刈谷市
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刈谷市(かりやし)は、愛知県のほぼ中央の西三河地区の西端に位置する市。境川を挟んで尾張の大府市と豊明市に対する。江戸時代には土井氏二万三千石の城下町であった。現在はトヨタグループ主要企業の本社が集まる日本有数の自動車工業都市である。
目次 |
[編集] 地理
旧尾張国との国境であった境川が市の西部を流れる。この川に沿って市域は南北に長い形をしており、南北最長は13.2kmとなっている。旧三河国の西端に位置する。市域は全体的に平坦な土地であり、田畑が広がる地域もある。
境川の他にいずれも境川水系の逢妻川、猿渡川等の中小河川が市内を東西に横断するように流れ、それぞれの流域に小規模ながら沖積平野を形成している。これらの沖積平野部はかつては衣浦湾が入り込んだ入り江であったところに河川がもたらす土砂が堆積して生じたものである。この沖積平野部に近世初頭以後干拓によって得られた新田が加わり、低湿地帯を形成しており、多くは現在も水田として利用されている。
そのほかの市域の多くは洪積台地であり、工場や住宅地が拡がっている。北部の愛知教育大学周辺は丘陵地帯であり、天然記念物である小堤西池のカキツバタ群落など僅かではあるが自然が残る地域である。
現在の南北に細ら長い市域の成立は、近代の市町村合併によるものだが、江戸時代の刈谷藩の時代に既に、元刈谷地区~井ヶ谷地区の半分まで、藩領であったことが確認できる。一方で、半城土・依佐美・小垣江の南部・東部は、重原藩であった。そのほか、高浜市域が刈谷藩であったことが確認できる。
[編集] 隣接する自治体
[編集] 歴史
刈谷はかつて、衣浦湾の入り江の奥に位置しており、魚介類が豊富に採れ、台地端からの湧水も豊富であったことから、古代より人の住む地域であったと考えられている。市内には貝塚も多く存在している。
[編集] 城下町としての刈谷の始まり
刈谷の城下町としての歴史は戦国時代前期の天文2年(1533年)、水野氏宗家の水野忠政の刈谷城築城に始まる。当時は刈谷と東浦の間には衣浦湾が入り込んでおり、刈谷城の背後は入り江、周囲は湿地や堀に囲まれており、水に浮かんだ亀のごとくに見えたことから別名亀城とよばれた。本丸には三層の櫓も建造されていた。
水野忠政は緒川から刈谷に本拠地を移し、徳川家康生母於大の方は刈谷城主の娘として、同じく今川氏傘下の岡崎城主松平広忠のもとに嫁いだ。父水野忠政の死後、兄水野信元が今川氏を離れ織田信秀と同盟を結んだため松平氏を離縁となった彼女は阿久比城主久松俊勝に再嫁するまでの日々を刈谷城近くの椎の木屋敷で過ごした。
三河・尾張に於ける有力な豪族であった水野氏の拠点として刈谷は徐々に政治戦略的に重要性を増していき城下町としての体裁を整え始めた。
なお水野信元の時代について『三河物語』や『今川氏真判物』に下記のような記述がみられる。
『三河物語』によると、桶狭間の合戦の項目で「小河より水野四郎右衛門尉(信元)殿方カラ、浅井六之助(道忠)ヲ使にコサせラレテ」との記述があり、桶狭間合戦当時、信元は緒川城周辺を守備するか、もしくは戦の成り行きを日和見していたと考えられる。同じく『三河物語』の三河一向一揆の項目では「水野下野守(信元)殿、雁屋(刈谷)より武具にて佐崎之取出え見舞に御越有。」と記述がある。
また、永禄3年(1560年)6月8日付の岡部元信宛の今川氏真判物に「苅屋城以籌策、城主水野藤九郎其外随分者、数多討捕、城内放火、粉骨所不準于他也」とあり、屋が当てられている。上記の判物には桶狭間合戦当時の刈谷城主水野藤九郎(信元の弟)と記されているが、藤九郎信近は信元の城代として刈谷を守備していたと考えるのが妥当である。武家のしきたりとして弟は嫡男の家臣となるのが通例であった。今川方の文書から藤九郎信近を刈谷城主とするのは適当でない。
