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梵 英心(そよぎ えいしん、1980年10月11日 - )は、広島県三次市出身で広島東洋カープ所属のプロ野球選手(内野手)。背番号は6。一部のファンからは「梵」を別の読み方で読んだ、「ボン」と呼ばれることもある。
[編集] 来歴・人物
- 実家は江戸時代初期から続く浄土真宗本願寺派専法寺である。そのため2006年の春季キャンプの紅白戦で初本塁打を放った時には、嶋重宣や福井敬治から合掌で出迎えを受けていた。
- 梵姓は仏教用語に由来し、真宗僧侶が明治期になって苗字を公称する際に命名した奇姓の一つである(ほかに「禿(かむろ、かぶろ)」姓など)。読み方のそよぎは梵の父親によると、「祖先がなぜ“そよぎ”と読んだかは分からない。ただ“凡”を“風”にとらえ、“林”に“風”が吹いて“そよぐ”としたのでは。頓知が効いた人だったかも」との事である。全国でも4件ほどしかないというが、「そよぎ」と読むのは1件のみと思われる。[要出典]
ただ「梵」を「そよぎ」となかなか読んで貰えず、本人曰く「(梵語〔ぼんご〕の読みから)ボンちゃんと呼ばれてもしょうがないスよね」とのこと。なお、チーム内ではブラウン監督発祥の「ヨギ」という呼称が広まっているという。
- プロでの目標は2000本安打。
- 将来的に背番号7(大学の先輩である野村謙二郎が現役時代につけていた)を付けることを目標にしており、2007年から変更かと思われていたが、結局6に変更された。
- 趣味は料理、好きな言葉は「ポジティブ」・「前向き」。マイペースな性格で大下剛史曰く1番打者向き。小柄ながらリストが強く、パンチ力ある打撃が持ち味。好きな食べ物は焼肉。
[編集] 2006年
- オープン戦の活躍で開幕一軍を勝ち取り、中日ドラゴンズとの開幕戦、6番セカンドでスタメン抜擢される。カープでの新人開幕スタメンは1969年の山本浩二以来37年ぶり。更に1961年の山本一義以来45年ぶりのヒットも放った。
- 9月7日の横浜ベイスターズ戦(下関球場)でエンタイトル二塁打を放ち、1958年に小坂佳隆が記録した新人安打数球団記録(112本)を48年ぶりに更新した。
- 本来は遊撃手だが、プロ入団後は三塁や二塁の守備に就くようにもなった。土のホームグラウンドの影響もあってか失策が多かった。強肩と俊足を生かした広い守備範囲に定評があるとされたが、遊撃手の見せ場の一つである間一髪のダブルプレーが捕球→送球の動作が俊敏でないためアウトにできなかった。開幕直後攻守にミスが目立ったが、ブラウン監督が辛抱強く起用し続けた結果、開幕当初1割にも満たなかった打率を3割近くに上げたり、好守を見せたりするようになるなど短期間で攻守ともに急成長。また得点圏打率は3割5分を超え、三塁打は狭い広島市民球場を本拠地とし、右打者ながら8本を放ち、両リーグ通じて単独トップ。盗塁もチームトップの13個。
- 東出輝裕と二遊間を守り、広島打線の1、2番コンビとして定着した。しかし、9月26日阪神甲子園球場での練習中、コーチのノックがイレギュラーして右目を直撃、検査の結果「右眼窩部打撲」と診断され登録抹消。横浜・吉村裕基、中日・佐藤充と争ってきた新人王争いにはまだまだアピールが必要であり、また、ルーキーでありながらチームの攻守の要であるため梵本人は勿論、チームにとっても非常に痛い戦線離脱であった。その日はベンチ裏で人目もはばからず号泣。そして10月14日の阪神戦(広島)で復帰し8回に代打出場。そのまま守備に就き、打球も無難に処理しファンを安堵させる(守備時には未だ赤い目に防御用ゴーグルを着用であった)。最終的には打率.289、安打数130という結果でルーキーシーズンを終えた。その結果、次点横浜・吉村に倍以上の票差をつけて入団会見での公言通り2006年度新人王受賞。広島の新人王は1997年の澤崎俊和以来9年ぶり、野手では1984年の小早川毅彦以来チーム2人目である。
- 同級生で二遊間を組む東出輝裕と2人でゴールデングラブ受賞することを目標にしている。そのため、2006年の秋季キャンプでは東出と常に行動を共にする等、息を合わせ、二遊間コンビとしての仲を深めている一方、「悪い事しないように」と見張られているらしい。2006年オフに背番号を6に変更。
