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国際法 - Wikipedia

国際法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

国際法(こくさいほう、英:International Law; Law of Nations、仏:Droit international public; Droit des gens、独:Völkerrecht)とは、国際社会(「国際共同体」(仏:la communauté internationale、英:International Community))を規律するをいう。国際公法(Public International Law)ともいう。国家がその主権において自国内に制定する「国内法」と対比される。

目次

[編集] 概説

国際法は、成文化されたもの(条約)と慣習によって成り立つ不文のもの(慣習法も参照)、法の一般原則によって成り立っており、国家および国際機構の行動、そして今日ではこれに加えて、個人の行動(特に、国際刑事法)や多国籍企業の行動(特に、国際投資法)も、これによって法的に規律される。

[編集] 用語

「国際法」という言葉は、1873年に箕作麟祥が「International Law」の訳語として考え出し、1881年の東京大学学科改正により正式採用されたものである。幕末当時、マシュー・ペリーが日本来航の折にアメリカ日本側に対して日米和親条約締結を求めた際には国際法が「万国公法(ばんこくこうほう)」と訳されていた。この訳は中国の影響を強く受けているものと推察されている(現在は中国でも国際法を使用している)。また、他にも「列国交際法」、「宇内の公法」とも呼ばれていた。また、「Law of Nations」は一応、「国際法」と訳される場合が多いが、厳密には「諸国家間の法」と訳すべきであろう。

[編集] 発達史

[編集] 実定国際法の成立

国際法は国家主権の確立によって発展するが、それまでの国際法は「君主間の法」とも呼ばれ、国家を人格的に代表する君主は人間であるために自然法により規定されるという考えによる法体系となっていた。

国際法は16世紀から17世紀のヨーロッパにおける宗教戦争の混乱を経て、オランダの法学者グローティウスやスアレス(Francisco Suárez)、ビトリア(Francisco de Vitoria)らが創始したと考えられている。特にグローティウスの『自由海論』は当時の国際法的思考に大きな影響を与えたといわれる。ウェストファリア条約以降、国家間の紛争、通商および外交関係を規律する法として成立、発展していった。

[編集] 近代国際法の発展

伝統的な「国際社会」(la société internationale)は、主権国家の並列状態のみが想定されており、したがって国際法の主体となりうるものは国家のみであった。この基本的な構造はそのため従来的な国際法とは、国家間の合意もしくは不文律のことのみを意味していた。会社などの法人個人は国際法の主体となりえず、せいぜい国家が国際法に関する権利を行使する過程で影響を受ける存在でしかなかった。これはそもそもかつての国際法で紛争を抑制するために定められた国内管轄権に関する事項を規定しない内政不干渉の原則がウェストファリア体制で確立されたことに起因している。

[編集] 現代国際法への移行

しかし現代では、国際人権法、国際人道法に見られるように、個人も権利・義務の主体として位置づけられるようになった。また、国際環境法における「人類の共通関心事項」(Common Concern of Humankind)あるいは「人類の共通利益」(Common interests of Humankind)概念のように、「人類」(l'humanité)概念も登場するに至った。このように、現代の「国際共同体」(International communityla communauté internationale)は、「国際社会」と個人あるいは「人類」の弁証法(la dialectique)であると考えられる[1]。そのような「国際共同体」を規律するのが国際法であるといわねばならない。

[編集] 種類

主な国際法として(形式的法源)、条約法、慣習国際法、法の一般原則が挙げられる。これに加え、国際司法裁判所規程は、補助的な法源として、裁判所判例、および国際法学者の学説をあげている。なお、国家の一方的行為が法源に当たるかは争いがある。また、同様に国際連合総会決議にも法的効力があるかが争われている。

[編集] 条約

条約とは、一定の国際法主体(国家、国際組織等)がその同意をもとに形成する、加盟当事者間において拘束力を有する規範をいう。二国間条約と多数国間条約があり、ともに当事者の合意によって成立するが、後者はその成立に批准手続が取られることが多く、また特に多数の国が参加する場合には条約を管理する機関が置かれる場合がある。条約そのものの規律を対象とする国際法については1969年に国連国際法委員会によって法典化された条約法に関するウィーン条約がある。

