コーチシナ
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コーチシナ(交趾支那)はフランス統治時代のベトナム南部に対する呼称。ベトナム語の南圻(ナムキ)に相当する。交趾は元来ベトナム北部の古称であったが、フランスが恣意的に使用した名称である。ヨーロッパ各国からはコーチンシナ(英:Cochin China ないし Cochinchina, 仏:Cochinchine)と呼ばれる。
1859年、フランス軍はサイゴンを急襲して武力占領し、1861年にはベトナム南部のビエンホア、ザディン、ミトの三省を占領、翌年の講和条約で元々の所有者だったフエの阮朝宮廷に対し、これらコーチシナ東部三省とプロコンドル島を割譲させた。サイゴンに設置されたコーチシナ総督府が以後、フランスのベトナム侵略の拠点となる。フランスは1863年にカンボジアを保護国とする条約を結んでおり、仏領コーチシナをカンボジアと連結させるため、1867年ヴィンロン、チャウドク、ハティエンのコーチシナ西部三省を武力占領してコーチシナ全域を支配下に置いた。ベトナム宮廷は1874年の条約でコーチシナ六省に対するフランスの完全な主権を承認し、直轄領としてのコーチシナ植民地が正式に成立する。また1883年のアルマン条約によってアンナムのビドゥアン省が割譲され、コーチシナに編入されている。さらに1887年には新設のインドシナ総督の下で直轄領コーチシナ、保護国アンナム、保護領トンキンを含む仏領インドシナ(インドシナ連邦)が成立した。
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フランス東インド会社も参照。 |