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石原裕次郎 - Wikipedia

石原裕次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

いしはら ゆうじろう
石原 裕次郎
別名 Yujiro、タフガイ、裕ちゃん、裕さん
生年月日 1934年12月28日
没年月日 1987年7月17日(満52歳没)
出生地 日本の旗 兵庫県
民族 日本人
血液型 A型
ジャンル 俳優、歌手
活動期間 1956年 - 1987年
活動内容 1956年:デビュー作『太陽の季節
配偶者 石原まき子
家族 (父)石原潔

(母)石原光子 (兄)石原慎太郎東京都知事

公式サイト [1]
主な作品
映画
太陽の季節
狂った果実
嵐を呼ぶ男
テレビ
太陽にほえろ!
大都会」シリーズ
西部警察」シリーズ
備考
石原裕次郎賞(追悼創設)

石原 裕次郎いしはら ゆうじろう1934年12月28日 - 1987年7月17日)は、日本俳優歌手石原軍団総帥、石原プロモーション創始者。永遠の大スター日本人が最も愛した男)と称されることがある。担当マネージャーは関町進。

目次

[編集] 年譜

詳しくは[2] [3] [4] [5]を参照。

[編集] 生涯

[編集] 生い立ち

海運会社・山下汽船(現:商船三井)に勤める父・石原潔 母・光子の次男として生まれる。現東京都知事の石原慎太郎は実兄。父の転勤により、兵庫県神戸市須磨区北海道小樽市神奈川県逗子市、と港町に育つ。稲穂国民学校時代ではアカシアを好み、逗子中学時代からバスケットボールに熱中し、将来はオリンピック出場を夢見るスポーツ少年だった。また近所と野球チームを結成し、レフトとして活躍したことがある。

日吉慶應義塾高等学校を目指すが受験に失敗し、当時慶應高校の予備校的な存在だった慶應義塾農業高等学校に進む。悪友たちにそそのかされ酒と女とケンカ三昧の日々に入る。なおこの頃はかなり裕福な生活を送っていたようで、裕次郎16歳、兄の慎太郎が18歳の時に父より当時の日本では珍しかったヨットを与えられるほどであった。これをきっかけに、裕次郎はヨットに情熱を傾けるようになった。父の影響と海への憧れから将来は世界を股に駆けるような船乗りになりたかった。(もともとは海と模型飛行機作りが趣味であった。)

1951年慶應義塾高等学校に入学し再びバスケットボールに熱中するが、左足膝に大怪我をしたため選手生活を断念せざるをえなくなった。17歳の頃、父親の突然の死により性格がぐれ再び酒と女、そして喧嘩と麻雀三昧の日々に入る慶應義塾大学法学部政治学科に入学するも3年で中退した。

[編集] デビュー

大学中退後はしばらく無職であった。その後俳優になるために東宝大映日活のオーディションを受けるが全て失格。しかしその後の1956年に、映画プロデューサーの水の江瀧子と兄の石原慎太郎の推薦もあり、兄の芥川賞受賞作である日活作品『太陽の季節』の映画版で学生言葉とヨットの指導として駆り出されたが水の江の進言によりチョイ役としてデビューした(主演は長門裕之南田洋子)。この頃から裕次郎は遅刻が目立ったために、世田谷区の水の江の自宅に住むようになる。デビューされて与えられた仕事は髪型モデルである。

[編集] 大スター

『太陽の季節』の映画化に際して、日活に原作使用を依頼された慎太郎は弟の主演を条件に出していたが、すでに主演が長門に決まっていたために、翌1957年に映画化された『狂った果実』(中平康監督)に、『太陽の季節』以降人気が高くなっていた裕次郎が主演した。『狂った果実』はその衝撃的な内容と裕次郎の演技が話題を呼び、裕次郎の歌と共に大ヒットし、この作品以降裕次郎の人気は決定的なものとなった。(その副産物として1959年に豪邸が完成したことがあげられよう。)なおこの年に裕次郎はテイチクと専属契約し、歌う映画スターとなる。(1966年には東芝レコードに移籍の可能性があったとされる。)意外にも副業にも手を出していて四谷でステーキハウス「フランクス」を経営していたことがある。彼はあがり症だった為、水の江の進言によりレコーディングの時は必ずビールを飲む。レコーディングの際ヘッドホンを一度も付けなかった。またレコーディングは当日のうちに曲と詞を覚え、一回で成功したとも言われ、その後はすぐに忘れてしまうという。再度同じ曲に試みる場合は楽譜(詞入り)があれば思い出せるという。

