足利茶々丸
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足利茶々丸(あしかがちゃちゃまる、生年不詳 - 1491年または1498年(明応7年))は室町時代の武将である。父は初代堀越公方の足利政知(8代将軍義政の兄弟)。弟は足利義澄(11代将軍)、足利潤童子。没年は1491年、1493年など異説あり。茶々丸は幼名で、正式な元服をする前に殺されたので成人としての実名である諱は伝わっていないとされている。
潤童子とは異母兄弟で父政知の死後、2代目堀越公方に決まっていた潤童子とその母親を殺し公方となるが家臣の支持を得られず、内紛は伊豆国内に波及、伊勢宗瑞(後の北条早雲)はこれに乗じて出兵し、早雲に攻められ堀越公方は滅亡した。
従来の通説では茶々丸は1491年、伊豆韮山の願成就院において北条早雲に討ち取られたとされているが、近年では宗瑞の侵攻は1493年であるとされ、また、新将軍・義澄の生母を殺害した反逆者とされた茶々丸も堀越から逃亡して、1498年甲斐で捕捉され、殺害されたとする説もある。現在、願成就院の本堂裏手に茶々丸の墓がある。