造製TDK-8140-Aを3801形に4基搭載、歯車比はそれまでの74:13(5.69)から81:14(5.77)に変更された。主回路制御は再び抵抗制御に戻って、抑速ノッチのついた三菱電機製電動カム軸式制御装置のABFM-138-15-MDHAと主抵抗器を3801形奇数車に搭載、ブレーキは電空併用抑速ブレーキ付きのHSC-Dを装備した。主抵抗器については、3801形奇数車に搭載しきれなかったものを3901形奇数車にも搭載している。また、電動発電機(MG)は70kVAのCLG-346を3801形偶数車及び3901形奇数車に搭載、空気圧縮機(CP)はDH-25を3801形偶数車及び3901形に搭載した。3905Fでは搭載機器とその配分に一部変更があり、空気圧縮機(CP)をC-2000-Mに変更したほか、従来3801形偶数車に搭載していた電動発電機(MG)を3901形偶数車(3906)に搭載し、3901形奇数車が搭載していた主抵抗器を3801形偶数車に搭載することによって、中間車の車重を軽量化することにより編成単位での重量の均等配分を図った。連結器は、先頭車の前頭部がバンドン式密着連結器を取り付けた、中間車の連結器は4両固定編成で通常切り離すことがないことから棒連結器とした。
本形式は抵抗制御に戻ったことから、電機子チョッパ制御を採用した7001・7101形に比べると後退したような印象を受けるが、もともと阪神の急行系車両で電機子チョッパ制御を採用したのは省エネルギーよりメンテナンスフリーが目的であり、高速域からのブレーキ性能に問題がある回生ブレーキ付き電機子チョッパ制御の採用は想定していなかったことと、電機子チョッパ制御より機器構成の簡単で回生ブレーキの装備も可能な界磁チョッパ制御の開発も進められていたが、モーターを構造の複雑な複巻電動機にする必要があったことから、当時界磁チョッパ制御車を積極的に導入していた東急を除く大手私鉄各社は導入に慎重であった[2]ことを顧みると、再び抵抗制御車に戻ったからといって決して性能的に低下したというわけではない。
[編集] 少数形式
西大阪線の延長は、沿線住民の反対や阪神本線の輸送需要の伸び悩みなどで遅々として進まず、やがて凍結状態となってしまった。このため、本形式の製造は3編成12両で終了してしまったが、本形式は急行系車両の中では最新鋭車両であったことから、7001形とともに1970年代~1980年代前半の阪神の主力車両として、阪神本線の特急や急行といった優等列車運用を主体に使用された。この頃になると阪神の優等列車運用は一部の急行・準急運用を除いて6両編成が基本であったため、4両編成の本形式は不足する2両を同じ抑速ブレーキ付の発電ブレーキを持つ3501形などの2両編成を連結することで補っていたが、3501形は1958年~1959年の製造で、製造後20年前後経過して直角カルダン駆動の保守に手を焼くなど老朽化が進んでいた。また、その他の「赤胴車」は7801・7901形をはじめとした発電ブレーキ未装備の車両が大半を占めていたため、1980年代に入って発電ブレーキ装備の3501形や3561・3061形の置き換え計画が具体化してくると、近い将来に本形式と併結して運用することができる形式がなくなって、阪神本線での運用ができなくなる状況が予想された。
このほか、3901Fは製造以来故障が多く、原因不明の脱線事故を数回起こすなど、新造後10年もたたない車両でありながら保守に手を焼く厄介な車両になっていた。それでも運用を続けていたが、1985年4月22日に須磨浦公園駅発阪神梅田駅行き特急として運用中、山陽電気鉄道本線須磨寺駅~月見山駅間でまたしても原因不明の脱線事故[3]を起こし、ついに運行停止となって、1年後の1986年3月13日付で廃車されてしまった。こうして、本形式は4連×2本の8両が残るのみとなってしまった。
[編集] 改造
西大阪線延長も凍結状態となっていたことと阪神本線の優等列車運用が6連中心となっていたことから、本形式の存在が宙に浮いたものになってしまった。そこで、これらの状況を踏まえて、1986年夏に今後も長期間にわたって本線の優等列車運用に充当することができるよう、編成を組み直して本形式だけでの6両編成を組成することとなった。全車健在であれば12両なので数的には2本ができたが、前述のとおり3901Fが廃車されていたので、残りの2本8両が形式変更と改造を実施され、本線用の6両編成と武庫川線用の2両編成各1本を新たに組成することとなり、6両編成が8701・8801・8901形、2両編成が7890形・7990形と新しい形式に変更された。各形式における3801・3901形との相違点については以下のとおり。
[編集] 8701・8801・8901形
