赤木圭一郎
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あかぎ けいいちろう 赤木 圭一郎 |
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本名 | 赤塚 親弘 あかつか ちかひろ |
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別名 | 第三の男 |
生年月日 | 1939年5月8日 |
没年月日 | 1961年2月21日(満21歳没) |
出生地 | 東京府 |
民族 | 日本人 |
ジャンル | 俳優 |
活動期間 | 1958年 - 1961年 |
活動内容 | 1956年:デビュー作『紅の翼』 |
主な作品 | |
映画 『素っ裸の年令』 『霧笛が俺を呼んでいる』 |
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赤木 圭一郎(あかぎ けいいちろう、1939年5月8日 - 1961年2月21日 )は、日本の映画俳優。本名、赤塚 親弘(あかつか ちかひろ)。通称はトニー。
東京生まれ。栄光学園中学校、神奈川県立鎌倉高等学校卒業、成城大学に入学(在学中他界)。子供のころは海に憧れ、将来は船乗りを夢見たという。
日活のアクション俳優として、"マイトガイ"小林旭、"タフガイ"石原裕次郎に続く「第三の男」と呼ばれた。
1958年、日活第4期ニューフェイスとして日活へ入社。映画デビュー作は石原裕次郎主演の『紅の翼』ここで彼は本名の赤塚親弘の名義で群集の一人としてエキストラとして出演し、そのバタ臭い風貌や退廃的な雰囲気がこれまでの日本人俳優にはない個性として評判を呼び、当初は主人公の弟分や準主役級の扱いだったがまもなく20本以上の無国籍アクション映画に続けて主演するようになった。
愛称のトニーとは1950年代当時、人気のあったハリウッドスターのトニー・カーチスにどことなく風貌が似ていたからそう呼ばれるようになった。 初主演作は鈴木清順監督の『素っ裸の年令』(1959年)この作品で赤木はローティーンの暴走族のリーダー役演じ注目を集めた。 この映画では後輩ライダーにバイクレースを挑まれ、満身創痍の赤木はハンドルを切り損ね、がけ下に落ちて事故死してしまうラストシーンを演じ、主演デビュー作でありながら彼の実際の事故死を暗示させるような作品となった。
その後は、拳銃無頼帖シリーズをはじめ西部劇風の娯楽アクション映画を中心に出演を始める。しかし生前の人気としては石原裕次郎や小林旭らの人気と比べると今一歩のところが超えられないのが映画会社の悩みの種であった。派手で豪快な裕次郎や旭らスターと比べると赤木当人がボロ靴にジーンズ姿でいつも寂しいそうにたたずんでいるような所があり、まじめなたちだったのか女優さんとの艶聞を流すこともなかったという。撮影所の人間もせっかくスターとして売り出すのだからもう少し颯爽としていたらいいのにと思っていたそうである。 しかしそういった斜に構えた影のある赤木の個性は皮肉な事に、同じような運命をたどったアメリカのジェームズ・ディーンの様に、彼の死後花開くこととなった。
その後の代表作『霧笛が俺を呼んでいる』(1960年)では彼の少年時代からの憧れだった船乗りを演じた。日活俳優の中ではマドロス姿が最もさまになる俳優であった。しかしその後は、俳優としての仕事は多忙を極め彼の表情の中には疲労すら伺えるようになった。赤木は仕事の疲れをスポーツカーやバイクなどのスピードで紛らわせるようになり、その当時から周囲からカーキチとして知られるようになった。
そして1961年2月14日、映画『激流に生きる男』のセット撮影の合間の昼下がりの休憩時間に日活撮影所内で友人だった かまやつひろし、長門裕之らとゴーカートを運転中、ハンドルを切り損ね時速60キロ以上の速さで鉄扉に激突し、慈恵医大病院に緊急入院。途中生き返る兆候は見せたものの2月21日、前頭骨亀裂骨折に伴う硬膜下出血のため21歳の若さでこの世を去った。死の報せを聞いた石原裕次郎は号泣したという。また死に顔を見た宍戸錠は「まるでハリウッドの俳優ルドルフ・ヴァレンティノのようだった」と言った。
生前の彼は映画を見ることも好きでアンジェイ・ワイダ監督のポーランド映画『灰とダイヤモンド』を何度も見ており暗く影のある主人公マチェックに非常に共感していたという 。 演技はあまり上手でなかったともいわれるが、他者には代え難い「華・存在感」を持った、将来を嘱望された大スターだった。また、威張らず気さくな性格からファンのみならず俳優・裏方のスタッフら”仲間内”の評判もよかった。赤木の事故・そして死は当時の日本の各方面に強く深い衝撃と悲嘆をもたらし、市川雷蔵夭折後の大映がそうであったように、赤木の夭折がひいては日活衰退の遠因だったとも言えるだろう。早逝したことから『和製ジェームズ・ディーン』と呼ばれている。
同じ日活の後輩女優で共演もある吉永小百合(赤木からは「ラビットちゃん」という愛称で呼ばれていた)は、赤木を「憧れの先輩だった」と語り、自身の著書や写真集、日活時代の思い出を語るインタビューなどで赤木とのエピソードや写真を挙げている。 赤木の墓標は彼が愛した湘南の海を見渡し、死後45年以上たった今でも献花が絶えることはないという。
[編集] 出演
[編集] 映画
- 群集の中の太陽(1959年、日活)
- 狂った脱獄(1959年、日活)
- 拳銃0号(1959年、日活)
- 絞首台の下(1959年、日活)
- 街が眠る時(1959年、日活)
- 俺は淋しいんだ(1959年、日活)
- 若い傾斜(1959年、日活)
- ゆがんだ月(1959年、日活)
- 浮気の季節(1959年、日活)
- 素っ裸の年令(1959年、日活):初主演作品
- 清水の暴れん坊(1959年、日活):石原裕次郎と初共演
- 大学の暴れん坊(1959年、日活)
- 鉄火場の風(1960年、日活)
- 拳銃無頼帖シリーズ
- 拳銃無頼帖 抜き射ちの竜(1960年、日活)
- 拳銃無頼帖 電光石火の男(1960年、日活)
- 拳銃無頼帖 不敵に笑う男(1960年、日活)
- 拳銃無頼帖 明日なき男(1960年、日活)
- 打倒 ノック・ダウン(1960年、日活)
- 邪魔者は消せ(1960年、日活)
- 男の怒りをぶちまけろ(1960年、日活)
- 霧笛が俺を呼んでいる(1960年、日活)
- 海の情事に賭けろ(1960年、日活)
- 幌馬車は行く(1960年、日活)
- 錆びた鎖(1960年、日活)
- 俺の血が騒ぐ(1961年、日活)
- 紅の拳銃(1961年、日活)