神奈川県立希望ヶ丘高等学校
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過去の名称 | 神奈川県尋常中学校 神奈川県中学校 神奈川県第一中学校 神奈川県立第一中学校 神奈川県立第一横浜中学校 神奈川県立横浜第一中学校 神奈川県立横浜第一高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設立年月日 | 1897年 |
創立記念日 | 6月18日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制 定時制 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒241-0824 |
横浜市旭区南希望が丘79-1 北緯35度27分22.5秒東経139度30分41.6秒 |
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電話番号 | 045-391-0061/0062 |
FAX番号 | 045-361-9789 |
外部リンク | 公式サイト |
神奈川県立希望ヶ丘高等学校(かながわけんりつきぼうがおかこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市旭区にある県立高等学校。
目次 |
[編集] 概要
1897年創立から、神中、神奈川一中、横浜一中以来の伝統を汲む、神奈川県で最も歴史の長い県立高校である[1]
旧横浜西部学区のトップ校であり、全日制(普通科)と定時制(普通科)がある。所在地は横浜市旭区南希望が丘79-1 住所が「希望が丘」なので「希望が丘高等学校」と誤表記されることがある。
開校日は6月18日で、京都帝国大学(当時)と同じ年月日に開かれたことになる。
1983年に制作・放映されたフジテレビのドラマ「早春スケッチブック」で、鶴見辰吾扮する望月和彦が通う高校として、実際に本校でロケが行われたことでも知られている。
[編集] 沿革
神奈川県尋常中学校として、現在の神奈川県教育会館がある横浜市西区藤棚にて創立された。その後、名称を神奈川県中学校(1899年)、神奈川県第一中学校(1900年)、神奈川県立第一中学校(1901年)、神奈川県立第一横浜中学校(1913年)、神奈川県立横浜第一中学校(1923年)と改称する。1923年9月1日の関東大震災により、校舎は大きな被害を受けた。1945年5月29日の横浜大空襲によって校舎焼失。現在の横浜市金沢区への移転を余儀なくされた。
戦後の学制改革を経て、神奈川県立横浜第一高等学校(1948年)、神奈川県立希望ヶ丘高等学校(1950年)と改称し、男女共学となる。1950年からは横浜市内に小学区制が敷かれ、それまで神奈川を代表する学校として存在してきた本校の特権的な地位が失われた。1951年9月、横浜市保土ヶ谷区二俣川町中野原(現在の旭区南希望が丘)へ移転。現在の「希望が丘」という地名は、本校移転に伴って地名が変更されたという説もある。なお、本校の従来の学区を引き継ぐ形で市立金沢高校が開校した。
1969年の秋、旧理科棟前のバリケード封鎖から始まった学園紛争(「希高紛争」)により、生徒・教員間で幾度もの議論がたたかわされ、各種規約の改正が行われた。主な改正点としては、生徒心得の廃止、中間テストの廃止、学力評価についての見直し、また強制的な制服は標準服と改められ、私服での登校が認められるようになったことが挙げられる。その後、皇国史観的な歌詞が含まれていた校歌を廃し、10年以上の空白期間を経て新校歌が制定されるに至った。
また県立高校の増設に伴い、理由は定かではないが後発の高校に学力で差をつけられ、1974年度の新入生は定員を割り込むに至った。
その後、全県的な学区再編により、希望ヶ丘の地位を脅かしていた学校とは別の学区に属することとなった。新たに横浜西部学区のトップ校となり、その後の学区制度消滅までその地位は揺るがなかった。
なお、テストについては現在では科目担当者の裁量に委ねられているが、神奈川県内の高校で行われる県下一斉テストには参加していない。[2]
1997年に創立100周年を迎え、1998年には『神中・神高・希望ヶ丘高校百年史 資料編』および『神中・神高・希望ヶ丘高校百年史 歴史編』が刊行された。2007年に創立110周年を迎え、2008年にはその記念誌が発行された。
