松山千春
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松山 千春 | |
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基本情報 | |
出生名 | 松山 千春 |
出生日 | 1955年12月16日(52歳) |
血液型 | O |
学歴 | 北海道足寄高等学校 卒 |
出身地 | 日本・北海道足寄町 |
ジャンル | フォークソング ニューミュージック |
職業 | シンガーソングライター |
活動期間 | 1976年~ |
レーベル | Columbia Music Entertainment |
事務所 | オフィス・ゲンキ |
影響 | 加川良 |
公式サイト | 松山千春 |
松山 千春(まつやま ちはる、1955年12月16日 - )は日本の男性フォークシンガー。身長170cm。体重55kg。血液型はO型。
目次 |
[編集] 人物
北海道足寄郡足寄町出身。北海道足寄高等学校卒業後、1975年に「全国フォーク音楽祭」の北海道大会に出場するも落選。しかしSTVラジオの竹田健二ディレクターに見出され、1976年に同局の「サンデージャンボスペシャル」内の15分コーナー『千春のひとりうた』でメディアデビュー。続いて翌1977年1月25日、「旅立ち」でレコードデビュー。
ヒット曲に「季節の中で」「大空と大地の中で」「恋」「人生の空から」「長い夜」「君を忘れない」がある。1982年7月24日には札幌・真駒内屋外競技場にて5万人コンサート「大いなる愛よ夢よ’82」を開催している。1985年12月に結婚し現在一児(長女)の父親である。1980年代後半以降、大ヒットはないが、コンサート動員数は相変わらず好調である。映画、ドラマ出演、雑誌「月刊松山SAGA」や雑誌「月刊松山捨石」の発行、論評など、歌手以外の方面へ活動範囲を広げている。
新党大地の名付け親でもある。『大空と大地の中で』は新党大地のテーマ曲である。
好きなテレビ番組は爆笑オンエアバトルで、「NHKの深夜にやってる球を転がすお笑い番組が好き」とある番組でコメントしている。
高音でソウルフルな歌唱法と、コード進行の単純な楽曲は真似が容易なためコロッケやみのや雅彦を始めとして、多くの芸能人がモノマネのレパートリーにしている。芸能人以外にも読売ジャイアンツの阿部慎之助など真似る者も多い。元日本ハムファイターズの広瀬哲朗はスキンヘッドであることなど容姿が似ていることを現役時代からネタにしていた。カラオケでは、「長い夜」のサビの部分を長く伸ばすモノマネが、オリジナルを知らない世代にも定着している。
テレビ出演を「出るもんじゃなくって、見るものだから」という理由で拒否していたが、「あなたには、たくさん届いた番組出演のリクエストのハガキに何か答えなければならないはず」というプロデューサー・弟子丸千一郎の言葉に感銘を受け「ザ・ベストテン」の出演を承諾。デビュー以来、テレビに初めて出演した。その後同番組には3回の出演を果たした。かつては滅多にテレビに出ない事を売りにしている側面もあったが、1990年代以降は一転してバラエティや音楽番組、ニュース、ドラマ等にも頻繁に出演する様になった。また、フジテレビの「SMAP×SMAP」に出演した際、「松山が生きている限りは自分以上に歌が上手い歌手は出てこない」と発言した。
毒舌キャラで知られるが、実際のところ彼が悪く言う人間の大半は、彼と仲のよい人間、もしくは過去に付き合いのあった人間である。自身より年上の小田和正、井上陽水、さだまさし、中島みゆき、和田アキ子らを呼び捨てにしタメ口をきいたりすることも多いが、時には相手を評価することもある。
地元愛が強く、「北海道を愛するフォーク・シンガーである」というポリシーを持つ。北海道が関係する慶事や弔事はては不祥事や事件にまでよく顔を出す。牛肉偽装問題が発覚、大きな騒動を巻き起こした際には北海道「北の食大使・牛肉大使」に任命され、牛肉のPRで全国を飛び回っていた。
