阪急今津線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今津線(いまづせん)は、兵庫県宝塚市の宝塚駅から兵庫県西宮市の今津駅までを結ぶ阪急電鉄の鉄道路線。
宝塚線・神戸線・今津線で囲まれた、いわゆる阪急平野の西辺を通る。沿線には住宅地が広がり、大阪・神戸方面などへの通勤・通学路線となっている。2006年現在、西宮北口駅周辺で行われている西宮市の土地区画整理事業および阪急西宮スタジアム跡地の再開発事業において、西宮北口~阪神国道間の高架化が協議されており、2010年度の工事完了が予定されている。
目次 |
[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):9.3km
- 軌間:1435mm
- 駅数:10駅(起終点駅含む)
- 複線区間:全線
- 電化区間:全線電化(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 最高速度:80km/h
- 車両基地:西宮車庫
[編集] 運行形態
1984年に西宮北口駅で線路が分断されたため、以降は宝塚~西宮北口間のいわゆる今津(北)線(旧・西宝線)と、西宮北口~今津間の今津(南)線の各区間で折り返し運転を行っている。
西宮北口駅構内には、神戸本線と今津(北)線を結ぶ連絡線(9号線)があり、これを使って平日朝に宝塚~梅田間を直通する準急が運転されている。同列車の宝塚駅から梅田駅までの所要時間は約35分で、この列車の方が宝塚本線を経由するよりも6分~10分程度短い。これに加えて2001年3月のダイヤ改正までは、平日夕方にも梅田駅から西宮北口駅の同連絡線を経て宝塚駅へ向かう6両編成(※)の準急が運転されていた。
- ※今津(北)線では仁川駅など一部を除く全駅で、下り線ホームの有効長が足りず、8両編成に対応していないため、同列車は6両編成で運転されていた。なお、上り線ホームは全駅8両編成に対応している。
阪神競馬場での競馬開催時には、仁川~西宮北口間で普通列車の折り返し運転が行われる場合があるほか、仁川~梅田間に臨時直通列車が運転されることがある。その多くは臨時急行列車であり、仁川~梅田間を約20分で結ぶ。ファンからは「競馬急行」と呼称されている。塚口駅と十三駅のみが停車駅として設定されており、今津(北)線内を走行する営業列車の中で唯一、線内の駅を通過する。また、かつて下りの臨時急行(梅田→仁川)が桜花賞や宝塚記念など大きいレースの際のみ運転されていたが、2006年10月28日の阪急神戸線ダイヤ改正とともに運行休止になった。理由ははっきりしないが、一説には「下りから今津線連絡線に入線すると上りを横断する形となるが、そこで上り梅田行きの電車の通過を待つと後続の下り三宮方面行きの電車が支えるから」とも言われているが不明である。現在は上りの臨時急行(仁川→梅田)のみの運転となっている。
なお、西宮北口駅の連絡線(9号線)にはホームもあるが、線路が急カーブになっている事やホームの有効長が短い事などから、これを通る前述の列車は同駅では客扱いを行わない(西宮北口を通過する列車はこの神戸本線~今津線直通運転の準急・臨時急行だけである)。
車両面では今津(南)線では6000系(ワンマン仕様)のみだが、今津(北)線ではまだ3000系の方向板使用の車両も運用につくことが多い。なおこの車両に関しては9000系の導入により今後去就が注目されている。なお、9000系は今津線へは準急や臨時急行の運用で入線することがある。
[編集] 歴史
前身である阪神急行電鉄により、宝塚~西宮北口間が西宝線として開業。今津までの全通時に今津線に改称した。
阪神急行電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が路線敷設の特許を取得したときは、門戸厄神東光寺より西へ向かい、現在の阪神本線香櫨園駅辺りを終点とすることになっていたが、神戸線の敷設に絡んでまず計画が西宮北口駅を経て西宮市街までと変更され、さらに二度目の修正で阪神本線と共に今津駅を新設し、それと連絡を図る計画になった。なおこの際、神戸線との交点になる西宮北口駅には直角平面交差が生まれた。これについては後述する。
阪急総帥の小林一三の指導により、大正から昭和にかけ、甲東園や甲風園に代表されるように沿線の住宅開発を行い、更には大阪・神戸方面へ向かうのとは逆方面の定期客需要を求めるべく、様々な学校誘致も行った。関西学院大学や神戸女学院大学が神戸市から西宮市の同線沿線に移転したのが典型的な事例で、戦前の段階で今津線は通学路線と化すことになった。