[編集] 年表
- 明治30年2月23日 神奈川県尋常中学校を久良岐郡戸太町(現在の横浜市西区藤棚町)に設置する旨告示
- 明治30年5月3日 授業開始・生徒総数280名
- 明治30年6月18日 開校式を挙行(この日を開校記念日とする)
- 明治32年2月6日 神奈川県中学校と改称
- 明治33年4月1日 神奈川県第一中学校と改称
- 明治34年5月7日 神奈川県立第一中学校と改称
- 大正2年4月1日 神奈川県立第一横浜中学校と改称
- 大正12年4月1日 神奈川県立横浜第一中学校と改称し、20学級生徒定員1000名と改める。
- 大正12年9月1日 関東大震災にて校舎倒壊、著しく破損
- 昭和2年5月5日 校舎全部の改築に着手
- 昭和3年12月14日 校旗制定
- 昭和4年1月25日 全校舎竣工
- 昭和7年10月9日 創立35周年記念式を挙行
- 昭和9年2月12日 校歌制定(作詞・佐佐木信綱、作曲・山田耕筰)
- 昭和16年4月8日 神奈川県立鶴見中学校(現・鶴見高校)が本校内にて開校。
- 昭和20年5月29日 空襲により校舎罹災焼失
- 昭和20年7月2日 横浜市戸部国民学校の一部を借用し、授業を行う。
- 昭和21年4月1日 横浜市磯子区(当時)六浦町内川の元第一海軍技術廠工員養成所宿舎跡に移転
- 昭和23年4月1日 学制改革により神奈川県立横浜第一高等学校と改称。本校に併設中学校を設け、本校校長が兼任
- 昭和24年3月31日 併設中学校第3学年卒業とともに本校併設中学校は自然廃校した
- 昭和25年4月1日 神奈川県立希望ヶ丘高等学校と改称。本年度より学区制と男女共学とを実施
- 昭和26年9月11日 現在地の横浜市保土ケ谷区二俣川町中野原に於ける新校舎の第一期工事完了
- 昭和26年9月19日 金沢校舎(横浜市金沢区六浦町)より移転
- 昭和26年10月24日 新築落成祝賀記念式を挙行
- 昭和32年11月8日 創立60周年並びに体育館兼講堂落成祝賀記念式を挙行
- 昭和38年4月1日 横浜市内に中学区制施行、横浜中部学区(本校の他、平沼、桜丘、戸塚)に属す。
- 昭和48年4月6日 神奈川県立旭高等学校が本校内にて開校。
- 昭和52年11月12日 創立80周年記念式を挙行
- 昭和56年4月1日 新学区制実施、横浜西部学区に属す。
- 昭和57年5月31日 創立85周年記念事業として、テニスコート3面増設
- 昭和60年3月1日 新校歌制定(作詞・飯田侑、作曲・三善晃)
- 平成9年10月25日 創立100周年記念式を挙行(パシフィコ横浜国立大ホールで開催)
- 平成16年4月1日 二期制開始
[編集] 学校施設
- A棟
- B棟
- C棟
- D棟
- E棟(解体)
- 新体育館
- 旧体育館
100周年記念事業で旧体育館を取り壊し、セミナーハウス(多目的施設)を建設するという計画があったが、中止となった。
- 格技場
柔道・剣道用の建物。更衣室もある。
- テニスコート
学校敷地南側に位置している。地面は砂地のため、雨が降ると使用できないことがある。
- ハンドコート
グラウンドの北側に位置している。比較的水はけが良い。2コート分ある。
- バレーコート
学校敷地北側に位置している。地面は砂地であるが、水はけが良い。部活動で使用することは多くない。水銀灯の証明設備があるため夜間の使用にも適している。
- プール
25m×6コースのプール。水底を近年改修済だが、付属の施設が古いため見劣りする。周囲には木々が生い茂り、10月頃になると水面は枯葉で埋まる。
- 校庭(グラウンド)
約63000平方メートルもの広大な面積をほこる。県立高校では最大の面積とされる。外周に沿って桜の木が約160本ほどあり、入学式の季節になると校庭がピンクで染まり、近隣住民の散歩コースになる。
- トラック
グラウンドの東側に位置している。未舗装だが、長年踏み固められただけあって、地面はしっかりしている。
- 弓道場(射場)
学校敷地南西側に位置する。
- 新部室
グラウンドに面して建っている。主としてグラウンドと新体育館を使用する運動系部活動の部室である。施設は新しいが、校舎や食堂からやや遠い。
- 旧部室
食堂と旧体育館に面して建っている。新部室使用以外の運動系部活動が使用する部室である。施設は古いが食堂が近く、利便性は高い。
- 食堂
定時制を有する公立校の特色の一つとして存在し、全日制の生徒も昼から利用できる。自販機もある。
