ジ・アンダーテイカー
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ジ・アンダーテイカー | |
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プロフィール | |
リングネーム | ジ・アンダーテイカー パニッシャー・ダイス・モーガン マスター・オブ・ペイン |
本名 | マーク・ウィリアム・キャラウェイ |
ニックネーム | デッドマン 怪人 暗黒の魔王 アメリカン・バッド・アス 地獄の墓堀人 |
身長 | 210cm |
体重 | 134kg |
誕生日 | 1965年3月24日(43歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 テキサス州ヒューストン |
所属 | WWE |
トレーナー | ドン・ジャーディン |
デビュー | 1987年 |
ジ・アンダーテイカー(The Undertaker、本名:マーク・ウィリアム・キャラウェイ(Mark Calaway)、1965年3月24日 - )は、アメリカにあるWWEプロレスの所属レスラー。「怪人」(The Phenom)「デッドマン」(The Dead man)「地獄の墓堀人」「暗黒の魔王」(Lord Of Darkness)「プロレス史上最強のストライカー」「アメリカン・バッドアス」(American Bad Ass)など数多くの異名を持つ。WWEを代表するスーパースターの1人である。
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[編集] プロフィール
大学卒業後、ドン・ジャーディンのコーチを受けて1987年にブルーザー・ブロディを相手にデビュー、USWAでマスター・オブ・ペインのリングネームで活躍。
現在WWEで解説者を務めるジェリー・ザ・キング・ローラーを破りUSWA世界ヘビー級王座を獲得。同年、ザ・パニッシャーの名でUSWAテキサスヘビー級王座を獲得。その後はWCWでマーク・キャラスの名でタッグ戦を中心に試合をするがパっとせず退団。パニッシャー・ダイス・モーガンの名で新日本プロレスにも参戦し、橋本真也、マサ斎藤らと対戦している。当時はショートパンツにセミロングと、現在では想像もつかないようないでたちだった。
[編集] 1990-1999
1990年にWWFに移籍、怪奇派のジ・アンダーテイカーとしてサバイバー・シリーズのテッド・デビアス軍のメンバーとしてデビュー。当初は言葉を話さない設定であったためブラザー・ラブがマネージャーに付き、後にポール・ベアラーに担当が替わった。1991年からはハルク・ホーガンやアルティメット・ウォリアーなどトップ選手のライバルに抜擢され、サバイバー・シリーズではリック・フレアーの介入もあってホーガンを破りWWF世界ヘビー級王座を獲得。しかし6日後にホーガンに王座を取り戻されている。その後は彼出現以前のWWF一の怪奇派であったジェイク・ロバーツと組み、ランディ・サベージなどと抗争。ロバーツと仲違いし、レッスルマニアでも対戦した。この頃より、骨壷にパワーを封じ込められてそれが無いと力を発揮できない、というギミックが加わる。1992年にはカマラとの抗争において、彼の代名詞となる棺桶マッチが発明される。1994年1月、ロイヤルランブルでヨコヅナとの棺桶戦に敗れ、「昇天」したため長期欠場。
同年のサマースラムで復帰し、当時デビアスの配下として働いていた偽アンダーテイカー(Evil Undertaker)を下す。約一年間、デビアス派閥ミリオンダラー・コーポレーションと抗争。1996年のWrestleMania XIIでは、ブレット・ハートとの王座戦を妨害されたことを発端にディーゼルと対戦。なお、この少し前に鼻骨を骨折したため、『オペラ座の怪人』風のフェイスマスクを着けて試合を行っていた時期がある。