[編集] 江戸期の刈谷
江戸幕藩体制の刈谷藩は水野勝成の三万石で始まった。その後江戸中期までは頻回に転封があり、石高の最小は阿部氏の一万六千石から最大は本多氏の五万石まで変化したが、いずれも譜代の小藩であった。1747年、土井氏が二万三千石で入封し、以後、土井氏の治世が廃藩置県まで120年余り続いた。この間、刈谷は城下町として少しずつ発展していった。市域は侍屋敷を中心に発達したが、多くの町人も集まり、太田平右衛門、加藤新右衛門、岡本権四郎等の大商人も現れ、活況を呈するようになった。
土井家時代の刈谷市域の中部・南部は刈谷藩の領地であったが、北部の井ヶ谷村の半分および東境村の半分も刈谷藩であった。市の南部や東部の一部(半城土、小垣江など)は重原藩の地域が多く、他に、西大平藩などの領地もあった。
幕末期、刈谷藩主土井利善は早くから西洋式軍隊の優位性を認め西洋式軍事訓練を行う開明的な譜代大名として知られており幕府の陸軍奉行に任じられ幕閣での将来を嘱望されていた。一方で刈谷藩からは二人の勤皇志士天誅組総裁松本奎堂と同幹部の宍戸弥四郎が出ており、彼らは倒幕運動のさきがけとして後世高い評価を受けるにいたった。しかし天誅組の変の中心人物二人が自藩の元家臣であった責任を問われた土井利善は隠居に追い込まれ、さらには勤皇派藩士による3家老斬殺という悲劇も起きており、大きく動揺した。
[編集] 明治以降の刈谷
東海道本線開通時の刈谷駅設置、商業、酒造業、蚕業、窯業等の発達と市域の拡大、刈谷駅で南北にクロスさせる形での三河鉄道敷設の成功、この鉄道網の優位性による豊田自動織機の誘致の成功、八中(現刈谷高校)刈谷高女(現刈谷北高校)の誘致の成功などにより現代の刈谷の基盤となる部分が整えられた。
豊田自動織機の誘致は工業都市としての発展につながった。
第二次大戦中は数日違いで空襲も逃れ、戦後は急速に工業都市へと変貌し、日本有数の優良な財政を誇るにまで至った。
[編集] 年表(明治以降)
- 1889年10月1日 - 町村制施行。碧海郡刈谷村の区域に、刈谷町が成立。
- 1906年5月1日 -碧海郡刈谷町、重原村、小山村、逢妻村、元刈谷村が合併、碧海郡刈谷町となる。
- 1950年4月1日 - 刈谷町が市制施行、刈谷市となる。
- 1955年4月1日 - 碧海郡依佐美(よさみ)村と、富士松村の一部を編入。
- 1994年 - 米軍に接収されていた依佐美送信所(無線塔)が日本に返還される。
[編集] 市名の由来
一般には天文2年(1533年)の刈谷城の築城からとされるが、『宗長日記』には大永2年(1522年)に「此国、折ふし俄に牟楯する事有りて、矢作八橋をばえ渡らず。舟にて、同国水野和泉守館、苅屋一宿。」、大永4年(1524年)に「八日に参川苅屋といふ所、水野和泉守宿所一宿。」、大永6年(1526年)に「かりや水野和泉守宿所。」との記載があり、水野和泉守の居館が苅屋にあったという。
『三河物語』では、三河一向一揆のくだりで、「水野下野守(信元)殿、雁屋(刈谷)より武具にて佐崎之取出え見舞に御越有。」と記載され、「刈」の字に「雁」が当てられている。
また伝説で、"以前は「亀村」と称していたが、元慶元年(877年)に出雲より一族を連れ移住した狩谷出雲守の名による。"と言うものがあり、平安時代から刈谷であったと言う説もある[1]。ただ狩谷氏というのは、古代の氏族に名前が見えず、律令制の平安時代に出雲国司(出雲守)が、三河の刈谷にやって来る、刈屋城の別名が築城以前に消失したはずの亀村の亀城である、史料の提示はなく伝説とするなど、不自然な点が多い。