これ以降立て続けに主演映画が(代表作:「嵐を呼ぶ男」)ヒットし、裕次郎ブームが起こる。人気が絶頂を迎えた1960年に女優の北原三枝と結婚した。当時映画スター同士の結婚はタブーであり、また裕次郎はデビューする前から北原のファンで、いくつかの映画で共演もしていた。1963年には株式会社石原プロモーション設立と順風満帆の活動を続けた。(設立の理由は赤木圭一郎の急死で彼はプロダクションの設立を計画したことによる。)また、『銀座の恋の物語』(1961年)や『赤いハンカチ』(1962年)などヒット曲を連発したほか、イギリス映画『素晴らしきヒコーキ野郎』へ出演するなど幅広い活動を行った。1968年 には三船プロとの合作で『黒部の太陽』を制作し大ヒットした。また芸能人所得番付が5000万円(当時)→8000万円(当時)と別格であった。

[編集] 交友関係

交友関係が広いことでも有名で、落語家林家三平とは家族ぐるみの付き合い(後に三平一家と石原軍団との付き合いに発展して、裕次郎・三平が共に亡くなった現在も深い関係は続いている。同様な例に映画でジャニーズと共演したことをきっかけとして親密となっているジャニーズ事務所も挙げられる。)をしていた他、歌手美空ひばりや、俳優勝新太郎とは義兄弟の契りをかわしていたと言われる(裕次郎の告別式の際には勝が弔辞を読んでいる。高倉健は葬儀には参列せず静かに見守るだけであった)。つきあいの広さはスポーツ界にもおよび、力道山や往年の読売ジャイアンツクリーンナップ2人と親交が深く、長嶋茂雄を「しげ」、王貞治を「さだはる」と呼んでいた。特に長嶋との親交は深く、1962年には夫人とともにアメリカに年始旅行にも行っていた。また誤認されやすいが、実兄の東京都知事石原慎太郎「石原裕次郎の兄です」といって東京都知事に初当選した経緯があるが、慎太郎が裕次郎の七光りなのではなく、「石原慎太郎という作家が弟の石原裕次郎をスターにした」のである。

[編集] 趣味

メルセデス・ベンツ 300SL
メルセデス・ベンツ 300SL

なおこの頃も兄の慎太郎とともに学生時代から続けていたヨットレースを続けていた。ヨットにかける情熱は俳優活動よりも強かったと言われ、初の太平洋単独横断を行った堀江謙一の実話をモデルとした『太平洋ひとりぼっち』に主演した(この作品が石原プロモーション設立後の最初の作品である)。

また映画の撮影やヨット活動のために度々訪れていたハワイが一番好きな場所であり、静養のためにハワイに別荘を所有していた。現在、正月をハワイで過ごす芸能人が多いが、そのハシリとなった人物である。

他にも、当時日本では力道山と裕次郎の2人しか個人で所有していなかったと言われるメルセデス・ベンツ 300SLを所有していた他、キャディラックなど複数の高級車を所有するほどのカーマニアであった。

[編集] 闘病の中での活躍

彼の変革は「恋の町札幌」が発売された1972年に始まる。編曲者の(小谷充)は今までのムード歌謡から一変してリズミカルな演奏をしながら石原裕次郎が歌ってレコードがヒットしたことから、以後他の作詞者、作曲者、編曲者、スタッフそして共演者が亡くなるまで徐々にポップス路線に切り替えている工夫が伺える。また俳優としての仕事において同年には日本テレビ太陽にほえろ!』(東宝制作)に出演。これを期に映画を離れ、本人及び石原プロはテレビドラマに足場を移す。その後、同じく日本テレビ「大都会」シリーズを制作し、事実上続編のテレビ朝日西部警察』が大ヒットを飛ばすが、その最中の1978年舌癌により入院した。なお本人には「舌白板症」と伝えられた。1980年には成城の自宅において、古墳時代の遺跡、土器が発見されたこともある。

以降も俳優や歌手としての活動を続けたものの、1981年解離性大動脈瘤で入院し、一時「危篤状態」と取りざたされたが、奇跡の復活を果たす。手術成功のあと、慶應義塾大学病院の屋上から、まき子夫人、渡哲也と共に手を振るシーンはワイドショーで中継され、お茶の間に感動を与えた。この時の主治医は、後に宇宙飛行士となる向井千秋である。この件で見舞い客は12000人、手紙5000通、花束2000束、千羽鶴1000束の励ましがあった。またこの頃、アニメ映画『わが青春のアルカディア』で初代ハーロックの役で声優デビューしている。その出演時間が約5分間であったにも関わらず出演料が1000万円以上であったため話題となる。なお、大動脈瘤を患って以降は左の耳に難聴を来たしていたが、歌や俳優の仕事に大きな影響はなかった。このあたりからポップス路線に完全に切り替わった。

