梶本勇介
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梶本 勇介 東京ヤクルトスワローズ No.39 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市城東区 |
生年月日 | 1983年12月18日(24歳) |
身長 体重 |
177cm 75kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
守備位置 | 二塁手、遊撃手、三塁手 |
プロ入り | 2001年 ドラフト2巡目 |
初出場 | 2004年8月21日 |
年俸 | 630万円(2008年) |
経歴 | |
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梶本 勇介(かじもと ゆうすけ、1983年12月18日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 人物・来歴
[編集] アマチュア時代
専大北上高時代は1年生の時からセンターでレギュラーを掴み、夏の岩手大会にも出場。2年生になると春季大会からエース兼4番として活躍[1]。夏の岩手大会では、決勝戦の完封を含めて3完封1完投に本塁打も記録し、第82回全国高等学校野球選手権大会に出場に大きく貢献した。甲子園では1回戦で明徳義塾高校と対戦し、8回を完投するも、3失点で敗戦投手となっている。3年生の春季県大会では5試合で5本塁打を記録するも決勝戦で敗退。しかし続く東北春季大会では、決勝まで4連投で専大北上の初優勝に貢献した。夏の県大会も決勝までで2完封を記録していたが、決勝戦で惜しくも完投負けを喫し、2年連続の甲子園出場はならなかった。
当時は投手としても最速147km/h、常時130km/h後半の速球とスライダー、カーブを投じ、最終学年では投手としての指名をほのめかす球団も存在した。しかし2001年のドラフト会議では、高校通算40本塁打の打力を買って野手として評価していたヤクルトスワローズからドラフト2巡目で指名された。本人も野手挑戦に意欲的で、推定契約金6000万円・年俸500万円でプロ入りが決まると共に、打撃センスを買われて内野手にコンバートが決まった。その後、主に遊撃手で練習を開始した。
[編集] プロ入り後
実質内野手一年目ということもあって、体力と守備の基礎固めのシーズンとなった。キャンプ・シーズン共にファームで過ごし、二軍の公式戦では31試合に出場している。俊足を活かすためにスイッチヒッターの練習をはじめ、秋のコスモスリーグでは転向した左打席からプロ入り後初の本塁打を放つなど、実戦への強さを発揮。当初は守備でも安定感を欠いたが、徐々に守備範囲も広がり遊撃手としての試合も経験。順調なシーズンを過ごした。
本格的に両打ちに転向。3月に中学時代からの持病であった左膝を手術し、前半戦はファームでリハビリの毎日を送った。6月から試合に復帰し、二軍では最終的に前年を上回る39試合に出場。9月にはイースタン初の本塁打を、またも左打席から放っている[2]。秋季キャンプでは西都キャンプ名物となっていた階段昇りで1位を取るなど、監督の若松勉ら首脳陣へアピール。手術した足に不安がないところを見せた。
オフには岩村明憲に誘われて共に自主トレを行った。キャンプ・開幕時はファームだったものの、三年目にして打力でもアピールできる試合が増え、6月には3試合連続本塁打を含む5本塁打でファームの月間MVPを受賞。8月20日には藤井秀悟の抹消に伴って、期間限定ながら3年目にして初の一軍を経験した。2試合で安打は出なかったものの、代走でプロ入り初出場した8月21日の試合では二塁守備について2度の守備機会をこなしている[3]。ファームでは自己最多の92試合に出場し、二遊間のスタメンに定着。打率も自己最高の.269で、7本塁打、35打点、8盗塁とパンチ力とスピードの両方をアピールした。
選手登録を正式に両打ちに変更した。一軍昇格の機会こそなかったが、7月24日のフレッシュオールスターでは三塁打を含む4打数2安打と活躍し、優秀選手賞を受賞。ファームでは前年に続いてスタメンとして89試合に出場した。打率も一時は3割を超え、最終的には.293(規定打席到達選手中、チームトップ)、6本塁打、8盗塁をマークした。94安打を記録し、イースタン・リーグ最多安打のタイトルを獲得。一方でリーグ2位の71三振と、確実性に課題を残した。守備面でも前年の19失策に次ぐ16失策で、田中浩康の加入もあって層の厚くなった二遊間ではアピールしきれなかった。
キャンプ・開幕は二軍スタートだったが、宮本慎也の故障などもあって、4月30日に手薄になった内野手の補充要員として2年ぶりに一軍に昇格した。5月4日の対広島戦で、代打で一軍初安打を記録。6月3日の対オリックス戦では、7番遊撃手として一軍初スタメン出場。抜擢にこたえる形で4打数2安打と結果を残した。売り出し中の平野佳寿から放った左打席からの三塁打は、フェンスまで飛ばした飛距離といい、俊足を活かした好走塁といい、梶本らしい一打であった。一軍21試合に出場し、7安打2盗塁とまずまずの結果を残した。
