香川県立高松高等学校
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過去の名称 | 香川県尋常中學校 香川県立高松尋常中學校 香川県立高松中學校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 香川県 |
学区 | 第一学区 |
併合学校 | 香川県立高等女學校 |
設立年月日 | 1893年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 定時制課程 通信制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒760-0017 |
香川県高松市番町三丁目1-1 北緯34度20分29.7秒東経134度2分38.7秒 |
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電話番号 | 087-831-7251 |
FAX番号 | 087-831-0010 |
外部リンク | 公式サイト |
香川県立高松高等学校 (かがわけんりつたかまつこうとうがっこう)は、香川県高松市番町三丁目にある公立高等学校。通称は「高高(たかこう)」。
目次 |
[編集] 概要
第一学区(東讃)の伝統ある進学校である。現在の校地は、前身の旧制香川県立高等女学校の敷地および校舎(1991年に改築)を引き継いでおり、同じく前身である旧制香川県立高松中学校の敷地は、第二グラウンドおよび香川県立高松工芸高等学校の校舎として利用されている。
[編集] 沿革
- 1893年(明治26年) 香川県尋常中学校として開校。
- 1898年(明治31年) 香川県立高松尋常中学校と改称。
- 1949年(昭和24年) 旧制香川県立高松中学校、旧制香川県立高等女学校が統合され、香川県立高松高等学校設置。
- 1954年(昭和29年) 定時制課程直島分校設置。
- 1956年(昭和31年) 全日制課程の家庭科、募集停止。
- 1968年(昭和43年) 全日制課程に理数科を新設。
- 1975年(昭和50年) 定時制課程直島分校廃止。
- 1977年(昭和52年) 全日制課程の理数科、募集停止。
- 1991年(平成3年) 新校舎が完成。旧校舎(旧制香川県立高等女学校校舎、1938年完成)の取り壊し。
- 1999年(平成11年)入学定員を360人から400人に増やしたためか、創立以来初めての定員割れとなる。
[編集] 周辺
高松高校は高松市の中心地(旧市内)に位置し、周辺には香川県庁や香川県警本部、高松市役所など官公庁がある。また高松赤十字病院、高松病院、香川県立中央病院などの医療施設や香川県立高松工芸高等学校(通称「工芸」)や香川大学教育学部附属高松小学校などの学校もある。
[編集] 生徒会
高松高校では、「生徒会=生徒全員で運営するもの」と認識されているため、会長・副会長などの役員は「生徒会本部役員」と呼ばれる。生徒会役員選挙は、毎年5月中旬(体育祭後)と11月中旬(第九前)に行われ、会長・副会長が決定する。前期生徒会(5~11月・偶数代)が手がける主な行事は、文化祭・秋のクラスマッチ・教育文化祭への参加であり、後期生徒会(11~5月・奇数代)は第九・卒業式・入学式・体育祭を運営する。
また、直属の校友会(後述)のみならず、各クラス学級委員による生徒委員会を直属組織に持つ。
[編集] 部活動
部活動を行う団体を校友会(こうゆうかい)と呼び、部活動のことを校友会活動と呼ぶ。校友会には運動部と文化部、それに生徒会直属委員会がある。運動部と文化部はそれぞれ部と同好会からなる。部と同好会の違いは構成人数などによる。また、非公認の団体として愛好会もある。
- 生徒会直属委員会
- 応援委員会
- 吹奏楽委員会 (TBB)
- 2008年度全日本吹奏楽コンクール課題曲に、部員の作品(マーチ「晴天の風」)が採用された。
