山本鎮彦
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山本 鎮彦(やまもと しずひこ、1920年11月1日 - )は警察官僚。日商岩井航空機疑獄事件や、東京サミット時の警察庁長官。初の非東大法学部出身の警察庁長官。英語、フランス語、ロシア語を使うことのできる国際派として知られ、警察官僚出身者としては初の特命全権大使も務めた。後の三井脩人脈に連なる。
[編集] 来歴
長野県生まれ。横浜第一中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)、松本高等学校(現信州大学文理学部)を経て1943年東北帝国大学(現東北大学)法文学部法科卒。
- 高等文官試験行政科試験合格(1943年)
- 内務省大臣官房人事課勤務
- 海軍経理学校入学
- 大日本帝国海軍大尉(1945年)
- 福井県農務課長
- 警視庁本富士警察署署長(警視)(1948年)
- 警視庁公安部公安一課長(警視正)(1954年)
- 在フランス日本大使館一等書記官(1958年)
- 栃木県警察本部長(1962年)
- 警察庁警備局長(1963年)
- 警察庁長官(1978年~1981年)
- 自動車安全運転センター理事長(1982年)
- 駐ベルギー特命全権大使(1983年)
財団法人保安電子通信技術協会会長、日本シークレットサービス会長、社団法人東南アジア調査会会長、財団法人警察育英会会長、さくら銀行顧問、日本碍子監査役、財団法人公共政策調査会理事長等を歴任。
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