クリスマス・イヴ
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クリスマス・イヴ(英語:Christmas Eve)とは、クリスマスの前夜、すなわち12月24日の夜を指す英語の音訳である。「イヴ(eve)」は「evening(夜、晩)」と同義の古語「even」の語末音が消失したものである。
転じて、俗に12月24日全体を指すこともある[1]。日常会話では単に「イヴ」と呼ばれることが多い。
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[編集] 概要
「クリスマス・イヴ」の原義は「クリスマスの夜」であるのになぜ「クリスマスの前夜(または前日)」を指すかの理由は以下のとおりである。ユダヤ暦およびそれを継承する教会暦では、日没をもって日付の変り目とする。このため伝統的教会では、クリスマスイヴの日没からクリスマスを起算する。このような教会では、「クリスマス・イヴ」は既にクリスマスに含まれている。カトリックでは、クリスマスには夜半・早朝・日中の三回ミサを行うが、日本などでは夜半ミサを前にずらして24日夜に行うことがある。一方、プロテスタント一部教派では、25日に日付が変わったときをもってクリスマスの開始とする。
正教会では24日夜に翌日の聖体礼儀を準備する晩祷が行われる。但し、ユリウス暦を現在も使用する教会(エルサレム総主教庁、ロシア正教会など)では、クリスマスイヴは1月6日の晩に祝われ(グレゴリオ暦とユリウス暦の間に現在13日のずれがあるため)、当該地域ではクリスマスも翌1月7日となる。
[編集] 家庭のクリスマスイヴ
多くの国々では、クリスマスは家族で過ごす日とされている。多くの家庭では、居間にモミの木などを用いたクリスマスツリー、玄関にはクリスマス・リースを飾る。クリスマス・イヴにはクリスマスケーキ、鶏、鴨、七面鳥などを家族で囲んで食べる。また子供にとってはこの夜、サンタクロースがプレゼントを持って来てくれる嬉しい日となっている[2]。
日本のクリスマスイブのパーティの記録は、明治時代初期から残っている。明治8年(1875年)に、中村敬宇の自宅に外国人の家族が集まってクリスマスイブを祝った。
[編集] 昭和初期のクリスマスイヴ
昭和初期から、日本のクリスマスイヴはカップルが一緒に過ごす日でもあった。1931年に、当時一般紙であった報知新聞がクリスマスイヴを過ごす若者たちの風景を、下記のように12月25日の記事で伝えている。
- 「クリスマスイーヴ(東京)」
- ・・・(略)
- 「モシモシ、失礼なんですけれど、貴女がたはお二人だけなんですか」
- 「マァ、失礼な方!」
- 「僕たちも二人っきりで、サッキからカスンでるんでス、一緒に御飯をたべさせてくれませんかァ」
- 「マア図々しいワネ」
- 「アラ、いいわよ。そのかはり君たちお払いするのヨ」
- 「O・K!」
- 一九三一年を送らうとしているお嬢様たちは、この位チャッカリしていらっしゃるのです。
- かうして楽しいクリスマスの犠牲になって、くやしがりながらシメられる七面鳥の数は、東京全市で千二三百羽にのぼるのです。
- ・・・(略)
[編集] ローマ教皇による商業主義への懸念
現在のローマ教皇であるベネディクト16世は、12月8日の「無原罪の聖マリアの祭日」とクリスマスの間の「聖なる降誕祭を準備する期間」について以下のようなコメントを発している。ただしこの期間にはクリスマス・イヴが含まれるが、イヴを特に取り上げて批判したわけではない。
ベネディクト16世は、『現代の消費社会の中で、この時期が商業主義にいわば「汚染」されているのは、残念なこと。』と発し、降誕祭の精神は、「精神の集中」と「落ち着き」と「喜び」であり、この喜びとは、内面的なもので、外面的なものではないとしている[3]。
[編集] クリスマス・イヴ映画
- 『クリスマス・キャロル(SCROOGE)』 1970年
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ LONGMAN現代英英辞典
- ^ 若林ひとみ著『クリスマスの文化史』白水社
- ^ 教皇ベネディクト十六世の2005年12月11日の「お告げの祈り」のことば
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