また、スキージャンプの大ファンであり、かつて全日本ジャンプチームに大量の牛肉を差し入れているほか、ジャンプチームの応援歌として「空-翼をひろげて」を製作している。
2006年9月に旧足寄駅前に「大空と大地の中で」の歌碑を建立した。[1]
2007年2月12日夜、京都市下京区の指定暴力団会津小鉄会の図越利次会長就任10周年記念パーティに招かれ、その場で3曲歌っていたことが京都府警の調べで判明した。さらに図越会長と10数年来の付き合いがある事や他の暴力団も含めて過去に数回、会合に出席している事を認めた。芸能人が暴力団との関わりを明らかにするのは極めて珍しい。
この報道を受け、札幌テレビ放送が2月18日に予定していた特別番組「松山千春 30年目の旅立ち」が放送中止となり、同時に1976年以来レギュラー番組を持ち続けてきた同局ラジオ(STVラジオ)の番組も打ち切りとなった。
2007年3月25日には、大橋純子、細川たかし、安倍なつみとともに「ゆうばり文化スポーツセンター」において、無料の「夕張応援コンサート」を開催した。
2008年1月28日付けの東京中日スポーツの記事によると、2008年3月9日に福岡県朝倉市のホテルセンチュリーヒルズにおいて、日本人最高の10万円ディナーショーを開催することが発表された。
なお、お笑い芸人のタカアンドトシ(吉本興業東京支社所属)のトシの父親が、元マネージャーだということが、タカアンドトシが出演したバラエティ番組で明かされた。また、トシの姉がオフィスゲンキで働いていることも、さんまのまんまで明かした。
大のイチロー嫌い。理由が明らかに偏見からくるもので、一部の野球ファンから非難されている。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
- 旅立ち/初恋(1977/01/25発売)
- かざぐるま/銀の雨(1977/06/25発売)
- 時のいたずら/白い花(1977/11/25発売)
- 青春/MY自転車(1978/04/25発売)
- 季節の中で/青春II(1978/08/21発売)
- 窓/卒業(1979/03/21発売)
- 夜明け/サイクリング(1979/08/21発売)
- 恋/帰ろうか(1980/01/21発売)
- 人生の空から/雨の夜/海を見つめて/こいごころ(1980/09/21発売)
- 長い夜/わかれ(1981/04/21発売)
- ふるさと/風の中(1981/09/21発売)
- 夜よ泣かないで/春の足音(1982/04/21発売)
- 夢の旅人/二人の季節(1982/09/05発売)
- Sing a Song/涙の街(1983/03/21発売)
- 電話/流れ雲(1983/06/21発売)
- 流れ星/愛は物語(1983/09/21発売)
- On the Radio/雨の歌(1984/03/21発売)
- 男と女/粉雪(1984/10/21発売)
- ナイト・エンジェル/情熱(1985/06/25発売)
- 燃える日々/あふれる愛(1985/11/10発売)
- 野良犬/華(HANA)(1986/04/25発売)
- 旅路/旅立ち(1986/10/10発売)
- 七つちがい/あなただけの季節(1987/04/25発売)
- 春夏秋冬/ブルース(1987/10/25発売)
- いつのまにか/幸せ(1988/05/25発売)
- 愛のぬくもり/Trouble(トラブル)(1988/11/10発売)
- 午前3時/Say(1988/12/21発売)
- 抱きしめたい/ホーム・タウン(1989/04/25発売)
- SWAY/希望(1989/11/10発売)
- 夏の陽/Lullaby(ララバイ)(1990/04/25発売)
- 男達の唄/踊り子(1990/09/25発売)
