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沖縄そば - Wikipedia

沖縄そば

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

沖縄そば(おきなわそば)は、沖縄料理の一つで、沖縄の伝統的なである。単に「すば」、あるいは「うちなーすば」とも呼び、沖縄で「すば」「そば」の呼称は通常はこの沖縄そばを指す(蕎麦を指す場合は特に「日本そば」「ヤマトそば」「黒いおそば」などと呼んで区別される)。「そば」と呼ぶものの蕎麦粉は使用されず、小麦粉100%の麺でかんすい(鹹水)を用いる。製法的には中華麺の一種であり、公正競争規約の上でも「中華めん」に分類されているが、麺は一般に太めで、和風のだしを用いることもあって、その味や食感はラーメンよりむしろうどんに近く感じられることが多い。

発祥については諸説あり、中華麺としては400年前、あるいは650年前から伝承されていると伝えられる。しかし、沖縄では採れない小麦粉を用いた麺料理は、琉球王国時代には王族などごく一部の特権階級に限られた食べ物であったようで、当時のレシピなどはまったく残っていない。庶民の食べ物としての「そば」が紹介されたのは明治後期のことで、県民食として大々的に普及して現在のような形態となったのは戦後、県外にもその存在が知られるようになったのは沖縄復帰以降のことである。

目次

[編集] 概要

[編集] 歴史

起源は中国福建省から琉球王朝時代に中華麺が伝わったものとされているが、当時は主に琉球王朝の宮廷料理、あるいは中国からの使者をもてなす料理として供されたもので、決して一般家庭で食べられていたわけでない。廃藩置県のころに、既にそば屋が存在していたという説もあるが、少なくとも広く知られるようになったのは明治後期以降のことであり、内地から日本人が連れてきた中国人コックが那覇の辻遊廓近くに開いた支那そば屋が、今日の沖縄そばの直接のルーツであると考えられている。したがって現代日本のラーメンと沖縄そばは、先祖を同じくする兄弟のような関係にあるとも言える。

木灰そば
木灰そば

一般的な中華麺と同様に、麺の製法は小麦粉と塩水、そしてかんすい(鹹水)が用いられるが、沖縄ではかつて、かんすいの代用としてガジュマルなどの亜熱帯の樹木灰を水に入れた上澄み(灰汁(はいじる))が利用されることが多かった。このような伝統的な製法の麺は、今日では特に木灰そば(もっかいそば)と呼ばれている。灰汁は琉球染めにも利用される身近なアルカリとして沖縄で一般に用いられてきた経緯があり、こうした地域性による独自のアレンジが今日の沖縄そばの原型となっていることは想像に難くない。

街中にそば屋が増え、一般庶民が気軽に食べられるようになったのは大正に入ってからのことであるが、当初は豚肉をベースにした醤油味のスープで具材も豚肉とネギのみと、いわゆる日本本土の支那そばとあまり変わらないものであったようである。その後沖縄人の味覚に合わせた改良が重ねられた結果、スープは現在のような薄めの色となり、今日にまで繋がる三枚肉、沖縄かまぼこねぎ紅しょうがを具材とし、薬味としてコーレーグース(島唐辛子の泡盛漬け)を用いるという沖縄そば独自のスタイルが形成されていった。支那そばと並んで「琉球そば」という呼称が用いられるようになったのもこの頃のことである。

こうした老舗の店も沖縄戦によってすべて破壊されたが、米軍占領下で小麦粉が豊富に出回るようになってからは次々と復活し、また戦争で働き手を失った女性たちが新しい店を立ち上げるなどして、戦後沖縄を代表する軽食として急速に普及していくこととなる。店の数が増えるにともなって、それぞれの店がさまざまな具材や、昆布を用いた和風の出汁を用いるなど競い合って工夫を凝らし、県民食として発展していった。またその一方で、ガスの普及に伴って麺打ちに使われる木灰の供給が減少したこともあって、かんすいを使用した大量生産の麺が一般的となり現在に至っている。

日本本土のラーメン文化の影響を受けることのなかった沖縄では、復帰前の1970年頃にはすでに大衆食としての「すば」が定着し、上記の代表的なスタイルや、後に誕生する大ぶりのソーキを具にしたソーキそばは沖縄料理の定番となった。 こうして生まれた沖縄そばは、沖縄本島に定着する過程と同時、あるいは相前後しながら、宮古諸島や八重山諸島、その他の島々へも広がるに至っている。

