ビーナス・ウィリアムズ
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ビーナス・ウィリアムズ |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | Venus Williams |
フルネーム | Venus Ebony Starr Williams |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | 同・カリフォルニア州 リンウッド |
生年月日 | 1980年6月17日 |
身長 | 185cm |
体重 | 73kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1994年 |
ツアー通算 | 45勝 |
シングルス | 36勝 |
ダブルス | 9勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 準優勝(2003) |
全仏 | 準優勝(2002) |
全英 | 優勝(2000・01・05・07) |
全米 | 優勝(2000・01) |
優勝回数 | 6(全英4・全米2) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 1位 |
ダブルス | 5位 |
Template |
オリンピック | ||
---|---|---|
女子 テニス | ||
金 | 2000 | シングルス |
金 | 2000 | ダブルス |
ビーナス・ウィリアムズ(Venus Williams, 1980年6月17日 - )は、アメリカ・カリフォルニア州リンウッド出身の女子プロテニス選手。5人姉妹の4女として生まれる。1994年10月、同じ年のマルチナ・ヒンギスと同時期に14歳でプロ転向。しかし学業を優先する父親リチャードの教育方針により、最初の2年間は出場試合数を絞っていた。1997年3月からWTAツアーに本格参戦を開始。同年の全仏オープンで4大大会にデビューする(1回戦の相手は日本の沢松奈生子選手であった)。1997年の全米オープンで、世界ランキング66位のノーシードから決勝進出。ヒンギスに 0-6, 4-6 で完敗したが、黒人少女の登場は強烈な印象を与えた。この頃から妹のセリーナ・ウィリアムズとともに、黒人スポーツ選手として“テニス版タイガー・ウッズ”を目標にしてきた。
1998年3月に世界トップ10入り。1999年3月の「リプトン国際選手権」で、妹セリーナと初めての“姉妹対決の決勝”を戦う。セリーナが1999年の全米オープンで優勝したため、4大大会優勝では妹に先を越されたが、ビーナスは2000年のウィンブルドン選手権で4大大会初優勝を果たした(この時は準決勝でセリーナと姉妹対決をしている)。同年の全米オープンで4大大会に2連続優勝。シドニー五輪でも単複の金メダルを獲得し、シングルス「35連勝」を記録した。2001年もウィンブルドンと全米オープンで大会2連覇。2001年の全米オープンで、姉妹の宿願であった「4大大会の姉妹対決決勝」を実現させる。最初の時は姉のビーナスが勝利した。
2002年2月、黒人の女子テニス選手として初の世界ランキング1位になる。しかしこの頃から妹セリーナとの力関係が逆転し始めた。2002年全仏オープンから2003年全豪オープンまで「4大会連続」で姉妹対決の決勝を実現させるが、妹セリーナに4連敗を喫してしまう。2003年のウィンブルドンでも決勝でセリーナに敗れた。
その後姉妹2人ともに体調を崩し、2003年度テニス・ツアーの後半戦を欠場する。姉のビーナスは2004年1月からツアーに復帰したが、しばらく4大大会で不本意な早期敗退が続いた。しかし2005年のウィンブルドンで復活を遂げ、4年ぶり3度目の優勝を飾る。第14シードから勝ち進み、準決勝で大会前年優勝者のマリア・シャラポワに快勝し、決勝戦では(5年前の初優勝と同じ顔合わせ)リンゼイ・ダベンポートに 4-6, 7-6, 9-7 で競り勝った。
2006年ウィンブルドンでは3回戦で姿を消したが、2007年の同選手権で再び返り咲く。ビーナスは世界ランキング31位(第23シード)の位置だったが、4回戦でシャラポワ、準々決勝でスベトラーナ・クズネツォワ、準決勝でアナ・イワノビッチを破り、決勝ではマリオン・バルトリを 6-4, 6-1 で退け、2年ぶり4度目の優勝を達成した。コンピューター・ランキングが導入されて以来、ウィンブルドン史上最も低いランキングでの優勝者となった(それまでの記録も、2年前のビーナス自身による16位での優勝)。これでビーナスの4大大会シングルス優勝は「6勝」となった。
ビーナスの最大の武器は、時速200kmを超える高速サーブである。最大のライバルであるマルチナ・ヒンギスの頭脳プレーに打ち勝つため、持ち前の体格で強力なパワーテニスを編み出してきた。そのため、姉妹ともに多くの故障に悩まされてきた。
姉妹の4大大会ダブルス優勝は6度あり、シドニー五輪のダブルス金メダルも獲得した。初めて姉妹ダブルスで4大大会に出場した1998年全豪オープンでは、3回戦で日本の雉子牟田直子&宮城ナナ組に敗れている。1999年全仏オープンの女子ダブルス決勝でマルチナ・ヒンギス&アンナ・クルニコワ組を破って初優勝して以来、姉妹で組めば無敵の強さを誇ってきた。しかし、2003年のウィンブルドン女子ダブルス3回戦で、姉妹はロシアペアのエレナ・デメンティエワ&リナ・クラスノルツカヤ組に敗退した。(最近は姉妹のどちらかが体調不良となる大会が多く、なかなかこのペアで試合にエントリーできなくなっている。)
ビーナスは日本を訪れた回数が少なく、これまで2度しか来日がない。初来日は2004年2月の東レ・パン・パシフィック・テニスであったが、この時期は長期の故障から復帰したばかりで、準々決勝の試合前に棄権している。2007年10月、ビーナスはジャパン・オープンに初出場し、彼女の来日としては3年ぶり2度目となったが、急遽の出場要請だったこともあり(本来は休養する予定だった)決勝でビルジニ・ラザノ(フランス)に 6-4, 6-7, 4-6 で敗れて準優勝になった。
[編集] 4大大会優勝
[編集] ビーナスの女子シングルス
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
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2000年 | ウィンブルドン | リンゼイ・ダベンポート | 6-3, 7-6 |
2000年 | 全米オープン | リンゼイ・ダベンポート | 6-4, 7-5 |
2001年 | ウィンブルドン | ジュスティーヌ・エナン | 6-1, 3-6, 6-0 |
2001年 | 全米オープン | セリーナ・ウィリアムズ | 6-2, 6-4 |
2005年 | ウィンブルドン | リンゼイ・ダベンポート | 4-6, 7-6, 9-7 |
2007年 | ウィンブルドン | マリオン・バルトリ | 6-4, 6-1 |
[編集] 姉妹の女子ダブルス
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ビーナス・ウィリアムズ - WTAツアーのプロフィール(英語)
女子テニス世界ランキング1位 | |
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