伊集院光 深夜の馬鹿力
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伊集院光 深夜の馬鹿力 | |
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ジャンル | バラエティ |
放送方式 | 生放送 |
放送時間 | 毎週月曜日25:00 - 27:00 (JST) |
プロデューサー | 池田卓生 |
ディレクター | 池田卓生 |
パーソナリティ | 伊集院光 |
出演 | 渡辺雅史(主に笑い声のみ) |
放送局 | TBSラジオ |
ネットワーク | JRN(一部局のみ) |
放送期間 | 1995年10月10日 - |
提供 | 小学館(「週刊少年サンデー」名義) |
公式サイト | |
特記事項: 1997年4月7日 - 9月29日は毎週月曜日25:30 - 27:00に枠縮小。 |
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伊集院光 深夜の馬鹿力(いじゅういんひかる しんやのばかぢから)は、タレントの伊集院光がパーソナリティを務める、TBSラジオ他全国4局ネットで放送されているラジオ番組。1995年10月10日放送開始。
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目次 |
[編集] 概要
放送時間は毎週月曜日の深夜25:00~27:00(毎週火曜日未明01:00~03:00)で、原則生放送。ただし1997年4月7日(第79回)~9月29日(第103回)の間は、深夜25:30~27:00の90分枠での放送であった。1995年10月9日の放送開始当初は、TBSラジオの平日のこの枠が『UP'S~Ultra Performer'S radio~』と名付けられており、その頃は『伊集院光のUP'S 深夜の馬鹿力』だった。UP'Sのスタートとともにこの番組も始まり、2000年3月27日(第233回)にUP'Sは終了したが、冠が付かない状態で番組は継続された。2002年4月1日(第337回)から同時間帯はJUNKという枠名となり、『月曜JUNK・伊集院光 深夜の馬鹿力』と冠を付けて呼ばれる
放送開始当初、伊集院は裏番組を意識し、「おしゃれな人は福山なんとかとでも聞いててください!」「西川なんちゃらとか言うのが…」などニッポン放送やTOKYO FMを気にした発言をしていたが、当初から裏番組の聴取率をしのぎ、深夜の長寿番組が次々に終了する中、放送を続けており裏番組を次々と終わらせるほどの高聴取率番組となっている。
特にライバル番組であるオールナイトニッポンは「深夜の馬鹿力のリスナー層と違う」DJで女性や違う世代などをターゲットにした番組を放送することが多い。96年以来オールナイトニッポン月曜1部(深夜の馬鹿力の裏)では前述の福山雅治や西川貴教、Gackt、さらには春風亭昇太(ある意味同じジャンルではあるが)などが担当した。08年3月時点ではBEAT CRUSADERS ヒダカトオルのオールナイトニッポンが放送されている。
番組中に聞こえてくる笑い声は、構成作家である渡辺雅史によるもの。この笑い声は伊集院曰く、「リスナーに対する誘い笑い」との事。基本的にブースには伊集院と渡辺しかおらず、『構成は基本的に生ではしゃべらない』とのポリシーのもと、言葉を発せず紙に書いて意思や情報を伝達する。机の下で蹴りを入れる場合も。(ただし、ごく初期には渡辺以外にも永田ディレクターのものらしき笑い声や相槌を打つ声も含まれていた。)
また、話の流れでスポンサーと同種の企業や商品の話題が出てきた時は、お約束のネタとしてわざとらしくスポンサーの事をベタ褒めして取り繕う。伊集院曰く「スポンサーを得られないDJはいつクビを切られるかわからない」からとのこと。
ネット局は北海道のHBCラジオ、福岡のRKBラジオ、沖縄のRBCiラジオの3局で、制作局のTBSラジオと併せ、全国4局で「北は北海道から南は沖縄まで」(伊集院談)といかにも全国ネットっぽいことを強調して、放送されている。(当然ながら、非ネットのラジオ局の方が多い。)第1回~第103回までは山陽放送でも放送されていた。
ネット局こそ少ないものの、常に裏番組を凌駕する深夜番組らしからぬ高い聴取率を誇るが、「おかげさまで、番組スタートから今まで男女の聴取者比はほぼ100:0!」と公式ページに書かれるほど、女性リスナーが少ない。
これは番組そのものの特徴である下品さ、または自嘲的な笑いを受け付けない多くの女性にとって全く好まれない放送内容である為と考えられ、聴取率調査では実際に女性0%を何度も記録している。UP'S時代のごく初期には、スペシャルウィークにアイドルを呼ぶなどして改善しようという試みがあったものの、放送二年目以降はすっかりそれを諦めており、スタッフも気にせずむしろネタとして語るようになっていった。現在では番組のスタンスそのものとして男性のみに向けて放送してる、という方向性すら打ち出している。
[編集] 番組進行
UP'S時代はごく普通にフリートークから番組が開始されたが、番組タイトルからUP'Sの冠が外れて以降は、まだ新タイトルが決まっていないという名目で意味の無い珍タイトルを叫ぶところから開始された。JUNK時代の初期には「前回までのあらすじ」として、伊集院のトーク開始前に鈴木順アナによる特撮(途中から様々なジャンルのTVドラマ)風の嘘ダイジェストストーリーの朗読からスタート、これに伊集院による珍タイトルの叫びが続いた(放送終了時には予告編も)。2000年4月3日(第234回)以降は珍タイトルまたはトークの内容に関係したタイトルの叫びから入り、2004年5月3日(第446回)以降はこれが『今週気付いた事』となり、現在に至る。その内容は不満や愚痴である事が多く、その場合はタイトルらしきものがとても長くなり、その間音声にずっとエコーがかかっている為、伊集院曰く「鍾乳洞で愚痴っている人」「風呂で演説ぶっている人」状態になる。
通常時の放送では上述のタイトルコールから約30分程度、伊集院の近況を中心としたフリートークが行われ、その後各コーナーに続く。各コーナーはCMを仕切りとしているが、CM明けに突然フリートークを再開してコーナーを飛ばし、レギュラーコーナーを全て消化しないまま放送終了時間を迎えることも多い。またコーナーの募集終了は、過去何度か伊集院が「今度からちゃんと終了宣言するようにしたい」と語っていたわりに自然消滅することが多かった。現在ではJUNKのサイトの投稿フォームが無くなることでコーナー終了が確定するが、2007年春以降のコーナーの乱立もあって、予告なく終了することが伊集院本人からも語られている。
