NAHAマラソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
NAHAマラソン(なはマラソン)とは、毎年12月の第1日曜日に沖縄県那覇市・豊見城市・糸満市・南風原町・八重瀬町の沖縄本島南西部5市町をコース(42.195km)に開催される国内トップクラスの規模の市民マラソン大会である。テーマは「太陽と海のジョガーの祭典」。
目次 |
[編集] 概要
那覇市と姉妹都市を結んでいるホノルル(アメリカ合衆国ハワイ州州都)を中心にオアフ島で毎年12月の第2日曜日に開催されているホノルルマラソンにちなんで、1985年に那覇市とホノルル市の姉妹都市締結25周年を記念して第1回大会が開催された。
開催日は第1回はホノルルマラソンと同じ12月8日だったが、翌年1986年の第2回から12月の第1日曜日となった(但し1990年の第6回のみ12月9日[1])。福岡国際マラソンと同日の開催になることもあってか、日本陸連の主催、後援大会ではない。なおこれまで大会が中止または延期されたことは1度もない。
スタート時刻は9:00(第1回から)、時間無制限ではなく中間地点の平和祈念公園(糸満市摩文仁)、阿波根交差点(同市潮平)[2]、ゴールの奥武山陸上競技場正門の3ヶ所に関門(時間制限地点)を設けており、所定の制限時刻までに通過しなければその場で失格となる(中間点は12:15、阿波根交差点は14:00、奥武山陸上競技場正門は15:15[3])。
参加資格は16歳以上。参加数は第1回は約4301人だったが、現在では2万人近くに増え、内訳をみても沖縄県内からの参加は全体の7割前後を占めるものの、沖縄県外や海外からの参加も年々増加している。逆に完走率は最初の90%台に比べ、現在では60~70%に推移、天候によっては50%台に下がることがある。
スタート時は2000年の第16回まで那覇市長のピストルによる合図だったが、2001年の第17回より那覇市長とスターターによる鐘(万国津梁之鐘)による合図で行われており、そのスターターにはこれまで国仲涼子(女優)、新垣渚(プロ野球ソフトバンク投手)、宮里藍、宮里美香(以上プロゴルファー)、豊見城あずさ(空手家)と沖縄県出身の有名人が務めており、2006年の第22回はミス・ユニバース2006第2位の知花くららが務めた。
[編集] 主催
那覇市、南部広域市町村圏事務組合、沖縄タイムス社、琉球放送、那覇市観光協会、那覇市教育委員会
[編集] 主管
NAHAマラソン協会実施本部
[編集] 後援
内閣府、ホノルル市、沖縄県、(財)沖縄観光コンベンションビューロー 、沖縄県市町村教育委員会連合会、沖縄県市町村教育長協会、那覇商工会議所、那覇市体育協会、那覇市陸上競技協会、琉球朝日放送、ランニングマガジン「クリール」
[編集] 支援
沖縄県警察本部、那覇警察署、豊見城警察署、糸満警察署、与那原警察署
[編集] 協力
那覇市消防本部、南部消防長会、沖縄県医師会、那覇市医師会、南部医師会、那覇市立病院、沖縄県立南部医療センター・こども医療センター(2005年までは沖縄県立那覇病院)、友愛会南部病院(2005年までは沖縄県立南部病院)、日本赤十字社沖縄県支部、南部徳洲会病院、沖縄協同病院、豊見城中央病院、沖縄県交通安全協会連合会、沖縄県バス協会、那覇市婦人連合会
[編集] オフィシャルスポンサー
- 現在
NTT西日本沖縄支店(1998年までNTT沖縄支店)、全日本空輸(ANA)、琉球銀行
- 過去
オリオンビール、全労済、日本航空、りゅうせきネットワーク会議、ニューバランス ほか
[編集] コース
スタートは第3回までが那覇商業高校(那覇市松山)前だったが、第4回以降は現在の奥武山運動公園(先頭は明治橋~旭橋交差点前)となった。ゴールは第1回から奥武山陸上競技場となっている。
コースは日本陸上競技連盟公認の平和祈念公園を中間点とする平和祈念公園コース(42.195km)で、1990年代末の第15回前後から現在のコースとなった[4]。
- 自治体・那覇市-豊見城市-南風原町-八重瀬町-糸満市-豊見城市-那覇市
- 主な道路・奥武山運動公園~明治橋~旭橋交差点(スタート)-国道58号-沖縄県道42号線(御成橋通り)-沖縄県道39号線(国際通り)-国道330号(ひめゆり通り)-国道507号古波蔵大通り(旧329号本線)-沖縄県道11号線(バイパス)-国道329号(那覇東バイパス)-国道507号-国道331号-平和祈念公園(中間点)-国道331号(小禄バイパスは通るが、名城バイパス区間は旧道を通る)-沖縄県道221号那覇内環状線-沖縄県道7号奥武山米須線-奥武山陸上競技場(ゴール)