- 放送局委員会(略称TBS。Takamatsu koukou Broadcasting Station)
- 新聞編集委員会
- 運動部
- 野球部
- 2004年度に第77回選抜高等学校野球大会に21世紀枠として出場(初戦敗退)。72年ぶりの選抜出場ということで話題となった。
- サッカー部
- バスケットボール部
- バレーボール部
- ハンドボール部
- 硬式テニス部
- 軟式テニス部
- バドミントン部
- フェンシング部
- 卓球部
- 陸上競技部
- インターハイで、男子走り高跳び・女子200mの優勝者を輩出している。
- 水泳部
- ボート部
- ヨット部
- インターハイ出場権を獲得するなど、近年の活躍が目立つ。
- 剣道部
- 柔道部
- ダンス部
- 弓道同好会
- 山岳部
- 近年は四国総体に毎年出場している。
- 文化部
- 音楽部(略称TMC。Takako Music Club)
- 一般的にいうところの合唱部。
- オーケストラ部
- ただし、弦楽器しかない。2年に一度,全国高校総合文化祭に出場する。
- 茶華部
- 軽音楽部
- 語学部(略称ESS)
- 理学部
- 生物部
- 地学部
- 文芸部
- 家政部
- 競技かるた部
- 写真部
- パソコン同好会
- 手話同好会
- 漫画・イラスト同好会
- 数学研究会
- 演劇部
[編集] 学校行事
体育祭、文化祭、クラスマッチ(スポーツ)にあたっては委員会が設けられ、生徒が自主的に運営する。
- 体育祭
- 5月中旬ごろ行われる。運営は生徒会本部と体育祭委員会。香川県総合運動公園もしくは香東川公園成合運動広場のどちらかで行われることが多かったが、近年は屋島陸上競技場で行われている。クラス対抗の球技と学年種目(長縄・矢切の渡しなど)、縦割りブロック種目などクラスマッチとしての側面も持つ。一番の見せ場は組立体操(武道選択者全員)とマスゲーム(ダンス選択者全員)だが現在は全員で組立体操を行なっている。
- 文化祭
- 9月上旬~中旬に2日間行われる。運営は生徒会本部と文化祭委員会。1・2年生の各クラスと文化系の部活動・委員会、さらに一部の体育系の部活(ダンス部・山岳部など)による研究発表や演奏会・発表会が催される。出し物は「5階・体育館部門(主に演奏・演劇)」「教室部門(喫茶含む)」「野外展示部門」の3つに大別されて審査され、総合最優秀賞(その年の文化祭テーマを冠した賞が与えられる)以外にも各部門の最優秀賞と優秀賞が決定される。
- また、初日放課後にナイトフェスティバル(通称NF)が体育館で行われる。
- 第九
- 芸術祭
- 第九当日を含む3日間に行われる行事で、正確には第九演奏も芸術祭の一環である。書道部・美術部・書道選択者・美術選択者の作品展示が行われる。
- スポーツクラスマッチ
- 10月中旬、3月中旬に行われる。10月に行われるクラスマッチには全校生が参加するが、3月に行われるクラスマッチは3年生が参加しない。10月はバレーボールを1日で、3月はサッカー(男子のみ)・バスケットボール(男女)・卓球(女子のみ)を1日半で行うのが定着している。
- 寒稽古(Winter Exercise Challenge)
- 通称WEC(ウェック)、横文字好きと定評のある溝渕校長により命名された。毎年2月初旬・早朝(午前7時ころ開始)に行われる。生徒は柔道・剣道・早朝ランニングから一種目を選択し、参加する。基本的には自由参加。
- 百人一首グランプリ
- 2月上旬(寒稽古よりは後)に2年生のクラス代表によって行われる、競技かるた大会(団体戦)。
- 卒業式
- 3月上旬に行われる。
[編集] 補習科
補習科とは、PTAの厚意により、卒業生を廉価で浪人させてくれる課程のことである。分かりやすく言うならば、高校のPTAが卒業生専用の予備校を用意してくれているようなものである。高高補習科は、高中以来約100年の歴史を持つ。ただしその対象は1浪の浪人のみである。ちなみに、学校の教師が補習科で授業をしている間、その教師は公務員に課せられた職務専念義務を免除され、PTA活動に携わっているものとみなされる。
