ヤナ・ノボトナ
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ヤナ・ノボトナ |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | Jana Novotná |
国籍 | チェコ |
出身地 | 同・ブルノ |
生年月日 | 1968年10月2日 |
身長 | 175cm |
体重 | 63kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1987年 |
引退年 | 1999年 |
ツアー通算 | 100勝 |
シングルス | 24勝 |
ダブルス | 76勝 |
生涯通算成績 | 1268勝378敗 |
シングルス | 571勝225敗 |
ダブルス | 697勝153敗 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 準優勝(1991) |
全仏 | ベスト4(1990・96) |
全英 | 優勝(1998) |
全米 | ベスト4(1994・98) |
優勝回数 | 1 |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 2位 |
ダブルス | 1位 |
Template |
ヤナ・ノボトナ(Jana Novotná, 1968年10月2日 - )は、チェコ・ブルノ出身の元女子プロテニス選手。1998年のウィンブルドン選手権女子シングルス優勝者である。サービス・アンド・ボレーのプレースタイルを得意とした選手で、ネット・プレーと片手打ちのバックハンド・スライスに定評があった。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス1位。10代で活躍する早熟選手が多い女子プロテニス界にあって、遅咲きの名選手としても貴重な存在だった。WTAツアー通算でシングルス24勝、ダブルス76勝を挙げた。
1987年にプロ入り。1991年の全豪オープンで女子シングルス準優勝。この時の決勝戦では当時17歳の新星モニカ・セレシュに 7-5, 3-6, 1-6 で逆転負けしている。それからウィンブルドン選手権で、1993年と1997年の2度準優勝に甘んじた。とりわけ1993年の決勝戦では、最終第3セットでシュテフィ・グラフを 4-1 まで追い詰めながらも、ここから優勝を意識し始めてプレーが硬くなり、意外なミスを連発してグラフに5ゲームを連取されて大逆転負けを喫した試合が長い間語り草になっていた。(グラフの最終スコア:7-6, 1-6, 6-4)「勝負所での精神的な弱さが課題」と言われ続けたノボトナは、1997年の決勝では当時16歳9ヶ月のマルチナ・ヒンギスに 6-2, 3-6, 3-6 で敗れている。しかし1998年に“3度目の正直”で宿願を果たし、フランスのナタリー・トージアに 6-4, 7-6 のストレート勝ちを収めてウィンブルドン優勝者になった。
ノボトナはダブルスの名手としても定評があり、様々な選手たちとペアを組んで、すべての4大大会でダブルスのタイトルを獲得した。1989年から1990年にかけては同じチェコスロバキアのヘレナ・スコバとペアを組み、1990年のシーズンは4大大会女子ダブルスに3連勝しながらも、全米オープン女子ダブルス決勝でジジ・フェルナンデスとマルチナ・ナブラチロワの組に敗れ、同一ペアによる女子ダブルスの年間グランドスラムを逃したことがある。1994年から1995年にかけては、スペインのアランチャ・サンチェスがダブルスのパートナーだった。1998年にはマルチナ・ヒンギスとペアを組み、全仏オープンから全米オープンまで4大大会女子ダブルス3連勝を達成した。(ヒンギスはこの年、全豪オープンだけはパートナーがミリヤナ・ルチッチだった。ヒンギスは1998年度の「ダブルス年間グランドスラム」が成立する。)
ノボトナは1999年の全米オープン3回戦敗退により、この年限りでの現役引退を表明した。同世代に当たるシュテフィ・グラフも少し前の8月13日に現役引退を表明したので、女子テニス界は2人のベテラン選手のトップを相次いで失うことになった。2005年7月9日に国際テニス殿堂入りを果たしている。
[編集] 4大大会ダブルス優勝
- 全豪オープン:2勝(1990年、1995年)
- 全仏オープン:3勝(1990年、1991年、1998年)
- ウィンブルドン:4勝(1989年、1990年、1995年、1998年) [1998年、女子シングルス優勝]
- 全米オープン:3勝(1994年、1997年、1998年)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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