ベトナム帝国
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ベトナム帝国(ベトナムていこく、ベトナム語:Việt Nam Đế quốc、漢字:越南帝國)は、1945年3月11日から同年8月30日までの短期間ベトナムに存在した国家。
1945年3月9日、駐留日本軍がフランスとの共同統治体制を転覆する仏印処理(明号作戦)を決行した後、フランスの保護国として存在していた阮朝の皇帝バオ・ダイ(保大帝)が1884年の甲申条約(第二次フエ条約、パルノートル条約)を破棄し、フランスからの独立を宣言して建国した。
4月17日には史上初の首相(正式名称は「内閣総長」)に著名な文人であったチャン・チョン・キムを任命し、内閣を組織させた。コーチシナを含むベトナム全土の主権を回復したが、実質的には圧倒的な軍事力を持つ日本軍の傀儡政権の域を出ず、国際的な政府承認を得られなかった上、前年からトンキンを中心に発生していた大飢饉にも有効な対策を講ずることができなかった。ただし、中等教育における教授言語をフランス語からベトナム語に改定したことは、その後の教育制度に大きな影響を与えた。
日本の無条件降伏によりホー・チ・ミンに指導されたベトミンが全国総蜂起を起こす(ベトナム八月革命)と、連合国主要政府と連絡をとることすらできないバオ・ダイは退位を決意し、ベトミン側にその意向を伝えた。8月23日にベトミンは首都フエを掌握、ハノイから派遣された代表チャン・フイ・リエウを迎えると、8月30日、フエの王宮で退位式典が行われ、剣璽が引き渡されてベトナム帝国は阮朝とともに滅亡した。
注記:バオ・ダイは1949年6月、フランスに擁立されてサイゴンでベトナム国の元首(「国長」、vi:Quốc Trưởng)に就任するが、「国長」が阮朝(ないしベトナム帝国)皇帝と同じ称号と見なしうるかは微妙であり、連続性を断定することはできない。
[編集] 参考文献
- 白石昌也「チャン・チョン・キム内閣成立(1945年4月)の背景 ―日本当局の対ベトナム統治構想を中心として」土屋健治・白石隆編『東南アジアの政治と文化(国際関係論のフロンティア3)』東京大学出版会、1984年、33-69ページ。ISBN 4-13-034066-2
- 白石昌也「王権の喪失 ―ヴェトナム八月革命と最後の皇帝」土屋健治編『講座現代アジア1 ―ナショナリズムと国民国家』東京大学出版会、1994年、309-340ページ。 ISBN 4-13-025011-6
- ファム・カク・ホエ『ベトナムのラストエンペラー』白石昌也訳、平凡社、1995年。 ISBN 4-582-37333-X