西紀寛
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西 紀寛 | ||
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名前 | ||
愛称 | にし | |
カタカナ | ニシ ノリヒロ | |
ラテン文字 | NISHI Norihiro | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 1980年5月9日(28歳) | |
出身地 | 大阪府高槻市 | |
身長 | 175cm | |
体重 | 72kg | |
血液型 | O型 | |
選手情報 | ||
在籍チーム | ジュビロ磐田 | |
ポジション | MF | |
背番号 | 11 | |
利き足 | 右足 | |
クラブチーム1 | ||
年 | クラブ | App (G) |
1999- | ジュビロ磐田 | 173 (27) |
代表歴2 | ||
2004 | 日本 | 5 (0)
|
1国内リーグ戦に限る。2007年12月1日現在 22007年12月1日現在 |
西 紀寛(にし のりひろ、1980年5月9日 - )は、日本の大阪府高槻市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。Jリーグ・ジュビロ磐田所属。ホンダFCのミッドフィルダー西望実は実弟である。
目次 |
[編集] プレースタイル
元々はフォワードや1.5列目のプレーヤーだが、磐田では右サイドのミッドフィルダーとして頭角を現したため、サイドのプレーヤー(左もこなせる)として認知されている。ただし2005年以降は太田吉彰の台頭で、元来のポジションであるフォワードやトップ下として起用されることも増え、アジウソン体制ではほぼフォワードとして起用された。
サイドでも前線でも、自由な動きからゴールに絡んでくるいわゆる「型にはまらない選手」。そのため「本能でプレーしている」などと言われるが、関係者によれば、対戦相手のビデオを研究するなどの熱心さもまた人一倍だという。
[編集] プロフィール
本人によればサッカーを始めたのは保育園時代。中学校までは地元でプレーしていたが、高校は地元を離れて船橋市立船橋高等学校に入学し、サッカー部で活躍。高校3年次の1998年にはインターハイを制するが、同年の全国高等学校サッカー選手権大会は千葉県予選で玉田圭司を擁した習志野高校に敗れ、出場はならなかった。
当時は横浜フリューゲルスの強化指定選手でサテライトの試合にも出場。入団も内定していたが、同クラブが消滅したため、オファーのあったジュビロ磐田に入団することとなる。
磐田では、名波浩の移籍や中山雅史らの負傷者のために戦力不足に陥った1999年第2ステージから本格的に起用されはじめ、翌2000年に就任したハジェヴスキー監督から、その攻撃力とドリブルを評価されて右サイドに抜擢され、次第にレギュラーの一人として頭角を現す。2002年には戦術的理由から一時レギュラーを外され、移籍志願をしたこともあったが翻意した。
2002年にリーグ戦完全優勝を果たした磐田黄金期の選手としては突出して若い。そのため世代交代の過渡期に入った磐田では中心選手としての期待を寄せられているが、2004年以降は負傷に見舞われ、戦線離脱していることも少なくない。
[編集] アラカルト/エピソード
- ニックネームの1つである「サダ」(本人が「ニシでいいです」と言っているため使われることは少ない)は顔が定岡正二に似ているとして付けられた。
- 明るく開放的な性格で、外国人選手とも積極的にコミュニケーションをとろうとし、外国語がわからないといいながら何故かすぐ仲良くなっている。
- 天衣無縫で奇天烈な行動や発言が多いことがよく話題にされるが、試合後のコメントでは試合内容について短い言葉ながら核心を突く表現で語ることも多い。
- マリア・シャラポワがまだそれほど有名でなかった頃から、彼女のファンを公言している。
- 元チームメイトの奥大介を尊敬し、奥もまた彼の才能を認めている。
- 故障明けでプールで調整のとき本気で溺れていた。
- 2007年3月18日のFC東京戦で、試合中の接触プレーにより右足第5中足骨を骨折したが、既に交代枠を使い切っていた上に退場者を出していたチームのために試合終了まで足を引きずりながらもプレーを続行した。この時は3ヵ月後の6月末に復帰している。
[編集] 所属クラブ
[編集] 経歴
- 1999年2月27日 - プロデビュー(プレシーズンマッチ) - 浦和レッドダイヤモンズ戦(愛鷹広域公園多目的競技場)
- 1999年4月28日 - 公式戦初出場(アジアクラブ選手権) - アル・アイン戦(アザディ・スタジアム/イラン)
