阪急300形電車
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300形電車(300がたでんしゃ)とは、阪急電鉄の前身である阪神急行電鉄時代に製造された電車。阪急で初めて半鋼製車体を採用した。
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[編集] 概要
1924年、汽車製造東京支店で、制御電動車である500形500~509(改番後300~309)が製造され、翌1925年にはこの500形と連結運転する目的で、制御車である700形700~709[1]が川崎造船所(現・川崎重工業)兵庫工場で製造された。なお車体寸法は、700形の方がやや大きい。
[編集] 車体
車体はリベットの多い角ばったスタイルをし、おわん形ベンチレーターに木造車のなごりであるトラス棒を備えていた。室内は木目をニス色で仕上げられ、室内灯はシャンデリア風である。
[編集] 主要機器
主電動機はゼネラル・エレクトリック(GE)社製GE-240[2]×4で、制御器はGE社製PC-12、ブレーキもGE社製J三動弁を使用するAVR自動空気ブレーキ、そして台車は鍛造台車枠を備えるブリル27-MCB-2を主体として、700形の一部に鋼材組み立て式のイコライザー式台車である川崎型ボールドウィン台車[3]を採用していた。
[編集] 運用
製造当初は全車神戸線で使用されていたが、700形は宝塚線で3両連結運転が開始されるのに伴い、早くも1926年に全車宝塚線に転属し、51形の中間車として使用された。また500形は引き続き神戸線で使用されていたが、1934年から1940年にかけて宝塚線に転属した。この間、1935年に300形に改番されている。一方700形は、1933年(704~709・1935年に310~315へ改番)と1940年(700~703・改造と同時に316~319へ改番)の2回に分けて制御電動車化された。310~315は片運転台車に改造され、中間に1形の付随車を組み込んで、宝塚線や今津線で使用された。
1955年からは、610系の製造に伴い、片運転台の制御車化された301と、両運転台付きの電動車として残った316~319を除き、1形の台車[4]に交換された上で付随車化された。両運転台で残った316~319は、伊丹線と甲陽線用となったが、もっぱら甲陽線で運用された。また301は、500形の530とコンビを組んで使用されたが、いずれも1962年に廃車された。なお530は、このあと300とコンビを組んで、引き続き使用されている。一方付随車化された車両は、500形の中間車として使用されたが、1967年までに全車廃車された。
301の車体の一部は宝塚ファミリーランドの「のりもの館」(旧・電車館)に保存されていたが、現在では正雀工場に保管されている。
[編集] 脚注
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現用車両 | |||||||
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過去の車両 | |||||||
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