基本的にタイムテーブルを用意していない為、伊集院の気分次第でフリートークと各コーナーの時間配分は変わる。25時台と26時台とでそれぞれ放送しなければならないCMと曲があるが、それも特定の時間に放送されるとは限らず、トークの合間に押し込む形になっている。なお、話が白熱しすぎて伊集院がCMを入れ忘れたままにしてしまい、ディレクターが強制的にCMを入れ、伊集院がびっくりしたこともあった(25時台のCMは25時台に絶対に入れなくてはならず、また時報がCMにかかることも許されない。そのため、逆算してCMを入れられるボーダーラインの時間がある。もしオーバーした場合、始末書ならびにきついお叱りがあるという。)。
伊集院はコーナーの葉書を読んでいる最中に、2000年4月3日(第234回)以降のTBSラジオ独自の時報が鳴ることを嫌っており、読むタイミングをずらしたり怒ったりすることが多い。この時報はHBCでは後半が微かに聞こえるだけ、RKBではごく普通の時報が鳴るだけなので、地方の人には普通に番組をやっていた伊集院が突然怒り出したように思える。この時報は『日曜大将軍』(当時)のプロデューサーの提案で作られたもので、知らずに罵倒していた伊集院は放送中に謝罪したが、以後何度も時報に対する不満を述べている。
他の番組ではCMの前後に入るジングル(サウンドステッカー)の種類は2~3、多くて5~6種類程度だが、この番組では異常とも言える程の数が作られた。特にUP'S時代は珍文やショートコントになっている物が殆どで、担当した(当時の)AD柳沢によると未使用分やスペシャルウィーク用を含め350~400種類もあった。これらは番組名にUP'Sが入らなくなったことにより、全て作り直しとなって以降も多数作られたが、JUNKになってからは特にギャグの入らないジングルらしいジングルや、過去の伊集院のトークからサンプリングして作った物が多く、昔ほどの種類は無い。これは柳沢真がディレクターとなり、ジングルまで手が回らなくなっていたためではないかと思われる。またこれ以外にもTBSラジオ全体のキャッチフレーズのジングルの各番組版(パーソナリティが名乗ってから『~Hot Radio TBS』)が作られたが、伊集院の物は例によって珍文(例:『地蔵割る? Hot Radio TBS』『あんた、血ィ出てるよ~』『牛歩五年目~』、挙句には没になったものの中には『吉田照美のてるてるワイド!~』という局も時代も全然違うものもあったという)ばかりだったため、この番組のCMの合間にしか流されなかった。
過去の内容の焼き直しとも取れるようなコーナーがローテーション的に繰り返される事が目立つものの、トークの冴えは依然健在で高い人気を誇っている。“初心者リスナーにも参加しやすいコーナー”などの考慮と共に、“スペシャルウィーク毎に新コーナーを立てる”等の発言も見られるが、旧コーナーの存続+自然発生コーナーの管理、ネタが古くなると成り立たないコーナーの運営など、近年はまれに見る多コーナー化が進んでいる。それ以前に、フリートークが盛り上がる事が多く、2時間という時間の枠が窮屈な状態が続いている。
[編集] エピソード
番組開始当初から破天荒な企画やとんでもない事件、それに伴うトラブルの絶えない番組であり、それが多くのリスナーを惹きつける要因となっている。
- TBSラジオ第4スタジオ炎上事件
- 1998年4月6日(第130回)、スタジオの一千万円近くする高級機材が壊れるという事件が起こった。調査の結果、番組で使用している時間帯に何かの液体がかかった事が原因だと判明。番組スタッフに疑いがかかるなか、池田卓生ディレクター(当時)が必死に皆を庇うも、構成渡辺が伊集院の置いたドリンクEau+(オー・プラス)を自分がミキサー卓にこぼしてしまった事を白状した。伊集院は、事件を目撃していたために挙動不審だった番組アルバイト(当時)松上君を、心の中で絶対に犯人だと思っていた。
- 焼きもろこしスナック盗み食い事件
- 1999年3月29日(第181回)、お腹が空いた伊集院が自分のお金で買って来た「焼きもろこしスナック」を自身が寝ている間に誰かに4分の3程度食べられてしまったことに対し、番組冒頭から憤慨。オープニングテーマをかけて誰が食べたか告白させたところ、ニューヨークに行くため退職直前だった池田卓生ディレクター(現:プロデューサー)だったことが発覚。伊集院は完全に構成作家の渡辺雅史が犯人だと目星を付けていたため驚愕し、「発つ鳥後を濁すのもいい加減にしてくれ!」とのコメントを残した。
- IZAM事変
- 1999年9月27日(第207回)、フリートーク内で当時吉川ひなのとの離婚騒動で話題になっていたIZAMをおちょくるような発言をしたところ、それがIZAM自身の耳に伝わり憤慨、翌2000年4月に「おしゃれカンケイ」にIZAMが出演した際、「むかつく芸能人」として「大して話もしてないのに悪く言われた」と発言したとされる(実際には本放送時にはカットされ、後日の未放送総集編でイニシャルトークとして放送される)。本当に伊集院のことなのかは真偽は不明だが、伊集院が「カンケイ」のスタッフから裏を取った発言。後述のえなり事変と並んでしばらくの間芸能人を茶化すようなトークを控えたきっかけとなった。なお「事変」という呼び方は伊集院本人によるもの。
- 偽広末事件
- 2000年2月7日(第226回)放送にて、普通のお便りを紹介中、当時「ゲームwave」の裏番組に出演していた桃井はるこを偽広末呼ばわりしたところ、桃井がリスナーであることが発覚。(自身のウェブサイトの日記で言及している。2000/02/08の日記を参照[1])伊集院は次週放送で身内を誤爆したと謝罪した。
- えなり事変(騒動)
- 2001年1月、当時レギュラー出演していた「王様のブランチ」を『卒業』した伊集院。その後釜としてレギュラーへ入ったのがえなりかずきだったのがあまりに意図不明だったのをフリートークやコーナーで小馬鹿にした所、それが「女性セブン」の記者の耳に入り「伊集院はえなりに遺恨を持っている」という記事として書き立ててしまった。前述のIZAM事変と共に伊集院がフリートークでしばらくの間ビクビクしながら話す羽目になった一件。
- 小田原から自転車で生放送の為に TBSへ戻ってくる