[編集] 慣習国際法

慣習国際法は、不文ではあるが、条約と同等の効力を有する法源である。もっとも、不文であるため、それぞれの慣習国際法がいつ成立したのかを一般的にいうことは難しいが、もはや慣習国際法として成立したとされれば、国際法として国家を拘束する。

その成立には、「法的確信opinio juris)」を伴う「一般慣行」が必要である。「一般慣行」が必要とされるため、長い年月をかけて多くの国が実践するようになったことによって成立したものがある一方、「大陸棚への国家の権利」のように発表からわずか20年足らずで成立したとされるものなど、その成立は様々である。1969年の「北海大陸棚事件」国際司法裁判所判決が述べるように、かつて言われていた「長期にわたる反復」という要素は必ずしも必要なものではなく、むしろ重視されるのは、「広範に見られる」、「統一された」慣行(practice)である(同時に特に利益を受ける国家がその慣行に加わっていることも重要である)。しかしながら、「一貫した反対国」や慣習国際法形成の後に誕生した国家という、当該慣習法に同意していない国家に対する拘束力については、学説上、議論がある。

[編集] 基本原理

 国際法秩序は、その根底に、一般原則(General Principles; les principes généraux)を有すると考えられる。これら一般原則を基盤として、またそれらを実現するために、各種条約及び慣習法が存在すると考えられる。それらは、国際司法裁判所規程38条(c)の「文明国が認めた法の一般原則」(les principes généraux de droit reconnus par les nations civilisées; General principles of law recognized by civilized nations)として発現しているといえる。

一般原則には、次の5つのものがあると考えられる。

(1)「文明国によって認められた」国内法の諸原則
(2)「国際共同体の特定の性質に由来する」法の一般原則
(3)法の精神に固有で全ての法制度に基礎的である諸原則
(4)階層及び調整の関係にある全ての種類の社会を通じて妥当する諸原則
(5)「理性的かつ社会的存在としての人の性質そのもの」に基礎をおく正義の諸原則[2]

 国際裁判で「法の一般原則」が適用された事例としては、例えば、信義誠実の原則(1974年「核実験事件(本案)」国際司法裁判所判決)、衡平原則(1986年「ブルキナファソマリ国境紛争事件」国際司法裁判所判決ほか)、義務違反は責任を伴うの原則(1928年「ホルジョウ工場事件(本案)」常設国際司法裁判所判決)などが挙げられ、禁反言の法則(estoppel)のような英米法の概念が法の一般原則に含まれるとされた場合もある(前記「北海大陸棚事件」判決)。法の不遡及(non-rétroactivité; non-retroactivity)原則も、国際法、国内法共通の原則であり、特に刑事法の分野で「刑法不遡及の原則」として確立している(「世界人権宣言」11条2項、市民的及び政治的権利に関する国際規約15条1項、欧州人権条約7条1項ほか)。

[編集] 法源

 「国際法の法源」には、一般的に二つの意味がある。

 第一に、「形式的法源」(les sources formelles)であり、これは、国際法という法の存在のあり方をいう。「国際法の法源」と言った場合、通常、この意味が当てはまる。すなわち、国際法は、「条約」及び「慣習法」という形で存在する、ということである。よって、ある事件について適用される国際法の規則を探す場合、当事国で合意された条約や一般または地域慣習法に見いだされる規則を援用することになる。条約や慣習法に加えて、「法の一般原則」が独立した法源であるとする考えも大変有力である。また、「判例」や「学説」は、これら条約、慣習法(及び法の一般原則)の内容を確定させるための補助的法源とされている。これらのことは、国際司法裁判所規程38条1項に規定されている。

 最新の議論によれば、大沼保昭東京大学教授によって、「裁判規範」と「行為規範」の区別が主張されている。すなわち、国際司法裁判所規程38条に列挙された、条約、慣習法、法の一般原則は、あくまで裁判を行う時に適用される法源であり、国家が国際社会で行動するときに拘束される国際法は、これらに加えて他にもあり、例えば、国連総会決議も行為規範として、国家を拘束すると主張される[3]。国際司法裁判所の確立した判例によれば、国連総会決議は、たとえ拘束的ではなくとも、法的確信(opinio juris)の発現を立証する重要な証拠を提供する、とされる(「核兵器の威嚇と使用の合法性」勧告的意見、I.C.J.Reports 1996, Vol.I, pp.254-255, para.70. 「ニカラグアにおける軍事的・準軍事的行動事件」判決、I.C.J.Reports 1986, pp.100-104も参照せよ)。