その後原発性肝臓癌に侵されるが、本人には告知されなかったために俳優および歌手活動を続けた。癌が見つかった時に兄の慎太郎は「本人に癌であることを告知すべきだ」と主張したが、石原プロモーションの大番頭小林正彦専務は「度重なる大病との闘いであの人(裕次郎)はもうへとへとになっている。そこでもし今回の病の正体を告げたら自ら命を絶ちかねない」と反論、それを慎太郎も受け入れて告知しないことに決めたという。また石原まき子も彼の熱意に答えて病気と悟られないように演技をしていたという。

闘病さなかの1987年に発表した『北の旅人』はオリコン1位を獲得した。当時52歳7か月であった裕次郎はこの曲で、歌手として最年長オリコン1位獲得者となっていたが、2007年小田和正の『こころ』でその記録を更新されている。このレコーディングには酸素マスクをしながらの録音を2月中に2日間行った。『我が人生に悔いなし、俺の人生』も同様である。 『我が人生に悔いなし、俺の人生』は裕次郎が「人生の歌を歌いたい」と作詞家のなかにし礼に直接リクエストして出来た曲であるが、なかにしはこのリクエストを聞いた瞬間に「死の匂いをかいだ」と後に語っている。 なお、『北の旅人、想い出はアカシア』は療養のために滞在していたハワイでレコーディングされたが、裕次郎は絶え間ない微熱とたびたび大量の鼻血を出すような体調の中でレコーディングをしていたという。そのため、作曲家の弦哲也は見かねてハワイに飛び立ち気遣うようにしたという。裕次郎 は最後のレコーディング後ハワイからの衛星生中継で登場し、近況報告をした。「BEYOND THE REEF」を現地から熱唱。これが最後のテレビ生出演となった。ハワイでの療養中にも体調の悪化が見られた裕次郎は帰国を嫌っていたが宝酒造会長大宮隆の進言により帰国を容認した。帰国後、自宅に戻り、その際自身が持っていたを有名人に禅譲した。


[編集] 死去

再び慶應義塾大学病院へ入院し一時帰宅が許されたものの本人が拒否、治療も空しく、1987年7月17日金曜日16時26分に入院先の慶應義塾大学病院にて肝細胞癌で死去した。

なおこの日のミュージックステーションは19:30から90分の緊急追悼特番を組み故人を偲んだ(この対応はきわめて異例であった)。7月19日に関係者による密葬が行われ、8月11日青山葬儀所で石原プロ・テイチク合同葬が行われた。

石原が亡くなった日、東京は梅雨明け宣言がされたばかりであったが、その翌日から葬儀・告別式が終わるまでは戻り梅雨に見舞われ、東京の梅雨明け宣言が取り消しになった。なお、裕次郎が亡くなった1987年、自宅に強盗が入ったことがある。また、2004年には彼の墓が何者かにずらされていたこともある。

戒名は陽光院天真寛裕大居士。墓は神奈川県横浜市鶴見区にある總持寺に立てられている。墓碑には夫人が彼に対するイメージを詠った詩が刻印されている。 「美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く。」

[編集] 死後の活躍

死後にもテレビドラマや映画、楽曲は高い人気を誇り、また兄の慎太郎によるベストセラーである『弟』をはじめとする関連図書も多く出版されている。近年もジョイサウンドダイドードリンコCMにデジタル合成で出演した事があり、話題を呼んだ。なお、2005年頃より通信カラオケシステムDAMの機種改良に伴い、同機種で配信する裕次郎の代表曲の多くに裕次郎の映画の背景映像等を流用したものが使用されている。

[編集] 病気の遍歴

彼は病気と多く闘っていた。そこで年譜にしてまとめる。(1956年以降)