- 2003年2月17日(第383回)「炎の肉体改造スペシャル」。前日、前々日に構成渡辺やAD柳沢の提案した肉体改造プログラムで散々な目にあった伊集院に、プロデューサー池田は「肉体改造グルメツアー」を提案。小田原の料亭に車で連れていかれ、低脂肪高タンパクの海鮮料理を振舞われるが・・・その直後、自転車一台と「コレに乗って東京のTBSまで帰ってきて」の言葉を残され・・・。道中、当時流行していた「多摩川のタマちゃん」を確認して来いなどの命令で寄り道をさせられ放送開始には間に合わず、携帯を使っての実況と録音で番組は進行、番組半ば頃にようやく到着することができた。伊集院は05~06年の自転車ブームまではこの出来事が悪夢になっていたらしい。
- 番組アルバイトの変遷
- JUNK時代以前には7年近くに渡り「場の空気が読めない・珍臭がする」などトークのネタとして度々登場した構成見習いの「松上君」、次いで2003年夏まではリスナーから募集した「七浪した大学一年生」の「ナガノ君(長野または永野と思われるが、正確な表記不明)」が番組アルバイトを勤め、共にスペシャルウィークやコーナーで声を聞くこともできた。しかし前者は突然「孤島で暮らしたい」として、後者は病気の後、学業に専念(後に大学院生に)することを理由に退職。代わって2006年半ばまで、伊集院の作った若手お笑い芸人草野球チーム(後のビッグ・アスホールズ)に所属する田代32や河野和男などを番組のアルバイトにしていた。しかしいずれも比較的短期間の雇用に終わり、なんらかのトラブルや本人の希望で人員変更となった。その後(06年後半から)はADが雑用をしているようで、番組アルバイトを取っていない。
- 旅行の予定が中止になり結果的にウソ録音スペシャル
- 2004年1月5日(第429回)の「新春恒例録音大放送」はニューヨーク旅行へ行く為に録音放送だった筈なのだが、帰りの航空券が入手できなかったなどの理由で旅行は中止。テープの回るスタジオ内に本人やスタッフが居るという奇妙な状態で番組開始。17分後にそれが明らかとなり、その後も録音の再生を続けたが、結局後半からいつもの生放送を始めた。
- 「田代32の人生完封負け」
- 番組アルバイトを卒業する田代32に対する餞として、2005年4月11日(第495回)「ありがとう田代びっくりプレゼントスペシャル」の後半に放送された、田代がDJを担当するトーク番組…というのは建前。実は番組スタッフが考案した珍奇な事件を予め仕込んで田代の周りで行っており、そのうちどれを(やらせであることを知らない)田代がトークのネタにするかというギャンブルで、使われなかったネタを考案した池田と渡辺は、数日換えてない互いのパンツを交換して着用するという罰ゲームを受けた。加えて、ラストに流れた知人たちからの応援メッセージを聞いて泣くかどうかまでもが賭けの対象になっており、真面目に感動していた田代をキレさせた。なお珍奇な事件として創作されたネタの一つに「カニカニ詐欺」があるが、2007年から現実に数百件も発生している。
- ウソ最終回
- 2005年10月17日(第522回)の放送冒頭では及川奈央が登場し「及川奈央の深夜にシェイシェイシェイク」が放送される。これは開始5分で曲の流れている合間に伊集院が登場してネタ明かしがされ、及川奈央による放送は12分ほどで終了。しかし前回の放送の最後で特別なことがあると語ってはいたものの、具体的な告知は行われておらず、しかも当日の新聞のラテ欄の番組名も書き換えられており、また日頃から「いつ首を切られてもおかしくない」などと冗談ながら発言していることなども重なり、企画なのか本当に降板したのか、一部リスナーに混乱を招いた。TBS には朝から真偽を確かめる電話が鳴り、果ては新聞社からも問い合わせがあったという。このためTBSからも怒られ、後の放送で「企画は完全に失敗」と語っている。過去にも同じように2000年1月3日(第221回)の「松任谷由実ベストコレクション」」(放送開始22分まで普通のリクエスト番組風であったが、『冗談はこのくらいにして』の一言でいつもの放送に戻った)や2001年1月1日(第273回)の「チェッカーズ・ベストヒットコレクション」(放送開始7分まで普通のリクエスト番組風であったが、2曲目からは番組スタッフによる電波歌となった)といった真面目な番組に見せかけた嘘番組企画の「前科」があり、同様に問い合わせが殺到している。
- JUNK交流戦
- 2006年秋口、「極楽とんぼの吠え魂」打ち切りの穴埋めとして急遽企画された「JUNK 交流戦スペシャル」にて「伊集院とアンタッチャブル」(2006年7月28日)、「伊集院と爆笑問題」(2006年9月1日)の合同放送が行なわれた。JUNK内二大パーソナリティである伊集院と爆笑問題が“また、こういう機会欲しいね”と言っていた。なおその回、爆笑問題が「爆笑問題の検索ちゃん」に出演していたため、放送終了の1時15分までは調整室に待機していた。
- 伊集院、急病で完全欠席
- 2006年10月2日(第572回)、伊集院光が 9月30日に重度の咽頭浮腫により入院していたため、放送始まって以来の完全欠席となった(同時に前日の日曜日の秘密基地、スポーツ魂も休んでいる)。その日の放送は、鈴木順アナ、小島慶子アナ、田代32、桐畑トール、アルバイトの河野などが出演し、代役を務めた。声の出せない伊集院は、エンディングで病室から尻を叩く音を出し存在を示した。日曜日の秘密基地での欠勤を知らない大半のリスナーは、これをいつものネタだと思ったらしく、FAXや電子メールでネタを多数送ったという。
- 死闘東海道サッカー命ロスタイム ビッグトトカルチョ
- 伊集院に公私共に無礼を働いた「チームしくじり」(桐畑トールと河野和男)と、伊集院・サードメンの高橋・構成渡辺が、桐畑の自転車を使い「縁切り」を掛けて行ったパツゲーム。当初、東海道線浜松駅を基点として”アメフト形式で京都(伊集院側)か東京(しくじり側)に自転車を押しこみ、互いの関係をどうするか”という根性を試すものだったが、スペシャルウィークにあたり、”結果、どの駅に自転車があるでしょう”とリスナーに予想してもらうものに変化させた。結果的に終わりが見えないのと、互いが疲弊していくだけな為、伊集院が2人の無礼を水に流し関係修復に至る。この時使われた自転車は桐畑の私物で、元は黄色いMTBだったが後に盗まれてしまう。どこへ行ったのかは定かではないが、伊集院は番組内のトークで、桐畑と同じアパートの階上の部屋に住む男性が全く同じ型の自転車(色はブラックだが明らかに手作業での塗装で、しかもところどころ剥がれて黄色い地肌が見えている)を乗り回していると話していた。