- 純-愛する者たちへ-/今…(1991/10/21発売)
- INTENTIONAL/陽だまりの中(1992/09/01発売)
- 東京/俺の人生(1993/09/01発売)
- 生命(いのち)/風のささやき(1994/04/21発売)
- 時計/風は泣いている(1994/10/21発売)
- 船/夕やけ(1995/04/21発売)
- 泣いてしまいたい/それも愛(1995/10/21発売)
- 君を忘れない/今を生きたい(1996/04/20発売)
- あなたのために/10月・雨(1996/10/19発売)
- 逢いたくて/愛よ永遠に(1997/05/10発売)
- ひまわり/ねえ君(1997/08/30発売)
- クリスマス/雪化粧(1997/11/21発売)
- この世で君が一番好き/大空と大地の中で(1998/05/09発売)
- 翼を持たない天使/さよなら(1998/10/10発売)
- 僕なら/ため息をつかせてよ(1999/05/29発売)
- 君に/soupir(スピール)(2000/04/29発売)
- 遠い愛/僕は君になれない(2000/10/21発売)
- 新たなる旅立ち/愛したい(2001/04/21発売)
- 宇宙のはるか/です。(2001/10/21発売)
- egoist:エゴイスト(自己中心主義者)/受難の時代(2002/05/18発売)
- 存在/冬のアリア(2002/10/23発売)
- 都会の天使/兵士の歌(2003/05/21発売)
- 最後の涙/君の全てを(2003/11/05発売)
- 一輪の花/こもれ陽(2004/05/19発売)
- 北風の子守唄/山の向こう(2004/11/17発売)
- 青春の街/水溜まり(2005/05/18発売)
- 現実/星(2006/05/24発売)
- 祈り/月あかり(2006/11/1発売)
- 自壊/青空/宗谷岬/賭け(2007/5/9発売)
- 捨石/真冬にサンバ/アヴェマリア(2007/10/24発売)
- 我家/2020年の遺言/激情/夢中(2008/5/21発売)
- 1~8:キャニオンレコード(現在はポニーキャニオン)より発売
- 9~18:NEWSレコードより発売
- 19~32:ALFAレコードより発売
- 33~ :コロムビアミュージックエンタテインメントより発売
[編集] アルバム
- 君のために作った歌(1977/06/25発売)
- こんな夜は(1978/01/25発売)
- 歩き続ける時(1978/10/21発売)
- 空を飛ぶ鳥のように 野を駈ける風のように(1979/05/21発売)
- 起承転結(1979/11/21発売)ベスト・アルバム(シングル・コレクション)
- 浪漫(1980/05/05発売)
- 木枯しに抱かれて(1980/11/21発売)
- 時代をこえて(1981/05/21発売)
- 起承転結II(1981/11/21発売)ベスト・アルバム(シングル・コレクション)
- 私からの手紙-MY LIFE(1982/2/25発売)インストメンタル・アルバム(未CD化)
- 大いなる愛よ夢よ(1982/05/21発売)
- STAGE(1982/11/21発売)ライブ・アルバム
- 今、失われたものを求めて(1983/05/21発売)
- 眠れない時代(1983/11/05発売)
- 愛を贈る(1984/05/21発売)
- 起承転結III(1984/11/21発売)ベスト・アルバム(シングル・コレクション)
- 明日のために(1985/07/10発売)
- 風の歌が聞こえる(1985/11/28発売)
- あなたが僕を捜す時(1986/05/10発売)
- 旅立ち(1986/10/25発売)ベスト・アルバム
- あなただけの季節(1987/05/10発売)
- 起承転結IV(1987/10/25発売)ベスト・アルバム(シングル・コレクション)