同年、ハードコア・マッチで名を上げたミック・フォーリーが怪奇派ギミックのマンカインドとしてWWFに登場して二人の抗争が始まり、マネージャーのベアラーの裏切り、サマースラムでの通称「ボイラールームでの決闘」を経て、10月20日のイン・ユア・ハウスで史上初のベリード・アライブ・マッチが行われた。試合には勝利したものの直後にジ・エクスキューショナーに襲われ生き埋めにされる。しかしその場に雷が落ち、土の中から手が現れるというホラー映画さながらのシーンが演じられた。
1997年、WrestleMania 13のメインイベントではサイコ・シッドを下し二度目のWWF王座を獲得。サマースラムでショーン・マイケルズの誤爆によってブレット・ハートに王座を奪われ、以降はマイケルズとの抗争に発展。10月5日の史上初のヘル・イン・ア・セルで決着が図られたが、試合中に以前よりベアラーによって存在のみが明かされていた、『火事で死んだと思われていたテイカーの弟』ケインが乱入し敗北。1998年WrestleMania XIVでのケインとの試合ではツームストーン・パイルドライバー三連発の末に勝利。その後はマンカインドとの抗争が復活し、キング・オブ・ザ・リングで行われたヘル・イン・ア・セルはマンカインドを金網の上から二度も転落させてWWEに残る壮絶な試合となった。
その後は7月にストーン・コールド・スティーブ・オースチンとのタッグでWWE世界タッグ王座を初戴冠。ストーンコールドと仲間割れ後はケインと破壊兄弟(Brothers of Destruction)を結成。12月のストーンコールドとのベリードアライブ・マッチに敗れ、生き埋めとなる。翌年に「ディック・マードック、アドリアン・アドニス、アンドレ・ザ・ジャイアントら、死去した歴代の元WWFレスラー達の怨霊を吸収した」事によって暗黒の魔王(Lord Of Darkness)のギミックで復活、ミニストリー・オブ・ダークネスという怪奇派ユニットを組織。団体の掌握を目論みビンス・マクマホンとの抗争を開始したが、後にステファニー・マクマホン誘拐のアングルを機にビンスと手を組みコーポレート・ミニストリーを結成。自身もストーンコールドを下して3度目のWWF王座、ビッグ・ショーとのタッグでタッグ王座を獲得するなどしたが、股関節の故障により9月より長期離脱、しばらく表舞台から姿を消していた。
[編集] 2000-2003
2000年5月にアメリカン・バッド・アスというアメリカの不良中年ギミックで再登場。これまでの怪奇派から大型バイクに乗っての入場や、バンダナの着用など、全く逆の不良中年スタイルが受け、ベビーフェイスの地位を確立。なおこのギミックは本人によれば「自分の普段のライフスタイル」とのことで、バイクも自前だったそうである。ケインと破壊兄弟を再結成し、タッグ王座を獲得した他、当時団体を掌握していたトリプルH、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンと抗争。2001年のWCW勢との抗争では破壊兄弟として主にタッグ部門で活躍し、初めてWWE・WCW両タッグ王座を同時に保持した。
同年9月、ジム・ロスを襲いヒール転向。WrestleMania X8でも対戦したリック・フレアーとの抗争では当時OVWに所属していた息子のデビッド・フレアーを襲撃するなど、極悪ぶりを発揮した。2002年のWWEのTV番組分割時にはフレアーによってRAWにドラフト1位指名で加入。5月にはまたもハルク・ホーガンからWWE統一王座を奪取した。こちらでもホーガンをバイクに縛りつけ引きずったまま走り回るなど、この時期の彼のヒールとしての迫力は特筆に値する。
王座をスマックダウン所属だったザ・ロックに奪われたため、入れ替わりに移籍。移籍後はベビーターンし新王者ブロック・レスナーと抗争したが、ヘル・イン・ア・セルでも死闘の末敗れる。しばらくは「若手の壁」といったポジションに納まっていたが、翌年に番組GMステファニー・マクマホンと組んでレスナー&ビンス・マクマホンとの抗争が再燃。サバイバー・シリーズでのビンスとのベリードアライブ・マッチ中に暴走したケインの乱入により生き埋めにされ、再び姿を消す。