[編集] 年譜

  • 1392年(明徳3年) 現在の福建省から洪武帝の命を受けた久米三十六姓が来琉。中華麺を伝えたとされる。
  • 1404年(応永11年) との朝貢貿易が始まる。以降22回に渡り来琉した冊封使によって麺類が献上される。
  • 1902年(明治35年) 沖縄初の「支那そば屋」とされる観海楼が開業。経営者は宮崎県出身の日本人であった。辮髪の清国人が作る通称『唐人そば』として人気を博す。
  • 1905年(明治39年) 観海楼の従業員であった比嘉ウシが独立し、比嘉店を開業。『ベェーラーそば』と呼ばれ、唐人そばと人気を二分する。
  • 1913年(大正2年) ウシンマーそば開業。細切りのカマボコを具として初めて使用し、薬味に用いたピパチの辛味が人気を呼んだ。八重山そばの原型であるとされる。
  • 1916年(大正5年) 支那そばの表記を『琉球そば』に変更するよう当時の那覇警察署長が指導。
  • 1920年(大正9年) ゆたか屋開業。ゆたか屋はこの4年後に紅しょうがを導入。さらに塩味で透明なスープの開発にも成功し大評判となる。後に「毎日2000杯を売る」伝説の名店として語り継がれる井筒屋も同じ年に開業している。
  • 1925年(大正14年) 新山食堂開業。現在も名護そばの名店として営業している。
  • 1929年(昭和4年) 万人屋開業。そばの他に太巻き寿司やいなり寿司を出し人気を博す。サイドメニュー展開の元祖的存在。
  • 1945年(昭和20年) 沖縄戦によりすべてのそば屋が壊滅する。
  • 1948年(昭和23年) 那覇の神里原や平和通りなどを中心に大衆食堂が増え始める。期を同じくして井筒屋や万人屋、三角屋といった戦前の名店も続々と国際通り周辺に店を再開させる。
  • 1950年代中頃 製麺所からゆでめんのそばが売り出される。これにより、それまですべて自家製手打ちだったそばが、一般家庭でも気軽に味わえる日常食となった。
  • 1960年代 ガスの普及による製法の旧態化、既成麺の台頭、店主の高齢化などにより、旧来の老舗そば屋が相次いで廃業し、世代交代が進む。
  • 1972年(昭和47年) 本土復帰。日本のそばと区別するために、『沖縄そば』の呼称が用いられるようになる。
  • 1975年(昭和50年) 名護でソーキそばが誕生。元祖は丸隆そばと我部祖河食堂の二説あり。以降沖縄そばのバリエーションが広がる。
  • 1976年(昭和51年) 公正取引委員会より沖縄そばの名称についてクレームがつく。
  • 1978年(昭和53年) 『本場沖縄そば』の表示が特殊名称として登録許可される。
  • 1987年(昭和62年) 沖縄そばの本土移出認可。
  • 1997年(平成9年) 沖縄生麺協同組合が10月17日を『沖縄そばの日』に制定。

[編集] 現在の沖縄そば

麺の形は、本島中南部ではやや捻れたうどんのような方形で、主に本島北部ではきしめんのような平打ちである場合が多い。一方、石垣島など八重山諸島では細めで断面が丸く、このような八重山諸島の沖縄そばを八重山そばと呼ぶ。それ以外の地域のそばにもそれぞれの工夫や特徴があり、地域ごとにその地の名を冠して宮古そば宮古島市)、久米島そば久米島町)など、沖縄本島では名護そば名護市)、与那原そば与那原町)、やんばるそば山原)などと呼ばれる。専門店も県内各地にある。

他の麺との違いとして、沖縄そばのゆで麺は、冷蔵せずに常温で出荷されている点に特色がある。これは、ゆでたての麺に油をかけて混ぜることによって、麺の表面に皮膜ができ、保存性が高まるからである。また、ゆでた麺をすぐに冷やすのではなく、自然冷却することにより独特の食感を生んでいる。生麺は保存性や調理時間の問題からあまり一般的ではないが、打ちたての生麺を使う店もあり(この場合油は使わない)、ゆで麺との食感の違いを売りにしている。

大量生産では、一般にかんすいを用いるが、古い時代の製法にこだわってガジュマルなどの灰汁を用いる自家製麺の店も増えつつある。また、原料は輸入小麦を用いるのが圧倒的多数だが、ポストハーベストの不安から国産小麦にこだわる店や、全メニュー化学調味料なしを宣言する店も存在する。

トッピングとしては、三枚肉を用いる標準的な沖縄そばに加えて、ソーキそば、軟骨(ソーキ)そば、ラフテーそば、ふーちばーそば、アーサそば、野菜そば、てびち(豚足)そば、中味(豚モツ)そば、ゆし豆腐そば、などが代表的である。弁当屋などでスープ代わりに販売される安価なもの(100円そば)では、肉が省略されたりポーク(ランチョンミート)で代用されることも多い。麺にアーサやふーちばー、イカスミなどを練りこんだり、カレーキムチなど独自の味付けで個性を追求する飲食店も散見される一方で、逆に沖縄そばとソーキそばのみ出すなどメニューを絞る店もある。いくつかのメーカーからはインスタント沖縄そばやカップ麺の沖縄そばも販売されている。

また、沖縄の大衆食堂でよく見かける焼きそばは、沖縄そばの麺が使われる。歴史は比較的新しく、既成麺が流通し始めた昭和30年代に誕生したと考えられる。具は肉・野菜だが、ランチョンミートもよく用いられる[1]。初期はケチャップ味が主流[2]で、日本発祥のナポリタンスパゲティの味に似ていたが、今ではウスターソース味、塩味・塩胡椒味、醤油だし味のものが増えている[3]

