ポール・クローデル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
---|
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
ポール・クローデル(Paul Claudel、1868年8月6日 - 1955年2月23日)は、フランスの劇作家、詩人、外交官。女性彫刻家のカミーユ・クローデルは、姉にあたる。
目次 |
[編集] 生涯
ポール=ルイ=シャルル・クローデル(Paul-Louis-Charles Claudel)は、北仏エーヌ県のヴィルヌーヴ=シュル=フェール(Villeneuve-sur-Fère)村で、父ルイ・母ルイーズの4人の子の、末子に生まれた。収税官の父の転勤で幼時を転々としたのち、1881年、パリのルイ大王高等中学校に学んだ。1884年、バカロレアに合格して哲学級へ進級し、級友のロマン・ロランとコンサートへ通い、また、文学に親しんだ。1885年(17歳)、パリ大学法学部へ進んだ。
1886年、ランボーの「イリュミナシオン」と「地獄の季節」を読んだ。カトリシズムに回心し、また、1887年からマラルメの「火曜会」に出席するようになった。詩作し、戯曲を書いた。1890年、外交官試験に首席で合格し、本省商務部の専門職員となった。
1935年(67歳)に退官するまでの、外交官としての経歴は次であった。在任中も、文筆を怠らなかった。
- 1890年2月、『フランス』外務省商務部
- 1893年3月 - 1893年12月:『アメリカ』。ニューヨーク副領事、ボストン領事事務扱い
- 1895年7月 - 1909年8月:『清国』。上海領事館、福州副領事館事務扱い、漢口副領事館事務代理、福州領事、北京公使館一等書記官、天津領事館事務取扱い、天津領事
- 1909年12月 - 1911年9月:『オーストリア=ハンガリー』。プラハ領事、総領事
- 1911年9月 - 1914年8月:『ドイツ』。フランクフルト総領事、ハンブルク総領事
- 1914年8月 - 1915年10月(第一次世界大戦期):『フランス』。外務省
- 1915年10月 - 1916年7月:『イタリア』。経済特使としてローマ
- 1917年1月 - 1918年12月:『ブラジル』。リオ・デ・ジャネイロ二等全権公使
- 1919年7月 - 1921年3月:『デンマーク』。コペンハーゲン一等全権大使
- 1921年(大正10年)11月19日 - 1927年(昭和2年)2月17日:『日本』。駐日大使(1925年1月 - 1926年2月は休暇で帰国)
- 1927年3月 - 1933年4月:『アメリカ』。ワシントンD.C.駐在大使
- 1934年5月 - 1935年6月:『ベルギー』。ブリュッセル駐在大使
1890年(22歳)、パリのノートルダム寺院で聖体拝領に与った。1898年、上海勤務の休暇に、約1ヶ月日本を観光した。
1900年(32歳)、一時帰国し、ジッドと交際し始めた。聖職者を志し、ソレームの僧院(Solesmes Abbey)とリギュジェの僧院(Abbaye Saint-Martin de Ligugé)とに籠もったが挫折した。福州へ帰任の途次、ベルギー人のロザリー・ヴェッチ夫人(Rosalie Vetch)を知り、1905年、彼女は一女をなした。この恋愛から、のちの戯曲「真昼に分かつ」、「繻子の靴」が生まれた。
一時帰国中の1906年、レーヌ・サント=マリー=ペラン(Reine Sainte-Marie-Perrin)と結婚した。5人の子をもうけた。
1917年、ブラジルへの赴任に、ダリウス・ミヨーを秘書として伴った。バレエ・リュスの旅興行を観て、トップ・ダンサーのニジンスキーと交渉を持ち、ミヨー作曲のバレエ「男と欲情」の台本を書いた。
1921年(大正10年)、駐日大使となり、フランス領インドシナを経て、11月横浜に着き、1927年2月まで在日した。(次項参照)
1927年(59歳)、イゼール県モレステル(Morestel)のブラング城(Château de Brangues)を求め、そことパリとに住まった。1928年、コロンビア大学名誉法学博士号を受けた。
1934年、バレリーナ、イダ・ルビンシュタインへの作品をミヨーから頼まれ、「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を書いた。1935年、アカデミー・フランセーズ会員選挙に敗れた。6月、外交官を卒業した。
