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今川氏親 - Wikipedia

今川氏親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今川氏親 凡例
時代 戦国時代
生誕 文明5年(1473年
文明3年説もある。
死没 大永6年6月23日1526年8月1日
改名 龍王丸(幼名)、氏親
別名 彦五郎(通称)
戒名 増善寺殿喬山紹僖大禅定門
墓所 増善寺
官位 従四位上、上総介。治部大輔、修理大夫
幕府 室町幕府駿河守護職・遠江守護職
氏族 清和源氏足利氏流、今川氏
父母 父:今川義忠、母:伊勢盛定の娘・北川殿
兄弟 正親町三条実望妻、氏親、心範
正室:中御門宣胤の娘・寿桂尼
氏輝彦五郎玄広恵深義元氏豊
瑞渓院(北条氏康室)、娘(松平親善妻)
娘(中御門宣綱室)

今川 氏親(いまがわ うじちか)は駿河今川家7代当主である。父は今川義忠

目次

[編集] 出生

父の駿河守護義忠が応仁の乱で東軍に味方して上洛していたときに、母の北川殿と結婚したと思われる。北川殿は伊勢新九郎(後の北条早雲)の姉[1]である。伊勢新九郎が素浪人と考えられていた頃は側室とされていたが、近年の研究で幕府政所執事の名門伊勢氏の一族であることがほぼ明らかになっており、北川殿は正室だったと思われる。文明5年(1473年)(文明3年(1471年)とも)に北川殿の子として生まれた。幼名は龍王丸。北川殿の弟(兄とも)が後の北条早雲であったことが、氏親の生涯に大きな影響を与えた。

[編集] 家督争い

文明8年(1476年)に父義忠が遠江国で一揆に襲われ戦死。龍王丸はまだ幼少だったため、家臣の三浦氏朝比奈氏らが一族の小鹿範満(義忠の従兄弟)を擁立して家督争いが起こり、龍王丸派と範満派が分かれて数度の合戦に及ぶ事態になる。

堀越公方執事の上杉政憲扇谷上杉氏家宰の太田道灌が兵を率いて駿河国へ進駐して家督争いに介入。これを叔父の伊勢新九郎が仲裁に入り、範満が龍王丸の後見人として家督を代行することで決着した。伊勢新九郎が素浪人と考えられていた頃は、抜群の知略による後の北条早雲の出世の第一歩のように語られていたが、近年の研究で名門伊勢氏の一族の幕臣であることがほぼ明らかになっており、これは幕府の意向を受けて伊勢新九郎が駿河国へ下向して今川家の内紛を調停したようだ。

家督を代行した範満が今川館に入り、龍王丸は母北川殿と小川の法永長者(長谷川政宣)の屋敷(小川城焼津市))に身を寄せた。文明11年(1479年)伊勢新九郎は幕府に申請して前将軍足利義政の名による龍王丸の家督継承の内書を得ている。

だが、龍王丸が15歳を過ぎて成人しても範満は家督を返そうとはせず、家督奪取の動きを見せて龍王丸を圧迫した。文明19年(1487年)北川殿と龍王丸はで将軍義尚に仕えていた伊勢新九郎に助けを求め、新九郎は再び駿河国へ下向。同年11月、伊勢新九郎は石脇城(焼津市)を拠点に兵を集めて駿河館を襲撃して範満を殺した。龍王丸は駿河館に入って元服して氏親と名乗り、今川家の当主となった。伊勢新九郎には興国寺城が与えられた。

これより前、同年10月に龍王丸は大名で初めての印判状の文書を発給している(定着はせず、後に通常の花押を用いるようになっている)。

[編集] 今川家当主

堀越公方に内紛が起き、明応2年(1493年)将軍義澄の命により、伊勢新九郎(以後、北条早雲とする)は足利茶々丸を討伐して、伊豆国を手中にした。氏親も早雲に兵を貸してこれを助けている。これは管領細川政元が起こした明応の政変に連動した動きであった。以後、氏親と早雲は密接な協力関係を持って支配領域の拡大を行うことになる。

駿河国の隣国遠江国は元は今川家が守護職を継承していたが、後に斯波氏に守護職を奪われていた。遠江国奪還は今川家の悲願となり父義忠は遠江国での戦いで命を失っている。当主となった氏親も積極的に遠江国への進出を図った。

遠江国への侵攻の兵を率いたのは早雲で、明応3年(1494年)頃から始まり、遠江国中部まで勢力下に収めた。この時には氏親は未だに遠江守護ではなかったものの、独自の立場で検地を行って守護斯波氏による支配体制を否認した。これによって今川家は事実上室町幕府からの統制を離れて守護大名から戦国大名の段階へ移ったと言われている。また、氏親は駿河本国内においても検地を実施して、領国の一円支配を推し進めた。また、安倍金山を開発して財力を増した。