 第二に、「実質的法源」(les sources matérielles)を指す場合がある。これは、上記、「形式的法源」(特に、条約と慣習法)が成立するに至った原因である、歴史的、政治的、道徳的要素や事実を指す。このように、「実質的法源」は、法的拘束力を有する法そのものではなく、国際法成立の要因であり、特に、法社会学の対象分野であるといえる。

 

[編集] 条約法

[編集] 国家機関

[編集] 国家管轄権

[編集] 国家領域

[編集] 国際機構法

[編集] 海洋法

広義には、領海の幅、大陸棚の資源利用、公海の利用に関するものなど海洋にかかわる国際法規の総称。

[編集] 国際化領域

[編集] 個人管轄

[編集] 国際人権法

 「国際人権法」(International Human Rights Law; Droit international des droits de l'Homme)とは、国際法によって個人の人権を保障する、国際法の一分野をいい、第二次大戦後に急速に発展してきた分野である。第二次大戦前は、人権は国内問題として、国内問題不干渉義務(国際連盟規約15条8項)の下、各国の専属的事項とされていた。しかし、第二次大戦の反省から、国連憲章において人権保護が規定され、戦後急速に国際平面における人権保護が発展しだした。その端緒は、1948年の国連総会において採択された「世界人権宣言」(Universal Declaration of Human Rights)である。同宣言は、慣習国際法に成熟したとする、各国の国内法の判例がある。

 国際人権法は、二つに分類することができる。普遍的保障地域的保障である。

 第一に、普遍的保障であるが、これは、国連システム条約制度に分けられ、いずれも強制力をもった履行手続きを備えていない。

 国連システムでは、経済社会理事会が創設した「国連人権委員会」の制度があった。2006年に、同委員会は「国連人権理事会」(Human Rights Council)に発展した(国連総会決議61/251; A/RES/60/251, 3 April 2006)。しかし、基本的な性格や目的は、維持されているといえる。すなわち、国連人権理事会は、テーマ別人権問題について対話の場を提供したり(同決議、5項(a))、各国による人権に関する義務の履行の普遍的な定期的審査を行ったり(同項(e))、法的拘束力のない「勧告」(recommendations)を行ったり(同項(i))するにとどまる。

 条約制度として、世界人権宣言を条約化したといわれる「経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約」(「社会権規約」)と「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(「自由権規約」;ICCPR)があるが、特に発達している「自由権規約」の制度においても、「自由権規約第一選択議定書」の下の個人通報制度では、「自由権規約人権委員会」(ICCPR Human Rights Committee)は、法的拘束力のない「見解」(views)を述べる権限を有するにとどまる。他にも、国連の下でいくつかの人権条約が作成され、実施されているが、同様に、拘束力のある決定を下す機関はない。


 第二に、地域的保障は、欧州人権条約、米州人権条約、アフリカ人権憲章(正式名称、「人及び人民の権利に関するアフリカ憲章」)が非常に発達していている。各制度は、独自の人権裁判所を有しており、法的拘束力のある判決を下して、その実効性を担保している点で、先の普遍的保障の制度と大きく異なる。なお、アジアにおいて、地域的人権条約を創設しようとする努力もなされているが、いまだ実現していない。

 欧州人権条約は、「欧州審議会」(le Conseil de l'Europe; Council of Europe)の下、第二次世界大戦のような大規模な戦争を再び起こすことを防止する目的で1950年につくられた。加盟国は、広く、EU諸国から、ロシア、トルコまで含む。国家に加えて、個人や非政府団体も、ここに締約国の条約違反を直接訴えることができる(34条)「欧州人権裁判所」を有し、現在、大変活発に活動している。同裁判所の判決は、加盟国を直接、法的に拘束する。

