守谷市
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守谷市(もりやし)は、茨城県南部に位置する住宅都市である。郵便番号の上5桁は302-01。 世界各国の現代芸術分野の若手アーティストを招き、滞在期間中の創作活動を支援する芸術文化を通じた地域振興のためのアートプロジェクトアーカスプロジェクトが行われている。また、計画的に整備された市内の街並、公園、駅はドラマ等にも度々登場する。
目次 |
[編集] 概要
現在は新興住宅街としての印象が強いが、旧市街地はかつて城下町で、その周辺は田園地帯だった。1960年代以降はニュータウン(常総ニュータウン)として発展し、1966年6月に首都圏近郊整備地帯の指定を受けて以後、都市再生機構(旧 都市基盤整備公団)や三井不動産による住宅開発によって人口が増加。国道294号及びその294号線にほぼ並行する「常総ふれあい道路」沿線を中心に産業活動が活発化している。さらに、2005年8月24日に開業した首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線により、現在は更に発展が続いている。今後も更なる発展が予想される。
[編集] 地理
茨城県南西部に位置し、東は取手市、西は千葉県野田市、南は千葉県柏市、北はつくばみらい市に接している。東京都心からは約40kmに位置する。 市の面積は35.63km²で市域は東西7.5㎞、南北7.2㎞と円を描くような形になっている。市域の大半が常総台地に属し、海抜平均20mの平坦な台地が広がる。市内全域で宅地開発が進んでいるが、幹線道路を離れれば、自然も多い。
[編集] 地区
合併前の1町3村の名称と区分にちなんで、市の中央部から北東部にかけてを守谷地区、南東部を高野地区、北西部を大井沢地区、南西部を大野地区と呼んでいた。
住宅開発により常総ニュータウン北守谷は北守谷地区、もしくは新守谷駅があることに因んで新守谷と呼ばれ、常総ニュータウン南守谷地区を中心とするエリアは南守谷地区、三井パークシティみずき野はみずき野地区と呼ばれるようになる。また北守谷地区は旧大井沢地区の多くを占めていることから、現在ではニュータウンに隣接する地域も北守谷地区と認識されており、大井沢の名は小学校名にのみ留まる。南守谷地区は旧高野地区の東半分で、南守谷地区内にある高野公民館の名称等が高野地区だったことを伺わせる。西半分の農村地帯は現在も高野地区と呼ばれ、地名や学校の名前も高野となっている。 守谷地区は城下町、あるいは銚子街道の街道集落として発展してきたため最も人口の多かった地区で、市制前まで守谷地区のほぼ全域を占めていた大字守谷とその周辺一部のことであるが、市制後に後に中央となる守谷駅周辺を除き、百合ケ丘、本町、松並、ひがし野に分離したことなどから守谷地区という呼称はあまり使われなくなっている。
[編集] 地域
守谷市では住居表示は行っていないが、土地区画整理事業に合わせて地番整理を行っている。
- 赤法花
- 板戸井
- 大柏
- 大木
- 大山新田
- 乙子
- 久保ケ丘
- 緑
- (大字)守谷甲
- 薬師台
- 百合ケ丘
[編集] 河川と水害
北東に小貝川、西に鬼怒川、南に利根川が流れる。かつては内陸にまで水が入り込み、入り江となっていた。このように三方を河に囲まれた地形であるだけに水害が多かった。明治時代から堤防の整備や調節池の設置が進められ、あるいは調節池内にあった家屋を移転させるなどしたことで次第に危険は減少していくが、1985年頃になってもなお台風の折りには堤防の決壊や道路の冠水、住宅への浸水という被害が起きている。 現在では冠水、浸水地域の改善等から、浸水可能性が考えられるのはごく僅かな地域である。実際、大規模な被害がでたのは1982年ころまでである。浸水想定区域図を参照。
[編集] 歴史
[編集] 名称の由来
守谷という名称の由来には以下の2つの説があるが、どちらも伝説の域を出ないものであり、確かな事は分からない。
- 日本武尊が東征の際にこの地を訪れ、鬱蒼と茂る森を見た際に驚嘆して発した「森なる哉」(もりなるかな)という言葉から「森哉」(もりや)となったという説がある。しかし、日本武尊が守谷を訪れたという確証はない。
