宇野正美
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宇野正美(うの まさみ、1942年 - )は、国際時事問題と、本人がその核と見なす「ユダヤ問題」を専門にした講演者兼著述家。株式会社リバティ情報研究所及び中東問題研究センターの創設者。
目次 |
[編集] 経歴
大阪市生まれ。1964年、大阪府立大学経済学部卒業。大学時代は学生運動の指導者。大阪市立天王寺商業高等学校で日本史の教師として11年勤務。その期間の入院中に聖書に出逢って研究を始める。そして、無教会派の内村鑑三の影響を強く受ける。退職後の1975年に「中東問題と聖書研究センター」を大阪で設立。1989年にはリバティ情報研究所を設立。
[編集] 反ユダヤ主義者?
[編集] 聖書根本主義者
宇野正美は旧約聖書及び新約聖書を神/創造主の言葉と信じるキリスト教徒である。そういう意味では、米国南部に多いイスラエルの支持基盤となっている福音派聖書根本主義者と同様であり、ユダヤ人が人種的に劣っているとする人種差別主義者ではない。
[編集] 親シオニストとして
宇野正美も最初は故メナヘム・ベギン元イスラエル首相と親しくするなど親シオニストであった。実際に彼は数十回もイスラエルを訪問。冷戦時の日本人には珍しく、イスラエル国会や首相官邸などを訪れて有力政治家らと何度も会っている。著書でも、第一次レバノン戦争時のサブラ・シャティーラ虐殺事件実行者はイスラエル軍でなく、レバノンのキリスト教徒右派であるマロン派だとイスラエル軍の弁護をしている。
[編集] ユダヤに敬服
宇野正美は世界の様々な事象の背後にあるユダヤ人の存在に注目かつ敬服していた。例えば、彼は米国の五大財閥はユダヤ系と考えた。また、ロイターやNYタイムズなど国際通信社、世界的新聞社等のメディアや独占的穀物メジャーに於けるユダヤ人の「支配力」に目を瞠らせてた。
[編集] 記号としてのユダヤ人
ただ、彼の言う「ユダヤ人」とは必ずしも現実のユダヤ人とは一致しない。実際にユダヤ人が多い自由業の法曹界やメディアやユダヤ系の穀物メジャーはともかく、石油業界など米国主力産業ではユダヤ人の社会的進出は遅れたし、東部エスタブリッシュメントの中のユダヤ人は必ずしもユダヤ人として振舞っているわけでなく、積極的に時のイスラエル政府の政策を支持するわけでもない。つまり、「記号としてのユダヤ人」を想定していた。
[編集] 預言に合わせて
ハル・リンゼイなど米国のキリスト教者に顕著に見られるが、宇野正美もヨハネの黙示録など聖書の預言書に合わせて国際情勢を解釈。
[編集] 終末思想
宇野正美は、再臨するキリストによる救世を信じている。そして、その前提となる「終末」の条件を2つを提示した。①(ローマ人を用いた)創造主により「離散させられた」ユダヤ人が聖地に帰還する事。②ユダヤ人が世界を支配する事により「異邦人の時代」が終わり「ユダヤ人の時代」が来る事。それに付随して、世界的独裁者が出現する事。彼の核にはキリスト教的ユダヤ教否定がある。ただ、これを「反ユダヤ」と見るなら西洋キリスト教世界自体が反ユダヤ的本質があると見なさなくてはならないので、ここでの「狭義の反ユダヤ主義者」は否定される。
[編集] 離散の否定
条件①に関して、テルアヴィヴ大学のシュロモー・ザンド歴史学教授の最新の著書によれば、古代からユダヤ人の「自主的移民」は常にあったが、「ローマ人によるユダヤ人離散」の歴史はキリスト教徒の作った神話で、聖地からの強制的追放が可能な輸送手段が作られたのは20世紀になってからで証拠は全く無いと言う。
[編集] シオン賢者の議定書
条件②に関して、宇野正美は自説を強化する為に戦前日本の情報機関により信憑性を否定されたシオン賢者の議定書を引用。これは、元毎日新聞永淵一郎の影響による。また、冷戦の本質はユダヤ地下政府とソ連地下政府の対立であるとする永淵氏の説も自説の強化に取り入れた。このシオン賢者の議定書の引用が後に問題とされる。
[編集] 犠牲者数に疑問
さらに、宇野正美は1986年に出版した「ユダヤが解かれば日本が見えてくる」で、アウシュビッツ取材の結果としてホロコーストでのユダヤ人犠牲者数として有名な600万人という数字に疑問を提示。この犠牲者数の疑問も問題化。
[編集] ベストセラー
宇野正美が1986年に出版した「ユダヤが解かれば世界が見えてくる」と「ユダヤが解かれば日本が見えてくる」は2冊で百数十万部を数えるベストセラーとなる。
[編集] 国際問題化
翌年の1987年に読売新聞で取り上げられたのをきっかけに、NYタイムズが報道。第二次世界大戦時にドイツと同盟国であった日本でナチスが反ユダヤ・プロパガンダに利用したシオン賢者の議定書を引用しホロコースト否定するなど「日本の反ユダヤ主義」が起こっているとされユダヤ人に衝撃を与えた。そんな中でイスラエル政府は宇野正美の入国拒否を決める。
[編集] 誤解か?
