シッド・ビシャス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シッド・ビシャス | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム | シッド・ビシャス ロード・ヒューモンガス ザ・ビシャス・ウォリアー シッド・ジャスティス サイコ・シッド |
本名 | シドニー・レイ・ユーディー |
身長 | 206cm |
体重 | 144kg |
誕生日 | 1960年7月4日(47歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 アーカンソー州ウェスト・メンフィス |
所属 | フリー |
トレーナー | トージョー・ヤマモト |
デビュー | 1987年 |
シッド・ビシャス(Sid Vicious)のリングネームで最も知られるシッド・ユーディー(Sid Eudy、1960年7月4日 - )は、アメリカ合衆国アーカンソー州ウェスト・メンフィス出身のプロレスラー。サイコ・シッド(Sycho Sid)、シッド・ジャスティス(Sid Justice)などのリングネームでも知られる。WWE、WCWで活躍した。
身長200cm超、体重130kgの筋骨隆々の肉体を誇り、その強面もあいまって風貌だけなら史上最高の部類に数えられることもあるが、レスリングセンスや数々の問題行動もあってファンの評価は微妙なところである。
セックス・ピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャスとは同姓同名の別人(日本ではプロレスラーの方をシッド・ビシャスと表記しているため大きな混乱はない)。
目次 |
[編集] 経歴
日系レスラートージョー・ヤマモトのコーチを受け、1987年にデビュー。ロード・ヒューモンガス(Lord Humongous)の名でテネシーマットなどで活動。その後WCWに移籍してシッド・ビシャスと改名しダニー・スパイビーとのタッグ、スカイ・スクレイパーズを結成。シッドは怪我により休養を余儀なくされるが、スパイビーはマーク・キャラスを新パートナーに同タッグを継続した。キャラスは後のジ・アンダーテイカーである。復帰後にはフォー・ホースメンのメンバーとなり、トップ戦線で活躍。
1991年夏、ハルク・ホーガンの後継者候補としてWWFに引き抜かれる。シッド・ジャスティスと名乗りベビーフェイスとして活躍。ロイヤルランブルでの遺恨を発端に、ホーガンと抗争を展開してレッスルマニアⅧでは「ホーガン引退試合」の相手を務めた。
1993年、WCWに復帰。同年10月28日、イギリス遠征中にアーン・アンダーソンと口論になった際、彼の胸部・腹部をハサミで数箇所突き刺し、解雇される(「アンダーソン事件」とも呼ばれる)。ステロイド剤の常用による情緒不安定が原因とも言われる。
1995年、WWFに登場。前述の事件もあってか、狂人ヒールのサイコ・シッドしての復帰だった(入場曲も映画『サイコ』の有名なテーマ曲のアレンジだった)。主にショーン・マイケルズとの抗争を展開、1996年11月には彼を破りWWF世界ヘビー級王座を奪取。同王座を巡ってマイケルズ、ブレット・ハート、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン、ジ・アンダーテイカーらと抗争したが、1997年夏に再び脱退。
ECWへの短期参戦などを経て、1999年夏よりWCWに復帰。ランディ・サベージ派閥「チーム・マッドネス」のメンバーとなる。ミレニアム・マンと名乗り、2000年1月24日、ケビン・ナッシュとの王座決定戦を制しWCW王座を奪取。ハルク・ホーガンの結成したミリオネアーズ・クラブにも参加した。2001年1月、試合中に脚を骨折して以降は半ばセミリタイア状態。
2007年にはWWE復帰の噂が相次ぎ、ビンス・マクマホンとも復帰についての会談をしたとされている。
[編集] 得意技
[編集] タイトル履歴
- CWA
- CWAヘビー級王座:1回
- NWA Georgia
- NWA Georgiaヘビー級王座:1回
- NWA Northeast
- NWA Northeastヘビー級王座:1回
- Southeastern Championship Wrestling
- NWA Alabamaヘビー級王座:1回
- NWA Southeastヘビー級王座:1回
- NWA Southeastタッグチーム王座:1回(&シェーン・ダグラス)
- USWA
- USWA Texasヘビー級王座:1回
- USWA世界ヘビー級王座:2回
- WCW・世界ヘビー級王座:2回
- WCWユナイテッドステイツ王座:1回
- WWF世界ヘビー級王座:2回
[編集] その他
- 無類のソフトボール好きとして知られる。WCW時代は試合をサボって草ソフトボールの試合に出場していたこともしばしばだった。