前述のとおり、本線の優等列車用として1986年に3903Fの大阪側3両と3905Fの神戸側3両を組み合わせて登場した。編成は当時最新鋭の8000系と同様Tc-M-M'の3両ユニットを2組組み合わせた6両編成で、末尾奇数番号のユニットが大阪側に、偶数番号が神戸側に連結されるのは8000系と同様であるが、ユニット間は8000系とは異なり背中合わせになっていない。形式は両端の制御車が8901形、中間電動車のうちパンタグラフを搭載している車両は8801形、パンタグラフのない車両は8701形にそれぞれ改番された。このように形式は変更されたものの、パンタグラフ、冷房装置、台車、モーターと制御器は旧3801形のものを引き続き使用していることから、性能に大きな変化はなく、電動発電機(MG)や空気圧縮機(CP)といった補助機器の搭載位置についても形式変更時に変わることはなかった。また、神戸側先頭車の8902は3906を改番していることから、大阪側先頭車の8801(旧3903)に比べると運転台の長さが100mm長くなっている。形式変更時の改造箇所については以下のとおり。
- 3両ユニットで検査を行うため、ユニットの端部になる8701の神戸側と8802の大阪側に簡易運転台を設置するとともに、連結器を従来の棒連結器からバンドン型密着連結器に変更した。
- 先頭車の尾灯脇に取り付けてあったジャンパ栓受けを撤去した
- 大阪側ユニットと神戸側ユニットの間に母線が引き通されたため、8802の神戸側パンタグラフが撤去された。ただし、パンタグラフ撤去跡に冷房装置の増設は行われなかったことから、8802の冷房装置搭載数は6個のままである。
- 内装では、化粧板が8000系タイプII以降と同じベージュ系ドット模様に改装された。
登場は神戸側ユニットの8802-8702-8902が1986年8月7日に、大阪側ユニットの8901-8801-8701が9月24日に武庫川車両工業において竣功し、試運転後、同年秋から営業運転を開始した。改造後も1形式4M2T の6両編成1本だけの少数形式であるが、MT比が2:1と高いうえにモーター出力が130kW/hと阪神の急行系車両では強力であり、他の急行系車両に比べると加速性能が優れていたことと、8000系同様の6両貫通編成であったことから、特急や快速急行といった阪神本線の最優等列車を中心に運用された。その後、1989年には整備の省力化を図るため、補助機器の換装と機器の集約が行われ、電動発電機(MG)は従来70kVAのCLG-346を編成中3基搭載していたが、このうち8901と8902に搭載の分を110kVAのCLG-350-Mに換装して、8701のMGは撤去、その代わり空気圧縮機(CP)は8701にC-2000-L(LA)を装備して8901に搭載していたDH-25Dを撤去した。このほか、両先頭車床下のジャンパ栓も撤去している。
本形式の改造内容は、翌1990年から実施された7001形及び7801形3次車の2000系への改造時に応用のうえ採り入れられた。
[編集] 7890形・7990形
本形式は武庫川線専用車として、8801形と同じ1986年に上記の改造で余った先頭車2両(3904、3905)の車体と3901Fの解体時に発生した3801の電装品を組み合わせて登場した。
武庫川線は1967年に3301形が投入されたことによって車両の大型化を実施され、3301形が単行で線内を往復していた。1975年には3301形の冷房改造が実施されたが、床下スペースの関係で冷房電源をまかなえる大容量のMGを搭載することができなかったため、冷房改造後も単行で走る武庫川線では冷房を使用することができなかったことから、乗客から不評を買っていた。その後1984年に武庫川線が洲先駅から武庫川団地前駅まで延長され、単行の3301形では乗客増加に対応できなくなることが予想されたことから、7861・7961形の2連を投入して輸送力の増強と武庫川線での冷房サービスの提供を実施した[4]。こうして武庫川線の運用が7861形でまかなわれるようになったが、1986年に3301形が全車廃車されたことから、不足する5連運用向けのMc車を7861形の7870F,7872Fの2編成を分解の上Tc車の電装化を実施して対応することとなった。2両単位で運行することができる7861形は本線や西大阪線で幅広く運用されていたことから、運用に余裕を持たせるために、余っていたこの2両を武庫川線専用車として、改造の上活用することとなった。改造内容については以下のとおり。
- 3904に廃車となった3801の電装品を取り付けて新形式の7890形7890に改番した。このとき台車はFS-390に換装された。モーターは東洋電機製造TDK-8140-Aをそのまま利用しているが、制御器はもとの三菱電機製ABFM-138-15-MDHAを1M方式で4個モーターの永久直列制御として発電ブレーキを撤去したABFM-138-15-MDHA改に改造されたため、最高速度は45km/hに下げられた。形式も発電ブレーキが撤去されたことから7890形に変更された。
