広島電鉄1000形電車
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広島電鉄1000形電車(ひろしまでんてつ1000がたでんしゃ)は、1922年に導入された広島電鉄宮島線用の電車。市内線(路面電車)の車両に対して床の地表からの高さが高かったため、「高床車」とも呼ばれた。本項ではその翌年導入された1010形、1925年に投入された1020形、1000形と1020形を半鋼車に改造した1040形についても記す。
[編集] 概要
宮島線の開通に当たって木造ボギー車を2両発注し、梅鉢鉄工で車体を、日本車輌製造で台車を製造して組み合わせ、C形として開通年の1922年に投入した。
翌年、台車をJGブリルのものに切り替えてその他は同じ仕様の車両を8両追加投入した。この車両はD形とされた。更に1925年には、再び日本車輌の台車を履いたF形を、5両投入した。
当時、市内線は水道管などが腐食する恐れがあることから線路に電気を流さず、集電装置に2本のポールを用いていたが、宮島線の車両はその心配がなかったため、初めから1本ポールであった。
1938年には千田車庫で火災がありC形1両とD形1両が廃車となった。その翌年の1939年に形式番号割り振りの変更があり、C形は1000形、D形は1010形、F形は1020形となった。また、廃車となったC形とD形各1両は、この年に半鋼製車体を新たに製造し、1040形として再び運用につくことになった。
その後1040形を連接車に改造するにあたり、1040形の台車をそろえるため1000形1001と1040形1041の台車を交換し、1両のみの在籍となっていた1000形1001は1010形に編入された。
1943年には宮島線電車の集電装置がポールからパンタグラフへ変更された。そして1957年には、1010形6両の内4両が中扉仕様に改造された。
その後老朽化で、1020形が1966年4月、1010形が1968年1月、1040形は1980年12月に廃車となった。
[編集] 主要諸元
1000形・1010形・1020形・1040形(連接車改造前)
- 電動機:37.3kW×2
- 車体:梅鉢鉄工製
- 定員:60名
- 台車:1010形はJGブリル製、1040形はJGブリルと日本車輌製造製が1両ずつ、その他は日本車輌製造製
1040形(連接車改造後)
- 定員:140名
- 台車:日本車輌製造製
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現役の車両 | ||||||
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過去の車両 | ||||||
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