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ニューミュージック - Wikipedia

ニューミュージック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ニューミュージックとは、都会的な情景を織り交ぜたポップ調のサウンドを基調とするシンガーソングライターによる作品群である。主として、1970年代から1980年代にかけての日本ポピュラー音楽の一部に対して使われた名称。ニュー・ミュージックとも表記される。広辞苑にもニューミュージックという呼称は掲載されている。

この言葉の由来は明確ではないが、あるレコード会社が使用を始めたとする説(あるアルバムの帯に記載されたとする説、たとえば、のアルバム)、音楽評論家三橋一夫とも言われているが不明)が使用を始めたとする説などがある。対象として、1970年代初頭の音楽を含むが、実際に、この言葉が盛んに使われるようになったのは、1970年代半ば以降である。

なお、一部には、雑誌「ニュー・ミュージック・マガジン」がもとになっているとする説もあり、関係ないとは断言できないが、この雑誌は、洋楽中心の雑誌であり、この雑誌の存在が、ニューミュージックの範囲ついての混乱をかえって助長したという面は否めない。

目次

[編集] 概要

もともとは、従来のフォークとも異なり、かといって歌謡曲(主としてアイドル歌謡曲)とも異なる音楽を意味するものであった。すなわち、フォークをルーツとしながら、より洗練され、それでもなお、歌謡曲とは違うという意味合いで使われた。しかし、この言葉が実際の使用場面でいろいろな意味で使われたため、現在では、その境界(どのアーティストのどの作品を意味するか)が極めてあいまいになっている。

ただ、メッセージ性の強いフォークやハードロック系は、一般に含まないとされることが多い。なお、大瀧詠一山下達郎などのはっぴいえんどナイアガラ系のミュージシャンについては、ニューミュージックに含める場合と含めない場合があり、いずれにすべきなのかについては、あまり議論はなされていない。


ニューミュージックの始まりは、おおむね、1972年ごろ、といわれている。具体的には、1972年の

そして、1973年

などを、始まりとすることが多い。

曲的には、従来のフォークが、例えばギター1本で、曲よりも詞を重視する傾向が強かったのに対して、ニューミュージックは、より楽曲を重視し、編曲家スタジオ・ミュージシャンが主体となって、複雑な音楽を作ることが多くなっていった。かといって、当時の歌謡曲のように、歌手が「与えられた曲を歌う」というようなことは少なく、ほとんどの場合、シンガーソングライターであり、自分で作曲をしていた。その意味で、歌謡曲とは一線を画すということが、本来のニューミュージックの意味には内在されていたといえる。

詞的には、従来のフォークに比べると、メッセージ性や社会性が薄れ、個人的な内容になり、特に、恋人とのふたりの関係に重点を置いたものが多くなっている。

なお、ニューミュージックの歌詞においては、男性歌手が女言葉で歌うという例が散見される。例えば、上記の「神田川」がそうであり、「22歳の別れ」もそうである。その他、松山千春長渕剛(初期)、堀江淳など、そのような作品を残したアーティストは枚挙にいとまがない。また、さだまさしの「秋桜」のような特殊な例(曲を提供した相手が女性(山口百恵)であったが、のちセルフカバーをした)もある。これは、ロックでは考えにくいことであり、ポップスや初期のフォークでもあまり例はない(シャ乱Qのような例外もある)。一方、演歌ムード歌謡においては多数例がある。

一方、その終わりはあいまいで、1980年代中ごろには終わっていたとする説、1980年代末までとする説、1990年代まで一部は続いていたとする説など、様々である。ただ、そのピークは、おおむね、1970年代後半とされている。

ニューミュージックを、

の3つに時期区分する考え方もある。ただし上記の歌手の区分には大きな疑問も存在し得る。例えば、1970年代後半に挙げられた歌手やグループの多くは1980年代になっても人気を維持しており、例えば中島みゆきは2000年代に入ってからも『地上の星』でオリコンチャート1位入りを果たしている。また久保田早紀はむしろ1980年になってから人気を得たと言われている。アーティスト側でも自らの音楽を「ニューミュージック」と規定した者は殆どいないといってよく(松任谷由実は自らのベストアルバムのタイトルをドイツ語で「新しい音楽」を意味する『Neue Musik』としているが)、例えばさだまさしは一貫して自分を「フォーク歌手」としている。