一方で著者の宇野正美は反ユダヤ主義者と「誤解された」と感じたようだ。特に聖地に入れない事はキリスト教として痛い上に情報源としていたイスラエルのユダヤ人を取材出来なくなった損失もあった。だが、彼は「誤解」が解けないものと諦めた。
[編集] ハザール説への傾斜
そんな中、宇野正美は日本外務省の一部官僚の間で当時流行したアーサー・ケストラーの著書「第13部族」に触れる。もともと彼は聖書中のアブラハムの子孫としての古代ヘブライ人と、19世紀以降にドイツ民族主義の影響を受け形成された近代ユダヤ人を混同していた。だが、ケストラー説に従えば、世界的影響力を持つ東欧起源のアシュケナジー系ユダヤ人の多くは中東起源でなく、一部ユダヤ人移民は含むものの主な人種的起源はトルコ系ハザールやスラブ人やその他様々のブレンドであると言う。
[編集] 偽のユダヤ人?
その説を受け入れて自説の変更をした宇野正美は以降、アシュケナジーは「偽ユダヤ人」であると断定。多様な起源を持つ近代ユダヤ人の歴史を否定し始める。その一方で、中東系が主流のスファラディー系ユダヤ人は「本当のユダヤ人」と見なした。これは彼が聖書記述にある「アブラハムの子孫」という言葉を人種的解釈した為である。
[編集] 本当のユダヤ人?
だが、宇野正美が持ち上げたスファラディー系ユダヤ人に関してもその人種的起源は様々である。再びシュロモー・ザンドによれば、イエメン系ユダヤ人の存在もアシュケナジーのハザール説同様に同地での改宗の結果であるとしている。さらに、北アフリカでユダヤ化したベルベル人の国がイスラム教徒に滅ぼされて後に彼らのイベリア半島征服に参加したのがスペインにいて後に追放されたユダヤ人の起源であるという。そして、古代ヘブライ人直接の子孫の多くは離散せずに、他の古代カナン人やフェニキア人の子孫らと共にキリスト教徒やイスラム教徒のパレスチナ人として暮らしているという。
[編集] 反攻
当時既に日本の中東学者の間ではハザール説は知られていたのだが、宇野正美はアーサー・ケストラーの著書「第13部族」を翻訳。それと同時に彼がそれまで否定してきた左翼的反シオニストに近い言説を始め、第一次インティファーダ中にヤセル・アラファトのインタビューを敢行。
[編集] タルムード研究
そして、タルムードなどでの非ユダヤ人に対する否定的記述を収集発表。こういった異教徒に対する否定的・差別的思考はキリスト教やイスラム教にも見られるが「劇薬」である。この劇薬の安易な取り扱い方は、例え個々の記述が事実だとしても問題が残る。宇野正美はタルムード中でラビ達がキリストを呪っている記述などを引用したが、何故か非キリスト教徒の大田竜がそれに憤慨している。大田竜のエキセントリックな反ユダヤ言説は宇野正美の言説の一部を拡大した底の浅い物である。
[編集] ホロコースト否定
もともと宇野正美はドイツに於けるホロコースト文書の欠如を指摘した英国の歴史家デービッド・アービングに影響を受けたが、「日本の反ユダヤ主義」論争以降はホロコースト否定研究を本格的に始める。そして、ホロコーストとは米国の親イスラエルロビーの「政治的からくり」だと見なした。この宇野正美の影響を強く受けた中の一人に田中宇がいる。
[編集] 親中派
宇野正美は自身がキリスト教徒である故に西洋キリスト教徒世界自体を嫌悪してない。その代わりに否定的要素があれば、西洋世界のメインプレーヤーとして台頭してきたユダヤ人が関わっていると「説明」した。その一方で、中国に対しては非常にナイーヴな幻想を振りまいて来た。「ユダヤに対抗する為の」現代版大東亜共栄圏的考えであるが、天安門事件でも中国を弁護し多くの人をミスリードした。ホロコースト否定論者の田中宇が親中派かつ反チベットであるという共通点があるのも興味深い点である。なお、大田竜も反チベット派である。
[編集] 著書
- アメリカでいま,権力闘争が起きている(学習研究社)
- ヒトラーの逆襲
- 見えざる帝国
- ドルが紙になる日(以上、文藝春秋ネスコ)
- ドイツ第四帝国の勃興とユダヤ戦略
- 1992年ユダヤ経済戦略(以上、日本文芸社)
- ユダヤが解ると世界が見えてくる
- ユダヤが解ると日本が見えてくる(以上、徳間書店)
他多数。
国際情報月刊誌『エノク』(中東問題研究センター)、情報誌『リバティ』を執筆、日米同時情報誌『ニュー.アメリカン・ビュー』(エノク出版)を監訳。