- 2006年オフシーズンに実家であるお寺を、ブラウン監督が直々に訪れている。
- 2006年12月16日に男児が誕生した。
[編集] 2007年
- バットを前年よりも長く持ち、長打も狙って行くスタイルに切り替えを図ったのが功を奏してか、18本塁打を記録。しかしポップフライや三振が増える等、1番打者としては淡白な打撃になった。シーズン後半には6番として出場する等、長打力を活かした配置転換を試され、前年に比べて大きく打撃スタイルが変化した。ただし打率こそ大きく落ちたものの安打数は前年に比べて増えており(打席数が増えた事も要因ではあるが)、四球数も前年27個に対し、51個選んだ。これは長打力の向上や1年目の活躍により相手投手から警戒され、コーナーをつく球が増えたこと、それを見極める力が向上したことによる。
- 守備面も向上を見せ、ショートとしては両リーグ唯一の100併殺を達成。失策はショートではセリーグ最多だったが、RF(レンジファクター)(守備率を参照)は両リーグでも1位だった。
[編集] 経歴
[編集] タイトル
[編集] 年度別成績
[編集] エピソード
- チームメイトの永川勝浩とは三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみ。高校時代も1度だけ公式戦で対戦があり、この時は3打数3安打だった。しかし東都大学野球時代は永川から1本もヒットを打てなかった。
- 怪我が多かったせいか、なかなかドラフトには掛からなかったが、2005年都市対抗野球で首位打者を獲得し、念願のドラフト指名を勝ち取った。いわゆる松坂世代で最後のプロ入り選手になるかも、との声もあった。(ただし、2007年に渡辺直人、衣川篤史、松本幸大、金森久朋の4人がプロ入りしたため、本当に最後ではない)。
- 今でこそ遊撃手がメインだが、アマチュア時代では遊撃手の経歴はそれほど豊富というわけではなく、駒大時代は一塁または三塁などを守る事が多かった。日産自動車に就職した後も、最初は主に三塁手としての起用が多かったが、徐々に遊撃での起用が増えていった。この辺は、同チームに伊藤祐樹や、第14回アジア競技大会野球日本代表の四之宮洋介などの名手が身近にいた事もあり、元々身体能力の高い梵にとって技術的に好影響があった事も考えられる。
- 祖父の告別式と重なった4月27日の対巨人戦では2安打、うち1本は桑田真澄からのプロ初本塁打と大活躍。おじいちゃん子だったらしく、ヒーローインタビューでは目を赤くしていた。この時「じいさんが打たせてくれたかも。これ以上、何も聞かないで下さい。泣いてしまうから」とコメント。
- 2006年7月13日の阪神タイガース戦(甲子園球場)で先制ソロにタイムリーを含む2二塁打を放ち、守備ではファインプレーも飛び出し、その日のお立ち台に立った。そのヒーローインタビューで、試合中マウンドへ寄った(投手・黒田博樹)ときのことを聞かれて「黒田さんがワンパターンなリズムで投げてたので間を置きたかった」とルーキーにもかかわらず大胆な発言をした。ちなみに梵は同年シーズン中の本塁打8本のうち、4本を黒田登板時に打つなどの活躍もしている。
- 日南での秋季キャンプ中、東出輝裕とカープDON!の取材を受けた際に東出から、9月22日の対横浜戦で三塁手の新井貴浩のはじいた打球を処理してベンチに戻る時に笑っていたことを「新井さんが隣(サード)守っててたまに変なプレーした時に笑っているのはどうかと」と、釘を刺されてしまった(しかも新井は梵の駒澤大学の先輩である)。実は森笠繁も笑っていて倉義和に頭をたたかれて怒られていた。
- 梵の2006年新人王受賞を記念して、地元三次市の白蘭酒造が清酒『英心』を発売した。720mlの本醸造酒で、梵英心のサイン入りポストカードが1枚付いている。
- 右打者で一塁までの到達タイムは3秒台を記録することがあり驚異的な俊足の持ち主である。
[編集] 出囃子(テーマソング)
- 広島では選手のテーマソングが導入されたのが2006年であり、2007年現在は最初の打席以外は適当なBGMが流れる。
[編集] ドラマ出演
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク