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クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケル - Wikipedia

クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケル(Klemens Wilhelm Jacob Meckel 1842年3月28日 - 1906年7月5日)とは明治初期に兵制の近代化に貢献したドイツ軍人である。明治維新に始まる日本の近代化に大きく貢献したお雇い外国人の一人である。

陸軍の近代化を推し進めていた日本政府プロイセンに兵学教官派遣を要請した。プロイセン側は参謀総長モルトケの推薦により陸軍大学(de)の兵学教官のメッケル参謀少佐を派遣した。彼は1885年(明治18年)に来日した。何故に参謀少佐と表記されるのかと言えば、プロイセン陸軍では参謀科は歩兵科、工兵科、砲兵科と同じく独立した兵科であるからである。

メッケルは兵学の権威であり、ドイツ側の好意は望外の喜びであった。日本陸軍はメッケルを陸軍大学校教官に任じ、参謀科将校の養成を任せた。

メッケルの着任前の日本ではフランス式の兵制を範としていたが、メッケルはそれを改め、プロイセン式の兵制を導入した。陸軍大学校での教育は徹底しており、彼が教鞭を取った3年間で卒業出来た者は僅か半数と云う厳しいものでった。その一方で兵学講義の聴講を生徒に限定せず、希望する者にも聴講を許したので、陸軍大学校長であった兒玉源太郎を始め様々な階級の軍人が熱心に彼の講義を聴講した。

また、1886年山県有朋大山巌らによって始められた陸軍改革でも、メッケルはご意見番として貢献した。1888年彼は3ヵ年滞在した後ドイツに帰国した。

陸軍少将に昇進した後ベルリンにて急逝、享年64。生涯独身であった。

[編集] 逸話

『フランスに対抗するため逸材を派遣』 ─ 日本からの度重なる兵学教官派遣要請にプロイセンが本腰を上げた理由は、フランスが派遣をしていたからだった。プロイセンの威信を賭けてモルトケが推薦したのは、メッケルであった。当の本人は、極東の無名の島国への赴任を、激しく忌避した。だが、ヒンデンブルクまでも担ぎ出した陸軍挙げての説得交渉に、「一年で帰任出来るならば」と、ついに折れた。日本からの要請は、「3年間の派遣」だったが、本人には伏せられていた。

大のモーゼルワイン好きで、在独日本人に、日本でモーゼルワインは入手できるか尋ね、横浜で入手できることを知って訪日を決意した。 来日当時禿頭で髭面であったため、学生からは「渋柿ジジイ」と仇名されていた。

陸軍大学教官当時、彼は関ヶ原の戦いの東西両軍の陣形図を見せられ、日本の軍人から「どちらが勝ったと思われますか?」と質問された際、「この戦いは西軍の勝ちである」と答えたという。布陣図から見ると、東軍を包囲する様、鶴翼の陣に布陣した西軍が有利であると判断したメッケルの分析は正しいものであったが、東軍側が西軍諸大名に対して盛んに調略を行い、離反や裏切りを惹き起こした事実を聞くと、改めて戦争で勝利するには調略と情報収集・分析が必要であるか・・・と云う事を強く指導する様になったと云われている。

ドイツに帰国後も自らが育てた日本陸軍の発展に日頃から気を留め、日露戦争開戦時、満州軍参謀総長に任命された兒玉源太郎にメッケル自身が立案した作戦計画を記した手紙電報を送ったりしている。また欧米の識者が日本の敗北を疑わなかった時期に早くから日本軍の勝利を予想、「日本陸軍には私が育てた軍人、特に児玉将軍が居る限りロシアに敗れる事は無い。児玉将軍は必ず満州からロシアを駆逐するであろう」と述べたと伝えられている。

陸軍大学校に着任したメッケルは、「予をしてドイツ師団を率い来らしめば、日本軍の如きは縦横に撃破し得べし」(自分がドイツ軍師団を率いれば、日本軍なんか楽に撃破出来る)と豪語した。この言葉に学生のひとり根津一は反発し、その後の講義はメッケルと根津の論争の場になってしまった。メッケルは「余はドイツ皇帝の命を奉じて来れるもの。区々たる学生の侮辱に甘んぜんや」(自分は政府命令で来ているのだ、学生如きの侮辱は許さん)と帰国する勢いであった。仲裁に入った陸軍大学学長岡本兵四郎にメッケルは「根津の如きは到底文明国の参謀に適せず」と述べ、結局、根津は諭旨退学となっている。メッケルの豪語は学生を鼓舞するもので、民族的偏見によるものではなかったが、帝国主義世界では新興国であるドイツ人と近代化を急いでいた日本人のプライドがぶつかりあったのだった。実際、後に根津はメッケルを評して日本陸軍の恩人とし、日清戦争、日露戦争での勝利の要因にメッケルの指導をあげている。

[編集] 文献

  • 宿利重一:『日本陸軍史研究第2巻 メッケル少佐』日本軍用図書、1944年
  • Kerst, Georg: Jacob Meckel: sein Leben, sein Wirken in Deutschland und Japan. Göttingen:Musterschmidt, 1970.
  • 東亜同文書院大学史編纂委員会編:『東亜同文書院大学史』滬友会、1982年5月30日(非売品)。
  • 上法快男編:『陸軍大学校』芙蓉書房、1988年
  • 三根生久大:『陸軍参謀:エリート教育の功罪』文藝春秋ISBN 4-16-342510-1、1988
  • 黒野耐:『参謀本部と陸軍大学校』講談社ISBN 4-06-149707-3、2004
  • 司馬遼太郎:『坂の上の雲』文藝春秋社
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