三沢飛行場
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三沢飛行場 | |||
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IATA:MSJ - ICAO:RJSM | |||
概略 | |||
空港種別 | 官民共用 | ||
運営者 | アメリカ空軍 | ||
航空管制 | アメリカ空軍 | ||
開港日 | 1941年 | ||
受け持ち | アメリカ空軍 | ||
海抜 | 119ft (36 m) | ||
位置 | 北緯40度42分19秒東経141度22分19秒 | ||
滑走路 | |||
方向 | ILS | 全長×全幅(m) | 表面 |
10/28 | YES | 3,048×46 | 舗装 |
三沢飛行場(みさわひこうじょう)は、青森県三沢市所在の飛行場。日本で唯一、民間、航空自衛隊、アメリカ空軍の3者が使用する飛行場である。「三沢空港」、「三沢基地」とも呼ばれる。
目次 |
[編集] 概要
- 空港整備法に基づく空港として指定されておらず、飛行場の施設については日本政府(防衛省装備施設本部)が設置し、アメリカ軍が日米地位協定第3条に基づき管理している。民間定期便が乗り入れるため使用されているエプロン、航空旅客ターミナル等(民航ターミナル地域)については国土交通省東京航空局および民間事業者が設置および管理を行っている。国土交通省が管轄する民航ターミナル地域が「三沢空港」である。
- 2002年12月1日に東北新幹線の盛岡~八戸間が開業。新幹線「はやて」が八戸駅~東京駅間を最速2時間56分で運行している。運行(運航)便数の差や八戸市内へのアクセスの利便性では東北新幹線に劣るため、東京国際空港線は減便・機材の小型化(A300からMD-81/87/90に変更)がされ、旅客数も減少している。現在、三沢空港利用促進期成会などが東京便4便体制復活を求める署名を行っている。(合わせて、札幌便の復活を求める署名も行っている。)
- アメリカ空軍の戦闘機部隊が駐留しており、主に、ロシアや北朝鮮への備えを行っている。三沢に駐留するアメリカ空軍を「北の槍」と呼称することもある。
- アメリカ本土から極東にアメリカ軍機を移動させる際、通常は、アラスカの基地から長駆北太平洋を横断して、三沢に着陸するコースを取る。その為、移動途中のアメリカ軍機の着陸が多い。また、近くに天ヶ森射爆場(Ripsaw Range)や広大な訓練空域があるため、航空自衛隊や在日米軍の訓練で頻繁に使用される。
- 駐留するアメリカ空軍は、民間航空会社や自衛隊も使用しているため、三沢飛行場が「混雑している」として、日本政府に第2滑走路の建設を要求しており、防衛省装備施設本部は、3,000 m滑走路を想定して調査を行っている。アメリカ空軍は、しばしば「空港の混雑」、「燃料不足」などを理由に、近くにある海上自衛隊八戸航空基地へ着陸しており、地元ではそのたびに問題になる。また、津軽海峡周辺の訓練空域で機体故障を起こした戦闘機が函館空港や青森空港に緊急着陸しており、滑走路が閉鎖されるなどの影響を与えている。
[編集] 沿革
- 1941年(昭和16年) - 日本帝国海軍航空基地として開設。三沢海軍飛行隊が置かれる。
- 1945年(昭和20年) - 米軍による飛行場拡張。
- 1952年(昭和27年) - 民間機の運航を開始。
- 1965年(昭和40年) - 民間機の運航を休止、民間航路を八戸飛行場発着に移転。
- 1971年(昭和46年) - 米軍から航空自衛隊に管制権移管。
- 1975年(昭和50年) - 民間機の運航を再開。
- 1977年(昭和52年) - 民間用ターミナル供用開始。
- 1985年(昭和60年) - 再び米軍に管制権を移管。同年、民間用ターミナル新築移転。
- 2002年(平成14年) - 東北新幹線八戸駅開業に伴いJAL(当時はJASによる運航)羽田便減便(4往復から3往復へ)。
- 2007年(平成19年)10月1日 - この日からJAL新千歳便休止(一部では「廃止」と表現しているところもある)。
[編集] 就航路線
[編集] アクセス
当飛行場は、三沢駅よりも三沢の中心街に近く、交通の便もよい。
運行本数・所要時間・料金等の詳細は、該当項目や公式サイトにて最新情報を確認されたい。
[編集] 航空保安無線施設
局名 | 識別信号 | 周波数 | |