なお、刈谷は当初は「谷」ではなく、「屋」を当てるのが正しい。よって、苅屋、苅屋城が正しい。『宗長日記』においても、苅屋と「屋」が当てられている。『三河物語』においても、「屋」を当てている。『信長公記』の天正8年(1580年)8月20日の項目においても「小河かり屋」と「屋」が当てられいる。また、上記で述べた永禄3年6月8日付の岡部元信宛の今川氏真判物でも「屋」が当てられている。
その他、水野藤九郎代牛田守次寄進状写に「一四百文目 坪本苅屋南 天文十九年 庚戌 三月六日」、水野和泉守寄進状に「合壱所者 坪ハ深見苅屋百姓友三郎 大永五年 乙酉 弐月彼岸日 水野和泉守近守」とある。東照宮御実紀巻一に、三州刈屋の水野右衛門大夫忠政とある。
[編集] 姉妹都市
[編集] 産業
- 自動車産業
- トヨタグループの企業を中心に発展している。豊田自動織機、デンソー、トヨタ紡織、トヨタ車体、アイシン精機、愛知製鋼、ジェイテクト(旧豊田工機)などのトヨタグループの中心企業が軒並み本社、主力工場を構える。なかでも豊田自動織機は豊田佐吉の創業によるトヨタグループの本家であり、大正時代に刈谷に誘致された本社工場を基盤として飛躍的に発展した。この所以をもって刈谷はトヨタグループ発祥の地とされている。愛知県工業技術センターも設置されている。
- 酒造業
- かつて刈谷は豊富な地下水を利用した酒造業が盛んであり、菊の世広瀬酒造、稲徳酒造など大きな酒造元が存在した。今の刈谷の姿からは想像が難しいが、美酒の産地として知られた土地であった。このうち菊の世広瀬酒造酒蔵は非常に広大で美しい建造物であり、現在は犬山市の博物館明治村に移築、公開されている。
- 蚕業
- 明治から大正にかけての刈谷は繭や蚕種紙の取引の中心地として栄えた。高野蚕種製造所、杉浦蚕種製造所などの大規模な蚕種製造業者や町田製糸場などの製糸業者が操業し、この地方では豊橋と並ぶ蚕都であった。刈谷駅北口の刈谷市産業振興センターの曲線の屋根はかつての蚕都・刈谷の名残りとして、繭の形を模したものである。
- 窯業
- 刈谷地方は良質の粘土が産出したことから、明治時代に大野煉瓦工場が操業を開始し、以後土管や瓦の製造業が盛んであったが、現在は衰退している。東芝セラミックスの主力工場が現在も市内小垣江で操業しているが、主力製品はシリコンウエハなどであり、地元の粘土を使ったかつての窯業とは性質が異なる。
- 商業
- 旧刈谷藩時代から城下町として発展した刈谷は近隣の商業の中心地であり、太田平右衛門、加藤新右衛門ら有力な御用商人がいた。明治以後も発展を続け、昭和50年頃までは銀座、広小路、新栄、東陽町など中心地には広大な商店街、アーケード街が拡がり、休日ともなると歩行も困難なほどの人出であったという。しかし複数の原因により著しく衰退した。現在は、「トヨタグループの大企業が多数本社を構えているにも関わらず、主要駅前、中心市域の衰退が著しい」ケースとして有名になっているほどである。都市計画の第一人者藻谷浩介は講演で刈谷を好条件を生かせず市街地が衰退した都市の典型例として紹介している。シャッター通りから更地になってしまったり風俗街化しているところもあり、再開発が急がれる。
[編集] 教育
刈谷市の中学生は、三河地区の県立普通科高校の他、尾張の大府高校、東浦高校、豊明高校の普通科に調整特例で進学できる。2007年からは、調整特例校に大府東高校がさらに追加される。
[編集] 小学校