1936年、心臓を病んだ。1939年、ピオ12世の即位式の、フランス政府代表となった。同年、ケンブリッジ大学の名誉博士号を受けた。幼馴染みのロマン・ロランとの交友が復活した。
1940年(72歳)、ドイツ占領軍に監視され、著書「接触と環境」が出版後ただちに、廃棄処分にされた。1941年、ナチスのユダヤ人迫害に抗議した。1942年、アカデミー・フランセーズからの入会勧誘を、その対独汚染のゆえに拒否した。ジャン=ルイ・バローと「繻子の靴」上演を議し、1943年、短縮した上演台本を書き、11月25日からコメディ・フランセーズで上演した。以降、バローに頼られた。
1944年、解放後、ド・ゴールと交わった。1946年、モーリアックの呼びかけとドゴールの後押しを受け、アカデミー・フランセーズ会員となった。
1947年(79歳)、心臓発作を起こした。1948年、ド・ゴールの依頼により、国家評議会の会員となった。
1951年10月17日、レジョン・ドヌール大十字勲章を受けた。ロザリー・ヴェッチ夫人が没した。募る衰弱のなかで、執筆・旅行・演劇などの活動を続けた。
1955年2月23日、パリの自宅で没、86歳。その4日前まで「マリアへのお告げ」のコメディ・フランセーズ上演に関わった。2月28日、パリのノートルダム寺院で国葬を執り行い、同年9月4日、ブラング城の一角に埋葬した。
その後も、著作・著作集の出版が続けられた。
物故直後の1955年7月、ジャン・ヴィラールのアヴィニョン演劇祭で、「都市」第2稿が初演された。遺作の上演は、なお、続いている。その中には、1987年のアヴィニョン演劇祭における、アントワーヌ・ヴィテーズ(Antoine Vitez)演出の、「繻子の靴」完全版の初演、という話題もあった。
毎年の夏、ブラング城で、ポール・クローデル協会による、故人を偲ぶ催しが開かれている。
[編集] 在日時代
クローデルの駐日大使時代、相い争う案件は日仏間に少なかった。東アジアの利権拡大に協力する英米から孤立してゆく日本に、同情的で、日本の対中国の、フランスの対インドシナの権益拡大を、認め合おうとする姿勢であった。ワシントン会議で主力軍艦を制限された日本は、航空戦力を増強するだろうと、フランスの飛行機の売り込みをはかる、国際的商才もあった。
姉カミーユのジャポニスムの感化で、日本を好いていた彼は、公務を縫って、日本を積極的に見聞した。
東京・京都・大阪・福岡で、学生を相手に講演した。
春庭花・納曽利などの舞楽、文楽、仮名手本忠臣蔵・石切梶原などの歌舞伎、道成寺・翁・角田川・砧などの能を観劇した。大徳寺・大覚寺・龍安寺・長谷寺・二条城・三千院・名古屋城などを巡り、狩野派の襖絵を鑑賞した。画家の富田渓仙・山本春挙・竹内栖鳳、歌舞伎の五代目中村福助、長唄の四世杵屋佐吉らと、親しくした。
雑誌改造へ2度、新潮へ1度、仏文の記事を日本語訳付きで寄稿した。日本の書店から、仏文の詩集「聖女ジュヌヴィエーヴ」、富田渓仙画の詩画集「四風帖」、その第2版の「雉橋集」、第3版の「百扇帖」、を出版した。舞踊詩劇「女と影」を書き、それは帝国劇場で、七代目松本幸四郎、五代目中村福助らによって上演された。
関東大震災に罹災しながら、救助活動を指揮し、病院と託児所とを仮設した。
1924年(大正13年)3月7日、渋沢栄一と協力して日仏会館を発足させた。1925年、大作「繻子の靴」を書きあげた。1926年、稲畑勝太郎とともに関西日仏学館の設立を推進したが、それが開館した1927年10月22日は、次の任地アメリカへ向かう船上にあった。
[編集] 主な著作
訳書を原著の下に記す。
[編集] 戯曲
- 黄金の頭(Tête d'or):初稿1890年刊、二稿1901年刊-1924年初演(芸術と行動グループ(Groupe Art et Action))、1959年上演(コメディ・フランセーズ、ジャン=ルイ・バロー演出)
- 都市(La Ville):初稿1893年刊、二稿1901年刊-1955年初演(アヴィニョン演劇祭、ジャン・ヴィラール演出)
- 乙女ヴィオレーヌ(La Jeune Fille Violaine):初稿1892年刊、二稿1901年刊、-1959初演