[編集] 2004-2008
2004年のWrestleMania XXにて、再び墓堀人ギミックで再登場してケインを粉砕した。同年よりフルタイムではなく実質的にはスポット参戦になったが、主にダッドリー・ボーイズやJBL、ハイデンライクなどと抗争。2005年のWrestleMania 21では、テイカーのレッスルマニアにおける連勝記録に対して「レジェンドキラー」のギミックを有するランディ・オートンが挑む、というストーリーが展開された。試合はジ・アンダーテイカーが勝利し、レッスルマニアでの不敗記録を守った。その後、ノー・マーシーにおけるランディ・オートン、カウボーイ・ボブ・オートンとの初のハンディキャップ形式の棺桶戦でオートン親子に消化器とパイプ椅子で殴られ敗北。その後、ランディ・オートンが会場でテイカーの入った棺桶をガソリンで燃やし、またも姿を消した。しかし、翌月のサバイバー・シリーズでのRAW対スマックダウンの番組対抗戦の後、棺桶が登場して稲妻が落ち、燃え上がる棺桶の中からテイカーが登場、そのままスマックダウン復帰となり、アルマゲドンでランディ・オートンとヘル・イン・ア・セル戦を行うことになった。ランディは「ガラスをふと見るとテイカーが映っていて、振り返ると誰もいない」「突然、父ボブの顔が血だらけになるように見える」などのテイカー得意の超常現象に翻弄され、怯える日々が続いていた。試合前に引退をほのめかしてテイカーを油断させ不意打ちを浴びせたがテイカーは屈せず、ヘル・イン・ア・セル戦本番では激闘の末、オートン親子にツームストーン・パイルドライバーを決めて勝利した。
アルマゲドン後、暫く姿を見せなかったが2006年ロイヤル・ランブルに登場。王座防衛した直後のカート・アングルの前に現れ、雷を放ってアングルの居るリングを破壊、王座への挑戦を表明する。しかし次のノー・ウェイ・アウトでは激闘の末に惜敗、その後の再戦でテイカーの勝利目前で乱入してきたマーク・ヘンリーとWrestleMania 22で棺桶マッチを戦い、勝利した。その後はザ・グレート・カリとの抗争後、ケン・ケネディとの抗争を開始。ノー・マーシーではUS王座のベルトでケネディの頭を殴打し反則を取られ敗北。
2007年、ロイヤルランブルでWWE在籍17年目にして初優勝し、WrestleMania 23での王座挑戦権を手に入れた。そして、レッスルマニアでバティスタを下し、世界ヘビー級王座を獲得した。しかし5月にバティスタと金網戦を行い、なんとか防衛に成功したものの直後にマーク・ヘンリーの不意打ちを食らいノックアウトされる。さらにその直後にエッジが現れてミスター・ケネディから奪い取ったマネー・イン・ザ・バンクの権利を行使した。ボロボロのテイカーはエッジにスピアーからのピンフォール負けを喫し、世界ヘビー級王座を奪われる。これは、ハウスショーにて腕を負傷したためで、本来はテイカーが長期にわたって防衛するはずだったと言われる。その後は長期にわたって戦線離脱した。その年のアンフォーギヴンで復活。サイバーサンデーでは、バティスタとの王座戦に挑んだが二度のバティスタ・ボムをくらい、ピンフォール負け。サバイバーシリーズで再度バティスタとのヘル・イン・ア・セルでの王座戦に挑み、鉄製のステップ上でバティスタにツームストーン・パイルドライバーを浴びせて勝利を目前にするも、リングサイドのカメラマンに扮していたエッジの乱入によりバティスタに敗北、おまけにコンチュアトを喰らった。その後のPPVの12月16日アルマゲドンでバティスタ、エッジとの三つ巴戦に望むがジ・エッジヘッズの乱入により敗れた。
2008年、No Way Out 2008にてエリミネーション・チェンバー・マッチで勝利し、レッスルマニア24での世界王座挑戦権を獲得。そしてWrestleMania 24ではエッジとの王座戦に勝利し、世界ヘビー級王座を獲得。また、レッスルマニアでの連勝記録を16に伸ばした。2008年5月2日、スマックダウンのGMのヴィッキーゲレロが世界ヘビー級王者をテイカーから剥奪し、ゴゴプラタを禁止技にした.