- 地方のネット局で放送されていないことに放送中気づく
- 2008年1月1日(年明け直後)の放送中、北海道のリスナーから一通のメールが届き読んでみると「今週もあると言っていたので聴こうと思っていたらHBCラジオは特番で聴けませんでした。現在TBSの放送を直接聴いてます。」と読み上げる。伊集院自身だけでなく、ディレクターもHBCラジオが特番を組んでいることを全く知らず、結果放送中にそのことを初めて知るというおかしな現象が起こった。さらにその他のネット局(RKB、RBC)でも各自年明けの正月特番が編成されており、この回の放送はTBSラジオのみの放送となっている。この回では前年(2007年)のクリスマス・イヴ深夜に伊集院が皇居周辺をジョギングをしていたら脱糞してしまったという話をしており、地方リスナーにこの失態を聞かれることを結果的に免れた。
[編集] スペシャルウィーク
主としてラジオの聴取率調査週間には、スペシャルウィークと称して特別企画が放送される。番組初期はアイドルをゲストに呼んだり人気のおもちゃやライブのチケットをプレゼントするなど正統派の企画が多かったが、最近では敢えて無名芸人を使ったり、果ては他人が希望した商品、壊れたゲーム機やテレビをプレゼントするなど、かなりひねくれた企画が多い。伊集院のトークに人気がある番組だけに、アイドルとの対談企画などをあまり魅力的とは思わないリスナーが多いようで、過去には2時間フリートークだけの「フリートークスペシャル」というものもあった(1999年6月21日(第193回)『二時間嵐のフリートークスペシャル』1999年8月23日(第167回)『夏のフリートークスペシャル』)。なおスペシャルウィークの場合、コーナーは全く行われない場合と、いくつかは行う場合がある。しかし1998年6月29日(第142回)と2000年8月28日(第255回)にはスペシャルウィークではないにも関わらず、それぞれ旅行についてのフリートークだけで終了、予定されていたコーナーが全く行われなかった。2007年10月15日(第626回)以降は恒例だったスペシャルウィーク企画が行われなくなっているが、2008年02月18日(644回)にはトークに熱中するあまり、番組途中で急遽フリートークスペシャルということになり、またもコーナーが全てとばされている。
以下に代表的な企画を掲載する。
- かみさん来襲
- 1995年12月18日(第11回)、スペシャルウィークでゲストは当時アイドルとして最盛期だった内田有紀。しかしゲストからのリスナーへのプレゼント提供の時、いきなり新婚早々のかみさん・篠岡美佳が登場。実はスタジオでずっと隠れており、その前のトークで、かみさんに結婚するのだからと剥がすように言われていた内田有紀のカレンダーを、隠れて押入れのドアの後ろに貼っていたことなど、全て聞かれてしまっていた。なおこの番組でかみさんの声を聞くことができるのは、他には1995年10月9日(第1回)における録音メッセージ(これも伊集院には内緒)と、1996年10月28日(第56回)と1996年12月16日(第63回)に電波歌を歌った時のみである。
- たまごっち&スタンプ倶楽部プレゼントSP
- 1997年2月17日(第72回)放送。
- オナラSP
- 1997年6月16日(第89回)放送。リスナーのオナラ音を集め音楽番組のDJ風に紹介をしたり、リスナーに生電話をかけその場でオナラが出たらリクエスト曲を流すなど、リスナーを絡める企画を行った。また、伊集院光がオナラ軍曹となり、ファミレスや局長室の机の中に屁をしたり、電話番号案内のTBSのBをオナラで代用したりと、オナラを用いた様々な企画を行った。
- 安部譲二のムダ使い
- 作家の安部譲二を、内田有紀スペシャル(1996年10月21日 第55回)内のラジオドラマ「内田有紀物語」の内田有紀役や、エンクミスペシャル(1998年4月13日 第131回)のニセ遠藤久美子役、翌週4月20日(第132回)「スター愛用品プレゼントスペシャル」のシャロン・ストーン役など、くだらない一発ギャグのために起用している。安部がこのようなオファーを引き受けるのは、本番組の初代プロデューサーである永田守の祖父、永田雅一に「永田家には足を向けて寝られないほどの大恩(伊集院が聞いた所東京スタジアムがあった時の事だとと言いかけてやめた)を受けた」ため。伊集院本人は番組内で、「元暴走族とか元ヤンキーとかいうことを自慢気に話すタレントは生理的に嫌いだが、安部譲二さんはなぜかわからないけど好き」と語っている。
- シガニー・ウィーバーをブッキング
- 1998年04月13日(第131回)の「エンクミスペシャル」は、当時の人気アイドルだった遠藤久美子がゲスト。しかし自らをエンクミと言い張る安部譲二(録音)、ハウス加賀谷らも出演し、誰が本物か?という趣向だった。しかもエンクミ本人よりもビッグなシガニー・ウィーバー(エイリアン4の宣伝のため来日中)まで出演、「これが日本で流行っている挨拶です」と騙し、「コンバンハ、エンクミデス。」という日本語まで言わせてしまった。実は退職直前の映画会社の担当が無責任にブッキング、番組の趣旨を伝えず映画に関するインタビューを受けさせ、それに嘘の同時通訳をかぶせるという無茶を行ったものである(後で怒られたのは言うまでもない)。2007年現在使用されているサウンドステッカーで「コ・コ・コ・コ・コンバンハ、エンクミデス。…伊集院光デス」としゃべっているのは、このシガニー・ウィーバー。インタビューの音源を加工したものであると思われる。最近のリスナーはシガニー・ウィーバー出演の事実を知らず、「この番組、シガニーウィーバー来た事あるんだよな!」と言っても、伊集院のギャグだと思われている節がある。
- スター愛用品プレゼントSP
- 1998年04月20日(132回)放送。ウルフルズ、遠藤久美子、石野卓球、林原めぐみ、清春、榎本加奈子、田中裕二、安部譲二など、11名のゲスト(一部シャロン・ストーンなどと称して安部譲二が偽物で登場する録音もあり)からいただいた愛用品(と称してはいるが、ほとんどネタとしてでっちあげた駄物ばかり)をリスナーにプレゼントした。
- いたずら株投資
- 1998年12月21日(第167回)「伊集院サンタさんの史上最大の危ない橋大作戦」は伊集院をはじめとしたスタッフが、私物やTBSの機材を質に入れて資金を調達、外貨や株などでの運用益でリスナーにプレゼントをしようという企画。もちろんお約束通り外貨は両替手数料で損、株は投資先の倒産で紙くず同然に。最終的には残りの資金を競馬に注ぎ込み大失敗(第32回スプリンターズステークスにてタイキシャトルの単勝一点買い)。宝くじも当然にはずれる。結果、翌週の「伊集院光サンタ死す、史上最悪の危ない橋大作戦」では伊集院のコネクションを使った有名タレントのサイン等がプレゼントされた。いたずらに資金を運用する企画の先駆。
