テッド・デビアス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テッド・デビアス(Theodore "Ted" Martin DiBiase Jr.、1954年1月18日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ネブラスカ州オマハ出身。名前は正確にはテッド・ディ・ビアースィと発音する。本名の他、WWEでのミリオンダラー・マン(The Million Dollar Man)のリングネームでも知られる。
[編集] 経歴
往年の名レスラー"アイアン"マイク・デビアスを父に持つが母の連れ子であるため血縁関係はない。15歳の時に心臓発作で父を亡くし、その後はアリゾナ州の祖父母の元に預けられる。高校卒業後はテキサス州のウェスト・テキサス州立大学に進学してアメリカンフットボール部に所属しつつ、ファンク一家の元でトレーニングを受け、大学中退後の1974年にプロレスラーとしてデビュー。中南部地区で活躍し同地区の王座である北米ヘビー級王座を5度獲得する。
1979年WWFに短期間参戦し、当時保持していた北米ヘビー級王座をパット・パターソンに奪われている。これがIC王座と改名され現在に至っている。その実力で早くから注目され、一時期はリック・フレアーと並び「次期NWA王者最有力候補」とも呼ばれた。
1976年に全日本プロレスにファンク一家の一員として初来日を果たし、以降も技巧派レスラーとして参戦を続ける。しかし1981年に電撃的に全日本プロレスに移籍したスタン・ハンセンの報復として新日本プロレスから誘われ、キラー・カーンの仲介で契約寸前まで行くも、寸での所で両団体間で紳士協定が結ばれ、移籍は白紙撤回される。
1985年に新日本に移籍したブルーザー・ブロディに代わりスタン・ハンセンとタッグを組みPWF世界タッグ王座を獲得、さらには同年の世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝を果たす。1983年には天龍源一郎との決定戦を制し、猪木・坂口・高千穂明久・鶴田と受け継がれたUNヘビー級王座を獲得している。
1987年にWWFに再登場。「急逝した父親の莫大な財産を受け継ぎ、一生遊んで暮らすこともできるが、暇を持て余しているので暇潰しにプロレスをやることにした」という、嫌味な成金ギミックのミリオンダラー・マンとしてヒールで活躍。WWE王座こそ獲得できなかった(アンドレ・ザ・ジャイアントから金で買ったというストーリーがあったが当然公認はされていない)ものの、IRSことマイク・ロトンドとのマネー・インクでWWE・世界タッグチーム王座を3度獲得。WWF末期はマネージャーとしての活躍が主でアンダーテイカーやスティーブ・オースチンらが彼の元で実力をつけ後に団体を牽引するトップスターへと上り詰めている。この間1990年4月1日の日米レスリング・サミットではアルティメット・ウォリアーのWWF王座に挑戦して敗れている。
1993年に再び全日本に来日。ハンセンとのコンビを復活させて世界タッグ王座を獲得。同年の最強タッグでもハンセンと組んで出場したが序盤で負傷帰国、ハンセン・馬場のタッグチーム実現の伏線となった。
1996年にWCWに移籍、nWoのメンバーになるが首の故障が癒えず引退。引退後は宣教師に転身し、チャリティ活動を行いつつ、プロレスのリングにもたまに登場する。2005年に二人の息子マイク・デビアス、テッド・デビアスJr.がプロレスラーとしてデビュー、継父も含めて親子3代でプロレスラーとして活動する事となった。現在は宣教師活動の他、WWEでプロデューサーの一人として働いている。
[編集] 得意技
- ミリオンダラー・ドリーム(コブラクラッチ)
- ミリオンダラー・バスター
- フィストドロップ
- スクープ・サーモン(パワースラム)
[編集] その他
現役時代はその試合巧者ぶりが高く評価されており、とりわけスタン・ハンセンとのコンビは名タッグとしてファンの評価も高い。ハンセンとのコンビ結成当初は前任のブルーザー・ブロディと色々比べられることもあったが、ブロディとは異なりデビアスが卓越したテクニシャンタイプであること、ハンセンを徹底的にサポートしてハンセンが闘いやすいように試合を作れたことが次第にファンの間でも認められていった。ジャイアント馬場は1993年にハンセン&デビアスがコンビ再結成を果たした第一戦目の試合のTV解説において「この二人は昔から素晴らしいコンビでしたよ」と絶賛していた。1985年のタッグリーグ戦優勝の際には、リング上でマイクを掴んだパートナーのハンセンから「Ted DiBiase is No.1!」という賞賛を受けている。
1987年にWWF移籍のニュースが日本で伝えられた頃、日本のプロレスファン特に新日ファンの間で、ハルク・ホーガン対デビアスの"新日・全日代理戦争"が期待された。これはこの二人が両団体のエースだったことから、WWFマットにおいて両者によるジャパニーズスタイルによるガチンコ対決が行われ、その結果どちらの団体が本当に強いか決まるというものだった。しかし当然ながらこれは一切実現しなかった。なぜならWWFは最初からそう言った日本のプロレス事情とは一切無関係だったからである。最も新日ファンの一部には実現しなかったことをもって、新日が最強だと言う者も居たのも事実である。[要出典]なぜなら彼らの間では、実現しなかったのはデビアスが逃げたからと言う事になっていたからである。[要出典]しかしデビアスが逃げた事実は無く、最初からそう言ったアングルは用意されていなかっただけなのだが。それにホーガンは超人ハルクの主人公、デビアスはミリオンダラーマンをギミックにしていたから、その時点でジャパニーズスタイルからは当然の如く外れていた。
ウエスト・テキサス州立大学中退で、ザ・ファンクス、ブロディ、ハンセンの大学の後輩に当たる。