VOR | TACAN | ||
三沢 | MIS | 115.4M Hz | 1118 MHz |
保守は、東京航空局三沢空港事務所でなく、米空軍が担当。
[編集] その他
- 当飛行場では民間航空機の駐機スポットと滑走路・誘導路との間は電動ゲートで仕切られている[1]。
- 米軍の管理となっている為、飛行機の機体等の撮影は禁止となっているので注意が必要。
[編集] 駐留部隊
[編集] 航空自衛隊
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航空自衛隊では、三沢基地と呼称し、基地司令は航空自衛隊第3航空団司令が兼務する。北部航空方面隊の司令部が千歳基地ではなく三沢にあるのは、樺太に近い千歳では、ロシア空軍戦闘機部隊による司令部への直接攻撃のリスクが、より高いとされたためである。
北部航空方面隊隷下
- 北部航空方面隊司令部
航空総隊直轄
- (警戒航空隊)
- 第1整備群
- 飛行警戒監視隊(E-2Cを運用)
航空支援集団隷下
航空自衛隊直轄
自衛隊共同機関
[編集] 米軍
- 敵防空網制圧(SEAD)を任務とした第5空軍第35戦闘航空団が駐留。F-16C/Dを使用。
- 米海軍の飛行隊も駐留している。
- 近くの姉沼の畔には、姉沼通信所(三沢安全保障作戦センター(MSOC)、旧三沢暗号作戦センター、通称セキュリティー・ヒル)があり、米空軍の電子保安中隊が管理し、米陸海空軍とNSA (米国家安全保障局)が使用している。直径450 m、高さ36 mにも及ぶ世界最大級の外周を持つ「象の檻」(AN/FLR-9, Wullenweberアンテナ)を持ち、日本の周辺国の通信の傍受を行っている。また、姉沼通信所、飛行場、天ヶ森射爆場内には多くのレーダードームが点在し[2][3]、米国の軍事衛星との交信や軍事衛星通信の傍受、受動型マイクロ波レーダーによる人工衛星の追跡を行っている。欧州連合や専門家は、これらの一部が、インテルサットなど民間衛星通信の傍受にも用いられ、アングロ・サクソン諸国の世界的通信傍受ネットワーク「エシュロン」に関わっている可能性を指摘している。米国政府は「エシュロン」の存在自体を認めていない[4]。
- 八戸市には、八戸貯油施設があり、タンク8個に、三沢飛行場で使用する航空燃料8万バレルを貯蔵している。航空燃料は、パイプラインを使って八戸貯油施設から三沢飛行場まで直接運ばれる。2006年6月までは本八戸駅から三沢駅まで八戸線・東北線を経由し、三沢駅から基地までの専用線を経てのジェット燃料輸送貨物列車(米タン)が不定期ながらも設定されていたが同月を以って廃止された。
- つがる市車力地区の航空自衛隊車力分屯基地内に設置・運用されている米軍の弾道ミサイル早期警戒レーダー「Xバンドレーダー」は、2006年6月に三沢基地から搬入された[5]。三沢基地がレーダー運用の後方支援の拠点となる可能性も指摘されている[6]。
- 基地内にAFN Misawa放送局がある。1575 kHz(600 W)で三沢市周辺でもAMラジオ放送の聴取が可能。
- 米軍三沢基地報道部によると、F-16戦闘機12機と整備要員100人が2007年1月16日、イラクに出動した。
[編集] 注記・参考資料
- ^ 民航地域と米軍基地の境界上に設置されている電動ゲート(国交省八戸港湾・空港整備事務所)
- ^ 「増殖するピンポン玉」2000年5月2日 東奥日報
- ^ 「研ぎ澄まされる耳」2000年5月3日 東奥日報
- ^ 「終わりなき情報戦争」2001年10月4日〜10日 東奥日報
- ^ 「Web東奥・特集/米軍Xバンドレーダー」東奥日報
- ^ 「米軍基地抱える三沢/「後方支援の拠点」危惧」2006年3月14日 東奥日報
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 民航関係
- 三沢空港ターミナル株式会社
- 青森県企画政策部新幹線・交通政策課 三沢空港のページ
- 国土交通省東京航空局 三沢飛行場
- 国土交通省東北地方整備局八戸港湾・空港整備事務所
- 空港概要 - 沿革 - 整備の道のり
- 施設地図 - 主な施設の役割 - 空港の種類と滑走路
- 空港を利用する飛行機 - 三者共同使用 - 利用客と取扱貨物量の推移
- 基地関係
- 気象
- 地図・航空写真
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