- 7890のパンタグラフは、同時期に電装改造を受けた7861形7871(元7970)、7873(元7972)同様、前から2つ目のクーラーを撤去して、そこに下枠交差式パンタグラフを1基搭載した。
- 3905を改番して7990とした。外観上に変化ないほか、搭載していたMG(CLG-346M)、CP(C-2000-M)もそのまま活用されている。ただし、車体側のジャンパ栓受けは撤去されている。
前述のとおり旧3904の7890と旧3905の7990では車体長が異なっている。また、電装改造時に神戸側先頭車の3904を選んだのは、3905に搭載していたMGやCPをそのまま流用できることと、3904のほうが搭載機器数が少なく改造が容易であったことが大きな理由である。このため、本形式は電動車が偶数向きとなったため、トップナンバーを形式名とする阪神の附番ルールに従い、阪神では唯一の末尾が0で始まる形式となった[5]。
本形式の改造工事は1986年9月29日付で竣功し、試運転後は予定通り7861形に混じって武庫川線で運行を開始した。登場後しばらくは大きな変化はなかったが、1994年に7990の運転台後部に車椅子スペースが設置された。
[編集] 車番対照
両形式の新旧車番の対応は以下のとおり。
新/旧 | ←梅田 | 元町→ | 備考 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
新形式 | Tc8901 | M8801 | M'8701 | M8801 | M'8701 | Tc8901 | |
旧形式 | Tc3901 | M3801 | M'3801 | M3801 | M'3801 | Tc3901 | |
新 | 8901 | 8801 | 8701 | 8802 | 8702 | 8902 | |
旧 | 3903 | 3803 | 3804 | 3805 | 3806 | 3906 | |
新形式 | Tc7990 | Mc7890 | |||||
旧形式 | Tc3901 | Tc3901 | |||||
新 | 7990 | 7890 | |||||
旧 | 3905 | 3904 |
[編集] 変遷と現状
両形式とも1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で被災することはなく、8801形は本線の優等列車運用に、7890形は武庫川線運用に従事し続けた。1998年2月の直通特急運行開始時には、8801形は2000系や3000系同様、山陽電気鉄道本線直通対応の改造は実施されなかった。また、7890形は2000年10月1日からの武庫川線ワンマン運転開始に伴い、同線で使用される7861形7864F,7866F,7868Fとともにワンマン運転対応改造が施工された。ただ、両形式とも外観に大きな改造が施されなかったことから、2000系や5001形 (2代)などの各形式が改造後に大きくイメージを変えたのとは異なり、1970年代の阪神電車の雰囲気を色濃く残している。
2001年3月の直通特急大増発に伴うダイヤ改正では、乗り入れ非対応の8801形は他の乗り入れ非対応形式とともにラッシュ時の区間特急や快速急行、準急やデータイムの急行など、阪神本線内で完結する運用に投入されることが多くなり、その後は1形式1編成6両の少数派で本線に現存するどの「赤胴車」とも性能が異なる8801形は、朝夕ラッシュ時と甲子園行き臨時列車にのみ運用されてデータイムは車庫で待機することが多くなった。
2007年4月現在では両形式とも大きな変化はなく在籍している。
[編集] 脚注
- ^ 川島令三の『私の「戦後」電車史』の中にも、形式を特定していないが阪神における20m4扉車開発計画の話が紹介されている
- ^ 東急では1969年に日本初の界磁チョッパ制御車である8000系が登場し、その後も8500系、8090系と界磁チョッパ制御車が登場したが、他の大手私鉄における本格的な導入は1980年代以降であった
- ^ 軸重にアンバランスがあったのではないかという説が紹介されている
- ^ これによって前年の阪神電鉄全営業用車両の冷房化に続き、全路線の100%冷房化が達成された
- ^ この附番ルールは旧型国電のそれとよく似ている
[編集] 参考文献
- 『鉄道ピクトリアル』各号 1975年2月臨時増刊号 No.303 1997年7月臨時増刊号 No.640 特集:阪神電気鉄道
- 『鉄道ダイヤ情報』1995年3月号 No.131 特集:阪神電車の研究
- 『サイドビュー阪神』1996年 レイルロード
- 『車両発達史シリーズ 7 阪神電気鉄道』2002年 関西鉄道研究会
|
|||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
現用車両 | |||||||||||||
|
|||||||||||||
過去の車両 | |||||||||||||
|