 米州人権条約は、1969年に欧州人権条約にほぼ倣ってつくられた制度であり、同様に「米州人権裁判所」を有する。同裁判所も、非常に活発に活動しており、国際法の観点からは、例えば、1998年に国際司法裁判所で争われた「ウィーン領事関係条約事件」(パラグアイ対米国)に関連して、独自に勧告的意見を出したことなどが、注目されている。

 1981年に成立したアフリカ人権憲章は、人権の保護を目指すと同時に、人民の平等(19条)や発展の権利(22条)も目的としている。同条約が設置していた「アフリカ人権委員会」は、その後、2006年に「アフリカ人権裁判所」(正式名称、「人及び人民の権利のアフリカ裁判所」;la Cour africaine des droits de l'homme et des peuples)に代わり、他の地域的制度と同様に司法機関を持つようになった。しかし、条約の実効性については、未だ発展段階にあるといえる。

[編集] 国際経済法

[編集] 国際環境法

 国際環境法とは、国際的な環境問題に対処するための国際法の一分野である。その特徴は、「持続可能な発展」(Sustainable Development; SD)概念として現れている。すなわち、従来の国際法が、現在の世代の利益のみを考慮していたのに対して、国際環境法、特に地球環境保護を目的としたものは、現在のみならず、将来世代の利益の保護を目指したものであり、時間を超越する「人類」(l'humanité)概念に結びついている。

 確かに、19世紀半ばまでは、国際環境法も、他分野と同じく、主権国家間の紛争の平和的解決の手段にすぎなかった。すなわち、当時は、「領域使用の管理責任」概念や「相当の注意義務」(due diligence)概念を適用する「共存の国際法」にすぎなかった(「トレイユ溶鉱所事件」仲裁判決)。これを「第一世代の国際環境法」と呼ぶ。

 しかし、1976年の「ストックホルム人間環境宣言」を契機に、地球環境保護が「人類の共通関心事項」(Common Concern of Humankind)と認められ、1980年代から、環境・自然保護自体を目的とする、「第二世代の国際環境法」を設定する条約が次々と生まれるようになった。

 現代の国際環境法の特徴は、(1)防止原則/予防原則、(2)共通だが差異のある責任、(3)私的アクターの3つが挙げられる。

[編集] 紛争解決

[編集] 武力紛争法

 「武力紛争法」とは、戦時に適用される国際法(jus in bello)の総称であり、武力行使の発動に関する法(jus ad bellum)と対比をなすものである。その本質は、戦時における個人の保護にあるといえる。従来より「戦時国際法」とも呼ばれていたが、現代的には「国際人道法」(International Humanitarian Law; Droit international humanitaire)と称されることもある。しかし、武力紛争法の一部である「中立法」は、国際人道法から除かれる。また、国際人道法は、今日、その適用範囲を拡大し、戦時における非交戦の個人の保護のみならず、平時における非人道的行為から個人を保護することまでも含み、「国際人権法」の領域と重なるようになっている(「国際刑事裁判所規程」参照)。「国際刑事法」(International Criminal Law; Droit international pénal)という用語は、国際人道法を刑事の側面から見たときの用語であり、両者の区別は必ずしも明らかではない。

 武力紛争法には、二つの法があるとされる。「ハーグ法」(Hague Law; Droit de la Haye)及び「ジュネーブ法」(Geneva Law; Droit de Genève)である(1996年「核兵器の威嚇と使用の合法性」国際司法裁判所勧告的意見、I.C.J.Reports 1996, Vol.I, p.256, para.75)。

 「ハーグ法」とは、主として、1868年の「サンクト・ペテルスブルグ宣言」や、1899年から1907年にオランダのハーグにおいて慣習を法典化した国際条約、すなわち、「開戦に関する条約」、「陸戦の法規慣例に関する条約」(これに付属する「陸戦の法規慣例に関する規則」)、「陸戦の場合に於ける中立国及び中立人の権利義務に関する条約」、「海戦の場合に於ける中立国及び中立人の権利義務に関する条約」など一連のものを指す。それらの目的は、交戦国・交戦員の軍事作戦の行動の際の権利と義務を定め、国際武力紛争において敵を害する方法と手段を制約することにある。