- 受験資格
- 高松高校の前年度卒業生。ただし、3年時に遅刻を10回以上したものは、どれだけ優秀であっても合格にはならない。
- 補習科生の選抜は、国公立大学の後期の試験日以降・合格発表前に行われる。試験科目は英語・国語・数学の3教科である。
- 定員
- 1クラス70人程度(補習科の教室である多目的教室に入る人数が70人程度)
- 授業内容
- 授業は基本的に全て文系・理系合同で行われるが、理系の数学IIICの授業時間を確保するために2コマだけ文理別の授業となる。理系が数学IIICの授業を行っている間、文系は英語(1コマ)か数学IA・IIB(1コマ)の授業を受ける。地歴・公民・理科についても同様に合同授業である。
- ただし、理科については、理系固有の内容に入ってからは文系の生徒は授業に出なくても良くなるなど、柔軟な対応がなされる。地歴・公民は最後まで文理合同授業であることが多い。
- 普通科3年生よりも授業終了となるのが2か月ほど早い。3年生はセンター試験後から自習期間に入るのに対して、補習科生が自習期間に入るのは11月頃である。入試直前の学習は、3年生の時以上に生徒の自主性に任されている。
- 週1回、体育がある。前期には補習科生の球技大会がひっそりと開催される。
- 勉強内容
- 現役時代と比べて格段に量が多い上に、現役時に使っていたテキストよりも1段階レベルの高いものを使用することになる。
- 備考
- 現在は行われていないが、かつては長期休暇(夏・冬)のたびに成績の向上が見られない下位の補習科生を除籍するということが行われていた。その後釜には、補習科試験に不合格だった中で優秀な生徒を編入させ、補習科の人数が変わらないようにした。
- この制度が廃止されたのは、学習の成果が成績として結果に出る時間には個人差があるため一生懸命学習したとしてもすぐに成績が良くなるとは限らないこと、急に補習科を辞めさせられることになる生徒に精神的悪影響を及ぼしひいては大学入試にも悪影響を及ぼしかねないこと、補習科設立の趣旨に成果主義は存在せずあくまで自校卒業生の大学入試を助けることが主たる目的であること、補習科設立は貧乏家庭出身者救済の意味もある(注:補習科の授業料は予備校に比べ相当廉価である)がその趣旨に反しかねないこと等、諸般の事情を総合的に考慮した結果である。
[編集] 最寄駅
[編集] 地域との関わり
- 玉翠グローバルアカデミー(GGA)
各界で活躍している著名な卒業生を招いて講演会を開き、地域住民に無料で開放している。生徒も聴くことができる。なお、年に1回は同じ趣旨の先輩講演会と呼ばれるGGAも開かれ、こちらは生徒が全員参加する。招かれる卒業生は、国際弁護士、先端技術の研究者など様々である。
[編集] 出身者
[編集] 政治・行政・法曹
- 三木武吉(政治家、放校処分により同志社中へ)
- 綾部健太郎(元衆議院議長)
- 成田知巳(元日本社会党委員長)
- 藤本孝雄(元厚生大臣、農林水産大臣)
- 平井卓志(元労働大臣)
- 真鍋武紀(香川県知事)
- 渡辺修(1959年卒。元通産事務次官、前 ジェトロ理事長)
- 小川淳也(衆議院議員)
- 植松恵美子(参議院議員)
- 円より子(政治家、のちに都立大泉高へ)
- 薗浦健太郎(衆議院議員)
- 森田一(政治家、香川県立坂出高等学校より転入)
- 加藤秀樹(元大蔵省官僚、構想日本代表)
- 松本修二(弁護士、日弁連副会長、四国弁護士会会長、1974司法修習生28期)
- 押野雅史(弁護士)
[編集] 実業
- 芦原義重 - 関西電力会長、関西経済連合会会長
- 穴吹英隆 - 穴吹工務店社長
- 池田孝雄 - 味の素ゼネラルフーヅ社長
- 池田守男 - 資生堂会長
- 西村博 - 三井生命保険社長
- 鈴木孝三 - JTB西日本社長
- 大社義規 - 日本ハム名誉会長
- 笠井和彦 - みずほ銀行副頭取、福岡ソフトバンクホークス球団社長
- 西岡喬 - 三菱重工業会長、三菱自動車工業会長