早雲は更に兵を進めて文亀年間(1501年-1504年)には三河国岩津城の松平氏を攻めている。早雲は甲斐国にも出兵して武田氏と戦っている。

一方、氏親は早雲の関東進出にも協力して両上杉合戦に介入、扇谷上杉氏に味方して山内上杉氏と戦い、永正元年(1504年)の武蔵国立河原の戦いに早雲とともに出陣して関東管領上杉顕定を破っている。

永正2年(1505年)頃に中御門宣胤の娘(後の寿桂尼)を正室に迎える。

永正3年-5年(1506年-1508年)には再び早雲率いる今川軍が三河国へ侵攻して、松平長親と戦った。

永正6年(1509年)以降は早雲の今川家の武将として活動がなくなる。この頃に早雲は政治的に今川家から独立したようで、以後は関東進出を本格化させる。

永正5年(1508年)、氏親は幕府に願い正式に遠江守護に任じられ、遠江国支配の大義名分を得た。永正8年(1511年)に尾張守護斯波義達が今川方の刑部城(浜松市)を攻め、氏親が出陣してこれを退けた。斯波義達はなおも攻撃を続け、遠江国での斯波氏との戦いが激化した。

永正13年(1516年)に引馬城浜松市)の大河内貞綱が今川家に背き、斯波義達も加わる。氏親は出陣して引馬城を包囲。安倍金山の鉱夫を用いて坑道を掘って水の手を絶って降伏させた。大河内貞綱は討ち死にし、斯波義達は出家して降伏し、尾張国へ送り返された。これにより、遠江国が平定された。

また、永正12年(1515年)には、大井信達の反乱に味方して甲斐国勝山城を占拠して甲斐国守護武田信虎と戦っている。永正14年(1517年)氏親は信虎と和議を結び撤兵し、大井信達は信虎に降伏した。その後も、たびたび甲斐国への侵攻を行い、武田氏との対立が続いた。

公家の娘の寿桂尼との結婚によって京とのつながりが強まり、京の文化を駿府に取り入れたとされる。氏親も和歌連歌を特に好んだ。晩年は中風にかかって寝たきりになり、寿桂尼が政治を補佐した。死の2ヶ月前の大永6年(1526年)4月に戦国時代の代表的な分国法今川仮名目録』を制定している。嫡男氏輝がまだ成人していないため、家臣の争いを抑える目的であった。

大永6年(1526年)6月23日駿府の今川館で息を引き取った。 氏親の葬儀は増善寺で執行され、「葬儀記」によると7,000人の僧侶が参加し、かくして葬儀の喪主である長男氏輝が祭文を読み、棺のつなは善徳寺の御曹司義元、御位牌は花倉の御曹司良真がもって曹洞宗最高の法式で行われ、戦国大名の歴史の上でも例をみない大葬儀であった。氏親の54年の生涯は今川家安定に捧げた生涯であった。氏親は島津日新斎武田信虎とともに守護家の戦国大名化を成功させた今川家の中興の祖であった。

[編集] 評価

- 一般に、今川氏というと、桶狭間合戦で討死した義元のイメージが強いが、全盛期は義元時代ではなく、この氏親時代である。北条早雲(後、伊豆・相模の国主)を家臣とし、駿河・遠江は完全支配しており、東三河牧野氏を中心に家臣化しており、さらに、西三河においても台頭する松平氏(長親)を牽制するために、北条早雲を総大将に今川の大軍を西三河に派遣するなど、広範囲な軍事行動が確認できる(松平氏が三河全域に渡って台頭するのは清康時代から)。また、東三河の支配を安定させるために、牧野氏に今橋城(後に吉田城へ改名)の築城を命じるなど、軍事拠点の確保にも巧みである。尾張国においても、那古野城を築き、今川氏豊を配置するなど、尾張の中心部にも今川氏の勢力が及んでいた。 - - それに比較して、義元時代は、北条とは対等敵対関係(駿河東部の支配権で対立)にある(後、同盟を結ぶ)、西三河の松平氏の勢力を解体せずに温存したため、後独立を許す。尾張攻略を目指して大軍を侵攻させたが、織田信長の前に桶狭間で敗死し、今川氏の権威が失墜する。など、義元の重臣の太原崇孚雪斎(桶狭間戦役前に死去)に支えられた面が大きいと言われる。

[編集] 補注

  1. ^ 近代以降は史書でも小説でも妹と書かれているものが多いが、妹というのは新九郎の生年を永享4年(1432年)とする『北条五代記』に従うと、姉では年をとりすぎて計算が合わないため妹と考えられたものである。だが、江戸時代の資料では姉、または叔母と記述されており、更に最近の研究では『北条五代記』の説を否定して、新九郎の生年は康正2年(1456年)であると考えられている。その場合、北川殿を姉とする江戸時代の文書の記述が正しかったことになる。

[編集] 関連項目

先代:
今川義忠小鹿範満?)
駿河今川氏歴代当主
1487~1526
次代:
今川氏輝
他の言語


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