近年、本土の冷やし中華を模した冷やしそばを出す店もまだ少数ながら現れている。元来沖縄では主食に冷たいものを食べず、コンビニのおにぎりも電子レンジで加熱する習慣があるほどであるが、そんな中で冷やしそばは本土風の食文化が入り込んだ例として今後の展開が注目される。

21世紀になって、沖縄県内だけを見てもメニューに入れる店が2000軒以上に及び、1日約15万から20万食が消費され、県民のみならず沖縄を訪れた人が一度は口にするといわれるほど人気がある。国際的にも沖縄そばの店はブラジルなど日系移民の住む国、ブラジルの南マットグロッソ州の州都カンポグランデ市など[4]沖縄出身の移民が多い地域を中心に広がっている。

[編集] 「沖縄そば」という名称

1972年本土復帰以前は、沖縄でそばと言えばすなわち沖縄そばのことであったので、特に意識することなく単に「そば」と呼ばれることがほとんどであった。その後日本そばとの混乱を避けるために「沖縄そば」という呼称が用いられるようになったが、1976年に沖縄県公正取引室が、全国生めん類公正取引規約の「そばの名称は、蕎麦粉が30%以上混入されていること」を根拠に、この名称に対してもクレームをつけた。しかし戦前より一貫して「そば」と呼ばれてきた伝統、慣習を守れとの機運が強く、沖縄生麺協同組合等の交渉により、1977年通称としての「沖縄そば」が県内のみ使用と限定され認可された。その後、1978年10月17日に公正取引協議会「生めん類の表示に関する公正競争施行規則」別表に「本場 沖縄そば」と表示され、沖縄県内で生産され、仕上げに油処理を行うことなどいくつかの条件の下に特殊名称としての使用が許可された。これを記念して10月17日は「沖縄そばの日」とされている。

1987年4月5日には沖縄そばの本土への移出が認可され、沖縄県以外の地域でも沖縄そばという名称で販売、流通することが可能となった。現在は中華めんの一名称として正式に認められており、かんすい(唐あくを含む)を用いた麺に対しては、産地や製法などの制約なく沖縄そばの名称を使用してよいことになっている。

[編集] レシピ

那覇のソーキそば
那覇のソーキそば

小麦粉に、かんすい、または灰汁(あく、灰の上澄み液)を混ぜ込んでよく練り、寝かせる。これを太めに切って麺をつくり、揉んでちぢれをつけた麺を茹で、熱いうちに油をまぶして自然冷却する。

麺をお湯で温めなおして油分を飛ばす。 そこにまたは豚骨、昆布などを使っただしをかけ、具に三枚肉と言われるバラ肉をゆでたもの、あるいはソーキ(豚の豚のあばら骨周辺の肉を甘辛く煮込んだ角煮)またはてびち(豚足の煮込み)と、カマボコ、小口ネギ、紅生姜をトッピングする。好みでコーレーグスをかける。八重山地方においては、特産であるヒハツを香辛料として用いることも一般的である。

典型的なレシピを挙げたが、トッピングする具の多様化と同様に、店、地域、家庭ごとにレシピはさまざまである[5]。白濁した豚骨スープを用いる店もある。

[編集] 脚注

  1. ^ アジア料理を楽しむ会 - 沖縄焼きそば [1]
  2. ^ 千歳沖縄クラブ「グスーヨー」: 「沖縄焼きそばは、ケチャップ味だ。私の幼い頃からの記憶なかではソース味など無かった。」 [2]
  3. ^ 島唄まれまれ: 沖縄焼きそば [3]
    沖縄発! 役に立たない写真集: やきそば [4]
  4. ^ ブラジル・オン・ボード: カンポグランデ: 「沖縄出身の人々が多く、「ソバ(沖縄そば)」はこの町の味として定着している」 [5]
    ニッケイ新聞: 和麺=日本起源のブラジル文化になるか(7)=沖縄そば〃地位確立〃 カンポ・グランデ「最初恥ずかしかった」: 日系人も非日系人も SOBA を頬張っている [6]
    沖縄タイムス「海外沖縄」: ブラジルのカンポグランデ市に移転した具志堅弘さんは農家、精肉店、沖縄そば店の経営など転職を重ね、芸能研究所を運営する琉舞家である。[7](2001年9月22日)
  5. ^ Flickr.com: 石垣島の味噌味ソーキそば [8](Flickr 写真)

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • エイ出版社(編)『今、旨い沖縄そば店114 えっ、あの店のそばまだ食べてないの!?』エイ出版社、2005年6月、ISBN 4777903435
  • すばドゥシの会(編)『私の好きなすばやー物語 那覇・島尻・中頭・山原・宮古・八重山』ボーダーインク、1995年6月
  • すばドゥシの会 '99(編)『もっと食べたい 私の好きなすばやー物語〈2〉沖縄じゅうの美味しいそば屋さん大紹介と沖縄そばの真実にカラム!』ボーダーインク、1999年8月、ISBN 4938923785
  • まぶい組(編)『波打つ心の沖縄そば 沖縄そばが食べたくなる本』沖縄出版、1987年8月、[9]

[編集] 外部リンク

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