- 小野憲 - アデコキャリアスタッフ会長、元日本マンパワー社創立者
[編集] 文化
- 菊池寛
- 高谷時彦(建築家、東北公益文科大学大学院教授)
- 坂井修一(歌人、東京大学大学院情報理工学系研究科教授)
- 対馬康子(俳人)
- 高城修三(作家、第78回芥川賞受賞)
- 向田邦子(作家 ※県立女学校の1年生1学期のみ在学)
- 浅野健一(同志社大学文学部教授)
- 辻村泰円(元興寺文化財研究所創設理事長、奈良大学を文化財学科によって大復興、旧制高松中学から郡山中学に転校)
- 川本晶子(作家、第21回太宰治賞受賞)
- 高嶋昌二(合唱指揮者、大阪府立淀川工科高等学校グリークラブほかを指揮)
[編集] 芸能
- 林康子(オペラ歌手)
- 高畑淳子(女優)
- 松本一路(NHKアナウンサー)
- 橋谷能理子(キャスター)
- 植松俊介(シャカ)
- 藤澤恵麻(ファッションモデル、女優)
- 多田羅理加(タレント・モデル)
- 原渕由布奈(福井テレビアナウンサー)
- 國末貞仁(プロサクソフォーン奏者)
- 多田誠司(プロサクソフォーン奏者)
- 稲富祐香子(声楽家)
[編集] スポーツ
- 三原脩(元西鉄ライオンズ監督・野球殿堂 / 早大野球部出身)
- 梶原英夫(元東京六大学野球投手、1928年夏の甲子園出場投手 / 帝大野球部出身)
- 加藤正二(元名古屋軍選手・本塁打王 / 元中大野球部監督)
- 樋笠一夫(元広島カープ・読売ジャイアンツ選手 / 陸士卒)
- 水原義明(元東京六大学野球選手 / 早大野球部出身、戦死)
- 穴吹義雄(元南海ホークス選手・監督 / 中大野球部出身)
- 田中調(元東映フライヤーズ投手)
- 稲垣秀次(元毎日オリオンズ選手 / 中大野球部出身)
- 松家卓弘(現 横浜ベイスターズ投手 / 東大野球部出身)
- 真鍋周平(トヨタ自動車 / 陸上男子走り高跳び)
[編集] 特記事項
- 同窓会(玉翠会)
- 高松高校の前身である旧制高松中学校の同窓会「玉藻会」と、同じく前身である旧制香川県立高等女学校の同窓会「晩翠会」が合同して設立された。本部は高松にあり、関東支部・関西支部が存在する。教員にも玉翠会の会員(つまりは高松高校の卒業生)が多く、本校5階にある玉翠会館(ホール)は玉翠会会員の寄進で建てられた。
- 校章
- 全国でも珍しく、男女の校章が異なる。男子の校章は旧制高松中学校を踏襲し、「3本のペンと3本の矛→文武両道」をモチーフにしている。これに対して女子の校章は県立女学校を踏襲し、「雪にたわむ笹(雪持笹)→乙女の純潔と忍耐力」である。
[編集] 香川県番町地下駐車場
高松高校には世界初の「運動場の真下に作られた地下駐車場」がある。これは1991年に現在の校舎が完成すると、その北側にあった旧校舎の跡地の地下に県営の駐車場を建設する話が持ち上がった。2年後の1993年に開催される東四国国体の駐車場確保が名目だった(また当時は県庁来庁者用の駐車場がなかった)が、生徒の安全上問題があるとして、教職員や保護者、周辺住民は猛反発した。(しかし香川県民全体としては駐車場は必要であるということで反発は関係者だけに終わった。)しかしその反対を押し切って同年末に建設は強行され、1993年10月20日に「香川県番町地下駐車場」として開業。地下2階構造だが、構想が出たのがちょうどバブル崩壊の時期で、高松中央商店街から大きく離れていることと、高松市の駐車場がすぐ近くの中央公園地下にあるため利用は少なく、地下2階は余程のことがない限り開かない。
現校舎着工の1989年から地下駐車場完成の1993年まで、運動場が使えなかったため、1989年~1990年に入学した生徒は運動場を見ぬまま卒業したことになる。
高松高校は他の有名進学校同様、難関大学の受験当日に、その大学の高松高校出身者の有志などによって試験会場順路に激励の看板を設置することがあるが、1992年の京都大学には他高校の激励看板に混じって「高高地下駐車場建設反対」という看板が設置されていた。