 「ジュネーブ法」とは、「ジュネーヴ諸条約 (1949年)」及びそれに付属する「ジュネーヴ諸条約の追加議定書 (1977年)(「第一追加議定書」、「第二追加議定書」)及び2005年の「第三追加議定書」で定められた規則の総体で、戦争犠牲者を保護し、戦闘不能になった要員や敵対行為に参加していない個人の保護を目的とするものである。

 武力紛争法においては、締約国は、たとえ条約によって規定されていない場合においても、市民及び交戦団体が「文明国の慣例、人道の法、公の良心の要求」([les] usages établis entre nations civilisées, [les] lois d'humanité et [les] exigences de la consience publique)に由来する国際法の諸原則の下にありかつ保護下にあることを確認するという(前掲「陸戦の法規慣例に関する条約」前文ほか)、いわゆる「マルテンス条項」(Martens' Clause; la Clause de Martens)が大変、重要である。

 ジュネーブ諸条約は、その遵守を確保するために、「重大な違反行為」(les violations graves)の処罰のための国内法(普遍主義)の整備を締約国に義務づけている。これに基づき、各国は、国際人道法違反行為を処罰する国内法を置き、近年、旧ユーゴスラビア紛争ルワンダでのジェノサイドに関する訴追が行われている。最近では、「1993/1999年ベルギー法」、いわゆる「ベルギー人道法」が注目されていた(2003年に独立した法律としては廃止し、刑法典、刑事訴訟法典に導入)。我が国でも、2004年に、普遍主義を規定した「国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律」(平成16年法律第122号)が制定された。


 

[編集] 国内法との関係

[編集] 国際法は「法」であるか

立法行政司法が集権的に実行される国内法と異なり、国際法には強制的な執行力を持つ機関が存在しない(国際司法裁判所が持つ強制力については、当該項目を参照)。そのため一見、国際法違反に対する実効的なサンクションが存在しないことになり、日本が欧米の国際社会と接するにようになった初期の頃には「表に結ぶ条約も、心の底ははかしれず、万国公法(国際法)ありとても、いざ事あらば腕力の強弱肉を争うは、覚悟の前の事なるぞ」と戯歌にも歌われているように国際法の法的性質を否定する学説が唱えられてきた。

明治政府は、五箇条の御誓文で万国公法の遵守を謳った。しかし、徳川慶喜の「大逆無道」を理由に始めた戊辰戦争は、開戦理由そのものが万国公法違反と指摘されている[4]。一方、木戸孝允は日記に、「兵力が整わなければ万国公法も元より信じるべきではない。弱国に向かっては、おおいに万国公法を名として利を謀る国も少なくない。故に、私は、万国公法は弱国を奪う一道具である、と言っているのだ」と記しており、万国公法に対して懐疑的な側面も見られる。

しかし、現代の国際法においては、その強制力は、国際法違反行為に対する被害国による「対抗措置」(Counter-measures; les contre-mesures)や報復(retortions)といった形で存在する。特に、制度的にも整備されているのが、国際経済法の違法行為に対する世界貿易機関(WTO)の紛争処理機構(DSB)に基づく報復関税等の措置がある。また実際、ほぼ全ての国が、国際法を法として認識し、その法務を扱う部門を外務省に設置し、かつこれを遵守しているため、現在では国際法の法的性質を肯定する学説が通説となっている。

[編集] 脚注

  1. ^ Dupuy,R.-J., La Communauté internationale entre le mythe et l'histoire, Paris, Economica, 1986.
  2. ^ Schacter,O., International Law in Theory and Practice, Dordrecht, Martinus Nijhoff Publishers, 1991, p.50.
  3. ^ Onuma,Y., "The ICJ: An Emperor Without Clothes ? International Conflict Resolution, Article 38 of the ICJ Statute and the Sources of International Law", N.Ando et al.(eds), Liber Amicorum Judge Shigeru Oda, 2002, pp.191-212.
  4. ^ 大越哲仁「近代日本における戊辰戦争の意味 ―「公儀政体派」史観による近代日本史―

[編集] 関連項目


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