さくら銀行
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株式会社さくら銀行(The Sakura Bank, Limited)は、かつて存在した三井グループの都市銀行である。2001年4月1日に住友銀行と合併し、三井住友銀行となった。
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[編集] 概要
1990年、三井銀行と太陽神戸銀行が合併し、「株式会社太陽神戸三井銀行」(The Mitsui-Taiyokobe Bank,Limited)として誕生。存続会社は三井銀行で、統一金融機関コードは、三井銀行と同じ0002。本店は旧太陽神戸銀行の東京営業部(東京都千代田区九段。現在は三井住友銀行本店―旧三井銀行本店へ統廃合し、旧ビルにあおぞら銀行本店が入居した)に置かれた。発足当初は「太神三井(たいしんみつい)」という略称も用意されていて、地図の表記等に使われていた。合併から2年が過ぎた1992年、新行名が定着したことにより合併時に商標登録してあった「さくら銀行」に改称した(元々「太陽神戸三井」の行名は、ブランドが定着するまでの間の期限付使用が決められていた)。なお、行章である桜は引続き使用された。(ちなみに旧帝国銀行の行章は八重桜であった)。
設立日は1955年7月11日である。これは、存続会社となった株式会社三井銀行の設立日であるが、さかのぼれば、1968年に合併した株式会社東都銀行の設立日である(いわゆる「逆さ合併」による)。
[編集] 合併前の期待
戦後すぐの帝国銀行分割新発足によって規模が縮小した旧三井銀行は、加えて高度成長期において個人客へのサービス進出(預金獲得)に出遅れたことから、旧三井財閥系銀行でありながら三井グループ各社はじめ取引先主要産業の資金需要に十分応え得る規模的拡大を果たせず、中位行ながら店舗数の多い太陽神戸銀行と合併し最終的な業容拡大への回答とした。これにより太陽神戸三井銀行が誕生、規模の面では富士銀行、三和銀行などの都銀上位行に匹敵するものとなり、財閥系都銀としての実力を発揮することが期待された。
[編集] 危機の中の経営と新たな合併
しかし、誕生直後にバブル崩壊を迎え、旧両行が抱えていた多くの債権が不良債権化。さらに、元々旧太陽神戸内にあった太陽銀行、神戸銀行出身者との対立に加え、三井出身者との対立まで加わったことによって人事面でもいわゆる「たすきがけ人事」が取られた。業務効率が悪く、規模こそ大きくなったものの当初期待された合併効果はさほど発揮されなかった。
このため、1997年の金融危機では、経営不安説が流れ、株価も低迷。巨額の公的資金注入を受けたほか、三井グループ各社やトヨタ自動車などへ増資を要請する事態にまで陥った。いかに旧帝銀(および旧東海銀行)の取りまとめた協調融資や割賦販売支援により戦後最大の危機を脱した恩義あるトヨタとはいえ、製造業が一社単独で銀行支援に動くというのは異例の事態であった。
こうして、さくら銀行は当面の危機を脱したのであるが、これを機に旧三井主導の経営が決定的になっていく。2001年合併により誕生した新銀行の行名は「三井住友銀行」(SMBC)となった。
さくら銀行最後のトップは、会長が旧神戸銀行出身の高崎正弘、頭取が旧三井銀行出身の岡田明重(のちに三井住友銀行初代会長)だった。岡田の頭取就任以後、リテール戦略の新機軸が次々とスタートし成功していった。具体的には、今日では当たり前となったコンビニATMのさきがけとして「アットバンク」をam/pm内に設置したことや、日本初のインターネット専業銀行「ジャパンネット銀行」を設立させたことが挙げられる。
[編集] One'sダイレクト
三井住友銀行の個人向けリモートバンキング「One's ダイレクト」は、旧住友銀行が「ワンズダイレクト」として2000年に開始したものだが、さくら銀行でも、合併2か月前を切った2001年2月5日から、これに準ずる「《新》さくらのブラウザバンキングサービス」を開始していたことは、期間があまりにも短かったゆえに、ほとんど知られていないようである。
- 「さくらのブラウザバンキングサービス(通称:旧ブラウザ)」は、三井住友銀行発足後に「One's ダイレクト」への移行期間を経て廃止されたが、「《新》さくらのブラウザバンキングサービス(通称:新ブラウザ)」は、三井住友銀行発足時にそのまま「One's ダイレクト」となった。
- それゆえ《新》さくらのブラウザバンキングサービスの暗証カードは、現在もOne's ダイレクトで100%使用可能である。
[編集] グループ会社の現状
現在「さくら」の名前は、三井住友銀行の関連会社のさくらカードや旧神戸銀行系のソフトウェア会社・さくらケーシーエス、同じく旧太陽銀行及び三井銀行系のソフトウェア会社・さくら情報システムなどに残るのみとなっている。
- 系列会社だったさくらフレンド証券は、明光ナショナル証券との合併により、SMBCフレンド証券に改称。
- 子会社だったさくら信託銀行は、中央三井信託銀行を通して三井トラスト・ホールディングスに事業譲渡され、三井アセット信託銀行に改称されている。
[編集] 広告
太陽神戸が小学館の学習雑誌「小学一年生」の裏表紙に広告を出していたこともあり、広告などに一時、『ドラえもん』のキャラクターを用いていたことも話題となった。ドラえもんは、三井住友のキャラクターにも継承された(ただし、さくら銀行時代と違い、通帳やキャッシュカードのデザインにはならず、粗品に使われる程度にとどまった)。三井住友でのキャラクターの使用は約1年で終えられたが、旧住友が独自のキャラクター「くまのバンクー」を持っていたにもかかわらず、合併時にそれを完全破棄し、ドラえもんを採用したのは注目に値する。また、コマーシャルメッセージでは広末涼子を数年間起用していた。
「パラサ&ディンキーダイノス」という恐竜キャラもあった。