偏向報道
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偏向報道(へんこうほうどう)とは、ある特定の事象について複数の意見が対立する状況下で、特定の立場からの主張を否定もしくは肯定する意図をもって、直接・間接的な情報操作がおこなわれた報道の事である。政治・経済・裁判・事件・芸能等、対象は幅広い。マスコミ、特に現代において最も影響力が強いとされるテレビの報道姿勢が問題視されることが多くなった。
ただし、偏向報道の範囲・基準は必ずしも明確ではない。
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概要
“マスコミの偏向報道”を主張した人物は日本では佐藤栄作が嚆矢とされる。退陣表明会見の際に「新聞は間違って伝えるから話したくない」と新聞記者を退席させ、テレビ局のカメラに向かって会見したエピソードは有名である。 マスコミを「第四の権力」と表現した田中角栄は、偏向報道をマスコミの武器として認識していたという。産経新聞の鹿内信隆(当時社長)は1967年7月の広告主向け説明会で「新聞が本当に不偏不党の立場でまかり通るような安泰なものに、今、日本の国内情勢が成っているでしょうか」、「敢然と守ろう『自由』、警戒せよ、左翼的商業主義!」と演説したという。 また1970年9月には、産経拡販への協力を通じた支持を求める田中角栄自民党幹事長の通達が、全国の自民党支部連合会長、支部長宛に「取扱注意・親展」として送付され、国会で取り上げられたこともある。 2003年11月に自民党執行部は「偏向報道がある」として、テレビ朝日への出演を拒否したことがある(ニュースステーションの放送内容などが理由とされる)。
自己に不利な報道をされ、立場が悪化した人物や団体が、当該報道機関に対し「偏向報道をおこなっている」という反論をおこなうケースも多い。また、自己の主義主張が報道されなかったり、逆に自己の主義主張とは価値観の異なる主張が報道されたことを偏向報道とされることもあり、「偏向報道」という言葉を用いた批判自体が、ある種の偏向性を含む可能性がある。例えば、選挙報道ではどの政党・政治団体からもしばしば偏向であると批判が上がるが、自民党など有力党派からの批判は広く報道されても、いわゆる泡沫候補からの批判は全く無視されることも珍しくない。実際に偏向報道で被害を受けているか否かを、周知の情報のみで判断するのは危険であるといえる。このように、偏向報道とそれへの批判はイデオロギーや権益等と結びつきやすく、その批判自体を多角的視点から見るべきである[1]。
偏向報道を行うことによって、かえって報道活動に権力(政治やスポンサー、時には視聴者=大衆)から圧力が加わり、報道の自由が危機に瀕することもあり、報道機関では「公正・公平」を謳った倫理基準が制定されているところがほとんどである。しかし、何を持って偏向なのか、「偏向報道」か「誤報」か、そもそも報道に「公正・公平」は存在するのかという議論もあり、「偏向報道」そのものの定義付けは難しいものである。
偏向報道とされる主な例
(注意:編集者の意向が反映されることもあるためここで挙げる事例自体が偏向的である可能性も留意されたい。)
- 三億円事件での参考人聴取報道やロス疑惑、松本サリン事件における報道被害。
- 1989年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者逮捕をきっかけに、マスコミのおたくバッシングが発生した。この時、「男性おたく」しか例示せずに「男性=おたく」というレッテルを貼り、この頃からバブル経済を反映して元気な女性が増えたことにより、メディアは女性を持ち上げる一方、男性を必要以上に貶める(中には少子化は男性が悪いという一方的な報道もあった[2])ような報道が目立ったとされる。現在でもこの傾向は続いており、女性コメンテーターなどにはこの主旨に沿ったおたくの男性叩きを自らの売りにしている者[要出所明記]もいる。また一部の女性視聴者にも、これらのコメンテーターの見解を支持する者がいる[要出所明記]。当時フジテレビのワイドショーでは、東海林のり子がコミックマーケットの様子を指して「ご覧ください、ここに10万人の“宮崎勤”がいます!」と言い放った。約15年後、オタクを題材にした邦画・ドラマをきっかけにオタク関連の番組や特集が増え、芸能人がテレビで堂々とオタクであることを公言したり(中川翔子や宇多田ヒカル)、女性のオタク(腐女子)も増えてきていることもあり、オタクに対するバッシングはなくなりつつある。ただし、事件が起きた際はオタク個人よりも該当事件に類似・酷似したアニメ・漫画をバッシングの対象としている。
- 1993年の総選挙の際には、テレビ朝日の報道番組が新生党や野党(共産党を除く)を勝たせる為の報道をした椿事件がおこり、当時のテレビ朝日報道局長が証人喚問をされる事態にまでなった[3]。
- 三菱ふそうリコール隠しや三菱リコール隠しに対するメディアの対応がある。特に車両火災事故については全国で毎年6,000~8,000台発生し、1日平均20台以上は事故に遭遇しているにも関わらず、三菱車の車両火災にのみ特定した報道がおこなわれた。
- 2001年5月15日、当時の長野県知事・田中康夫による「脱・記者クラブ宣言」に地元の有力紙信濃毎日新聞(信毎)が猛反発し、これ以後一貫して田中知事の施策・政策を批判する報道が行われ続け、落選のきっかけともなった。