- 交換(L'Échange):初稿1901年刊- 1914年初演(ヴィユ・コロンビエ劇場、ジャック・コポー演出)、二稿1951年作、同年初演(ルノー=バロー劇団、マリニー座、バロー演出)-1954年刊
- 七日目の休日(Le Repos du septième jour):1901年刊、1928年ワルシャワ初演、1965年フランス初演
- 真昼に分かつ(Partage du mid):1906年刊-1921年初演(芸術と行動グループ)、台本初稿1948年-同年初演(ルノー=バロー劇団、マリニー座、バロー演出)、1949年台本二稿- 1961年初演(オデオン座フランス劇場)
- 鈴木力衛・渡辺守章訳、「筑摩世界文学大系56 (1976)(ISBN 4480206566)」中の一篇
- 人質(L'Otage):1911年刊-1914年初演(「制作座」(La Maison de l'Œuvre)、リュニェ=ポー(Lugne Poe)演出)
- 渡辺守章訳、「白水社 現代世界演劇4(1971)」の中の一篇
- 堅いパン(Le Pain dur):1918年刊-1925年ドイツ初演-1949年フランス初演(バルザック座、リュニェ・ポー演出、ピエール・ルノワール主演)
- マリアへのお告げ(L'Annonce faite à Marie)(「乙女ヴィオレーヌ」の改作):初稿1912年刊-同年初演(「制作座」、マラコフ劇場、リュニェ=ポー演出)、二稿1940年刊- リヨンで上演、三稿1948刊-同年初演(エベルト座)
- 木村太郎訳、甲鳥書林 現代カトリック文芸叢書(1943)/鈴木力衛・山本功訳、「筑摩世界文学大系56 (1976)(ISBN 4480206566)」中の一篇
- アガメムノン(アイスキュロスのオレステイア三部作の翻訳)(ミヨー作曲):1896年刊-1963年初演
- 供養する女たち(Les Choéphores)(同上)(同上):1920年刊-1935年初演(ブリュッセル、イダ・ルビンシュタイン主演)
- 慈しみの女神たち(Les Euménides)(同上)(同上):1920年刊-1963年ベルリン初演
- アイスキュロスの「オレステイア」、渡辺守章訳、「筑摩世界文学大系4(2000)ISBN 4480206043」中の一篇
- 辱しめられた神父(Le Père humilié):1920年刊-1928年ドイツ初演)、1945年改訂版刊-1946年初演(シャンゼリゼ劇場、ジャン・ヴァルクール演出)
- プロテウス(Protée)(ミヨー作曲):1914年刊、二稿1926年刊-1929年オランダ初演-1937年フランス初演(アンフィヨン劇団)
- 1914年のクリスマスの夜(La Nuit de Noël 1914):1915年刊-1917年初演
- 熊と月(L'Ours et la Lune)(人形劇)(ミヨー作曲):1919年刊-1948年アルジェリア初演-1951年フランス初演(セルジュ・リジエ劇団)
- 男と欲情(L'Homme et son Désir)(ミヨー作曲):1917年刊-1921年初演(スエーデン・バレエ、シャンゼリゼ劇場、ボーリン(Jean Börlin)振付)
- 女と影(La Femme et son Ombre)(杵屋佐吉作曲):初稿1922年、二稿1923年-同年初演(帝国劇場)(「朝日の中の黒い鳥」に収録)、1948年パリ初演(ローラン・プティのバレエ団、マリニー座)
- 女とその影、長谷川善雄訳、「講談社 日本現代文学全集15(1969)」中の一篇
- 繻子の靴(Le Soulier de satin):(1925年-1929年)刊、上演台本1943年作-同年初演(コメディ・フランセーズ、ジャン=ルイ・バロー演出、オネゲル作曲)-1944年刊、1987年完全版初演(アントワーヌ・ヴィテーズ演出、アヴィニョン演劇祭)
- 中村真一郎訳、人文書院(1968)/渡辺守章訳、岩波文庫 上下(2006)
- クリストファ・コロンブスの書物(Le Livre de Christophe Colomb)(マックス・ラインハルトの依頼)(ミヨー作曲):1929年刊-1930年ベルリン国立歌劇場初演、1953年上演(ボルドー市立劇場)(パリ、ルノー=バロー劇団)
- 鈴木力衛・山本功訳、「筑摩世界文学大系56 (1976)(ISBN 4480206566)」中の一篇
- ロアール=エ=シェール県での会話(Conversations dans le Loir-et-Cher):1935年刊-1973年パリで上演