2007年の第23回大会より、奥武山野球場改築工事によりスタート・ゴールの奥武山公園や中間地点の平和祈念公園を中心にコースが一部変更される。また30km過ぎの関門地点だった兼城交差点が付近のマンション建設により、約1.6km先の阿波根交差点に変更される(このため制限時間がこの関門地点のみ15分繰り下げる)。
[編集] テレビ・ラジオ中継
主催者である琉球放送(RBC)が第1回からテレビ・ラジオ独占中継している。テレビはスタート前の8:00過ぎから11:30まで(その後JNNニュースが放送されるため)放送しているが、トップランナーのゴールの瞬間が見られないこともあり、以前はJNNニュースを全国ネット枠も含めマラソン中継に差し替えることもあった。その後、奥武山の最終ランナーのゴール時刻となる15:00前から約1時間放送される。なお通常8:00から放送している「サンデーモーニング」はマラソン開催日に限り、「アッコにおまかせ!」に引き続いて12:55から時差放送される(ネットスポンサーもそのまま移動される)。さらに、年末には1時間~1時間半の総集編が放送される。ラジオは同じくスタート前の8:30過ぎから最終ゴールの15:00過ぎまで放送される。
普通のマラソン中継のようにトップランナーを映すだけではなく、主要ポイントを随時リポーターが中継したり、ラジオでは最後尾の地点もリポートする(最後尾を追いかける中継車がある)。またトップランナーがゴールした後は、各関門の制限時刻前後にその地点を中継したり、ランナーへのインタビューを行う。
国内最大級の市民マラソン大会でありながらテレビやラジオによる中継は沖縄県内でしか放送されないが、過去に昼のJNNニュースの全国枠でNAHAマラソンの模様が取り上げたられたことがある。またマラソンの模様がインターネット中継されたこともある(地上波がCM中や中継時間外でもそのままランナーの模様が見ることができた)。また、キー局のTBSや福岡のRKB毎日放送などJNN・JRN系列局からも何人か応援スタッフとして中継に参加している。
なお、現在はレース中の時間・距離表示を行っているが、最初はそれさえ行っていなかった。
日程が福岡国際マラソンと重なる事もあり、認知度の低いNAHAマラソンが全国メディアで取り上げられることは少ない。琉球放送の属するTBSネットワーク系列も、中継は行わず通常の番組を放送する。
主催者でもある沖縄タイムスから、完走した全選手の順位表が別刷りで発行される。
[編集] 過去に参加経験のある有名人
- 鈴木宗男(衆議院議員・現新党大地代表、沖縄開発庁長官時代に参加経験あり)
- 織田無道(1990年代~2000年頃にかけ参加経験あり)
- 増田明美(ゲスト参加経験あり)
- 藤村信子(招待選手参加 1999年2位)
- 武田真一(NHKアナウンサー)第23回2007年大会 5時間36分で完走(8279位)。
- エリック・ワイナイナ(招待選手参加 2007年)
[編集] 歴代優勝者
出場者の居住地を表示をする際、沖縄県内の場合は「沖縄県」ではなく居住市町村名で表記する(新聞やテレビ中継が沖縄県内ローカルであるため)。
[編集] 男子
大会回数(開催日) | 優勝選手名 | 都道府県 | 優勝タイム |
---|---|---|---|
1(1985年12月8日) | 加藤竹男 | 愛知 | 2時間31分51秒 |
2(1986年12月7日) | 室井道人 | 神奈川 | 2時間31分37秒 |
3(1987年12月6日) | 佐藤健二 | 宮城 | 2時間31分54秒 |
4(1988年12月4日) | 佐藤健二 | 宮城 | 2時間33分32秒 |
5(1989年12月3日) | 天久久志 | 沖縄 | 2時間27分27秒 |
6(1990年12月9日) | 竹内謙一郎 | 神奈川 | 2時間29分17秒 |
7(1991年12月1日) | 今井宏 | 神奈川 | 2時間25分21秒 |
8(1992年12月6日) | 下田登 | 沖縄 | 2時間27分35秒 |
9(1993年12月5日) | 下田登 | 沖縄 | 2時間26分07秒 |
10(1994年12月4日) | 仲川栄二 | 東京 | 2時間23分09秒 |
11(1995年12月3日) | 山本泰明 | 茨城 | 2時間23分51秒 |
12(1996年12月1日) | 根岸啓治 | 東京 | 2時間24分22秒 |
13(1997年12月7日) | 根岸啓治 | 東京 | 2時間25分33秒 |
14(1998年12月6日) | 谷久保達弥 | 沖縄 | 2時間30分54秒 |
15(1999年12月5日) | 谷久保達弥 | 沖縄 | 2時間25分29秒 |
16(2000年12月3日) | 山根文雄 | 神奈川 | 2時間31分29秒 |
17(2001年12月2日) | 谷久保達弥 | 沖縄 | 2時間25分19秒 |
18(2002年12月1日) | 谷久保達弥 | 沖縄 | 2時間25分05秒 |