- 平将門が城を築いた際に入り江(現在は消失)に守られたこの土地を「守るに易き谷」と評したことに由来するという説がある。しかし、守谷城を築城したのは将門ではなく後世の相馬氏と推測される。なお、市内には平将門にまつわる伝説・言い伝えが数多く残されている。
[編集] 年表
- 縄文時代・弥生時代の土器が市内各所から出土しているため、古くから人の集まる場所だったことが推測される。
- 平安時代:相馬氏(下総相馬氏)が守谷城を居城として一帯を支配。
- 1538年:相馬氏が北条氏政と古河公方足利晴氏と和睦し、北条氏への服従を示すため守谷城を北条氏へ明け渡す。
- 1566年:芳春院周興(ほうしゅんいんしゅうこう、足利義氏の母)が守谷城へ入城。
- 1590年(天正18年):豊臣秀吉による小田原攻めの際、相馬氏は北条方についたが、秀吉の臣である浅野長政らの勧告を受け降伏し、守谷城を開城した。徳川家康の命により、相馬氏に代わって土岐(菅沼)山城守定政(とき(すがぬま)やましろのかみさだまさ)が守谷一万石としてこれを治め、守谷は城下町として周囲の村落とは異なった発展をする。
- 1616年(元和2年):菅沼定義が高槻に転封となる。
- 1619年(元和5年):菅沼頼行(定義の子)が守谷城主となる。
- 1628年(寛永5年):頼行が出羽上山に転封となり、守谷城は事実上の廃城。城下町のみが発展を続ける。
- 1642年(寛永19年):守谷の一部が佐倉藩堀田氏の所領となり、堀田正盛の子、堀田正俊が領主となる。
- 1668年(寛文元年):酒井忠孝が領主となる。
- 1681年(天和元年):守谷最後の城主・酒井忠挙が厩橋へ転封。
- 1688年(元禄元年):関宿藩領へ編入。もはや城下町ではなくなり、にわかに衰退。
- この頃から江戸時代末期まで、現在の守谷市は関宿藩領、天領、田安領、その他旗本領に分割されていた。
- 1870年:現在の守谷市内にあった各町村が関宿藩、葛飾県所属となる。
- 1871年:廃藩置県により、守谷全域が印旛県となる。
- 1873年:千葉県所属となる。
- 1874年:茨城県所属となる。
- 1889年:市制及町村制施行により各町村合併して、旧守谷町(守谷町・小山村・赤法花村)、大井沢村(大木村・大山新田・板戸井村・立沢村)、大野村(大柏村・野木崎村)、高野村(高野村・鈴塚村・乙子村)が成立。
- 1955年 3月1日:旧守谷町・高野村・大野村・大井沢村が合併して北相馬郡守谷町となる。
- 1966年 6月:首都圏近郊整備地帯の指定を受けて大規模な宅地開発計画が実行され、これ以後首都圏のベッドタウン化が進む。
- 2002年 2月2日:市制施行。
- 2005年 8月24日:首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線開業。
[編集] 人口
守谷市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 守谷市の年齢・男女別人口分布図 |
■紫色は守谷市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
総務省統計局 / 国勢調査(2005年) |
[編集] 行政
[編集] 市長
ここには1955年に成立した守谷町(現在の守谷市の前身)の町長、および市長を列挙する。
- 吉田亀次郎(1955年 - 1968年、4期連続)
- 会田源一郎(1968年 - 1978年、3期連続)
- 大和田仁(1978年 - 1992年、4期連続)
- 会田真一(1992年 - 現職、市制移行にともない、2002年から市長。目下3期連続。会田源一郎元守谷町長の息子)
[編集] 財政
- 2008年度(平成20年度)は154億円の一般会計予算が組まれており、歳入の約65%が市税で、特に目立った基幹産業がないことから、そのうち約半分が個人市民税に依る。一般会計からの支出は民生費が最も多くを占め、ついで教育費、公債費、土木費が並ぶ。また、同年度は109億4,243万5,000円の特別会計予算が組まれているが、中でもつくばエクスプレス線開業に併せての守谷駅周辺一体型土地区画整理事業における事業費が目立つ。
- 地方交付税は、近年の三位一体の改革の影響を受けて、2005年度(平成17年度)より普通交付税の不交付団体となっている。