- 秋葉原で大騒動
- 1999年4月11日「春のリスナー拡大キャンペーンスペシャル」の一環として、石丸電気秋葉原2号店(現SOFT2)店頭にディスプレイされているテレビに番組オリジナルのテレビCM を流すという企画を告知したところ、想定外の約300人のリスナーによって、現場はパニック状態になってしまった。2号店の店頭はリスナーによって入口が塞がり、道路にまであふれ片車線を塞ぐという事態に、石丸電気の店員のみならず、当時同店の斜向いにあった警視庁万世橋警察署の警官まで出動した。翌日、4月12日(第183回)の放送冒頭で真面目な謝罪をしたが、一方で「この責任を取ってディレクターが辞めることになりました」と、池田卓生ディレクター(当時。現プロデューサー)が一時渡米のために番組を辞めることになった事情と絡めてきちんと笑いを取ってもいる。
- ゴールデンマイク賞受賞、トロフィーをリスナーにプレゼント未遂事件
- 2001年3月19日(第284回)、『ゴールデンマイク賞』(TBS内の放送で優れた功績を残したパーソナリティに贈られる)の受賞が報告された。番組開始直前に受け取ったそのトロフィーは、実際に使用可能の金メッキされたマイクであり、有難いはずのそれを乱暴に扱うなどしてその週のオープニングトークを展開。後の2001年4月26日(第288回)のスペシャルウィ-ク「珍トトスペシャル」では、「リスナーのおかげで貰ったものだから」と言う名目のもと面白半分にこのトロフィーをプレゼントしようとし、ファックスで希望者を募り、「放送中にプロデューサーより偉い人からクレームがあった場合のみ中止」と宣言、しかもその結果をトトの対象とした。しかし番組ラストで入江センター長から電話が入り、プレゼントは中止された。なお、同じくこの放送をたまたまカーステレオで聴いていた林原めぐみ(同時期にゴールデンマイク賞を受賞)は自身の番組で不快感を(冗談半分ながらも)示している。また、以前も何度かゲスト出演やコメントを寄せていた林原は、1997年6月9日(第88回)「梅雨休みアニメフェスティバル」でのラジオドラマ「不思議少女パイ毛ちゃん」、「フランダースの犬?」、さらに1998年4月20日(第132回)「スター愛用品プレゼントスペシャル」での嘘アニメ台本「超巨大カラーひよこ販売業者森本・第23話後半」への出演で嫌になったのか以来ゲスト出演はない。
- シークレットゲストに黒ブラ一丁でご対面
- 2001年6月18日(第297回)「天才DJへの道・苦手克服ブ~ラジャ~スペシャル」。当時「ブラジャー」と普通に言えず、変に伸ばして読んでいた伊集院、苦手を克服すべく、番組企画として買いに行ったり、自ら着用したままシークレットゲストと対談することに。ところが伊集院に誰であるか知らされていなかったゲストは、落語家時代の師匠・三遊亭楽太郎。黒ブラ姿のままプレッシャーでしどろもどろになる伊集院に対し、淡々と小言をたれる師匠という状態のまま、対談は終了した。
- ジョークTシャツ スタンプラリー
- 2001年8月20日(第306回)の「ジョークTシャツ スタンプラリー前夜祭」、2001年8月27日(第307回)の「~後夜祭」。多数の珍文をリスナーから募集し、それらをプリントし認識番号を付けたオリジナルTシャツを作成。全国(未放送地区含む)の「スタンプさん」ことリスナー100名及びゲストのアンタッチャブルとピエール瀧に着て街に出てもらい、周りのリアクションを報告してもらう。また他のリスナーによる着用者の目撃報告も募集され、特に秋葉原で発見されるものが多かった。スタッフも参加し、たとえば田村ディレクターは「ウルトラ マンコ スモス」と三行に分けて中段のロゴを拡大したもの、知野プロデューサーは「1242LF+R」(ニッポン放送)と書かれたTシャツを局内で着用して、後者は上司から嫌味を言われるなど気まずい思いをした。運悪く大型の台風11号が日本列島を縦断する時期と重なったが、無事終了した。
- 知野プロデューサー、積み木ルームへ飛ぶ
- 2002年2月18日(第331回)「馬鹿カード撮影秘話スペシャル」では全裸で社長室に侵入、写真撮影を行った。そこに突然、清水社長から電話が入り、知野文哉プロデューサー(当時)は膝から崩れ落ちる。実際のところは番組を盛り上げる企画に過ぎないのだろうが、本気で知野プロデューサーの処遇を心配する手紙もあったようで、次の週の冒頭で紹介された。ただ偶然に体調不良から知野プロデューサーが製作部門を離れることになっていたため、「知野プロデューサーが異動になった」とだけ聞き、企画が不祥事となったと思い込み戦々兢々としたスタッフもいたらしい。この件も含めて「この番組に関わったスタッフは出世できない」というネタが定着する。「積み木ルーム」とはTBS社内で左遷された社員が行くとされる架空の部署。社員に積み木を積ませて完成すると、監視員が「よし!」といって積み木を崩しまた積ませる部署。
- 「ワールドカップ情報スルーパス決戦」
- 2002年6月17日(第348回)、伊集院と桐畑亨(現桐畑トール)、アンタッチャブル山崎の3人で、サッカーワールドカップ日本戦の勝敗結果をどれだけ知らずにいられるかを競った。期間中に街を歩く、TVが置いてある店で外食をするなどの試練が課せられた。夜間に国立競技場の外を一周する試練で、周りを見ないように下を向いて歩いていた伊集院は、偶然落ちていた試合結果の号外を読んでしまい、最終的に山崎が勝利した。伊集院はいきすぎた情報遮断のために夫婦喧嘩になったり、終了後にやはり見ればよかったと後悔することとなった。
- 原付バイクでTBS社内を爆走
- 2002年10月21日「やっつけようスペシャル」(第366回)及び 2004年7月26日「オリンピック直前標準記録会スペシャル」(第458回)においてTBS本社ビル内を原付バイクで暴走する。「やっつけようスペシャル」ではアンタッチャブル柴田がアクセルを吹かし過ぎた為にウィリーしてしまい、タイヤ痕を9階廊下へ残した。(このNIKEマークのようなタイヤ痕は、廊下カーペット交換までの間暫く残っており、知らない人間には疑問に思われていたらしい)また、「オリンピック直前標準記録会スペシャル」では番組と関係のない社員の机にぶつかり、CDを割るなどしたため、次の週の冒頭で番組プロデューサー池田が「(同企画でゲーム機やテレビを壊されたスタッフに対して)俺の人生設計だって粉々なんだよ」と語るラジオコントが放送された。
