藤田俊哉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤田 俊哉 | ||
---|---|---|
名前 | ||
愛称 | トシヤ | |
カタカナ | フジタ トシヤ | |
ラテン文字 | FUJITA Toshiya | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 1971年10月4日(36歳) | |
出身地 | 静岡県静岡市清水区 | |
身長 | 174cm | |
体重 | 64kg | |
血液型 | A型 | |
選手情報 | ||
在籍チーム | 名古屋グランパスエイト | |
ポジション | MF | |
背番号 | 10 | |
利き足 | 右足 | |
クラブチーム1 | ||
年 | クラブ | App (G) |
1995-2003 2003 2004-2005 2005- |
ジュビロ磐田 FCユトレヒト ジュビロ磐田 名古屋グランパスエイト |
14 (1) 39 (7) 46 (4) |
297 (87)
代表歴2 | ||
1995- | 日本 | 24 (3)
|
1国内リーグ戦に限る。2006年12月2日現在 22007年9月11日現在 |
藤田 俊哉(ふじた としや、1971年10月4日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身のサッカー選手である。ポジションはMF(攻撃的MF)。Jリーグではジュビロ磐田・名古屋グランパスエイトに所属。一時オランダのFCユトレヒトにレンタル移籍していた。またJリーグ選手協会会長もつとめる。
目次 |
[編集] プレースタイル
攻撃的MFとして、トップ下や右サイド、左サイドをプレーエリアとし、高い得点能力、パス能力を持っている。また、マークをはずす動きや、こぼれだまへの寄せの早さ、スルーパスへの飛び出し、豊富な運動量なども優れている。 試合を組み立てる能力にも長けていて、ジュビロ時代には名波浩とともに攻守の要としてプレーしていた。
名古屋グランパスエイトに移籍してから2年目の2006年からは、中盤でボールの交通整理を行う役目としてのボランチでの起用が多くなった。
[編集] 備考
ミッドフィルダーの名波浩、フォワードの中山雅史らとともに、ステージ優勝6回、年間優勝3回、そしてアジアクラブ選手権優勝1回など、輝かしいジュビロの黄金時代を作り上げ、Jリーグ・ベストイレブンに3度選出された。
しかし、日本代表ではファルカン、加茂周、トルシエに招集されたがいずれも定着できず、そのため本人はインタビューなどで「頂点を極めたなんて思ったことは一度もありません」と述懐する。2003年、FCユトレヒトに海外移籍(レンタル移籍)を行った。しかし、契約条件見直しの際、ユトレヒト側がレンタル料の支払いを拒否し、磐田に復帰した[1]。
しかし、2004年末より就任した山本昌邦監督(当時)の方針で常時出場することが減り、出場機会を求めて名古屋グランパスエイトに移籍した。背番号は磐田時代と同じく10番。なおJリーグでは1997年に固定背番号が導入されたが、ユトレヒトに移籍していた期間を除いてすべてのシーズンで10番を背負っている。
[編集] 記録
2000年5月3日の対川崎フロンターレ戦では、ペナルティーキック(PK)を3本決めて、ハットトリックを達成。自身初、PKのみのハットトリックは、Jリーグでも史上初の記録であった。1本目はゴール右、2本目は真ん中、そして3本目は左と蹴り分け、ゴールキーパーは全く反応ができなかった。
2007年6月9日の対川崎フロンターレ戦(豊田スタジアム)の前半1分にPKによる得点を挙げ、中山雅史に次いで史上2人目となる、J1のリーグ戦で14年連続ゴールという記録を達成した。
2007年6月30日の対ヴァンフォーレ甲府戦(瑞穂陸上競技場)で、Jリーグ出場通算400試合を達成した。
2007年8月25日の対大宮アルディージャ戦(瑞穂陸上競技場)において、Jリーグ史上4人目、フォワード(FW)以外の選手としては史上初のJリーグ通算100得点を達成。通算得点の上位はほとんどがFWが占める中、特筆すべき記録である。
これまでのA代表歴は、24試合出場、3得点。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
プロ経歴
- 1994年 - 2003年8月 ジュビロ磐田
- 2003年8月 - 2003年 FCユトレヒト(オランダ)レンタル移籍
- 2004年 - 2005年6月 ジュビロ磐田
- 2005年6月 - 現 在 名古屋グランパスエイト
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1994 | 磐田 | - | J | 38 | 7 | 4 | 0 | 1 | 0 | 43 | 7 |
1995 | 磐田 | - | J | 49 | 11 | - | 1 | 1 | 50 | 12 | |
1996 | 磐田 | - | J | 25 | 4 | 14 | 1 | 1 | 0 | 40 | 5 |
1997 | 磐田 | 10 | J | 24 | 9 | 6 | 0 | 4 | 3 | 34 | 12 |
1998 | 磐田 | 10 | J | 33 | 17 | 6 | 4 | 3 | 0 | 42 | 21 |