- 負債については、2006年度(平成18年度)末時点で、地方債現在高比率199.5%で県内ワースト6位である。実質的な債務残高比率285.9%は県内最悪で、その座を平成14年度から5年連続で保持している。将来にわたる財政負担比率は248.0%で県内ワースト2位である。このように、近隣と比較しても地方債への依存度が極めて高く、非常に苦しい財政運営であることが伺える。今後、約287億円にのぼる負債の処理が大きな課題となっている。
[編集] 管轄広域事務組合
- 常総地方広域市町村圏事務組合
- 常総衛生組合
- つくばみらい市・常総市・坂東市・守谷市のし尿処理などを行っている。
- 取手市外二市火葬場組合
- つくばみらい市・取手市・守谷市で斎場の運営を行っている。
- 茨城県市町村総合事務組合
- 県内市町村の職員退職手当の管理や県民交通災害共済事業等の事務を行っている。
- 茨城租税債権管理機構
- 県内市町村の一部の市税徴収代行事務を行っている。
[編集] 第三セクター等
- 守谷市土地開発公社
[編集] 管轄消防署
[編集] 管轄警察署
- 取手警察署(隣の取手市にある警察署。管轄は取手市、利根町と当市。)
- 守谷地区交番(守谷駅前に位置する。国道294号線沿いにある。)
- 南守谷交番(常総ふれあい道路沿いに位置する。)
- 久保ヶ丘交番(常総ニュータウン北守谷地区内に位置する。)
[編集] 合併
一時は隣接する取手市、谷和原村、水海道市、伊奈町との合併も取りざたされたが、守谷市単独でも十分な発展が見込めるとの判断から、平成の大合併の際には、積極的な合併協議は行われなかった。
会田市長の考えでは、合併新法下で常総市、取手市、つくばみらい市と合併、中長期的には県南地域の全市町村による政令市「大つくば市構想」を打ち上げている。多くの事務権限が移譲されることで各地域の実情に応じた施設配置が可能となるメリットを挙げ、さまざまな財政制度の特例が設けられ財政力の強化につながると説明。道州制が議論される中で単位自治体の規模が必要だとし、実現に向け県の積極的な関与を求めている。
[編集] 市議会
- 議長:又耒成人
- 副議長:倉持洋
- 議席(会派):守谷市政クラブ(5)、民主新政会(2)、民主維新会(2)、協働のまちづくり(2)、公明党(2)、日本共産党(2)、守谷クラブ(1)、未来21(1)、無所属市民の会(1)
[編集] 経済
[編集] 主な産業
江戸時代から昭和、平成に至るまで稲作および畑作の農業が盛んである。その一方で宅地開発が進むとともに幹線道路沿線でのサービス業(飲食店など)や卸売・小売業が増加し、工業団地の整備による企業誘致などによって製造業も多く見られるようになった。またかつては利根川を挟んだ対岸にある野田市同様、醤油の生産も盛んだったが、昭和50年頃までには消滅している。同じく以前は酒造も営まれていたが、醤油とほぼ同時期に消滅している。
[編集] 産業人口
- サービス業
- 製造業
- 卸売・小売業
- 建設業
- 運輸・通信業
- 金融・保険・不動産業
- 公務
- 農業
[編集] 商工業
常総ふれあい道路沿線でのサービス業(飲食店)、小売業が盛んである。
松ヶ丘にある複合型商業施設のアクロスモール守谷やジョイフル本田守谷店、百合丘にあるロックシティ守谷など、大規模な店舗も点在する。
[編集] 農業
農業に従事する人口の減少に伴い、産出額も減少傾向にある。特に米の産出額が減少している。しかし近年、野菜や果実(ビニルハウス栽培)の産出額が増加している。
[編集] 主な企業
- アサヒビール茨城工場
- 関東つくば銀行(各支店)
- ジョイフル本田守谷店
- 常陽銀行(各支店)
- 西友楽市守谷店
- 前川製作所
- 明治乳業守谷工場
- ユニー守谷店
- カスミ松ヶ丘店・FOOD OFFストッカー守谷店
- ワンダーコーポレーション(WonderGOO守谷店)
- アクロスモール守谷
- ロックシティ守谷
[編集] 姉妹都市・提携都市
このことから、市の公式サイトには英語版とドイツ語版が用意されている。
[編集] 地域
[編集] 健康・保険
- 老齢人口割合:11.12%
- 水道普及率:98.47%
- 下水普及率:91.62%
- 排水等処理率
- 生活道路舗装率
[編集] 教育関連
[編集] 小学校
[編集] 中学校
[編集] 高等学校
[編集] 交通
[編集] 道路