しかし、昭和中期までは宝塚線の池田~宝塚間とともに、特に宝塚側の各駅の乗客数は限られていた。逆瀬川駅や小林駅のプラットホームは戦前は1両(単行)分しかなく、2両編成の電車は通過していた。
戦中、沿線に軍需工場ができたこともあり、にわかに利用客数が増した。1943年の12月15日から1945年9月21日までは、小林~仁川間にそれら工場への通勤客の至便をはかるため、鹿塩駅(かしおえき)が設けられたりもしている。また、今津駅では1928年から阪神本線とホームが隣り合うようになっていたが、軍の要請で丹波橋駅における奈良電気鉄道線(現在の近鉄京都線)と京阪本線の接続と同様、貨物輸送を考えて阪神本線との間で線路が一時的に接続されたことがあった。しかし、終戦翌年の1946年に今津線の電車が暴走して阪神本線に侵入、久寿川駅まで走行するという事故が発生したこともあり、再び分断された。なおこの事故は、新聞で「阪急、阪神への殴り込みか」と風刺されて報道されたこともあり、後には「殴り込み事件」と呼ばれるようになっている(参照)。
宝塚駅の高架化工事の際に、工事中の仮線用地の確保が困難であったことから、1990年9月30日以降の宝塚~宝塚南口間において、やむなく単線運転が実施された。日中のように10分間隔ではダイヤ上は支障がないものの、本数の多いラッシュ時では運用に限界があったため、複線運転が再開されるまでの期間中は、通常の宝塚~西宮北口間の全線通し列車のほか、朝夕のラッシュ時に宝塚南口~西宮北口間の折り返し運転を行う列車が設定され、その数はダイヤの半数弱を占めた。また、同列車の運転により誤乗が増えたため、方向幕を装備する車両については、誤乗防止のために行き先方向幕を青地のものへと順次変更し対応がなされた。工事完了後は同区間で折り返し列車は設定されず、各路線の列車においても特殊なカラーが施された行き先方向幕は用意されていない。
なお、1969年から1971年の宝塚南口駅の高架化に伴う単線運転実施のため、逆瀬川駅折り返し列車が運転された事もあった。
また、阪神国道~今津間の高架化の際も、同様に単線運転が実施されたが、こちらは同区間が単線運転でもダイヤ上は支障がなかったため、特に目立った案内はなされていなかった。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災では甲東園駅南で交差する山陽新幹線の高架橋と、門戸厄神~西宮北口間の国道171号線高架橋が落下。また宝塚南口駅手前で、西宮北口行き列車が脱線し、これら3件の被害で不通となったが、同年2月5日に全線復旧した。
[編集] 西宮北口駅における平面交差問題
神戸本線と接続する西宮北口駅構内には、かつて同線と線路が十字形に交わる平面軌道交差(ダイヤモンドクロス)があり、高規格路線のものとしては世界的にも珍しいということで知られていた。今津まで延伸したのが1926年と古く、当時の土木技術では立体交差は技術的に難しかったことや、列車自体が短い編成であったために、あまりダイヤ上のネックとはならず、このような形態をとった。
だが、戦後の経済成長で、列車の増発・長編成化により、それがダイヤ作成上で最大のネックとなるようになった。今津線のダイヤは神戸本線に合わせねばならず、ダイヤモンドクロスを横断する西宮北口~今津間は、平日日中10分間隔も夕方ラッシュ時には12分間隔と、逆に夕方ラッシュ時に運転間隔が間延びするという、変な状態が続くようになっていた。
今津線自体は、最初期の計画では、今津駅から仁川駅まで連続立体化することで、旧式モーター泣かせであった甲東園~仁川間の勾配を解消することとなっていたが、モーターの性能が向上して勾配が苦にならなくなったことや、山陽新幹線が開通したため甲東園駅付近が高々架となること、西宮北口駅周辺で宅地化が進んだため高架化の際の仮線用地が確保できなくなったことから、神戸本線との立体交差化は困難を極めてしまった。
加えて1980年代に入ると輸送力増強のため、宝塚本線・京都本線では既に実施されていた列車の10両編成化を神戸本線でも実施することとなったが、西宮北口駅のホーム延伸が限界にきていた(大阪方には西宮車庫、神戸方には踏切がある)ことや、ダイヤ上のネックを解消するため、同駅改良・橋上駅舎化工事に合わせて、高架化が不可能であった今津線を1984年にやむなく分断した。南北の線路は分断されたまま、現在までその状態が続いている。ただ、分断されたことで西宮北口~今津間では増発が可能になり、2001年3月のダイヤ改正後においては平日ラッシュ時に最短6分間隔で運転されるなど、利便性の向上というメリットも発生した。
