ベトナム国
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ベトナム国( - こく, ベトナム語:Quốc gia Việt Nam, 漢字:國家越南)は、1949年から1955年までベトナムに存在したフランスの傀儡国家。阮朝の最後の皇帝であったバオ・ダイ(保大帝)を国家主席とし、ベトナムの正統な国家としてベトナム民主共和国に対抗した。そのため、バオダイ・ベトナム国と呼称されることもあるが、最終的にはゴ・ディン・ジエム(呉廷琰)がベトナム国を掌握し、ベトナム共和国の成立とともに消滅した。
[編集] 歴史
第二次世界大戦後、仏領インドシナの再植民地化を目指していたフランスは、独立を目指すベトナム民主共和国との全面的な戦争(インドシナ戦争)に直面し、それが長期化する状況に置かれていた。そのため、フランスは事態改善のためにベトナム民主共和国のホー・チ・ミン(胡志明)の代わりとなるベトナム人の交渉相手を求め、最終的に香港に亡命していた阮朝最後の皇帝バオ・ダイを、ベトナム国の国家元首として擁立することとした。このバオ・ダイ首班のベトナム国建国の動きは、ベトナム労働党主導のベトナム民主共和国に反感を持つ反共知識人や反共民族主義者、阮朝時代の官人や南部ベトナムの諸宗教団体などから支持を得ることとなり、1948年にベトナムの諸勢力とフランスが折衝した結果、同年5月27日に暫定政府としてベトナム臨時中央政府が成立した。その後、バオ・ダイは1949年3月にフランス・ベトナム協定を締結し、同年6月14日に正式なベトナム国が成立した。さらには、フランス議会とコーチシナ共和国議会が、自治を前提としてコーチシナ共和国のベトナム国編入を決議したため、ベトナムは、ベトナム国によって全土が形式的に統一されることとなった。しかしそれは、ベトナムが二つの正統な国家に分裂されることを意味していた。
その後、1954年のジュネーヴ協定によってベトナムが南北に分割されてからは北緯17度線の南側を統治する国家となったが、同時にフランスというバオ・ダイの後ろ盾もベトナムから撤収したため、1955年にバオ・ダイは国家元首の座をゴ・ディン・ジエムに取って代わられ、同年のうちにベトナム国は消滅。代わってベトナム共和国が成立した。
以降ベトナムは1975年まで分裂国家の状態が続いた。