  • 1956年:この頃まで、酒とたばこと女に溺れる無職の日々を送る。(高校生の頃に黄疸がでる。)
  • 1957年:自由が丘で無免許運転し右足打撲。(もう一つは映画ロケ中にデッキチェアーに手を挟み右手薬指負傷。)
  • 1961年:スキー場でスキーヤーと衝突し右足首粉砕複雑骨折。(後に右太股腫性膿瘍の手術で入院)
  • 1964年:ハワイでヨット乗船中に右瞼を11針縫う。
  • 1965年:ヨット乗船中に腹痛のため大会を途中断念。
  • 1967年:右手親指骨折及び左足打撲で入院。
  • 1971年:心労と胸部疾患(後に急性肺炎→肺結核)のため映画宣伝中に入院。
  • 1974年:階段から転倒し左肩打撲(後に左鎖骨骨折)
  • 1978年:舌下潰瘍(舌ガン)で入院し悪性と診断される。(1983年再発)
  • 1979年:舌下白板症と診断され術後部に潰瘍ができ再び手術。
  • 1981年:背中と胸に激痛が走り椎間板ヘルニアと疑われる。そしてついに生還率3%の解離性大動脈瘤と診断(後に左耳が難聴となる)→退院後首や腰に痛みが出るもお炊き上げで回復するが発熱。
  • 1984年:肝臓ガンと発覚し、倦怠感・腰痛の末原因不明の発熱にいたる。(前の定期健診で肝細胞癌と診断される)
  • 1986年:肝内胆管炎の為、療養先で静養
  • 1987年:慶應義塾大学病院に入院、退院した(カテーテル治療)ものの容態悪化(高熱)ついには幻覚症状を発する。そして肝細胞癌でこの世を去る。父と同じ歳で亡くなった。

[編集] 出演映画

(1956年)

(1957年)

  • お転婆三人姉妹
  • ジャズ娘誕生
  • 勝利者
  • 今日のいのち
  • 幕末太陽傳
  • 海の野郎ども
  • 鷲と鷹
  • 俺は待ってるぜ
  • 嵐を呼ぶ男

(1958年)

  • 心と肉体の旅
  • 夜の牙
  • 錆びたナイフ
  • 陽のあたる坂道
  • 明日は明日の風が吹く
  • 素晴しき男性
  • 風速40米
  • 赤い波止場
  • 嵐の中を突っ走れ
  • 紅の翼

(1959年)

  • 若い川の流れ
  • 今日に生きる
  • 男が爆発する
  • 山と谷と雲
  • 世界を賭ける恋
  • 男なら夢を見ろ
  • 欧州駈けある記
  • 清水の暴れん坊
  • 天と地を駈ける男
  • 男が命を賭ける時

(1960年)

  • 鉄火場の風
  • 白銀城の対決
  • あじさいの歌
  • 青年の樹
  • 天下を取る
  • 喧嘩太郎
  • やくざ先生
  • あした晴れるか
  • 闘牛に賭ける男

(1961年)

  • 激流に生きる男(出演断念)
  • 街から街へつむじ風
  • あいつと私
  • 堂堂たる人生
  • アラブの嵐

(1962年)

  • 男と男の生きる街
  • 銀座の恋の物語
  • 青年の椅子
  • 雲に向かって起つ
  • 憎いあンちくしょう
  • 零戦黒雲一家
  • 若い人
  • 金門島にかける橋
  • 花と竜

(1963年)

  • 何か面白いことないか
  • 太陽への脱出
  • 夜霧のブルース
  • 太平洋ひとりぼっち

(1964年)

  • 赤いハンカチ
  • 夕陽の丘
  • 鉄火場破り
  • 殺人者を消せ
  • 敗れざるもの
  • 黒い海峡

(1965年)

(1966年)

  • 二人の世界
  • 青春大統領
  • 夜霧の慕情
  • 夜のバラを消せ
  • 帰らざる波止場
  • 栄光への挑戦
  • 逃亡列車

(1967年)

  • 夜霧よ今夜も有難う
  • 嵐来たり去る
  • 波止場の鷹
  • 東京の田舎っぺ(声のみ)
  • 君は恋人
  • 黄金の野郎ども

(1968年)

  • 遊侠三国志・鉄火の花道
  • 黒部の太陽 
  • 昭和のいのち
  • 忘れるものか

(1969年)

(1970年)

  • 富士山頂
  • 待ち伏せ
  • ある兵士の賭け
  • スパルタ教育くたばれ親父

(1971年)

  • 男の世界
  • 甦える大地

(1972年)

(1973年)

  • 反逆の報酬

(1976年)

  • 凍河

(1982年)

(1984年)

[編集] 出演ドラマ(テレビ)

  • ダイヤル110番(1958年・日本テレビ)
  • 君らの手の中に(1964年・フジテレビ)
  • 小さき斗い(1964年・フジテレビ)
  • 結婚について・祝婚(1965年・TBS
  • 黒部の太陽(1969年・日本テレビ)
  • 太陽にほえろ!」シリーズ(1972年~1987年、日本テレビ東宝制作)
  • 「大都会」シリーズ(PARTIPARTIIPARTIII)(1976年~1979年、日本テレビ・石原プロ)

