リンゼイ・ダベンポート
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リンゼイ・ダベンポート |
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基本情報 |
|
ラテン文字名 | Lindsay Davenport |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | 同カリフォルニア州 パロスベルデ |
生年月日 | 1976年6月8日(32歳) |
身長 | 189cm |
体重 | 79kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
|
デビュー年 | 1993年 |
ツアー通算 | 92勝 |
シングルス | 55勝 |
ダブルス | 37勝 |
4大大会最高成績 |
|
全豪 | 優勝(2000) |
全仏 | ベスト4(1998) |
全英 | 優勝(1999) |
全米 | 優勝(1998) |
優勝回数 | 3(全豪1・全英1・全米1) |
キャリア自己最高ランキング |
|
シングルス | 1位 |
ダブルス | 1位 |
Template |
オリンピック | ||
---|---|---|
女子 テニス | ||
金 | 1996 | シングルス |
リンゼイ・ダベンポート(Lindsay Davenport, 1976年6月8日 - )は、アメリカ・カリフォルニア州パロスベルデ(Palos Verdes)出身の女子プロテニス選手。身長189cm、体重79kgで、現在の女子プロテニス界では最長身の選手である。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
4大大会では女子シングルスで1998年全米オープン、1999年ウィンブルドン、2000年全豪オープンの3冠を獲得したが、女子ダブルスでも1996年全仏オープン、1997年全米オープン、1999年ウィンブルドンで3度の優勝がある。これまでにWTAツアーでシングルス55勝、ダブルス37勝を挙げている。
目次 |
[編集] 選手経歴
[編集] プロ入りから世界ランキング1位まで
1993年2月に16歳でプロ入り。翌1994年、年間最終ランキング上位16名が出場可能な女子テニスツアー年間最終戦、WTAツアー選手権(当時の名称は「バージニア・スリムズ選手権」)に初出場し、いきなりガブリエラ・サバティーニとの決勝戦まで進出した。1996年アトランタ五輪の女子シングルス決勝でアランチャ・サンチェスを 7-6, 6-2 で破り、金メダルを獲得する。1998年全米オープンで4大大会初優勝を達成。決勝でマルチナ・ヒンギスを 6-3, 7-5 で破り、1986年全仏オープンのクリス・エバート以来12年ぶりに、アメリカ合衆国出身の女子テニス選手として優勝を飾った。その1ヶ月後、1998年10月12日付で初の世界ランキング1位になる。
[編集] 4大大会3冠まで
1999年ウィンブルドン選手権で、ダベンポートは決勝でシュテフィ・グラフを 6-4, 7-5 のストレートで破って優勝した。この大会ではコリーナ・モラリューとペアを組んだ女子ダブルスでも優勝し、単複2冠を獲得している。(グラフは決勝戦の終了後、このウィンブルドン選手権を最後の4大大会出場にすると宣言し、1ヶ月後の8月13日に現役を引退した。)
2000年全豪オープン決勝ではマルチナ・ヒンギスを 6-1, 7-5 で破り、ヒンギスの全豪4連覇を阻止した。こうしてダベンポートは4大大会3冠王となったが、同年のウィンブルドンと全米オープンの決勝でビーナス・ウィリアムズに2連敗を喫してしまい、しばらくウィリアムズ姉妹の後塵を拝することになった。
4大大会で唯一優勝がない全仏オープンでは、1998年のベスト4が自己最高成績である。
[編集] 引退発言からの好成績
2004年ウィンブルドン準決勝でマリア・シャラポワに敗れた後、一時は引退を示唆する発言をしていた。しかし直後の全米オープン前哨戦の大会(ハードコート)で好成績が続き、世界ランキング1位に返り咲いたため、引退を翻意する。2005年全豪オープンで5年ぶり2度目の決勝進出を果たしたが、セリーナ・ウィリアムズに逆転負けして準優勝に終わる。同年のウィンブルドンでも5年ぶり3度目の決勝に進出するが、今度はビーナス・ウィリアムズに敗れ、またしてもウィリアムズ姉妹に優勝を阻まれた。
2003年4月25日に結婚した夫のジョナサン・リーチ(Jonathan Leach)は元テニス選手で投資銀行勤務のビジネスマンであり、かつてのダブルスの名選手であったリック・リーチ(Rick Leach)の兄弟にあたる。最近のダベンポートは試合中に肩の痛みを訴えてトーナメントの決勝戦を棄権するなど、テニス成績にいくらかのかげりが見られたが、2006年12月に妊娠を公表した。2007年6月10日に長男を出産し、7月にツアー復帰を宣言する。9月16日、インドネシア・バリ島大会のシングルス決勝でダニエラ・ハンチュコワを破り、復帰第1戦を優勝で飾った。
[編集] 略歴
- 1993年 プロデビュー。
- 1994年 年間最終ランキング16位以内の選手が出場可能な「バージニア・スリムズ選手権」に初出場から決勝進出。
- 1996年 アトランタ五輪女子シングルスで金メダルを獲得。
- 1998年 全米オープンを制覇し、4大大会初優勝。アメリカ人の女子テニス選手として12年ぶりの4大大会優勝を果たす。
- 1999年 ウィンブルドン決勝でシュテフィ・グラフを破って初優勝。
- 2000年 全豪オープンを初制覇し、4大大会3冠王になる。
[編集] エピソード
- 若き日のダベンポートは、日本の伊達公子選手の良きライバルでもあった。両者の対戦成績はダベンポートの「5勝3敗」である。伊達とダベンポートは、全仏オープンで1995年・1996年の2年連続で4回戦対決があった。1995年の4回戦は伊達が勝ったが、1996年の4回戦はダベンポートが勝っている。
- 全米オープン女子シングルスで初優勝した1998年、ダベンポートはナターシャ・ズベレワとペアを組んですべての4大大会女子ダブルス決勝に進出したが、4大会ともマルチナ・ヒンギスのペアに敗れて準優勝に終わった。その結果、ヒンギスの1998年度「女子ダブルス年間グランドスラム」が成立した。
[編集] 4大大会優勝
- 全豪オープン 女子シングルス:1勝(2000年) [女子シングルス準優勝1度:2005年/女子ダブルス準優勝6度:1996年-1999年、2001年、2005年]
- 全仏オープン 女子ダブルス:1勝(1996年) [女子ダブルス準優勝2度:1994年、1998年]
- ウィンブルドン 女子シングルス:1勝(1999年)/女子ダブルス:1勝(1999年) [女子シングルス準優勝2度:2000年、2005年/女子ダブルス準優勝1度:1998年]
- 全米オープン 女子シングルス:1勝(1998年)/女子ダブルス:1勝(1997年) [女子シングルス準優勝1度:2000年/女子ダブルス準優勝1度:1998年]
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
---|---|---|---|
1998年 | 全米オープン | マルチナ・ヒンギス | 6-3, 7-5 |
1999年 | ウィンブルドン | シュテフィ・グラフ | 6-4, 7-5 |
2000年 | 全豪オープン | マルチナ・ヒンギス | 6-1, 7-5 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- リンゼイ・ダベンポート - WTAツアーのプロフィール(英語)
- フェドカップ成績表
女子テニス世界ランキング1位 | |
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