[編集] 校歌
[編集] 行事
- 陸上競技大会…大和市スポーツセンター競技場で開催(以前は三ツ沢競技場で開催されていた)
- 記念祭…毎年開校記念日である6月18日近辺に本校敷地で開催
- 前庭パフォーマンス
- 屋台・出店
- 後夜祭
- 合唱祭
- 球技大会
- 水泳大会
[編集] 過去
- Y校戦
- 1924年から1969年にかけて行われた横浜市立横浜商業高等学校とのスポーツ対抗戦
- 通算成績は本校の24勝18敗1分であった。
[編集] 部活動
全体の部活動加入率は9割を超え、その中で運動部加入率は8割を超えていて県内で1番と言われている。
陸上競技部は、インターハイにも度々出場し、国体神奈川代表選手も輩出している。剣道部・男女ハンドボール部・ソフトボール部・弓道部等も関東大会の出場経験がある。また、文化部では、吹奏楽部が2005年に東日本大会に出場した。なお、本校の吹奏楽部は全国的にも珍しい学生指揮者の形態をとっており、大会・演奏会等すべてを生徒の指揮で演奏している。
硬式野球部は1951年夏の甲子園に出場、これ以降、2006年まで県立高校の夏の甲子園出場はなされていない。
- 運動部
- 陸上競技部
- 硬式野球部
- サッカー部
- ラグビー部
- 男子ハンドボール部
- 女子ハンドボール部
- 男子バレーボール部
- 女子バレーボール部
- 男子バスケットボール部
- 女子バスケットボール部
- ソフトボール部
- 体操部
- バドミントン部
- 卓球部
- ダンス部
- 男子硬式テニス部
- 女子硬式テニス部
- 剣道部
- 弓道部
- 水泳部
- 山岳部
- フットサル同好会
- 文化部
- 化学部
- 合唱部
- ギター部
- 軽音楽部
- 茶道部
- フォークソング部
- 美術部
- 吹奏楽部
- 文芸部
- MFC(マンガファンクラブ)
- パントマイム部
- ドレスクリエイト部
- KHI(希望ヶ丘放送委員会)
- 室内楽部
- ブレイクダンス部
- 囲碁将棋同好会
[編集] 著名な出身者
[編集] 政治・行政・司法
- 相澤英之(元経済企画庁長官、元大蔵事務次官、弁護士)
- 岡部三郎(元北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官)
- 飛鳥田一雄(元横浜市長、日本社会党委員長)
- 来栖三郎(元駐ドイツ大使、元外務省通商局長)
- 山本鎮彦(元警察庁長官)
- 滝本太郎(弁護士)
- 松隈秀雄(大蔵次官(昭和19))
- 本間精(内務省警保局長(警察庁長官に相当)、福岡県知事)
- 池田清志(内務大臣官房会計課長(昭21)、栃木県知事(昭22)、弁護士、衆議院議員(昭47-))
- 三浦義秋(駐漢口総領事(昭和9))
- 平川守(農林事務次官)
- 小室恒夫(通産省通商局長、新日鉄化学会長・社長)
- 川合武(元衆議院議員、元消防庁次長)
- 行天豊雄(財務官、東京銀行頭取)
- 古川直季(横浜市議会議員)
- 鈴木隆雄(元警察庁科学警察研究所副所長 / 声紋鑑定の権威)
[編集] 経済
- 渡邉美樹(ワタミフードサービス創業者)
- 佐藤喜一郎(元三井銀行会長)
- 桑田弘一郎(元テレビ朝日社長)
[編集] 研究
[編集] スポーツ
- 佐々木太一(バレーボール日本代表)
- 宮下哲郎(ラグビー選手 / 関東学院大ラグビー部、東芝ブレイブルーパス)
[編集] 文化・芸術
- 野尻抱影(文学者・随筆家)
- 黛敏郎(作曲家)
- 山本昌代(作家)
- 山田和樹(指揮者)
- 山下和美(漫画家)
- 川村毅(劇作家・演出家 / T factory主宰)
- 渋谷和宏(作家、日経ビジネスアソシエ編集長)
- 寺田透(文芸評論家)
- 中村俊一(演出家・俳優)
[編集] マスコミ・芸能
- 有森也実(女優)→明大中野へ転校。
- 杏里(歌手)(定時制)
- 伊藤かずえ(女優)(定時制中退)
- 植松真美(モデル、タレント)
- 次山嘉一(俳優、イベントプロデューサー)
- 植村智子(アナウンサー)
- 青池玲奈(アナウンサー)
[編集] 関連項目
[編集] 注
- ^ 但し、藩校時代からの歴史という意味では、神奈川県立小田原高等学校(旧制:神奈川県第二中学校)が、神奈川県最古の高校である。
- ^ なお、県下一斉テストに参加する高校数は漸減しており、特に横浜地区ではその数は多くない。