- メカ山崎
- 2003年4月21日(第392回)、「メカ山崎誕生計画スペシャル」でアンタッチャブルの山崎弘也をラジオ番組・ラジオドラマのオーディションと称して事前に用意した珍奇な原稿を読ませ、約100パターンほどの山崎の音声を出すことのできる「メカ山崎」を作った。そして、山崎がファンだという仲根かすみとスタッフが操作するメカ山崎が対談した(仲根かすみはメカ山崎の音声を本物の山崎がしゃべっているものと思っている)。また、生放送でメカ山崎の音声をつかいアンタッチャブルのマネージャーなど事務所の関係者や、ブッチャーブラザーズのぶっちゃあ氏に電話をかけ、アンタッチャブルの二人が火消しに追われるという模様が放送された。
- ギャラクシー賞授賞式でお漏らし
- 2003年5月12日(第395回)、伊集院が『伊集院光・日曜日の秘密基地』のパーソナリティとして、第40回ラジオ部門DJパーソナリティ賞を受賞したことが報告された。これをスペシャルウィークの企画に利用しない手はないということで、授賞式の壇上でコメントの最中に予め履いているオムツへ放尿を実行、当時よく出演していたアンタッチャブルの山崎弘也が実況し、2003年6月9日(第399回)に放送された。名誉ある式の最中での暴挙は人知れずまんまと成功したが、その後のパーティー中も放尿を継続、結果1.2リットル近い水分を吸収しきれなくなったオムツの「もれないギャザー」が決壊、会場から急遽撤退するハメに陥った。2006年にも『秘密基地』は番組として第43回ギャラクシー賞 ラジオ部門でギャラクシー大賞を受賞している。
- 「田代32・桐畑とおるどっちの芸人捨てましょうスペシャル」
- 2004年6月14日(第452回)、伊集院が番組アルバイト(当時)の田代32を、出先で撒くことにハマっていた時期に考案されたドッキリ企画。構成渡辺・伊集院と共に遠足に出かけるという設定で東京から約100km離れた群馬県東村に連れ出し、若手芸人二人のうち一人をその場に置き去りにするというもの。互いに仕掛け人であることを知らされていない田代と桐畑とおるが一緒に行動し、最終的には「神」ことリスナーの投票により田代が置き去りにされた。その後桐畑は、自分が置き去りにされたかもしれないという事実を知らされ驚愕した。なお田代は親切な地元の人々のおかげで、東京から約60kmの熊谷まで到達、番組終了後にスタッフの車により回収された。また1997年8月25日(第98回)「ドキドキ初体験スペシャル」では伊集院自身が、30歳になるまでに未体験だったことにチャレンジ、という名目で「迷子」を経験すべく見知らぬ千葉の田舎の小学校前に置き去りにされ、ギブアップ宣言して回収してもらうための携帯電話を一時紛失、本格的に遭難しかけている。
- サッカーW杯を10倍から8分の7倍楽しく観る方法
- 2006年6月12日の放送で、スペシャルウィーク2週目と、サッカーW杯が重なってしまい、数字を取る為に作られた企画。番組開始直前まで試合があった為、収録された企画をトークの合間に編集する程切羽詰った状態となっていた。内容は、リスナーとアルバイトの河野をTBS会議室に集め、NHKの中継を見ている伊集院の音声のみで試合を解説するというような若手を使った企画がメインであった。その中の一つで、日本対オーストラリア戦開始15分前にマネージャー小林に電話し「ホリプロを辞めたいので、TBSに来て相談に乗って欲しい」と電話したら小林はやって来るかという企画で、伊集院は予定通り小林に電話をしたが、その時小林はホリプロのタレントや役員が集まってサッカー観戦をしている所におり、伊集院の突然の電話に一同騒然となりサッカー観戦どころではなくなってしまい、「上司も交えて話し合いたいので、明日ホリプロ第二会議室に来て欲しい」というメールが届き、逆に大慌てする結果となってしまった。その後、その一件により暫く伊集院は小林に対して頭が上がらなくなってしまう。
- 赤坂の長澤まさみ
- 同年10月16日放送(第574回)はオールナイトニッポンの「長澤まさみのオールナイトニッポン」に対抗して「嘘長澤まさみのオールナイトニッポン(赤坂の長澤まさみ)」を企画。「長澤まさみのオールナイトニッポン」と同じテーマ(まさみの好きなもの)でリスナーからメールを募り、合間に通常コーナーも取り入れながらの放送となった。冒頭ではオールナイトニッポンのテーマである「ビタースイートサンバ」をバックにトークを展開し、JUNK としてのタイトルコールは最後までなく、長澤まさみ主演のドラマ「セーラー服と機関銃」主題歌の馬鹿歌も披露された。伊集院がビタースイートサンバに乗せてトークをするのは、自身がオールナイトニッポンを担当していた1990年以来16年ぶりである(厳密に言えば、1992年にARAKAWA RAP BROTHERSとして単発でオールナイトニッポンを担当しており、また「電気グルーヴのオールナイトニッポン」(1994年3月終了)で番組対抗企画で罰ゲームを受けた時や、1993年の末から翌年の一時期、オープニングに毎週のように出演していた)。本人曰く「青春時代は、このテーマソングに乗せてしゃべることが夢だったが、ある時期から『二度と、この曲に乗せてしゃべることは無い』と思っていた」とのこと。
- 東海道自転車サッカースペシャル
- 同年12月11日放送(第582回)
[編集] 主なコーナー
詳細は伊集院光 深夜の馬鹿力のコーナーを参照
[編集] Web配信
[編集] 概要
TBSラジオは一部番組のWeb配信を行なっている。本放送とは異なる内容のものと、本放送の内容を一部切り取るものがあるが、この番組では2006年10月16日配信分までは前者の方式、それ以降は後者の形式で配信をしている。
内容は基本的に伊集院光がメインとなって他愛のないトークを展開する形。伊集院一人でトークをする場合もあれば若手芸人(ヒットマン、サードメン等)を交えてトークを行う場合もある。伊集院曰く「疲れるまでしゃべり続け、疲れたら終わり」で、特に定められたコーナーはなく途中にCMも一切入らないため純粋なトークが楽しめる(2006年9月に配信された7回分のみ、冒頭にCMが挿入された)。収録は本放送終了直後に行われており、日によっては(途中休憩を挟み)朝の4時半まで喋る事もある。
[編集] 2002年~2006年
4月よりWindows Media Audio形式での配信がスタート。