1980年以降、シティ・ポップス和製ポップスJ-POPなどの呼称が、ニューミュージックと厳密には同じでないが、似たような範囲の音楽を意味して使われるようになり、特に、J-POPが一般に過去の作品も含めてかなり広い音楽を対象として含めるという事情もあり、その結果からか、ニューミュージックという言葉は、現在の音楽に対してはあまり使われない呼称となっている。

他の音楽ジャンルとの関係を考えると、一般には、日本のフォークがリズムやテンポがよく、しばしば明るい曲調になるという意味で洗練されたもの(いい意味とは限らない)をニューミュージックと呼び、さらにリズムやテンポがよく、明るい曲調になるという意味でより洗練されたもの(アメリカ化というべきか。やはり、いい意味とは限らない)を(狭義の)ポップスと呼ぶ、ということが言えるという意見もある。

また、J-POPは、一般に(アイドル)歌謡曲も含み、アーティストがシンガーソングライターであることはまったく問わない。これに対して、ニューミュージックは、歌謡曲ではないことが本来の基本であり、シンガーソングライターであることを、より重視する。具体例を挙げると、モーニング娘。SMAPは、J-POPに入りうるが、山口百恵西城秀樹は、ニューミュージックには入らない。ただし、この区別も、絶対的なものではない。歌謡曲とニューミュージックとJ-POPの境界線自体が定かではなく、例えば太田裕美渡辺真知子はどれに属するのかは論者によってまちまちになるだろうと考えられ、また分類すること自体に意味があるのかどうかという意見もあり得る。

ニューミュージックであるかどうかの判断をする際に、1970年代後半にある程度ヒットしていることを条件とする考え方もある。すなわち、音楽的な面(楽曲)を見てニューミュージックといえそうであっても、1970年代後半にある程度のヒットとなっていない場合(ヒットを出していないアーティストの場合)には、ニューミュージックとは呼ばないという立場である。

ニューミュージックについては、そのような名前を付けて、レコード会社、レコード店、TV・ラジオの番組等が積極的に使用したことにより、フォークを大衆化させ、人気を高め、よりすそ野を広げたという点において評価される一方で、フォークを産業化させた(若者の音楽文化を、レコード会社などのメディア産業が取り込み、金儲けのためのビジネスにしてしまった)という面において批判されることが多い。したがって、ニューミュージックに属するとされるミュージシャンは、ある意味で、この点についての加害者でもあり、被害者でもあるといえる。ただ、このことは、ニューミュージックだけではなく、その後のJ-POPでも同じであり、ニューミュージックは、その始まりに過ぎない。

(注1)2004年現在、「ニューミュージック」という言葉はほとんど使われなくなっていることから、個々のニューミュージックのアーティストがいつニューミュージックでなくなったのか、という議論がある。例えば、松任谷由実を例にとると、「松任谷由実の場合、いつまでをニューミュージックと呼べるか、いつからニューミュージックでなくなったか」という議論である。いろいろな意見があるが、例えば、アルバム『SURF&SNOW』(1980年)までとする説、ミニアルバム『水の中のASIAへ』(1981年)までとする説、ほぼ同じ時期であるが、シングル『守ってあげたい』(1981年)以降をニューミュージックでないとする説などが有力であり、いずれも、1980年代初期を境としていることが多い。これに対して、単に、ニューミュージックという言葉が使われなくなったという用語の問題であり、個々のアーティストについて、いつまでがニューミュージックか、という問題の立て方そのものがナンセンスである、とする考え方もある。

(注2)ニューミュージックという呼び方は、「音楽・楽曲」を示す用語であるが、現実には、個々のアーティストに引っ張られることがほとんどである。典型的な「ニューミュージックのアーティスト」である松任谷由実を例にとると、1970年代後半の時期に、松任谷由実がアイドル歌手に曲を提供していたとしても、そのアイドル歌手が歌うその曲をニューミュージックと呼ぶことはない。ところが、同じ曲を、松任谷由実が歌うとしたら、とたんにニューミュージックと呼ばれるであろう。すなわち、同じ曲であっても、歌う者により、ニューミュージックになったり、ニューミュージックでなくなったりするということがありうるわけである。また、さだまさしは1980年代に入ってからむしろ社会的なテーマを扱う作品が増えている(さだ本人は一貫して自らを「フォーク」に位置付けている)。