- 火刑台上のジャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc au bûcher)(オネゲル作曲):1939年刊-同年初演(オルレアン市立劇場、イダ・ルビンシュタイン主演)
- 知恵の司、または饗宴の寓話(La Sagesse ou la Parabole du destin)(「能」の翻案)(ミヨー作曲):1926年刊-1950年イタリア初演-1969年パリ上演
- トビーとサラの物語(L'Histoire de Tobie et de Sara)初稿1942年刊、二稿1953年刊-同年チューリッヒ初演(独語版)-1967年上演(アヴィニョン演劇祭(ヴィラール演出))
[編集] 詩
- 嫡流の詩(Vers d'Exil):1905年刊
- 渡辺守章訳、「筑摩世界文学大系56 (1976)(ISBN 4480206566)」中の一篇
- 詩神讃歌(Ode : Les Muses):1905年刊
- 渡辺守章訳、「筑摩世界文学大系56 (1976)(ISBN 4480206566)」中の一篇
- 東方所観(Connaissance de l'Est):初版1900年刊、改訂版1907年刊、増補版1952年刊
- (抄)、山内義雄訳、「筑摩世界文学大系56 (1976)(ISBN 4480206566)」中の一篇
- 五大讃歌 付 新世紀を祝ぐ行列歌(Cinq Grandes Odes, suives d'un Processioal pour saluer le Siécle nouveau):1910年刊
- 五つの大讃歌、長谷川善雄訳、石井柏亭挿画、立命館出版部(1937)
- 第4讃歌 聖寵であるミューズ(La Muse qui est la Grâce)、渡辺守章訳、「筑摩世界文学大系56 (1976)(ISBN 4480206566)」中の一篇
- 三声による頌歌(Chantte à trois voix):1913年刊
- 三つの声、長谷川善雄訳、立命館出版部(1935)
- 彼方のミサ(付)時の奉献(La Messe là-bas, L'offande du Temps):1919年刊
- 戦争詩歌(Poèmes de guerre):1922年刊
- 聖女ジュヌヴィエーヴ(Sainte Geneviève):新潮社刊、富田渓仙画
- 聖者詩符(Feuilles de Saints):1925年刊
- 江戸城内濠に寄せて、山内義雄訳、「講談社 日本現代文学全集15(1969)」の中の一篇(「聖者詩符」所載「聖女ジュヌヴィエーヴの裏を飾る詩-宮城内堀十二景」(Poèmes au verso de Sainte Geneviève))
- 四風帖(Souffle des quatre souffles)(俳諧的詩集):1926年刊、山濤書院、富田渓仙画
- 雉橋集(Poèmes du Pont-des-Faisans)(俳諧的詩集):1926年刊、山濤書院、富田渓仙画
- 百扇帖(Cent phrases pour éventails)(俳諧的詩集):1927年刊、メゾン小柴、富田渓仙画、有島生馬書/1942年フランス版刊
- 都々逸(Dodoitsu):1945年刊
[編集] 評論・紀行
- 詩法(Art poétique; Développement de l'Eglise):1907年刊
- 斎藤磯雄訳、「筑摩世界文学大系56 (1976)(ISBN 4480206566)」中の一篇
- アルチュウル・ランボオ著作集の序(Preface aux Œuvres D'Arthur Rimbaud):1912作
- 渡辺守章訳、「筑摩世界文学大系48(1974)(ISBN 4480206485)」中の一篇
- 立場と提言 Ⅰ(Positions et propositions, tome I)(詩論・作家論):1928年刊、巻中の「フランス詩に関する省察と提言(Réflextions et Propositions sur le vers français(1925))」は、
- 渡辺守章訳、「筑摩書房 世界批評大系3(1975)」中の一篇/書物の哲学、三嶋睦子訳、法政大学出版局(1983)ISBN 9784588020988