2005年5月頃よりトークが30分を越えるようになり、2005年12月26日分ではついに1時間10分をマークした。
[編集] 2006年4月~10月
2006年4月よりJUNK系番組の全Web放送がPodcastへ移行した。移行直後はPodcastのなかでも非常に人気が高く、ランキングでも上位になることが多かった。
配信がPodcast化してから、「通常のラジオ番組と同様にトークの間で曲を流したい」と言う伊集院光の意見が出たが、著作権の問題上Webで楽曲入りのPodcastを配信するのは複雑な手続きが必要であり、現実問題として難しいのであらかじめレコーディングしておいた(その場で即興で歌う事もある)伊集院光と若手芸人達が歌った楽曲(著作権に触れないよう完全オリジナルの曲である)をトークの途中で流すことがある。
伊集院はこの番組だけでiPodの容量を一杯にしようと企んでいた時期があったが、2006年8月14日までの配信された計30の音声ファイル(5分で約4~5MB)の合計は524.2MBなので、iPod shuffle(512MBモデル)の容量を超える事になり事実上伊集院の企みが成功した事になる。
投稿に関しては本編とPodcastは区別されており、Podcastに関しては葉書のみでFAXやEメールでの投稿は受け付けておらず、あて先も「伊集院光深夜の馬鹿力 ウェブの糞音係」と明記する必要がある。
2006年5月23日分から余りに長いという理由で分割配信が行われ、その後は時間も1週間の配信回数もまちまちな状態になった。
[編集] 2006年10月~現在
2006年10月23日以降(2006年12月11日、2007年2月19日配信分を除く)、本放送中のフリートークを切り取る形になり、週1回配信に落ち着いた。
2007年4月30日の本放送で、伊集院がPodcastについて触れており、「また時間が長いのを復活させることもできるが、Podcastをおもしろくすることと、ラジオ(本放送)のリスナーを増やすことは反比例するのではないか」「わざわざ夜遅くの本放送を聞いてくれている甲斐が無い」との理由から自分の中では縮小方向になっていると話した。
[編集] ノベルティグッズ
葉書やFAX等が採用された時にもらえるノベルティグッズの一覧。
- UP'S番組ステッカー(1995年10月~1997年9月)
- 他のUP'Sとの共通ノベルティー。投稿が採用された者に贈られたが、後に香港旅行に行った時に作った「尻間丸出」の印鑑が四隅に押された物は、その週の最優秀葉書の投稿者に贈られた。
- ブタレイブロマイド(1995年10月~1996年3月)
- 「豚頭麗香の少しだけメランコリー」のコーナー用に作られ、他のコーナーでも番組ステッカーと風小僧グッズの中間ランクのノベルティーとして贈られた。お下げ髪で眉毛のつながった、ブタレイの扮装の伊集院が写っている。
- 風小僧グッズ(1995年10月~1997年9月)
- 伊集院本人もどんなものか知らなかった初期のノベルティ。永田ディレクター(当時)が駄菓子問屋で山積みになっていたものを仕入れたとのことで、その正体はドラム型の金属製の笛(ホイッスル)。初期ノベルティの中ではランクが最も上の扱い。
- お尻コイン(1997年10月~2002年3月)
- その名の通りお尻がデザインされたコイン。1オシリ、5オシリ、10オシリ、100オシリの4種類が存在する。中央に「UP'S」の刻印が付くが、番組名からUP'Sが外れてからも、これを生産していた町工場の親父が製造費の大幅値上げを言い出し生産終了するまで使われ続けた。1999年10月18日(第210回)のスペシャルウィーク企画として、このコインでリスナーの(ブームが過ぎて大量に余っていた)たまごっちを買い取ったこともあった。
- 深夜の馬鹿ード(2002年4月~)
- 「変死隊」CDの売り上げを使って作った、番組に関する絵柄のトレーディングカード。伊集院が裸で写っているものは価値が高いとも言われるが、実は服を着ているカードの方が少なかったりする。
[編集] エンディングテーマ
- 現在
- 小沢昭一『父ちゃん音頭』
- 曲の中に「前立腺肥大症」という歌詞があり、ときおり伊集院が合わせて歌って終わることがある。
- 小沢昭一『父ちゃん音頭』
- 過去
伊集院はよく番組の最後に「また来週」というべきところを、「寝ろ!」「永遠にさようなら」や「また来世」と言っていたが、夫婦で交通事故にあった翌々週の1999年7月5日(第195回)のエンディングで、「次回死んでたら後味が悪いから言っていたけど、よくないね」と言った直後に、自分で「それが伊集院光の元気な声を聞いた最後だった」と言って終わるオチの回があった。さらに翌週より宇野淑子アナ(2002年春定年退職)による「それが伊集院光の声を聞いた最後だった」というナレーションが入り、これはエンディング曲が「大きな古時計」に変った2001年9月24日(第311回)まで続いた。
[編集] 関連書籍・CD
ニッポン放送時代にはいくつかの書籍・CDをリリースしているが、TBSの深夜へ移ってからは、正式な流通に乗る書籍やCDは発行していない(日曜午後の番組『伊集院光 日曜大将軍』『伊集院光 日曜日の秘密基地』ではリリースしている)。
しかし2000年、「天才・伊集院光プロデュース 音楽ユニット大ブレイクプロジェクト」のコーナーにからみ自主制作CDを数バージョン(生産時期によりパッケージの仕様が異なる)と、委託生産された音楽CD『走馬燈』(ファーストアルバム)を変死隊名義にてリリースしている。
詳細は走馬燈 (変死隊)を参照
これ以前に「番組のデモテープ」(安物で有名なBONのカセットテープに録音)を作り、街中に配布(放置)するプロモーションを行ったことがあるが、全く反応が無く失敗に終わっている。ファーストアルバムの制作時にも同じことが行われ、伊集院の携帯番号まで吹き込まれ直接質問できるようになっていたが、結果はやはり無反応であった。他にも「あそび」のコーナーを書籍化するというプランがあったが、結局実現には至らなかった。
[編集] 伊集院以外の出演者
当番組は基本的に伊集院のトークだけで進められるが、ナレーターやスペシャルウィーク、ポッドキャストでは伊集院以外にもレギュラー的に出演する者がいる。
- 若手芸人(通常の放送では主にポッドキャストを担当、番組のアルバイトを兼任している者もいる)
- 構成作家(放送中の「笑い声」のほか、コーナーの『平成ハレンチ学園』渡辺校長役を担当)