ちなみに、西宮北口駅2階コンコースには将来の路線高架化を見据えて確保されたスペースが当時から現存しているが、1995年に今津駅が高架となった際に4両編成にしか対応できない駅となったため、宝塚~今津間の直通列車復活は非現実的となっている。
[編集] 年表
- 1921年(大正10年)9月2日 西宝線として宝塚~西宮北口間が単線で開業。
- 1922年(大正11年)4月1日 全線複線化完成。
- 1922年(大正11年)6月1日 甲東園駅開業。
- 1923年(大正12年)12月28日 仁川駅開業。
- 1926年(大正15年)12月18日 西宮北口~今津間が開業し全通。今津線に改称。
- 1927年(昭和2年)5月10日 阪神国道駅開業。
- 1946年(昭和21年)12月13日 阪神本線へ暴走した今津線の電車が侵入し、久寿川駅まで過走する事故が起こる。
- 1967年(昭和42年)10月8日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
- 1978年(昭和53年)3月10日 全線を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更。
- 1984年(昭和59年)3月25日 西宮北口駅構内の平面軌道交差が廃止され南北の線路分断。
- 1990年(平成2年)3月 「都市計画道路鳴尾御影東線立体事業」に基づき阪神国道~今津間と今津駅が高架化着工。
- 1990年(平成2年)9月30日 宝塚駅高架化工事に伴い、宝塚~宝塚南口間の単線運転を開始。
- 1993年(平成5年)5月23日 今津駅移転。0.2km短縮。
- 1993年(平成5年)7月18日 宝塚~宝塚南口間の複線運転を再開。宝塚駅高架化。
- 1995年(平成7年)1月17日 阪神・淡路大震災で全線不通に。
- 1995年(平成7年)1月23日 門戸厄神~西宮北口間と今津(南)線西宮北口~今津間が復旧し運転を再開。
- 1995年(平成7年)1月30日 宝塚~仁川間が復旧し運転を再開。
- 1995年(平成7年)2月5日 仁川~門戸厄神間が復旧し、今津(北)線全線で運転を再開。
- 1995年(平成7年)12月16日 阪神国道~今津間下り線と今津駅が高架化。
- 1997年(平成9年)7月26日 阪神国道~今津間上り線高架化。
- 1998年(平成10年)10月1日 西宮北口~今津間がワンマン運転化。
- 2006年(平成18年)10月28日 下り梅田発仁川行き臨時急行の運行を中止。
[編集] 駅一覧
[編集] 今津(北)線
- ●:停車、|:通過
- 準急:平日朝に梅田行きのみ運転。西宮北口~梅田間の停車駅は神戸本線参照。
- 普通:各駅に停車するため省略。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 準急 | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|
宝塚駅 (宝塚大劇場前) |
- | 0.0 | ● | 阪急電鉄:宝塚本線 西日本旅客鉄道:福知山線(JR宝塚線) |
兵庫県 | 宝塚市 |
宝塚南口駅 (宝塚ホテル前) |
0.9 | 0.9 | ● | |||
逆瀬川駅 | 0.9 | 1.8 | ● | |||
小林駅 | 1.0 | 2.8 | ● | |||
仁川駅 (阪神競馬場前) |
1.7 | 4.5 | ● | |||
甲東園駅 | 0.9 | 5.4 | ● | 西宮市 | ||
門戸厄神駅 | 1.0 | 6.4 | ● | |||
西宮北口駅 | 1.3 | 7.7 | | | 阪急電鉄:神戸本線・今津(南)線 |
なお、戦時中は小林~仁川間に鹿塩駅が設置されていた。
[編集] 今津(南)線
- 営業キロは今津(北)線から通算。全列車各駅に停車。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|
西宮北口駅 | - | 7.7 | 阪急電鉄:神戸本線・今津(北)線 | 兵庫県 | 西宮市 |
阪神国道駅 | 0.9 | 8.6 | |||
今津駅 | 0.7 | 9.3 | 阪神電気鉄道:本線 |