側室
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側室(そくしつ)は、正室に対する概念で、高貴な男性の妾、または寵愛を受けた女官・女房・女中をいう。
側室を正室以外の「妻」と定義するものもあるが、正室の位置づけが「家族の一員」であるのに対し、側室の位置づけは「使用人」の範疇でしかないため、これは正しい定義ではない。 現在における一夫一妻制のもとでは、不貞行為に当たるものとされるため、公然と認められてはいない。
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[編集] 男系男子の維持
一夫一妻制の下では、女性一人が生涯に出産できる子供の数は限られる。また、妻の健康状態、不妊、夫婦の不仲問題から、子ができないこともある。そのため、男系男子の子孫が安定的に確保できるとは限らない。その問題を防ぐため、かつては側室を持つことにより、男系男子の子孫を絶やさないことが重視された。
しかし、男性側の健康問題等により子ができないこともある。この場合、側室を持ってしても子を確保することはできない。だが、伝統的に一夫多妻制が採られていれば、当該男性に同腹または異腹の弟がいる可能性が高くなる。その者を養子とすることで、男系男子による祭祀の承継を維持できることになる。
[編集] 儒教との関係
儒教において、直系の男子が先祖の祭祀を守ることが重視された。また、婚姻制度にも、子孫繁栄、男男系相続者の存在が重要視される。
封建時代においては、正室を迎える前にそれ以外の女性と性的関係を持つ事が普通に存在した。たとえば、徳川将軍家では、正室を迎える前に童貞を捨てさせる慣わしが存在した。側室を置く事が公然とされていたのは、「一人前の男子は既に性交を済ませているもの」という概念や、正室の存在が政略結婚のようなものであることも関係したと思われる。
[編集] 現代皇室における側室の是非
詳細は皇位継承問題 (平成)#側室制の復活問題を参照
日本の皇室は、伝統的に側室制を前提に男系男子による皇統を維持してきたが、大正天皇の代に天皇本人の意思より一夫一妻制が導入された。そのため現在の一夫一妻制を前提に男系男子による皇統を維持するのは、生物学的に極めて困難であるという主張がある。
皇室における男系継承の伝統を守るため、皇室における側室制を復活させるべきではないか、との意見もある[1]。しかし、男女平等の見地から、たとえ皇室であっても、側室を置く事は社会的に許容されるものではない、とする意見もある。
[編集] 徳川将軍家側室一覧
将軍名 | 側室名 |
---|---|
初代家康 | 西郷局 下山殿 養珠院 長勝院 良雲院 茶阿局 清雲院 英勝院 西郡局 雲光院 正栄院 相応院 泰栄院 養儼院 蓮華院 法光院 三条氏 他 |
二代秀忠 | 浄光院 |
三代家光 | 宝樹院 桂昌院 順性院 自証院 永光院 芳心院 定光院 養春院 |
四代家綱 | 養春院 円明院 |
五代綱吉 | 瑞春院 寿光院 清心院 |
六代家宣 | 月光院 法心院 蓮浄院 本光院 |
七代家継 | 無 |
八代吉宗 | 深徳院 本徳院 深心院 覚樹院 |
九代家重 | 至心院 安祥院 |
十代家治 | 蓮光院 養蓮院 |
十一代家斉 | 香琳院 妙操院 勢真院 真性院 芳心院 速成院 清昇院 皆春院 本性院 専行院 慧明院 青蓮院 超操院 智照院 お以登の方 お歌の方 |
十二代家慶 | 本寿院 清涼院 妙華院 お波奈 殊妙院 見光院 お琴 秋月院 |
十三代家定 | お志賀の方 |
十四代家茂 | 不明 |
十五代慶喜 | 新村信 中根幸 他 |
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