[編集] 得意技
- WWE入団当時から使い続けている必殺技。アメリカン・バッド・アス時代も大試合で使用。首を掻き切る動作が合図。この技から相手をフォールする時は、相手の両手を胸の前に組ませ(葬送のイメージである)、自らは柔道の上四方固めのような体勢から上半身を反り、白目を剥いて大きく舌を出すのがお決まり。
- 決める前に大きく右手を振りかぶるのが特徴。
- メインの必殺技をツームストーンに変えてからは失敗することが多くなった。アメリカン・バッド・アス時代の必殺技。
- 2008年1月から使うようになった必殺技。これもMMAの影響と思われる。また、これをくらった相手は必ず口から吐血して失神する。(吐血はプロレス上の演出である。)必ず吐血するため、滑稽に見えることもある。
- オールド・スクール
- 相手の片腕をねじり上げつつ、自身はトップロープを歩き、飛び降りざまにチョップを当てる。これを返した選手は意外にもあまり多くない。
- トライアングルチョーク Triangle Choke Hold
- T.C* .B(Take Care of Business、ドラゴンスリーパー)
- トップロープ越えのノータッチ・トペ
- ここ一番の大勝負の時などに出す大技。場外に居る相手に向けて助走をつけてトップロープを飛び越えてフライングクローズラインを見舞う。
- ビッグ・ブート
- パンチ、アッパーカット、ボディブロー
- レッグドロップ
- エプロン上で倒れている相手に対するギロチン・レッグドロップ
- サイドウォーク・スラム
- スネーク・アイズ
- 相手をうつ伏せに肩に担いで、顔面をターンバックルに叩き付ける。このあと自らをロープに振り、ビッグ・ブートに繋げる。
[編集] タイトル履歴
- WWF/WWE
- WWF・WCW統一王座:1回
- 世界ヘビー級王座: 2回
- WWF世界ヘビー級王座:3回
- ハードコア王座:1回
- WWFタッグ王座:6回
- (&ストーン・コールド・スティーブ・オースチン:1回)
- (&ビッグ・ショー:2回)
- (&ザ・ロック:1回)
- (&ケイン:2回)
- RAW 10th Aniversary Entrance部門 受賞
- WCW
- WCW世界タッグ王座(&ケイン:1回)
- USWA
- USWA世界ヘビー級王座:1回
- USWAテキサスヘビー級王座:1回
[編集] 決め台詞
- Rest in peace!(レスト・イン・ピース)
- 「安らかに眠れ」の意。欧米で墓碑に書かれる慣用句。
- This is my yard!
- 「ここ(リング)は俺の庭だ」バッドアス時代からの決め台詞。墓堀人ギミックに戻って以降も稀に使う。
- Deadman walking!
- バッドアス時代の入場時(初期を除く)のイントロでテイカーが言う言葉。バッドアス時代のテイカーは歩かずにバイクに乗って入場する事が多い事からも分かるように、この場合のDeadmanとは「テイカー(デッドマン)が歩いている」という意味ではない。これは死刑囚が処刑場に向かって歩く事を指している。つまり、「テイカーが死刑囚(対戦相手)を処刑する」という事である。
- Try me!I'll make you famous!