- 自由の彼方へ(1988/05/25発売)
- Message(1988/11/28発売)
- STANCE(1989/04/25発売)
- ISHI(1989/11/28発売)
- 起承転結V(1990/04/25発売)ベスト・アルバム(シングル・コレクション)
- 男達の唄(1990/11/10発売)
- 燃える涙(1991/06/01発売)
- 純(1991/11/01発売)
- 物語/松山千春バラード・セレクション (1992/6/21)ベスト・アルバム
- 挫折(1992/09/21発売)
- 夏の終わりに(1993/09/21発売)
- 起承転結VI(1994/04/21発売) ベスト・アルバム(シングル・コレクション)
- 24時間(1994/11/21発売)
- 勇気ありがとう(1995/11/01発売)
- 風景(1996/04/20発売)ベスト・アルバム
- TOUR(1996/06/21発売)
- 起承転結VII(1997/03/20発売)ベスト・アルバム(シングル・コレクション)
- 叫び(1997/08/30発売)
- 笑っていたい(1998/10/01発売)
- 起承転結8(1999/04/21発売)ベスト・アルバム(シングル・コレクション)
- ガリレオ(1999/08/01発売)
- La La La(2000/05/10発売)
- 季節の旅人~春・夏・秋・冬~(2001/03/31発売)
- egoist:エゴイスト 自己中心主義者(2002/05/18発売)
- 起承転結9(2002/10/23発売)ベスト・アルバム(シングル・コレクション)
- 風光る(2003/11/05発売)
- 冬がやってきた(2004/11/17発売)
- 起承転結10(2005/05/18発売)ベスト・アルバム(シングル・コレクション)
- 現実(2006/05/31発売)
- 起承転結11(2008/05/21発売)ベスト・アルバム(シングル・コレクション)
- 1~5:キャニオンレコード(現在はポニーキャニオン)より発売
- 6~14:NEWSレコードより発売(現在はコロムビアミュージックエンタテインメントより再発売)
- 15~31:ALFAレコードより発売(現在はコロムビアミュージックエンタテインメントより再発売)
- 32~:コロムビアミュージックエンタテインメントより発売
- 企画物のベスト盤は、記載しない
[編集] ラジオパーソナリティー
- 千春のひとり唄(「サンデー・ジャンボ・スペシャル」内のコーナー)(STVラジオ)
- アタックヤング(STVラジオ)
- オールナイトニッポン木曜二部(ニッポン放送)
- オールナイトニッポン月曜一部(ニッポン放送)
- 松山千春 ひとつぶの青春(FM東京)
- オールナイトニッポン火曜一部(ニッポン放送)
- 松山千春の今夜はきめよう!(1979年 - 1980年、STVラジオ)
- 松山千春のポテトタイム(STVラジオ)
- 松山千春のワンダーランド 朝から最高(ニッポン放送)
- 松山千春のMY LIFE MY TALK(STVラジオ)
- 松山千春 スターダストタイム(STVラジオ)
- 松山千春 風に乗せて(STVラジオ)
- 松山千春 季節の旅人 (STVラジオ)
- 松山千春・お待たせ10分!(文化放送)
- 松山千春のスーパーミュージック・スタジアム(ニッポン放送)
- 松山千春の君に勇気ありがとう(ニッポン放送)
- 松山千春の新たなる旅立ち(21世紀の君に勇気ありがとう)(ニッポン放送)
- 松山千春のON THE RADIO(FM NACK5)…日曜21:00から1時間(時間変更2007年10月7日~)(日曜22:30から1時間(2007年7月1日~))
[編集] CM
[編集] TVCM
[編集] ラジオCM
- アサヒ緑健(松山自身が出演するバージョンと、ナレーターが担当する2パターンのCMを放送)