[編集] ニューミュージックのアーティストの一覧

(注)アーティストの一覧については、その必要性等について、ノートで議論中。


[編集] ニューミュージックに分類される主要な曲・アルバム

(注)ヒットしていることに越したことはないが、作品として著名でありさえすれば、必ずしも、ヒットしていることを条件とはしない。シングル曲にも限定しない。「年」は、厳密なシングル・アルバム発表年にこだわらない。「」内は曲名、『』内はアルバム名。

[編集] 1970年から1975年(おおむね年代順)

[編集] 1976年から1979年(おおむね年代順)

[編集] 1980年から1985年(おおむね年代順)

[編集] ニューミュージックと呼べるかどうか判断が難しい作品

  • ロックではないか?
  • 演歌に近いのではないか?
    • BORO 「大阪で生まれた女」(1979年発売)
    • 河島英五 「酒と泪と男と女」(1976年発売)
    (※演歌に近い楽曲は、アダルトなニューミュージックということでニューアダルトミュージックとも言われる)
  • 歌謡曲(またはポップス)ではないか?(シンガーソングライターではない)
    • ハイ・ファイ・セット 「スカイレストラン」(1975発売)「燃える秋」(1978年発売)
    • 庄野真代飛んでイスタンブール」(1978年発売)「マスカレード」(1978年発売)
    • 大橋純子 「たそがれマイ・ラブ」(1978年発売)「サファリ・ナイト」(1978年発売)
    • 桑江知子 「私のハートはストップモーション」(1979年発売)
    • 杏里 「オリビアを聴きながら」(1978年発売)
    • 松原みき 「真夜中のドア」(1979年発売)
    • 竹内まりや 「戻っておいで私の時間」(1978年発売)「セプテンバー」(1979年発売)
    • 石川優子 「クリスタルモーニング」(1979年発売)

[編集] ニューミュージックに対する反感

ニューミュージックの作品のうちかなりの数がヒットし、特に、1970年代後半には、CM、TV番組、映画等とタイアップして大成功を収めたり、ニューミュージックのアーティストがラジオの番組を持ったりテレビの番組(音楽番組に限られない)に出演する例も多く、場合によってはアイドル的な取り扱いを受けたりしたことがあった。それにより、特に、当時ヒットを出せなかったミュージシャンおよびそのミュージシャンを支持するファンや音楽評論家から、世の中に迎合している、などとの批判がなされること(ねたみによるものを含む)がしばしばあった(ニューミュージックがその勢いを失った後の批判が多い)。時には、「産業フォーク」というべっ称で呼ばれることもある。いまだに、一部には、根強い反感が存在する(なお、「産業フォーク」という言い方は、批判的な文脈だけで用いられるわけではない。フォークソング参照)。

また、論者によっては、ニューミュージック全体を批判するわけではなく、特定の作品のみを「産業フォーク」と呼んで批判する場合もあった。この中には、特定のアーティストや評論家に対する反感、しっとを、ニューミュージックへの批判というオブラートに包んでいるというような、し意的なケースもあった。さらに、その余波として、当時ニューミュージックを積極的に紹介していた雑誌「新譜ジャーナル」(自由国民社・現在は休刊)が、当時またはその後に、攻撃の対象とされたこともあった。

さらに、音楽評論家等が、「一般に(または、ほとんどの)ニューミュージックは嫌い」という立場と「自分が好きなミュージシャン(例えばAとする)がニューミュージックと呼ばれることがある」という事実の間の矛盾を解消するために、「Aはニューミュージックではない(だから、ニューミュージックが嫌いな自分がAを好きでも問題はない)」と、し意的な主張がなされて、ニューミュージックの範囲についての混乱に拍車がかかったケースもある。

なお、このような反感を買ったことは、ニューミュージックのアーティストの側に問題があった場合(アーティストがヒットしたことを鼻にかけた場合など)も含まれる。

[編集] ニューミュージック系の編曲家

ニューミュージックの音作りに関しては、編曲家の貢献が極めて大であるが、その最盛期とも言える1970年代後半に、ニューミュージックの編曲を多く手がけた者として、以下のような編曲家を挙げることができる。

[編集] 網羅的なニューミュージックのアーティストガイド・ディスクガイド

ニューミュージックをその内容の一部に含むこのようなガイドブックはいろいろ出版されているが、ニューミュージックというジャンルが確立しているにもかかわらず(範囲があいまいではあるが)、2005年4月現在、ニューミュージックだけを対象とするこのようなガイドブックは存在しない。そのような文献が存在しないことは不思議であり、また、その理由も不明であるが、上記評価(反感)と関係する可能性もある。

[編集] 関連項目


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