- アナウンサー(番組のナレーターが主だが、出演することもある。番組内では「局アナなのでギャラが必要ないのが強み。」と強調している。)
- 松宮一彦(番組のごく初期に出番の多かった局アナ。『ブタレイ』コーナー中、過去にブタレイと番組で競演した時の音声、という設定のコントで毎回のように殺されていた。)
- 小林豊(番組初期に出番の多かった局アナ。松宮アナから引き継ぐ形で、『ブタレイ』コーナーやスペシャルウィークのナレーションなどを担当。)
- 鈴木順(『馬鹿ニュース』で初出演。各種ナレーションなど、最も出番の多い局アナ。ここ数年は登場が少なくなっている。)
- 宮内鎮雄(スペシャルウィークのオープニングナレーション等を担当。馬鹿な文章でもきちんと説明すれば真面目に読んでくれるありがたいベテラン局アナであった。2005年1月31日(第485回)に、ジングルとしてリスナーから寄せられた珍文を読まされ、『デブは喪服もサスペンダー』がTBS社員としての最後の一言となり、定年退職。)
- 進藤晶子(『早押しクイズQQQのQのQ』ではTBSアナウンス室を裏で仕切るいじめっ子キャラでいじられたのがきっかけで、本人も出題者として出演することにもなった)
- 宇野淑子(『ダメ人間だもの』でコーナー冒頭のナレーションやスペシャルウィークのオープニングナレーションを担当。)
- 小島慶子(元々当番組直前の『BATTLE TALK RADIO アクセス』を担当していたが、当番組で急遽ナレーションが必要になった際、局内に残っていてナレーションを担当したことからつながりが生まれた)番組などで、下ネタの原稿を読まされることがたびたびあった。
- 竹内香苗(日曜日の秘密基地ではアシスタントを務める。みうらじゅんと共に、ハレンチ学園SPにも出演した。最近は『みのもんたの朝ズバッ!』出演のため、出演がない。)
- 谷口智子(TBSアナウンサーではなくフリーだが、ナレーションを担当することがある)
[編集] スタッフ
- プロデューサー兼ディレクター:池田卓生
- 四代目プロデューサーであり、ディレクターとしては二代目にして、現在六代目。初代ミキサー兼ADでもあった。元々はテレコム・サウンズに所属していたが、ニューヨークにラジオ留学のため退社。帰国後にTBSラジオに入社して、現在に至る。番組内ではニューヨークにいたと称して町田に潜伏していた、ニューヨークでボトルアタッカーをしていたなどと言われる。五代目ディレクター柳沢(負傷により休職、以後番組内での消息不明)と交代でディレクター兼任になる。現在はJUNK枠全体のプロデューサーでもある。
- アシスタントディレクター:中山
- 普段は無口で大人しい人物。恋人が麦芽の小出真保であることが発覚して以来、彼女に対してはどSであったり、ベッドヤクザであるなど裏表がある性格が知られるようになる。ADとしては人数分のアイスを購入しろと言われ、人数分同じアイスを買ってくるという。『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』『伊集院光 日曜日の秘密基地』のADも担当している。
- アシスタントディレクター:下中
- ヒットマン河野のアルバイト降板を前後して、名前が出てくるようになったAD。コーナーなどにおける音楽選びのセンスを伊集院に酷評されることで知られる。『200文字でやっつけろ』『ゆるい呪い』のコーナーにおける音響は彼が担当している。
- ミキサー:岡部勉(テレコム・サウンズ)
- UP'S時代後期からの四代目ミキサー。スタッフ内では唯一の真人間として、彼を基準にしてまともかどうかを決めることも。伊集院も「ミキサーの岡部さん」と呼ぶが、これは年下ではあるが草野球で有能であることが理由の一つと語られている。また、伊集院が企画でテレコム・サウンズをブリーフ一丁で訪れた際は、関わろうとしなかったなどのエピソードがある。
- 番組構成作家:渡辺雅史
- 番組内では笑い声でおなじみ。埼玉大学に在学しながら構成を担当していたが、留年の末に除籍となる。1999年11月29日(第216回)の放送では、罰ゲームで母親を番組にゲスト出演させられている。鉄道マニアとして知られており、番組コーナーにおいて鉄道ネタが取り上げる際は彼によって選別されることが多い。また伊集院が鉄道関係の話題を話した際に間違いを注意(メモ書きを渡すことで)することもある。UP'S時代後期の松島ディレクター時代には、共に鉄道マニアであることから結託、フリートークスペシャルのネタ作りの取材と称して、伊集院夫妻を鉄道廃線跡やリニアモーターカー見学に連れ出したことも。
[編集] 過去のスタッフ
- プロデューサー
- 永田守(1995/10/09-1997/01/13)番組の初代P。(※2004/10/17当時はDVD制作部にいたらしい)
- 牧巌(1997/01/20-1999/07/19)番組の2代目P。(※2003/10/26当時は編成部長であった)
- きくち (1999/07-2000/06/26)番組の3代目P。
- 知野文哉(2000/06/26-2002/02/25)番組の4代目P。(※2008/04/07未だに「積み木ルーム」にいるようだ)
- ディレクター
- 永田守 (1995/10/09-1996/09/30)UP'Sの初代D。
- 池田卓生 (1996/10/07-1999/04/12)2代目D。
- 松嶋淳 (1999/03/29-2000/08/14)3代目D。
- 田村和弘 (2000/08/14-2003/03/24)4代目D。
- 柳沢まこと (2003/03/31-2006/01/30)5代目D。
- アシスタントディレクター
- 池田卓生 (1995/10/09-1996/09/29)
- 柳沢真 (1996/10/07-2003/03/24)
- 永山 (2003/03/31-2003/09/29)
- 砂川 (2003/10/06-2005/10/03)
- 青原茂雄 (2005/10/10-2006/03/27)
- 中山 (2006/03/13-)
- 下中 (2006/?-2007/09/24)
- アシスタントディレクター見習い
- 柳沢真 (1995/10/09-1996/09/29)
- ミキサー
- 池田卓生 (1995/10/09-1996/09/29)
- 平井 (1996/10/07-1998/09/28)
- アルバイト
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 月曜JUNK・伊集院光 深夜の馬鹿力(TBSラジオ)