[編集] 映画
[編集] 関連人物 (50音順)
- 明石康…元国連事務次長。
- 自民・公明推薦で東京都知事選に出馬の際、応援。鈴木宗男離党前は自民党の積極的な支持者だった。
- 猪谷千春…IOC副会長
- 松山の父親が、松山に千春と名づけるきっかけとなった人物。松山の父親は流行などから名前を付けることが多かったらしく、千春が誕生した時に、彼がオリンピックで銀メダルを獲得したことから、千春と名づけられたらしいと松山が語っている。
- おすぎ
- 松山が最初に上京時、同じマンションにおすぎがすんでいてそれ以降友好的なつきあいが続く。一説にはおすぎは松山に恋心を抱いていたとも言われるが、松山には男色の気は一切ない。
- アルバム「時代をこえて」のジャケットの写真をプロデュース。その時の絵が足寄の実家の屋根の上に掲げてある。
- 松山の実家でコロッケを揚げて待っていた事がある。
- 小野伸二(浦和レッズ)
- 彼が、松山のコンサートに行って感銘したためにスキンヘッドにしたのは有名な話。松山は、「俺も~伸二がやっちゃったときにはびっくりしたよ。」と語った。
- 柏原芳恵
- 喜瀬ひろし…元札幌テレビ放送(STV)アナウンサー。
- 松山千春と同時代にSTVラジオの人気深夜番組「アタックヤング」などのパーソナリティーで活躍した元アナウンサー(2007年定年退職)。日本広しと言えど、彼のことをおおっぴらに「千春クン」と君付けで呼ぶのは彼のみと推測される。これは彼が「全国フォーク音楽祭北海道大会」の司会をやっていた事に起因する。
- GLAY
- 同じ北海道出身ということもあり、深い親交がある。GLAYのメンバーに松山は「チー様」と呼ばれている。GLAYがゲスト出演した音楽番組にスペシャルゲストとして松山も出演し、メンバーとの交流歴やGLAYの音楽について語ったこともある。また2007年7月1日に行われたCUE MUSIC JAM-BOREE IN YUBARIにGLAYが出演した際に、松山のヒット曲「長い夜」をカバーし披露した。
- 権藤博(元中日投手→元横浜ベイスターズ優勝監督→現野球評論家)
- 1998年(日本一の時の)横浜監督で北海道遠征時に真っ先に松山へ連絡を入れる。
- 佐伯三貴
- 女子プロゴルファー。佐伯の父親が松山と20年来の親友で、プロ転向後も所属先が決まらず「フリーじゃ格好悪い」と、松山の個人事務所「オフィス・ゲンキ」に入れてもらった。
- 佐々木主浩(元プロ野球選手、野球評論家)
- 松山千春がかつて『加藤晴彦のオールナイトニッポンコム』にゲスト出演した際、当時マリナーズの佐々木に現地時間午前5時に電話をかけたことがあると話していた。
- さだまさし
- 松山と同時期にニューミュージックの一時代を築いたシンガーソングライター。旧来松山とさだは、お互い「千春」「まさし」と呼び合う仲で、さだが足寄の千春の実家へ遊びに行ったり、テレビで共演するたびに松山が「(自分を差し置いて)おい、また禿げたな」とからかうなど親しかったが、さだがテレビ番組でおふざけ半分で松山の物まねで歌ったことに松山が怒り、「あいつ(さだ)のことは絶対に許せない」と発言した後は絶交状態にあるらしい。経緯は『月刊松山SAGA』で述べられている。さだはその後も自身司会のNHK『松山から生放送! 大型連休もさだまさし』でも松山の歌を歌うなどしているが、松山側の事情を知らないのか、知った上でやっているのかは不明である。また、脚本家の倉本聰にさだを紹介したのは、当時、倉本に傾倒していた松山で、それがきっかけで「北の国から」の主題歌作成がさだに依頼されることとなった。さだは「千春の方が適任では」と進言したが、結局さだが主題歌を書くこととなった。以来、松山は倉本を「北海道のことなど何も知らないくせに」と罵り嫌悪している。松山とさだの2人で札幌で飲んでいたら、そこへたまたま北野武が入ってきて、結局3人で飲んだ、という事もあった。松山は酒が飲めないので「ずっとコーラを飲んでいる」とさだは語っている。