[編集] 出演ドラマ(ラジオ)

[編集] レギュラー番組

[編集] ゲスト出演

  • 太陽の季節をめぐって(1957年・文化放送)
  • ひこばえショー<銀座の夜は生きている>(1957年・日本テレビ)
  • 七面鳥の贈り物(ナレーションとして1957年・文化放送)
  • ジェスチャーゲーム(1958年・NHK)
  • 私の秘密(1958年・NHK)
  • 歌謡ビッグ・パレード<結婚記念特集>(1960年・文化放送)
  • テイチク大行進(1963年・新宿厚生年金会館)
  • スクープ!!<男・裕次郎再起す!>(1971年・テレビ東京)
  • 金曜スペシャル<男の世界>(1972年・テレビ東京)
  • ビックショー<あの青春の詩―そして今も―>(1975年・NHK)
  • 太陽は今も輝く!(1975年・テレビ朝日)
  • 人に歴史あり(1978年・テレビ東京)
  • ビックショー<男ひとり、気ままな夜>(1978年・NHK)
  • 北帰行・小樽(1978年・NHK)
  • スター千一夜(1979年・フジテレビ)
  • 石原裕次郎のすべて(1982年・テレビ朝日)
  • 石原裕次郎スペシャル(1985年・テレビ朝日)

[編集] 歌手としての活動

詳細は石原裕次郎のディスコグラフィーを参照

[編集] 写真集

[編集] 出版

  • 『わが青春物語』(1958年東西文明社)

[編集] 連載

[編集] CM

[編集] 大会出場

  • 大島ヨットレース(1959、1963年)このときに「コンテッサⅢ」がデビュー。
  • トランス・パシフィック・レース(1965年・1973年・1975年)
  • アドミラルズ・カップ・レース(1977年)
  • パンナム・クリッパーカップ・ヨットレース(1982年)
  • インビテーショナル・ゴルフ大会-途中ホールアウト(1986年)

[編集] エピソード

  • 終生、たばこを愛し、また大変な偏食で野菜はいっさい受け付けず、ビフテキを主食にしていたといわれるほどであった。[要出典]しかし、プライベートでは懐石料理なども食し、料理好きでバーベキューや手弁当を楽しむ一面もあった。
  • 「身長182センチ・体重75キログラム・股下90センチ」と、日本人離れした大柄な体型であると宣伝されたが、公称身長は疑わしい。兄の石原慎太郎は公式HPで181cmとしており、慎太郎の方が背が高かったのかもしれない。(なお小樽駅の4番ホーム「裕次郎ホーム」には等身大の彼が置かれまさに身長182センチ・体重75キログラム(1978年当時)で見る物を驚かせている。) 。
  • 別荘山中湖にもち、芦原温泉の定宿で寛ぐ事が晩年多くなった。
  • レコードを擦り切れるほど山中節が好きであった。(もちろんジャズも同様であるが)
  • ガッチャマン日活版(実際には作らなかった。)(※主役は彼)を想定して作られたとされている。
  • 彼は一度失踪した経験がある。実際はホテル『ブルースカイ』の打ち上げ中急行「銀河」に乗り京都の都ホテルそして神戸のオリエンタルホテルをへて松の家に滞在した。事実、スタッフや関係者が捜索し、多大な心配をかけたといわれている。
  • 1965年ピストル密輸事件で家宅捜索され、拳銃不法所持問題で謝罪する。(主犯格は百瀬博教
  • 伝記としては、兄・石原慎太郎によって書かれベストセラーとなった伝記的小説『弟』がある。これは2004年テレビ朝日によって同名のタイトル『』としてドラマ化された。
  • 余談だが、三回忌や七回忌、十三回忌などの節目の日や、彼の命日近くになると必ずと言っていいほど雨が降ったことから、森田正光が「裕次郎雨」という単語を季語にすることを提唱し、俳句の募集を行っている。

[編集] 家族・親族

        典子
         ┃
         ┣━━━━┳石原伸晃
         ┃    ┃
      ┏石原慎太郎  ┣石原良純
      ┃       ┃
 石原潔  ┃       ┣石原宏高
  ┣━━━┫       ┃
  光子  ┃       ┗石原延啓
      ┃ 
      ┗石原裕次郎
          ┃
              まき子

[編集] 関連項目

[編集] 人物

[編集] 外部リンク


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