- 「かかってこい!俺がお前を有名にしてやる!」これはミック・フォーリーなどに代表されるようにテイカーにボコボコにされる事によって有名になったレスラーが多くいた事からきている。
[編集] 入場テーマ
- 葬送行進曲
- Dark Side
- American Bad Ass(Kid Rock)
- Roll'in(Limp Bizkit)
- Dead Man
- You're Gonna Pay
- The Darkest Side-現在使用中
[編集] エピソード・その他
- レッスルマニア13での王座戦という大舞台の前日に交通事故により怪我をしていたという。それでもなお試合に勝利し王座を獲得している。
- バイクが趣味であり欠場中などはバイクラリーに参加しているという。
- また、彼のバイクは一見ハーレーダビッドソンに見えるが実際はそれらをオーダーメイドで職人がカスタムしたタイタンというバイクで値段は一台10万ドル単位であるらしい。ちなみにバイカーギミック時代に使っていたバイクはテイカー自身の私物である。
- MMAの大ファンであり、プライベートでUFCの観戦に来ている姿が頻繁にテレビに写っている。自身のプロレスの試合でも常にオープンフィンガーグローブを着用して、稀にMMAの技を使っている。UFC世界ウェルター級王者マット・ヒューズとは仲が良いらしく、ヒューズを激励しに控え室を訪れた事があった。また、ボクシングのマニー・パッキャオの応援のため、一緒に入場した事もある。
- 2007年にビジネスパートナーと共にコロラド州のラブランドに270万ドルのビルを建設した。
- 引退後は不動産業に手を伸ばす予定であるとのこと。
- 腕のタトゥーは左腕が城と蛇。右が髑髏と三人の老人。喉元には妻セーラの名前のタトゥーが彫られている。
- トリプルHはステファニー・マクマホンとの結婚について思い切りがつかなかったとき、テイカーに相談した。
- 弟であるケインとのアングルは人気の一つである。中でも最も支持されているアングルの一つに破壊兄弟(Brothers of Destruction)が挙げられる。そのギミックと相まって通常のタッグ戦線で活躍するタッグチームとは一線を画する、ある種別格の存在感を放っており、ファンの間にとどまらず団体からも一目置かれており(このタッグが復活するとほぼ必ずアナウンスが入り、注目カードとして扱われることからもその存在の大きさが垣間見える)、一つの重要なパーソンといえる。タッグだけでなく二人の抗争も幾度と無く行われており有名な物にリングの周りを炎で囲ったインフェルノマッチなどがある。また、兄弟(ギミック)ということもあり抗争の理由も「両親の墓を賭けて」など非常に独特である。
- 2003年のロイヤルランブルにおいてジョン・シナとバティスタの二人を倒している。この二人は2年後のレッスルマニア21で共に団体最高峰の王者を奪取している。
- 過去に抗争相手として現れた偽テイカー(ブライアン・ハリス)は彼の親友である。
[編集] レッスルマニア無敗伝説
前述の様に、テイカーは初登場以来レッスルマニアにおいてディフィートブックが書かれたことが無い。以下はレッスルマニアにおける戦歴である。
現在、実況などで「テイカーは16勝0敗で、16人のスーパースターがテイカーに挑んで敗れた」などとよくいわれる。これは単純に「毎年1試合で1名ずつ倒した」とも受け取れる表現である。が、ケインとは2回戦っており重複する。一方、Aトレイン&ビッグショーとは1対2のハンディキャップ戦であった。その結果として、テイカーとレッスルマニアで戦った相手の数は、試合数と同じ16名である。(試合数と対戦したレスラーの合計人数が一致しているのは偶然かも知れないがハンディキャップ戦とケイン(二回目)は連続なので意図してやったとも言える)
回 | 倒した相手 | 決着 |
WrestleMania VII (1991年) | ジミー・“スーパーフライ”・スヌーカ | pin fall |
WrestleMania VIII (1992年) | ジェイク・“ザ・スネーク”・ロバーツ | pin fall |
WrestleMania IX (1993年) | ジャイアント・ゴンザレス | DQ |
WrestleMania XI (1995年) | キングコング・バンディ | pin fall |
WrestleMania XII (1996年) | ディーゼル | pin fall |
WrestleMania XIII (1997年) | サイコ・シッド | pin fall |
WrestleMania XIV (1998年) | ケイン | pin fall |
WrestleMania XV (1999年) | ビッグ・ボスマン | pin fall |
WrestleMania XVII (2001年) | トリプルH | pin fall |
WrestleMania XVIII (2002年) | リック・フレアー | pin fall |
WrestleMania XIX (2003年) | Aトレイン&ビッグショー | pin fall |
WrestleMania XX (2004年) | ケイン | pin fall |
WrestleMania 21 (2005年) | ランディ・オートン | pin fall |
WrestleMania 22 (2006年) | マーク・ヘンリー | casket |
WrestleMania 23 (2007年) | バティスタ | pin fall |
WrestleMania XXIV (2008年) | エッジ | submit |