鈴木秀人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木 秀人 | ||
---|---|---|
名前 | ||
愛称 | ヒデ | |
カタカナ | スズキ ヒデト | |
ラテン文字 | SUZUKI Hideto | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 1974年10月7日(33歳) | |
出身地 | 静岡県浜松市中区 | |
身長 | 180cm | |
体重 | 71kg | |
血液型 | A型 | |
選手情報 | ||
在籍チーム | ジュビロ磐田 | |
ポジション | DF | |
背番号 | 2 | |
利き足 | 右足 | |
クラブチーム1 | ||
年 | クラブ | App (G) |
1993 1994- |
ヤマハ発動機サッカー部 ジュビロ磐田 |
314 (9) |
0 (0)
代表歴2 | ||
1997 | 日本 | 1 (0)
|
1国内リーグ戦に限る。2007年12月1日現在 21997年6月28日現在 |
鈴木 秀人(すずき ひでと、1974年10月7日 - )は、静岡県浜松市中区出身のサッカー選手である。ポジションはディフェンダー。Jリーグのジュビロ磐田に所属し、ベストイレブンにも選出された。日本代表にも選ばれたことがある。
目次 |
[編集] プレースタイル
現在は3バックでは右のストッパー、4バックでは右サイドバックやセンターバックとしてプレーしている。
無類の足の速さとフィジカルの強さで相手ストライカーに立ち向かう。元中盤の選手であるため比較的ドリブルを得意としており(反面フィードには難がある)、ストッパーでプレーしていても、まるでウイングバックのように攻めあがってセンタリングを放つシーンも少なくない。
[編集] 来歴
浜松商業高校では中盤の選手としてプレーしていたが、さして強豪でもないため全く無名の存在であった。しかしサッカーをプレーすることを望んでいたため、サッカー部のつてを頼りに、高校3年次にヤマハ発動機サッカー部の練習生となる。170センチそこそこしかなかった身長が高校3年次に急激に伸びたことや、驚異的なスピードの持ち主であったことで、サイドバックとしてなら使えるだろうという当時の長澤和明監督らの判断により、ヤマハ改めジュビロ磐田への入団が決定する。
2年近くサテライトで、当時サテライトの監督だった鈴木政一らの指導を受けてディフェンダーとしての基礎を身につけた後、けが人や出場停止者が発生したことでトップチームに呼ばれるようになり、1995年6月24日にテクノポート福井スタジアムで行われた対ベルマーレ平塚(現:湘南ベルマーレ)戦で、左ストッパーとしてデビュー。あっという間にトップチームに定着し、翌年のアトランタオリンピックにも同僚の田中誠、服部年宏らとともに出場し、ブラジル戦ではベベットを完封するなど一躍有名になった。
フル代表にはなかなか縁がないものの、ジュビロ磐田の全盛期を主力選手として支えてきた、サポーターには人気のある選手であるが、若い頃は精神的にムラがあり、ラフプレーなどで不必要な警告を受けることも多かった。今ではそれも影を潜め、ゲームキャプテンとして世代交代期に入った磐田を支えるベテランの1人である。
[編集] エピソード
「サッカーを続けたい。大学ではなくてプロでやりたい」と彼が監督に相談したときは、サッカー部関係者も困惑したという。結局監督がコーチングライセンスの勉強会で一緒だったヤマハサッカー部の新人コーチ柳下正明に頼み込んで、練習に参加させてもらう手はずを整えた。
トップチームに昇格した際、彼は強運ぶりを発揮している。当時のハンス・オフト監督は、はじめ鈴木とは別の選手をトップチームの練習に呼ぼうと寮に連絡したものの、たまたま彼が不在だったため、もう一人の候補で寮にいた鈴木を呼んだ。
身近な人々が語るように、普段は親切で優しく、人見知りをするくらいのシャイな人物にもかかわらず、本人も「サッカーをしているときは気が短い」と言うように、若い頃はちょっとしたことで相手にくってかかる(周りが止めても)シーンがおなじみだった。特に1997年7月の静岡ダービーでは、ボールを外にけり出し遅延行為で主審が2枚目のカードを出して退場処分になった際、怒って主審に暴言を吐いた上にスパイクを投げつけ、山本昌邦コーチにフィールドから引きずり出された。しかしこのときチームから厳しく意見されて処罰され反省したことや、結婚後は「イエローをもらっただけで妻に怒られる(鈴木談)」ため、そのような光景はかつてに比べれば少なくなった。
田中をはじめ名波浩や藤田俊哉、大岩剛など清水商業高校出身の選手たちと仲がよいため、冗談で「自分も清水商の出身」だといっていたところ、それを真に受けた菊地直哉が、入団時に「先輩よろしくお願いします」と挨拶に来た。
2001年から2002年にかけて大岩、田中、鈴木で構成された3バックは、鉄壁と言われ失点が非常に少なかったことで知られている。また誰かが欠けてしまったときにしっかりと穴を埋め、2002年後半は大岩に代わってスタメン出場した山西尊裕を含めた4人を指して、鈴木や田中が「僕らは4バック」というほど強い団結力を見せた。
[編集] 所属クラブ
- 1987年 - 1989年 浜松市立東陽中学校
- 1990年 - 1992年 静岡県立浜松商業高等学校
- 1993年 - ヤマハ発動機/ジュビロ磐田
[編集] 経歴
- 1995年6月24日 - プロデビュー(Jリーグ) - ベルマーレ平塚戦(テクノポート福井スタジアム)
- 1996年4月27日 - プロ初ゴール(Jリーグ) - 清水エスパルス戦(日本平スタジアム)
- 1997年6月28日 - A代表初出場 (1998年フランスW杯アジア1次予選) - オマーン代表戦(国立霞ヶ丘競技場)
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | ヤマハ | 旧JFL1部 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1994 | 磐田 | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1995 | 磐田 | - | J | 31 | 0 | - | 2 | 0 | 33 | 0 | |
1996 | 磐田 | - | J | 21 | 1 | 10 | 0 | 1 | 0 | 32 | 0 |
1997 | 磐田 | 2 | J | 24 | 0 | 6 | 0 | 4 | 0 | 34 | 0 |
1998 | 磐田 | 2 | J | 20 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 24 | 1 |
1999 | 磐田 | 2 | J1 | 28 | 3 | 3 | 0 | 3 | 0 | 34 | 3 |
2000 | 磐田 | 2 | J1 | 29 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 36 | 0 |
2001 | 磐田 | 2 | J1 | 27 | 0 | 8 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 |
2002 | 磐田 | 2 | J1 | 27 | 0 | 8 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 |
2003 | 磐田 | 2 | J1 | 29 | 0 | 9 | 0 | 5 | 0 | 43 | 0 |
2004 | 磐田 | 2 | J1 | 28 | 1 | 5 | 0 | 3 | 0 | 36 | 1 |
2005 | 磐田 | 2 | J1 | 12 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 16 | 0 |
2006 | 磐田 | 2 | J1 | 27 | 2 | 6 | 0 | 2 | 0 | 35 | 2 |
2007 | 磐田 | 2 | J1 | 11 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 15 | 1 |
2008 | 磐田 | 2 | J1 | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 314 | 9 | 67 | 0 | 29 | 0 | 410 | 9 | |
日本 | 旧JFL1部 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
総通算 | 314 | 9 | 67 | 0 | 29 | 0 | 410 | 9 |
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2004 | 磐田 | 2 | 5 | 0 |
2005 | 磐田 | 2 | 2 | 0 |
通算 | AFC | 7 | 0 |
[編集] 個人タイトル
- 2002年 - Jリーグベストイレブン
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 1試合 0得点(1997)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1997 | 1 | 0 |
通算 | 1 | 0 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
J1記念ゴール | ||
前回: 5500ゴール 佐藤一樹 |
6000ゴール 鈴木秀人 1999.11.7 |
次回: 6500ゴール 長谷川祥之 |
GK |
---|
1 川口能活|21 松井謙弥|31 八田直樹|35 大畑拓也|36 佐藤洋平 |
DF |
2 鈴木秀人|3 茶野隆行|4 大井健太郎|5 田中誠|13 森下俊|15 加賀健一|19 岡田隆|33 須崎恭平 |
MF |
6 河村崇大|7 太田吉彰|10 成岡翔|11 西紀寛|14 村井慎二|16 名波浩|17 犬塚友輔|20 中島良輔|23 山本康裕|24 松浦拓弥|25 駒野友一|26 森野徹|27 上田康太|28 船谷圭祐|37 山本脩斗 |
FW |
8 ジウシーニョ|9 中山雅史|18 前田遼一|22 カレン・ロバート|29 山﨑亮平|30 藤井貴|32 萬代宏樹|34 押谷祐樹 |
スタッフ |
監督 内山篤|コーチ 柳下正明|コーチ 森下仁志|GKコーチ 大橋昭好|フィジカルコーチ 生駒武志 |
日本代表 - 1996 アトランタオリンピック サッカー競技 | |
---|---|
1 川口能活 | 2 白井博幸 | 3 鈴木秀人 | 4 広長優志 | 5 田中誠 | 6 服部年宏 | 7 前園真聖 | 8 伊東輝悦 | 9 城彰二 | 10 遠藤彰弘 | 11 森岡茂 | 12 上村健一 | 13 松田直樹 | 14 中田英寿 | 15 秋葉忠宏 | 16 松原良香 | 17 路木龍次 | 18 下田崇 | 監督 西野朗 |