主な道路は国道294号線と、これに並行して走る常総ふれあい道路で、市内や近隣への移動には自家用車の利用が多く見られる。
- 高速道路
- 一般国道
- 都道府県道
- その他
- 常総ふれあい道路
[編集] 空港
- 守谷飛行場(ただし、スポーツ・レクリエーション目的)
[編集] 公共交通機関
首都圏新都市鉄道と関東鉄道が運行する鉄道路線が市内を通り、主要駅である守谷駅で接続している。東部では、取手市にある戸頭駅の利用もみられる。 路線バスは守谷駅を中心に運行されているほか、東部と北柏駅を新大利根橋有料道路経由で結ぶ路線がある。高速バスは常総ルートと、守谷駅と日立市を結ぶ路線が運行されている。
- 鉄道
- バス
- 関東鉄道 - 水海道営業所、つくば中央営業所
- 日立電鉄交通サービス
- やまゆり号 - 市が運営し、関東鉄道(水海道営業所)が運行するコミュニティバス。北守谷、白寿荘・板戸井、南守谷、みずき野の4路線がある。
[編集] 隣接市町村への連絡
- 取手市 - 常総線(戸頭駅、稲戸井駅、新取手駅、寺原駅、西取手駅、取手駅)
- つくばみらい市 - TX線(みらい平駅)、常総線(小絹駅)
- 常総市 - 常総線(水海道駅、北水海道駅、中妻駅、三妻駅、南石下駅、石下駅、玉村駅)
[編集] 県庁への連絡
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集] 名所・旧跡・観光スポット
- 守谷城趾
- 成田不動明王石碑(お化け石)
[編集] 祭事・催事
- アヤメ祭(6月)
- 八坂神社祭(7月)
- 江戸時代、酒井氏によって創建された「守谷総地鎮八坂神社」の祭礼で、夜店が神社前の旧道に広がり山車が出るなど守谷で最も規模の大きな祭である。
- 明治神宮祭(11月)
- 1916年(大正5年)に創建された明治神宮の祭礼。最も盛んだったのは昭和初期。つくばエクスプレス線開業と再開発により神宮は移転するが、祭礼は続いている。
- 守谷ハーフマラソン(2月開催)
[編集] その他
- 市外局番は0297。同じく0297である取手・龍ヶ崎地区には市外局番をつけないとかけることができない。
- ご当地ナンバーである「つくばナンバー」につくば市・つくばみらい市・常総市・坂東市など県南・県西地域13市町に参加している。他のナンバー地域は2006年10月10日に導入されたが、つくばナンバーだけが茨城県の新県税システムの導入時期に合わせ、2007年2月13日から導入された。
- 2008年 全都市住みよさランキングで総合第1位に輝いた。
[編集] 出身有名人
- 本田真歩(ファッションモデル)
[編集] 外部リンク
- 国土地理院地形図閲覧システム
- 国土地理院 地形図閲覧システム 2万5千分1地形図名:守谷(南東)大野地区(野木崎、大柏)、守谷地区、高野地区
- 国土地理院 地形図閲覧システム 2万5千分1地形図名:守谷(北東)大井沢地区(板戸井、大木)、守谷地区
- 国土地理院 地形図閲覧システム 2万5千分1地形図名:藤代(南西)高野地区東部、守谷地区東部
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守谷地域 | 中央|同地|ひがし野|本町|松並|みずき野|百合ケ丘| |
北守谷地域 | 板戸井|大木|大山新田|久保ケ丘|御所ケ丘|立沢|野木崎|松前台|緑|薬師台| |
南守谷地域 | 乙子|けやき台|高野|小山|鈴塚|松ケ丘|美園| |
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市部 | 水戸市 | 日立市 | 土浦市 | 古河市 | 石岡市 | 結城市 | 龍ケ崎市 | 下妻市 | 常総市 | 常陸太田市 | 高萩市 | 北茨城市 | 笠間市 | 取手市 | 牛久市 | つくば市 | ひたちなか市 | 鹿嶋市 | 潮来市 | 守谷市 | 常陸大宮市 | 那珂市 | 筑西市 | 坂東市 | 稲敷市 | かすみがうら市 | 桜川市 | 神栖市 | 行方市 | 鉾田市 | つくばみらい市 | 小美玉市 |
東茨城郡 | 茨城町 | 大洗町 | 城里町 |
那珂郡 | 東海村 |
久慈郡 | 大子町 |
稲敷郡 | 美浦村 | 阿見町 | 河内町 |
結城郡 | 八千代町 |
猿島郡 | 五霞町 | 境町 |
北相馬郡 | 利根町 |