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富士宮焼きそば - Wikipedia

富士宮焼きそば

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

富士宮焼きそば(ふじのみややきそば)は、静岡県富士宮市周辺で食べられる焼きそばであり、ご当地グルメとされる。

目次

[編集] 概要

富士宮焼きそばは、通常の焼きそばとは製法や使う食品が大きく異なる。主な特徴として麺のコシの強さ、肉かすの使用、仕上げに削り粉をふりかけるといったことが挙げられ、コシを引き出すために通常の焼きそばにある茹でる工程がない。変わりに蒸した後に麺を強制的に冷やした上で、油で表面をコーティングしている。そのため調理前の状態では水分が少なく固い状態のため、調理の際に水を加えることで調節し、調理を行う。なお、富士宮焼きそばとして使われる麺は、富士宮市内の製麺業者であるマルモ食品工業,叶屋, 曽我めんの麺を指す。

[編集] 調理方法

具を炒めた後に麺を入れ、すぐ少量の水を注ぎ、炒める。水分がなくなったところで焼きそばソースを入れてかきまぜる。水の量は適度な量で調節しなければならず、ここで出来上がりに大きな違いがでる。 具・トッピングは、肉かすラードを絞った後の豚の脂身)、キャベツ などであり、完成後にサバイワシ削り粉を振り掛けて食べるのが一般的とされる。店や家庭によっては、イカ、ひき肉、桜エビを入れるものも存在する。

[編集] 起源

[編集] 麺の歴史

麺の由来については、富士宮市の製麺会社であり、この麺の発明者ともいわれるマルモ食品工業の初代社長が次のように述べている。

「当時ガリオアエロア援助による小麦粉が出回り、粉食が奨励されているなか、台湾産のビーフンの食感を求めて麺を作り始め、婦人会等の多くの皆様のアドバイスを受け現在の原形が出来上がりました。」[1]

上記のように当時の製麺会社社長 望月晟敏(現会長)は台湾ビーフンの再現を目指していたのだが、その背景には、他に以下のような事情が存在した。 富士宮市は富士山本宮浅間大社門前町であり、古くから富士講の霊場であった富士山への登山客や、寺社への参拝客が多く訪れていた。また富士宮には身延線の主要駅も存在し、静岡県と山梨県を結ぶ交通の要所でもあるため、太平洋戦争の前後には、山梨県から物資の調達に来る買い出し客や、物々交換で物資を求めて来る人たちもいた。こうした人々の中には、山梨に焼きそばを持ち帰りたいという人がいたが、当時の保冷技術と交通手段は未発達であり、山梨に到着するまでには麺が傷んでしまうという難題があった。こうした課題を克服するため、麺作りに工夫がなされていったとされる。

[編集] 戦後

富士宮市内では終戦直後から、お好み焼き店や鉄板を備えた駄菓子店が多く開店し、そこでは主に小麦粉(メリケン粉)の生地に刻みキャベツを入れ、ウスターソースで味付けした具無しのお好み焼きのような食べ物を「洋食」と称して安価で提供していた。焼きそばもこれらの店で提供された。このような歴史的背景から富士宮焼きそばは定着していたと言える。また、当時の富士宮では製糸業が盛んで、信濃絹糸紡績株式会社(現在のシナノケンシ)をはじめ、複数の製糸工場が操業されており、そこで働いていた女工たちが休日外食をする際には、こうした店が利用された。また太平洋戦争当時、富士・富士宮地方から招集された兵士たちはおおよそ満州に派遣されていたことから、戦後復員した元兵士たちにとっても炒麺に似た焼きそばは受け入れやすい料理であった。このような歴史的背景から富士宮焼きそばは地元で定着していたと言える。

[編集] 「富士宮焼きそば」としての出発

富士宮市周辺から他地域に移住・出向した人たちが、その出先で富士宮やきそばとは異なる焼きそばを食べた際に「まずくて食えたものではなかった」と口をそろえて言うことに着目し、1990年代後半に、町おこしでの方向性を考えることとなった。また独自調査の結果、富士宮市は焼きそばの消費量が日本一であったことから、彼らは2000年に町おこしとして「富士宮やきそば学会」を立ち上げ、地元で食べられている焼きそばを「富士宮焼きそば」として、PRキャンペーンを行った。 その後、富士宮やきそば学会を中心に既存の町おこし事業を行う団体がNPO化した法人「まちづくりトップランナーふじのみや本舗」が結成され、町おこしに成功した一例として、各地で講演活動を行っている。 2002年秋には、富士宮焼きそばと同様に焼きうどんで町おこしを企画している北九州市の名店と勝負するというイベント「天下分け麺の戦い」が小倉城公園で行われ、この顛末はテレビを通じて全国に放映された。 2006年2月八戸市で開催された第1回B-1グランプリというイベントでは初代王者に輝き、次回同大会の開催権を獲得した。このことにより、メディアによって紹介されることが多くなり、知名度が大きく上がった。 2006年8月には、久本雅美の妹である久本朋子が富士宮やきそば学会親善大使に任命された。 2007年2月13日には東洋水産からカップ麺として全国発売された。2007年6月現在、東京都内の一部でもこのカップ麺は継続販売されている。 2007年6月2日~3日にかけて行われた第2回B-1グランプリでは、第1回に続き優勝、2連覇を達成した。

[編集] 関連商品

富士宮焼きそばの麺は、市内の ショッピングセンタースーパーの多くで販売されている。また、通信販売も行われている。

[編集] 外部リンク


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