19(2003年12月7日) | 谷久保達弥 | 沖縄 | 2時間23分05秒 |
20(2004年12月5日) | 末松隆二 | 沖縄 | 2時間30分49秒 |
21(2005年12月4日) | 岩佐正則 | 千葉 | 2時間29分21秒 |
22(2006年12月3日) | 坂中伸作 | 鹿児島 | 2時間27分05秒 |
23(2007年12月2日) | 末松隆二 | 沖縄 | 2時間30分55秒(エリック・ワイナイナの2時間26分40秒はゲスト出場のため参考記録 ) |
[編集] 女子
大会回数(開催日) | 優勝選手名 | 都道府県 | 優勝タイム |
---|---|---|---|
1(1985年12月8日) | 宇久田安枝 | 沖縄 | 3時間32分35秒 |
2(1986年12月7日) | 古賀純子 | 福岡 | 3時間31分12秒 |
3(1987年12月6日) | 木村幸恵 | 宮城 | 3時間08分20秒 |
4(1988年12月4日) | 本村直子 | 沖縄 | 3時間12分10秒 |
5(1989年12月3日) | 須田良子 | 群馬 | 3時間02分25秒 |
6(1990年12月9日) | 須田良子 | 群馬 | 3時間09分44秒 |
7(1991年12月1日) | 広沢玲子 | 東京 | 2時間57分40秒 |
8(1992年12月6日) | 大門圭子 | 岐阜 | 2時間57分42秒 |
9(1993年12月5日) | 宮田操 | 神奈川 | 2時間49分59秒 |
10(1994年12月4日) | 福地良子 | 群馬 | 2時間48分53秒 |
11(1995年12月3日) | 池田千枝 | 茨城 | 2時間50分14秒 |
12(1996年12月1日) | 池田千枝 | 茨城 | 2時間47分15秒 |
13(1997年12月7日) | 大門圭子 | 奈良 | 2時間50分55秒 |
14(1998年12月6日) | 大門圭子 | 奈良 | 2時間54分44秒 |
15(1999年12月5日) | 大門圭子 | 奈良 | 2時間56分27秒 |
16(2000年12月3日) | 星野芳美 | 静岡 | 2時間53分55秒 |
17(2001年12月2日) | 市川良子 | 山口 | 2時間35分52秒 |
18(2002年12月1日) | 星野芳美 | 静岡 | 2時間46分26秒 |
19(2003年12月7日) | 星野芳美 | 静岡 | 2時間48分44秒 |
20(2004年12月5日) | 安仁屋那津 | 沖縄 | 3時間00分27秒 |
21(2005年12月4日) | 小池瞳 | 新潟 | 2時間48分23秒 |
22(2006年12月3日) | 川越真紀子 | 千葉 | 2時間50分28秒 |
23(2007年12月2日) | 川越真紀子 | 千葉 | 2時間52分26秒 |
[編集] 備考
当大会が間もない頃、「NAHAマラソン」の「NAHA」の部分を漢字や片仮名にして「ナハマラソン」や「那覇マラソン」と表示することもあったが、現在は本来の「NAHAマラソン」に統一している。なお漢字の「那覇マラソン」の名称はかつて琉球新報主催で「新報那覇マラソン」で使われていたが、1990年代に「おきなわマラソン」に発展的解消しており、現在は廃止されている。
また、マラソン大会でよく見かける「折り返し地点」というのは当大会では存在しない(代わりに中間地点が設けられている)。
[編集] 関連項目
- ホノルルマラソン(当大会がもとになったマラソン大会)
- 福岡国際マラソン(当大会と同日に開催されるマラソン大会だが、スタートは当大会のトップランナーがゴール後の正午頃)
- おきなわマラソン(毎年2月後半の日曜日に開催される当大会と並ぶ市民マラソン大会で、こちらは沖縄市を中心とした沖縄本島中東部での開催で、琉球新報と沖縄テレビの主催)
[編集] 外部リンク
- ^ 12月2日に琉球放送のキー局であるTBSの職員で、日本人初の宇宙飛行関係者だった秋山豊寛が出発する歴史的な日であったのだと思われる。
- ^ 2006年までは兼城交差点だった。なお30km過ぎの関門場所は第4回大会から設けられた。
- ^ 大会当初は中間点は12:00、ゴール地点は15:30。のちに兼城交差点を新たに関門場所を設けたため同交差点を13:30、ゴール地点は30分繰り上げ15:00となったものの、最近になって3ヶ所の関門地点とも15分繰り下げた。
- ^ それまでは国際通りの後に安里交差点を経由したり、那覇東バイパス全線開通前は国道329号を国場交差点経由で507号に入ったり、35km以降は小禄バイパスを通らず旧道(現在の沖縄県道231号那覇空港線)を通って、赤嶺交差点から国道331号を通っていた。