- 1999年5月29日 - 国内公式戦初出場(Jリーグ) - ジェフユナイテッド市原戦(市原臨海競技場)
- 1999年8月21日 - プロ初ゴール(Jリーグ) - アビスパ福岡戦(博多の森球技場)
- 2004年4月25日 - A代表初出場 (国際親善試合)- ハンガリー戦(ザラエゲルセグ/ハンガリー)
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1999 | 磐田 | 26 | J1 | 13 | 4 | 1 | 0 | 3 | 0 | 17 | 4 |
2000 | 磐田 | 26 | J1 | 19 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 22 | 3 |
2001 | 磐田 | 11 | J1 | 22 | 2 | 7 | 0 | 2 | 1 | 31 | 3 |
2002 | 磐田 | 11 | J1 | 26 | 4 | 7 | 1 | 3 | 0 | 36 | 5 |
2003 | 磐田 | 11 | J1 | 24 | 1 | 8 | 0 | 5 | 1 | 37 | 2 |
2004 | 磐田 | 11 | J1 | 17 | 4 | 0 | 0 | 4 | 2 | 21 | 6 |
2005 | 磐田 | 11 | J1 | 19 | 3 | 0 | 0 | 1 | 2 | 20 | 5 |
2006 | 磐田 | 11 | J1 | 16 | 4 | 5 | 0 | 2 | 1 | 23 | 5 |
2007 | 磐田 | 11 | J1 | 17 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 18 | 2 |
2008 | 磐田 | 11 | J1 | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 173 | 27 | 28 | 1 | 23 | 7 | 225 | 35 | |
総通算 | 173 | 27 | 28 | 1 | 23 | 7 | 225 | 35 |
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2004 | 磐田 | 11 | 4 | 1 |
2005 | 磐田 | 11 | 4 | 1 |
通算 | AFC | 8 | 2 |
- 強化指定選手としての公式戦出場はなし
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- 2000年 シドニーオリンピック (ベスト8)
- 2004年 アジアカップ2004 (優勝)
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 5試合 0得点(2004)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2004 | 5 | 0 |
通算 | 5 | 0 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
GK |
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1 川口能活|21 松井謙弥|31 八田直樹|35 大畑拓也|36 佐藤洋平 |
DF |
2 鈴木秀人|3 茶野隆行|4 大井健太郎|5 田中誠|13 森下俊|15 加賀健一|19 岡田隆|33 須崎恭平 |
MF |
6 河村崇大|7 太田吉彰|10 成岡翔|11 西紀寛|14 村井慎二|16 名波浩|17 犬塚友輔|20 中島良輔|23 山本康裕|24 松浦拓弥|25 駒野友一|26 森野徹|27 上田康太|28 船谷圭祐|37 山本脩斗 |
FW |
8 ジウシーニョ|9 中山雅史|18 前田遼一|22 カレン・ロバート|29 山﨑亮平|30 藤井貴|32 萬代宏樹|34 押谷祐樹 |
スタッフ |
監督 内山篤|コーチ 柳下正明|コーチ 森下仁志|GKコーチ 大橋昭好|フィジカルコーチ 生駒武志 |
日本代表 - 2000 シドニーオリンピック サッカー競技 | |
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1 楢崎正剛 | 2 中澤佑二 | 3 松田直樹 | 4 森岡隆三 | 5 宮本恒靖 | 6 稲本潤一 | 7 中田英寿 | 8 明神智和 | 9 平瀬智行 | 10 中村俊輔 | 11 三浦淳宏 | 12 酒井友之 | 13 柳沢敦 | 14 本山雅志 | 15 西紀寛 | 16 中田浩二 | 17 高原直泰 | 18 都築龍太 | 監督 トルシエ |