嶋重宣
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嶋重宣 広島東洋カープ No.55 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県ふじみ野市(旧:上福岡市) |
生年月日 | 1976年6月16日(32歳) |
身長 体重 |
181cm 95kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
守備位置 | 右翼手 |
プロ入り | 1994年 2位 |
初出場 | 1997年6月29日 |
年俸 | 5200万円 |
経歴 | |
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嶋 重宣(しま しげのぶ、1976年6月16日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。
ポジションは投手(1995~1999)→内野手(2000~2004)→外野手(2005~)。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] アマチュア時代
- 中学では上福岡シニアに所属し、三澤興一の2年後輩。1年次から投手として注目を集めた。
- 中学時代、当時埼玉栄高野球部監督だった若生正広監督を慕っており、中学卒業後は若生が異動した東北高校に進学した。
- 東北高校では2年春と夏、3年春と3度甲子園に出場、高校通算では28本塁打を記録。
- 同学年で同じサウスポーの小野仁(当時秋田経法大付属高校)とともに140キロ台後半のストレートを武器としており、全国屈指のサウスポーとして注目を集めていた。
- 2年秋の東北大会では準決勝で対決、ともに延長16回を完投して嶋が19奪三振、小野が24奪三振の快投で4時間を越える試合を戦った。(結果は1-0で東北高校のサヨナラ勝ち)
- 3年時には小野とともに高校生として史上初めて日本代表に選出され、キューバ戦に登板。小野は3番オマール・リナレスから、嶋は4番オレステス・キンデランから三振を奪った。
- やはり同学年で仙台育英高の金村曉(2008年より阪神)は同県のライバル。
- 2年冬には盲腸のため手術を受けるが、このときの執刀医が「こんな芸術的な腹筋は初めて見た。」と言ったほどの筋肉だったといわれている。しかし、このときの縫い跡に違和感が残った影響がプロで投手として成功できなかった原因といわれている。
- 1994年ドラフト2位で投手として、広島東洋カープに入団。
- 獲得に当たった苑田聡彦スカウトは投手としての成功を信じており、嶋に対してコーチの前でバットを振らないよう念を押している。これは当時から打力の高さも認められるところであり、打者転向を避けて投手として勝負するためだった。
[編集] プロ入り後
一軍では2試合に登板したが勝利を挙げられなかった。1998年3月7日のオープン戦(対ヤクルト・福山市民球場)では、プレイボール直後の初球で飯田哲也に頭部危険球、わずか1球で退場になってしまうという珍記録を樹立。ちなみにプロ初先発の試合では投手ながら2点タイムリーを放って、後に打者として開眼する僅かな兆候があった。1999年に本格的に野手転向。2軍で3割を超える成績を度々残し、2002年には打率.314でウェスタン・リーグ首位打者も獲得したが、腰痛やチーム事情などの理由でなかなか試合出場に恵まれずにいた。
プロ入り10年目にあたる2004年のオープン戦から好成績を残しレギュラーを奪取。序盤に非常に高い打率を残し、その後も快調に安打を量産し続け一時はリーグ記録(当時)である192の更新も期待された。安打は終盤に腰痛等で失速し189で終わったものの、首位打者と最多安打、さらにベストナインのタイトルを獲得した。首位打者獲得の前年まで出場試合数の機会が少なく、2003年も出場が2試合で打席数2、安打数が1と極めて少ないという点で記録的にも類を見ないタイプのバッターで、しばしば遅咲き選手の代表例として取り上げられる。なお、首位打者獲得前年の安打数が1本というのは、史上最少である。
ニックネームは広島のチームカラーと、ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜と同じ背番号55にちなんで「赤ゴジラ」。2004年の流行語大賞にも「赤ゴジラ」としてノミネートされた。ゴジラというニックネームの元祖であるその松井は嶋が投手として最後に対戦した打者でもある。 守備範囲は広くはないが投手だったこともあり、なかなかの強肩である。元は内野手登録だった為か、外野手のほかに一塁の守備にも就くことがある。
2005年はマークもあってか打率は1度も3割到達しないままシーズンを終えた。
2006年は更に打率を下げ前半戦は2割7分台程度。しかし代打では重要なところで本塁打も放った。後半戦に入った途端に打撃の調子を上げ、8月23日に2本塁打を放ち、3年連続20本塁打達成。しかし、9月25日にバットスイングからくる右肩痛を発症、登録抹消された。ブラウン監督は「今季の残り試合数を考えれば、もう戻らない」と無理をさせぬよう出場させなかった。
2007年シーズン前にアメリカに渡ってトレーニングし、節制する等体調管理を心掛けてシーズンイン。大きな期待をかけられてシーズンに入るのだが、前年の肩痛が再発して所為で前半から中盤まで酷い不振に陥った。9月以降に漸く調子を取り戻すが、トータルでは前年よりさらに低い成績に終わった。ただし長打力は健在で、新井貴浩とほぼ遜色ない本塁打率であり、長打力に置いては球団トップクラスである事を証明した。
2006年シーズン中には、週刊ベースボールで渡辺俊介と週替わりでコラムを掲載していた。タイトルは「嶋重宣 赤GODZILLAの挑戦」。
毎年、オフは広島のローカル番組やラジオ番組の出演が多い。本人が喋りが上手いという事もある。本人が梵や新井とDJを務める広島エフエム放送の「DO THE CARP」はファンには好評である。
[編集] 年度別成績
[編集] 打撃成績