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[編集] 中学校
[編集] 高等学校
[編集] 大学
[編集] 交通
[編集] 鉄道
市北部は、JRより名鉄のほうが距離的に近いが、一ツ木駅、富士松駅は普通しか止まらず不便であるため、知立市の知立駅の利用者が多く、知立駅発着の路線バスもある。なお、知立駅は、地理的に若干ではあるが、刈谷市に食い込んだような場所に位置しているので、それほど遠回りとはならない。
[編集] バス
名鉄バスや知多バスが運営する路線バスが、刈谷駅を起点に複数ある。また市が運営するコミュニティバス「刈谷市公共施設連絡バス」が、市内各地を循環している。中部国際空港への直行バスも運行している。
- 高速バス
[編集] 道路
衣浦港(境川)を渡河する境川橋・平成大橋とその周辺は、平日の出退勤時の渋滞、週末のイオンモール東浦へ買い物に行く車の渋滞が起こりやすく、幹線道路以外は街灯も少ない。今後、道路インフラの整備が急がれる。刈谷駅東側にオーバーパスする立体交差が建設中。
[編集] 高速道路
[編集] 一般道
- 国道
- 県道
- その他
- 境大橋
[編集] 観光
- ミササガパーク
- 小堤西池のカキツバタ群落 - 天然記念物。
- 刈谷ハイウェイオアシス
- 旧東海道
- 亀城公園 - 旧刈谷城跡。本丸跡、堀などが残る。幕末の志士、松本奎堂辞世の句碑、豊田佐吉胸像がある。桜の名所。
- 郷土資料館 - 旧亀城小学校本館を改装。大正時代~昭和初期にかけての和洋折衷様式の美しい建造物。国指定登録文化財。
- 万燈祭り - 毎年7月最終土日曜に市内銀座地区の秋葉神社にて行われる。200年以上の歴史を有する雨乞いの祭り。青森・五所川原の立ちねぶたに似る、優雅で勇壮な夏祭り。愛知県無形民俗文化財。
- 刈谷球場
- 洲原公園・洲原池
[編集] 行事
- 万燈祭り - 1778年(安永7年)から秋葉神社の祭礼に「万燈」が登場し、以来二百二十余年の歴史を誇る。愛知県の指定無形民俗文化財。
- 大名行列 - 市内にある市原稲荷神社の春の祭礼の中の行事として、毎年ゴールデンウイーク中に行われる。市の中心部を大名行列が練り歩く。
- 刈谷総合踊り
- 刈谷わんさか祭り
- 菊花祭り
[編集] 歌
- 刈谷音頭
- 刈谷よいとこ
- 刈谷小唄
[編集] 出身有名人
- 於大の方(徳川家康の母)
- 水野忠政(戦国時代の大名・徳川家康の母方祖父)
- 水野信元(戦国時代の大名・於大の異母兄・徳川家康の伯父)
- 水野勝成(江戸時代初期の大名・徳川家康の従兄弟)
- 土井利位(江戸時代後期の大名・老中・学者)
- 土井利善(幕末の刈谷藩主・大名・幕府陸軍奉行)
- 松本奎堂(刈谷藩脱藩の志士・天誅組総裁)
- 宍戸弥四郎(刈谷藩脱藩の志士・天誅組幹部)
- 加藤与五郎(工学者・フェライト磁石の開発者)
- 森銑三(書誌学者)
- 高野鎮雄(元日本ビクターの副社長・VHS方式ビデオの開発者)
- 河原温(現代美術家)
- 今藤幸治(元日本代表サッカー選手)
- 吉田光範(元日本代表サッカー選手)
- 近藤房之助(ミュージシャン)
- 酒井雄二(ミュージシャン)
- 赤星憲広(プロ野球選手)
- MICRO (ミュージシャン)
- 小板良輔 (smorgas) (ミュージシャン)
- 清水由紀(女性アイドル)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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