- 角盈男(元プロ野球選手・コーチ、野球評論家・タレント)
- 現役当時より親交があり、今でも毎年コンサートに行き楽屋で挨拶する。
- 鈴木宗男…衆議院議員、新党大地代表。
- 地元足寄町出身で学校の先輩後輩の仲。「新党大地」の名付け親は松山千春。党名の発表の際に松山と鈴木の共通のウィークポイントを突き「「新党・禿(ハゲ)」という名前も考えた」と話す。また松山は鈴木宗男後援会青年部の名誉会長も務めている。2002年からのムネオバッシングの際にも一貫して鈴木を援護し続けた。
- 図越利次…指定暴力団会津小鉄会5代目会長
- 図越会長の就任10周年を祝う催しの際には無償で歌を披露するなど、十数年来の付き合いである。個人的な友人である。
- 竹田健二…札幌テレビ放送ラジオ局(現・STVラジオ)ディレクター
- 1975年の全国フォーク音楽祭北海道大会に落選した松山に光るものを感じ、周囲の反対を押し切り彼を自身の番組に起用、全国デビューさせた、千春の人生における最大の恩人。
- とにかく厳しい人で、移動中、車内で漫画を読んでいた松山に対し「そんなの見る暇あったら車窓を見て感じたことを詞に書け」と一喝した。しかし「東京に行くことはない。お前の好きな北海道で歌い続けろ。あとは俺が全部やる」といい、松山のプロ生活を全面的にバックアップした。
- だが、竹田が台本を書いたファーストコンサート「旅立ち」の函館公演のあった1977年8月27日の朝、竹田は36歳の若さで急逝する。
- 松山は自身のコンサートのステージにはいつもバラの花を一輪置くが、これは竹田への追悼の表し。
- 今でもコンサートなどで竹田の話をすると、松山は涙声になる。
- 中島みゆき
- 千春と同時期にニューミュージックの一時代を築いたシンガーソングライター。ともに北海道出身ということで、かつては両者の比較を、雑誌、ラジオ等がよく企画していた。さだと松山(二人とも髪が薄い)がワカメスープを飲んでいるのを中島が発見し、オールナイトニッポンでネタにしたこともある。松山は中島の実家を訪れた事もあるが、最近はほとんど付き合いがなく、さだと中島がお互いに親交を保っている(2002年にはデュエットまでしている)のとは対照的である。
- マイケル・ジョーダン…バスケットボールの伝説的スター
- ジョーダンに憧れてスキンヘッドにしたのは有名な話。
- 松山明人…ユニバーサルミュージック(株) クラシックス&ジャズ本部 クラシック部次長
- 松山の実弟。クラシック音楽に精通し、180枚組のモーツァルト生誕250年記念企画CDをプロデュース。25万円を超える価格にもかかわらず驚異的なセールスを記録した。
- 三井浩二…プロ野球西武ライオンズ投手
- 地元足寄町出身で学校の後輩。自身の変化球に「チハルボール」なる名称を付けており、交流も深い。
- 宮地佑紀生
- 名古屋のタレント、パーソナリティ。かつて松山に誘われて番組にレギュラーとして出演。また、デビュー前に宮地の番組にもゲスト出演したことがある。今でも聞いてみや~ちのリスナープレゼントに私物を提供するなど、交流が深い。
- やしきたかじん(歌手・タレント)
- ふたりは親交があり、たかじんの番組にゲストとして出演したこともある。また大阪での松山のコンサートにもアンコールで飛び入り出演している。2006年4月2日放送のたかじんのそこまで言って委員会(よみうりテレビ)では鈴木宗男が翌週の出演に先立ってたかじんにメッセージを送っており、そのなかで「たかじんさんの親友の松山千春さんの…」という趣旨を述べている。ムハハnoたかじん(関西テレビ)でも共演をした際一度コンサートに飛び入り参加するとたかじんが言っている。
- 山本詔治
[編集] 脚注
- ^ 松山千春30周年、足寄町がメモリアル歌碑を建立 文化通信 2006年9月19日配信号