年度 | 所属 | 背番号 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗刺 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺 | 打率 | 失策 |
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1997 | 広 島 | 34 | 2 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 0 |
1999 | 47 | 126 | 118 | 12 | 33 | 7 | 1 | 3 | 51 | 20 | 1 | 2 | 1 | 0 | 6 | 1 | 29 | 0 | .280 | 0 | ||
2000 | 00 | 41 | 54 | 52 | 6 | 13 | 4 | 0 | 0 | 17 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 13 | 0 | .250 | 1 | |
2001 | 17 | 17 | 16 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | 1 | .188 | 1 | ||
2002 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | - | ||
2003 | 2 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .500 | 0 | ||
2004 | 55 | 137 | 615 | 561 | 94 | 189 | 23 | 3 | 32 | 314 | 84 | 6 | 3 | 1 | 3 | 48 | 2 | 104 | 13 | .337 | 5 | |
2005 | 144 | 625 | 560 | 77 | 161 | 23 | 0 | 27 | 265 | 77 | 4 | 2 | 0 | 7 | 53 | 5 | 112 | 10 | .288 | 3 | ||
2006 | 128 | 530 | 495 | 56 | 133 | 12 | 0 | 24 | 217 | 69 | 2 | 4 | 0 | 5 | 27 | 3 | 102 | 11 | .269 | 7 | ||
2007 | 105 | 315 | 285 | 28 | 65 | 16 | 1 | 14 | 125 | 48 | 4 | 4 | 0 | 2 | 23 | 4 | 52 | 5 | .228 | 0 | ||
通算 | 624 | 2286 | 2091 | 275 | 599 | 85 | 5 | 100 | 994 | 308 | 18 | 15 | 1 | 17 | 160 | 15 | 417 | 41 | .286 | 17 |
[編集] 投手成績
- 2試合 0勝1敗0S 防御率7.71(1997年)
[編集] タイトル・表彰
[編集] 記録
- 初出場:1997年6月29日、対ヤクルトスワローズ戦(倉敷マスカットスタジアム)
- 初安打:1997年9月21日、対読売ジャイアンツ戦(広島市民球場)
- 初本塁打:1999年8月3日、対横浜ベイスターズ戦(呉二河球場)
[編集] TV出演
- クイズ・ミリオネア - フジテレビ(2004年)
[編集] 関連項目
- 広島東洋カープの選手一覧
- 山本浩二
- 松井秀喜
- DO THE CARP - 本人出演の地元ラジオ番組
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監督 |
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71マーティ・レオ・ブラウン |
コーチ |
75ジェフ・リブジー(ベンチ)|72内田順三(打撃統括)|88小早川毅彦(打撃)|73小林幹英(投手)|87澤崎俊和(ブルペン)|77高信二(内野守備走塁)|85永田利則(外野守備走塁)|84植田幸弘(バッテリー)|89水本勝己(ブルペン補佐) |
二軍監督・コーチ |
76山崎立翔(監督)|82浅井樹(打撃)|80山内泰幸(投手)|74岡義朗(内野守備走塁)|83朝山東洋(外野守備走塁兼打撃補佐)|78熊沢秀浩(バッテリー) |
三軍コーチ |
81道原裕幸(バッテリー)|86阿部慶二(野手) |
投手 |
11ルイス|13佐竹健太|14篠田純平|16宮崎充登|17大竹寛|18前田健太|19上野弘文|20永川勝浩|21齊藤悠葵|22高橋建|23横山竜士|24河内貴哉|28広池浩司|29佐藤剛士|30森跳二|34コズロースキー|36青木勇人|39梅津智弘|42長谷川昌幸|46大島崇行|47青木高広|48岸本秀樹|53林昌樹|58小島心二郎|62今井啓介|65相澤寿聡|67丸木唯|68金城宰之左|69中村憲|70シュルツ|93マルテ|122山中達也(育成選手)| |
捕手 |
27上村和裕|31石原慶幸|32白濱裕太|40倉義和|61山本翔|64会沢翼 |
内野手 |
00山崎浩司|2東出輝裕|4尾形佳紀|5栗原健太|6梵英心|10比嘉寿光|12小窪哲也|25シーボル|44喜田剛|45松本高明|52大須賀允|56中谷翼|57甲斐雅人|59山本芳彦|60安部友裕|66木村昇吾 |
外野手 |
0井生崇光|1前田智徳|9緒方孝市(野手コーチ兼任)|26廣瀬純|33鞘師智也|35中東直己|37松山竜平|38赤松真人|41森笠繁|43アレックス|49天谷宗一郎|50鈴木将光|51末永真史|54吉田圭|55嶋重宣|63丸佳浩|121山内敬太(育成選手) |
広島東洋カープ 1994年ドラフト指名選手 |
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1位:山内泰幸 / 2位:嶋重宣 / 3位:朝山東洋 / 4位:高橋建 / 5位:横山竜士 / 6位:田村恵 / 7位:井上絋一 |