1999 | 磐田 | 10 | J1 | 29 | 4 | 4 | 1 | 3 | 0 | 36 | 5 |
2000 | 磐田 | 10 | J1 | 30 | 8 | 4 | 1 | 3 | 1 | 37 | 10 |
2001 | 磐田 | 10 | J1 | 26 | 11 | 7 | 0 | 2 | 1 | 35 | 12 |
2002 | 磐田 | 10 | J1 | 30 | 10 | 7 | 2 | 3 | 0 | 40 | 12 |
2003 | 磐田 | 10 | J1 | 13 | 6 | 6 | 0 | - | 19 | 6 | |
オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2003-04 | ユトレヒト | 16 | エールディヴィジ | 17 | 1 | - | - | 17 | 1 | ||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 磐田 | 10 | J1 | 29 | 7 | 0 | 0 | 5 | 1 | 34 | 8 |
2005 | 磐田 | 10 | J1 | 10 | 0 | 0 | 0 | - | 10 | 0 | |
2005 | 名古屋 | 10 | J1 | 22 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 24 | 2 |
2006 | 名古屋 | 10 | J1 | 24 | 2 | 4 | 0 | 2 | 0 | 30 | 2 |
2007 | 名古屋 | 10 | J1 | 29 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | 32 | 2 |
2008 | 名古屋 | 10 | J1 | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 411 | 100 | 63 | 9 | 32 | 7 | 506 | 116 | |
オランダ | エールディヴィジ | 17 | 1 | - | - | 17 | 1 | ||||
総通算 | 428 | 101 | 63 | 9 | 32 | 7 | 523 | 117 |
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2004 | 磐田 | 10 | 4 | 0 |
2005 | 磐田 | 10 | 4 | 1 |
通算 | AFC | 8 | 1 |
[編集] 個人タイトル
- 1998年 - Jリーグ ベストイレブン
- 2001年 - Jリーグ ベストイレブン、Jリーグ最優秀選手賞(MVP)
- 2002年 - Jリーグ ベストイレブン
[編集] 代表歴
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 24試合 3得点(1995-2005)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1995 | 6 | 2 |
1996 | 0 | 0 |
1997 | 0 | 0 |
1998 | 0 | 0 |
1999 | 4 | 0 |
2000 | 0 | 0 |
2001 | 0 | 0 |
2002 | 0 | 0 |
2003 | 3 | 0 |
2004 | 10 | 1 |
2005 | 1 | 0 |
通算 | 24 | 3 |
[編集] 脚注
- ^ 「磐田が、オランダ・ユトレヒトにレンタル移籍中の日本代表MF藤田俊哉(32)を呼び戻すことが5日、決定的になった。7月に1年間の無償で送り出したが、契約条項に加えた「12月に契約条件見直し」の条文を基に11月中に残り半年分のレンタル料を要求。ユトレヒトには、年俸43万6000ユーロ(約5668万円)のクラブ負担分(約2000万円=推定)以外の支払意思がなく、文書での交渉は決裂した。」
「オランダリーグ、ユトレヒトMF藤田俊哉(32)が、来年1月1日からJ1磐田に復帰することが決定した。10日、磐田が発表した。9日夜にユトレヒトで行われた両クラブ幹部の会談で合意したもので、8月に期限付き移籍した藤田は半年足らずで国内に戻ることになった。1年間の無償での期限付き移籍契約だったが、半年での契約見直し条項が含まれており、残り半年のオプションをユトレヒトが行使しないことになった。」
[編集] 外部リンク
|
|
|
GK |
---|
1 楢崎正剛|21 西村弘司|36 広野耕一|37 長谷川徹 |
DF |
2 三木隆司|3 バヤリツァ|5 米山篤志|6 阿部翔平|16 増川隆洋|22 筑城和人|27 片山奨典|30 竹内彬|34 吉田麻也 |
MF |
4 大森征之|7 中村直志|8 マギヌン|10 藤田俊哉|13 山口慶|14 吉村圭司|28 渡邊圭二|29 小川佳純|31 花井聖 |33 佐藤将也|35 井上渉|39 福島新太 |
FW |
9 ヨンセン|11 玉田圭司|17 巻佑樹|18 深井正樹|19 杉本恵太|26 津田知宏|38 新川織部 |
スタッフ |
監督 ストイコビッチ|コーチ ジュロヴスキー|コーチ ハーフナー・ディド|コーチ 神戸清雄|コーチ 今久保隆博|GKコーチ 芦川昌彦|フィジカルコーチ 喜熨斗勝史 |