- 2003年7月2日、7月6日玄界灘で海難事故が発生。日本の漁船および水産庁の漁業取締船に大韓民国の貨物船が相次いで衝突した連続海難事故で、大韓民国の貨物船員は救助活動を一切行なわず死者が出た。マスコミではパナマ船籍との報道が多くなされた。なお便宜置籍船では船籍国と船主や乗員の母国が違うのが当然である。
- 2003年11月2日、TBSの情報番組『サンデーモーニング』で石原慎太郎東京都知事の「私は日韓合併の歴史を100%正当化するつもりはない」という発言がテロップで「100%正当化するつもりだ」と改変されて報道された[4]。
- 2007年の参議院議員選挙の際も、政策論争よりも、安倍晋三首相やその内閣のバッシングに終始する週刊誌やタブロイド紙の報道が相次ぎ、見出しに「安倍不人気」「安倍惨敗必至」という文字が躍るなど偏向報道とも取れるものも存在した[要出典]。特に、2007年の参議院選挙前には、朝日新聞は連日のように「安倍首相 支持率低下」を紙面に踊らせていた。
- 産経新聞は憲法が保障する自由権(殊に言論・出版・思想・良心・結社の自由)が暴力などにより脅かされる事件が起きても、人命に関わる事態に発展しない限り社説「主張」で取り上げる事はない。これは他紙には見られない際立った編集方針である[5]。えひめ丸事件では、日本の新聞でありながらアメリカ政府・アメリカ海軍を弁護擁護する主張を繰り返した。グランドプリンスホテル高輪の日教組大会拒否問題を「主張」で取り上げたのは他紙の5日後。しかも記者が組合員にバッシングされた事まで記述していた。
- 日本テレビはプロ野球を報道する際、同じ読売グループの読売ジャイアンツの情報を長く放送し、他球団の情報は極端に短い。特に『ズームイン!!サタデー』や『ザ・サンデー』といった朝の情報番組ではこの傾向が多い。また、TBSは横浜ベイスターズを保有しながら横浜のホームゲームをほとんど中継しない。
- 2008年の中国産食品の安全性問題報道で、問題の餃子を食べた5歳の少女が重篤状態になったにも関わらず、テレビ朝日の報道ステーションで古舘伊知郎が「この事件は中国にとって大きな痛手」「日本人は浮かれた生活をしているからいけない」と中国側を擁護するような発言をおこない、「被害者の日本人より中国の心配をするのか」[要出所明記]と多くの批判[要出典]を浴びた。また、この一件で中国の政府見解および報道が日本に責任転嫁をする論調になるに従い、マスコミは「中国側の事情」「冷静に対応を」という論調[要出所明記]が増え、さらに事件が取り上げられる回数も減るようになった[要出典]。
- ワーキングプアや格差社会の状況について、民間放送や大手出版各社が(放送局はプライム帯で)採り上げ問題視する事は絶対にない[要出典]。広告主である大企業の意向を忖度するためである(意に沿わぬ採り上げ方をしようものなら各番組の提供や広告出稿を引き揚げられる)。
- 在京キー局で平日夕方に放送されている報道ワイドショー番組の特集コーナー(関東ローカル枠)では、関東ローカルであるにも関わらず、大阪を中心とした関西圏・名古屋を中心とした中京圏といった他の地方の悪質マナー問題ばかりを取り上げ、「○○(取り上げた地域名)は東京に比べてマナーが悪い」という、一方的で独善的な印象報道を、繰り返し執拗に行なっている。その反面、東京でも全く同様に見られる悪質マナー問題はまったくといっていいほど取り上げられない。
報道の信頼性の低下とメディアの多様化
マスコミが長年情報の選別を独占してきた影響により、「報道は全て正しい」という認識が大衆に生まれた[要出典]。偏向報道による世論操作は、政治や経済や倫理に影響を与えかねず、実際に社会を変容させたり、国民に対してマスコミ主導のミスリードを招いている例(戦時下のなどの自主規制とそれに続く言論統制など)がある[6]。
近年はインターネットの発達で、ネット・ジャーナリズム(市民ジャーナリズム)の台頭と情報の多様化を主因として視聴者などからの既存メディアへの批判が活発におこなわれており、相対的にマスコミの地位や報道に対する信頼度も低下しつつある[要出典]。この中で、既存メディア(テレビ・新聞)対新興メディア(インターネット)両者の対立による「偏向報道」の批判合戦が行われている現状もある。 右傾化していると指摘される一部のネットユーザによる、「左傾した偏向報道」を行っている(と彼らが主張する)既存マス・メディア(とりわけ朝日新聞・TBSなど)への批判・攻撃は、既存マスコミへの不信による報道活動への批判の面とイデオロギー摩擦の面と「新」対「旧」というメディアにおける世代間対決の三つの側面を有しているとも指摘することができる。この例から見ても、メディアの多極化と情報の発信者・受信者の価値観の多様化が「偏向報道・印象操作」の定義付け自体の難しさや「偏向報道批判」の混沌さを増幅させているともいえる。
未だに既存メディアによる報道を無批判・無考察なままに信用する人々も多くいる中、新興メディアのインターネット上においてもイデオロギーに影響された情報や信憑性に疑問符が付く情報を鵜呑みにし、影響されてしまう人々が数多くいる現状がある。情報が氾濫しメディアの多様化・双方向化が進む中でメディア・リテラシー教育の必要性が叫ばれている。
脚注
- ^ メディア・リテラシーを参照。
- ^ 朝日新聞1990年6月7日付天声人語。同新聞1992年7月19日付記事。TBS朝のホットライン等多数。また日本経済新聞が少子化は男性の責任と間接的に批判する報道はしばしば見られる。
- ^ 田原総一朗#朝まで生テレビ!/サンデープロジェクトも参照。
- ^ これに関して、後にTBSは不注意が原因とし石原知事に謝罪している。
- ^ ただし、メディア規制三法には反対の立場である。
- ^ 記者クラブおよび報道も参照。