スベトラーナ・クズネツォワ
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スベトラーナ・クズネツォワ |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | Svetlana Kuznetsova |
フルネーム | Svetlana Aleksandrovna Kuznetsova |
国籍 | ロシア |
出身地 | 同・サンクトペテルブルク |
生年月日 | 1985年6月27日 |
身長 | 174cm |
体重 | 73kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 2000年 |
ツアー通算 | 22勝 |
シングルス | 9勝 |
ダブルス | 13勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | ベスト8(2005) |
全仏 | 準優勝(2006) |
全英 | ベスト8(2003・05・07) |
全米 | 優勝(2004) |
優勝回数 | 1 |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 2位 |
ダブルス | 3位 |
Template |
スベトラーナ・クズネツォワ(Svetlana Kuznetsova, Светлана Александровна Кузнецова, 1985年6月27日 - )は、ロシア・サンクトペテルブルク市出身の女子プロテニス選手。2004年の全米オープン女子シングルス優勝者である。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス3位。身長174cm、体重73kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。これまでにWTAツアーで、2004年全米オープンを含むシングルス9勝、ダブルス13勝を挙げている。
クズネツォワは旧ソ連でも有名な自転車競技一家に生まれ育った。父親は著名な指導者、母親は元世界選手権優勝者、兄はアトランタ五輪銀メダリストであるが、スベトラーナは7歳から始めたテニスを職業に選んだ。2002年からWTAツアーで優勝できる力をつけ、シングルスで年間2勝、ダブルスで3勝を挙げた。この年はダブルスでアランチャ・サンチェスとペアを組み、東京・有明コロシアムの「トヨタ・プリンセス・カップ」の最後の開催で優勝したこともある。2003年には、ウィンブルドンで初のベスト8進出を決めた。この時は4回戦で(本大会をきっかけに注目度が急上昇した)マリア・シャラポワを破ったが、続く準々決勝で全仏オープン優勝者のジュスティーヌ・エナン・アーデンに 2-6, 2-6 で敗れた。ダブルスではベテランのマルチナ・ナブラチロワとペアを組み、ここから貴重な経験を得た。
2004年の全米オープン決勝は、クズネツォワとエレナ・デメンティエワによるロシア勢同士の対決となった。クズネツォワはデメンティエワを 6-3, 7-5 で破り、4大大会初優勝を達成した。2004年度の4大大会は、女子シングルスでロシア勢が世界を席巻した。全仏オープンでアナスタシア・ミスキナがロシアの女子テニス選手として最初の4大大会優勝者になった後、ウィンブルドンではマリア・シャラポワが17歳で初優勝を飾り、そして全米オープンではクズネツォワが優勝して、「3大会連続」でロシア人の女子チャンピオンが誕生した。エレナ・デメンティエワは全仏オープン決勝でもミスキナに敗れているため、2度の準優勝に甘んじた。
2005年は全豪オープンの女子ダブルスでオーストラリアのアリシア・モリクとペアを組み、決勝でリンゼイ・ダベンポートとコリーナ・モラリュー(ともにアメリカ)の組を 6-3, 6-4 で破って優勝した。同年のウィンブルドン女子ダブルスではアメリ・モレスモとペアを組んだが、決勝でリーゼル・フーバー(南アフリカ)とカーラ・ブラック(ジンバブエ)の組に 2-6, 1-6 で敗れ、4大大会女子ダブルス2勝目を逃している。しかし、大会前年優勝者として臨んだ全米オープンでは1回戦で敗退した。
2006年3月末の「マイアミ・マスターズ」決勝でマリア・シャラポワを破って優勝した頃から、クズネツォワに復調が見えてくる。2006年の全仏オープンで2度目の4大大会決勝に進出したが、過去の対戦成績で1度しか勝ったことがなかったジュスティーヌ・エナン・アーデンに 4-6, 4-6 のストレートで敗れて準優勝に終わり、2冠獲得はならなかった。
2007年全米オープンで、クズネツォワは3年ぶり2度目の決勝進出を果たしたが、ここでもジュスティーヌ・エナンに 1-6, 3-6 で敗れ、2度目の全米優勝を逃した。全米オープン終了後、クズネツォワは初めて世界ランキングを2位に上げた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- スベトラーナ・クズネツォワ - WTAツアーのプロフィール(英語)
- フェドカップ成績表
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