一軍帯同が多かったため出場が67試合に減ったファームでも、打率.291、7本塁打、13盗塁(チームトップ)を記録。イースタン・リーグトップの三塁打4本、同リーグ3位の長打率.462と、俊足・長打力の両方で結果を残しており、二塁手・遊撃手だけでなく三塁手や外野手でも起用された。
プロ5年目にして初の一軍キャンプスタートとなった。オープン戦では本塁打も記録し、初の開幕一軍も決定。4月半ばには打撃不振の田中浩康にかわって二塁のスタメンで2試合に出場したが、梶本自身も打撃で結果を残す事が出来ず、4月22日に二軍降格。以降ファームでも78試合で打率.251、3本塁打、11盗塁と調子が上がらず、一軍復帰はならなかった。守備面でもグラブ捌きなどに苦戦気味で、外野にも挑戦している。秋のキャンプではスピード野球を掲げる新監督の高田繁から期待の一人としてコメントされた。
2年ぶりの二軍キャンプスタートとなった。開幕も二軍で迎え、4月は低調が続いた。しかし5月に入って月間打率4割超と調子を上げ、自身二度目となるイースタンの月間MVPを受賞した。
[編集] プレイスタイル
- 膨大な練習量を誇り、複数の媒体で「真面目」と首脳陣に評価される、大変な努力家として知られる。実質プロ入り後に始めた内野守備でも、動きの早さや、送球のコントロールには定評がある。2007年現在は、外野守備にも挑戦中である。
- 元々は右打ちであったが、ファームでは左打席からも本塁打を複数回記録している。パンチ力は目を見張るものがあるが、確実性が課題となっている。
- スピード感のあるプレーが持ち味で、二軍ではチームでも上位の盗塁数を見せる。
[編集] エピソード
- 選手名鑑の愛車の欄に「水没しない車」と書いている。どんな車なのか、何故そんなことを書いているのかなどは一切不明。さらに、趣味は「上原厚治郎選手の祖母との会話」と書いていて、週刊ベースボールで「謎のキャラ」と紹介された。
[編集] 通算打撃成績
- 30試合 59打数 8安打 打率.136 0本塁打 1打点 2盗塁
[編集] 記録
[編集] 脚注
- ^ 当時1年上には1年後に再びヤクルトでチームメイトとなる畠山和洋がいたが、畠山は3番で、梶本が4番を任せられていた。
- ^ 2003年5月28日の「サンスポ」によると、本人も「左打席は癖が無い」と語っている。球団公式HPなどによると、結果を出す焦りもあって、右打席の方が状態は悪かった。
- ^ 監督の若松によると、手が震えていたようだという。
[編集] 関連項目
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 畠山和洋 - 高校・プロを通じて、一年先輩。
監督 |
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88高田繁 |
コーチ |
80小川淳司(ヘッド)|77八重樫幸雄(打撃)|73大田卓司(打撃)|72荒木大輔(投手)|84伊藤智仁(投手)|83馬場敏史(内野守備走塁)|85飯田哲也(外野守備走塁)|71中西親志(バッテリー)|81長田孝幸(コンディショニング) |
二軍監督・コーチ |
89猿渡寛茂(監督)|99山部太(投手兼トレーニング)|74八木沢荘六(投手)|75土橋勝征(打撃)|79淡口憲治(打撃)|76角富士夫(内野守備走塁)|82佐藤真一(外野守備走塁)|97高橋寛(育成)|92中村達昭(コンディショニング) |
投手 |
11由規|12林昌勇|13佐藤賢|14高市俊|15村中恭兵|16加藤幹典|17川島亮|19石川雅規|20鎌田祐哉|21松岡健一|22増渕竜義|24花田真人|25館山昌平|26岡本秀寛|30西崎聡|34リオス|35橋本義隆|41高井雄平|42木田優夫|44松井光介|47遠藤政隆|48萩原淳|52伊藤秀範|53五十嵐亮太|57丸山貴史|58高木啓充|61石井弘寿|62吉川昌宏|63山本斉|65押本健彦|66山田弘喜|68上原厚治郎|70河端龍|78ゴンザレス |
捕手 |
28川本良平|32小野公誠|37福川将和|38衣川篤史|51米野智人|59水野祐希|112小山田貴雄(育成選手) |
内野手 |
00川島慶三|2リグス|4度会博文|6宮本慎也|7田中浩康|10城石憲之|33畠山和洋|36川端慎吾|39梶本勇介|40大原秉秀|45ウィルソン|46鬼崎裕司|55野口祥順|60三輪正義|67大塚淳 |
外野手 |
0志田宗大|5ガイエル|8武内晋一|9飯原誉士|23青木宣親|29福地寿樹|31真中満|43宮出隆自|49松元ユウイチ|50上田剛史|54斉藤宜之|56中尾敏浩|64牧谷宇佐美 |
ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ) 2001年ドラフト指名選手 |
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自由獲得枠:石川雅規 / 2巡目:梶本勇介 / 4巡目:内田和也 / 5巡目:福川将和 6巡目:萩原多賀彦 / 7巡目:五十嵐貴章 / 8巡目:志田宗大 |