- 朝日の中の黒い鳥(L'Oiseau noir dans le soleil levant)(日本印象記):1927年刊(藤田嗣治画)、1929年普及版刊、(「クロイトリ」≒「クローデル」)
- 内藤高訳、講談社学術文庫(1988)ISBN 4061588508/天皇国見聞記、樋口裕一訳、新人物往来社(1989)ISBN 4404016239
- オランダ絵画序説(L'Introduction à la peinture hollandaise):1935年刊
- 闇を熔かして訪れる影-オランダ絵画序説、渡辺守章訳、朝日出版社(1980) ISBN 9784255800462
- 立場と提言Ⅱ(Positions et propositions, tome II)(詩論・作家論):1934年刊
- 形象と寓話(Figures et paraboles):1936年刊
- 前兆と寓話、長谷川善雄訳、立命館出版部(1939)
- 接触と環境(Contacts et circonstances):1940年刊(ドイツ軍により廃棄処分)、1947年刊
- 目は聡く(L'Œoeil écoute)(絵画論):1946年刊
- 山崎庸一郎訳、みすず書房(1995) ISBN 4622044110
- ポール・クローデル「雅歌」に問う(聖書注解):1948年刊
- エンマウス(Emmaüs)(聖書注解):1949年刊
- イザヤ福音書(L'Évangile d'Isaïe)(聖書注解):1951年刊
- ポール・クローデル「黙示録」に問う(聖書注解):1952年刊
- 青龍の徴の下で(Sous le signe du dragon)(中国論):1948年刊
[編集] その他
- ジャック・リヴィエールとの往復書簡集:1926年刊
- 信仰への苦悶、木村太郎訳、ヴェリタス書院(1957)/田中理夫訳、「平凡社 世界教養選集3(1975)」中の一篇
- アンドレ・ジッドとの往復書簡集(1899-1926):1949年刊
- アンドレ・シュアレス(André Suarès)との往復書簡集(1904-1938):1951年刊
- ガブリエル・フリゾー(Gabriel Frizeau)およびフランシス・ジャム(Francis Jammes)との往復書簡(1897-1938):1952年刊
ダリウス・ミヨー、リュニェ=ポー(Lugne Poe)、ジャック・コポー、シャルル・デュラン(Charles Dullin)、ルイ・ジューヴェ、ジャン=ルイ・バロー、ガストン・ガリマール(Gaston Gallimard、ロマン・ロランらとの往復書簡集が、没後に公開されている。
- 外交官書簡集 東京(1921-1927)(Correspondance diplomatique. Tokyo (1921-1927)):1995年刊
- 孤独な帝国-日本の一九二〇年代、奈良道子訳、草思社(1999)ISBN 4794208987
- 1904年--1955年の日記(Journal)2巻が、没後に出版されている。
[編集] 日本の上演記録
- 男と欲情、スターダンサーズ・バレエ団、東京厚生年金会館大ホール(1968.11.30)
- クリストファ・コロンブスの書物、ルノー/バロー劇団、産経ホール(1960.5.4)
- バレアル諸島の風の下で、ルノー/バロー劇団、国立劇場(1977.5.17)
- 繻子の靴、ルノー/バロー劇団、国立劇場(1977.5.17)
- 真昼に分かつ、演劇集団円、Parcoスペースパート3(1988.10.5)、ピッコロシアター(1988.10.14)、府中けやきホール(1988.10.17)
- 女と影、楽劇コースケ事務所、日枝神社(1986.8.5)
- 火刑台上のジャンヌ・ダルク、日生劇場、日生劇場(1996.11.3)
- 火刑台上のジャンヌ・ダルク、グリーン・エコー、愛知県芸術劇場大ホール(1997.11.30)
- クリストファ・コロンブスの書物、かながわ舞台芸術工房[アスク]、相鉄本多劇場(2001.11.10)
[編集] 参照
- 「筑摩世界文学大系56(1976)」巻末の、渡辺守章:クローデル年譜
- 江上卓ほか編:新潮世界文学辞典(1990)ISBN 4107302091
- 篠田一士ほか編:集英社世界文学事典(2002) ISBN 4081430071
[編集] 外部リンク
前任 ルイ・ジレ |
アカデミー・フランセーズ 席次13 |
後任 ヴラディミール・ドルメソン |