中国人民解放軍空軍
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中国人民解放軍空軍(ちゅうごくじんみんかいほうぐんくうぐん)は、中国人民解放軍の空軍。1949年11月12日創立。総兵力38万人(空挺部隊を含む)。作戦機約2,000機。
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[編集] 概要
中国人民解放軍空軍は、多くの面で旧ソ連/ロシアの運用思想に基いて建設されており、そのため、運用する機体はいずれも旧ソ連/ロシアの技術を元にして開発されたものである。従来は、質的な劣勢を量によって補っていると評されていたが、1960年代以降の中ソ対立によって新技術の提供が打ち切られたことから、これらをベースとして発展させた航空機の開発に転じた。現在は、ロシアとの関係改善や中国自身の経済発展などを背景に、ロシアからの完成機の購入およびライセンス生産、また国産の航空機に西側の技術を導入することによって、保有する航空機の質的向上を図っている。
戦闘機については、現時点でその数的主力は、中国がMiG-21を国産化したJ-7、およびこれをベースに開発した拡大改良版のJ-8I、両側吸気のJ-8IIである。ただしこれらの機体は元の設計が古い[1]ため、段階的な改良を施す一方で、ロシア製のSu-27およびSu-30のライセンス生産、および国産のJ-10戦闘機による更新が進められている。また、さらに旧式のMiG-19の国産型機J-6は既に退役しているが無人攻撃機に改修する計画が浮上している。
また、空中早期警戒管制能力の整備を進めており、輸送戦力についても、長く使われたY-8の更新のため、Y-9による更新をはかる一方、より大型のIl-76MDの取得も進めている。
[編集] 装備
[編集] 戦闘機
[編集] J-2(殲撃二型)・J-5(殲撃五型)
1949年に創立された中国人民解放軍空軍は、その翌年の朝鮮戦争において早速実戦の洗礼を受けた。中国人民志願軍の航空部隊は、ソ連より供与されたMiG-15 (航空機)によって1950年12月より実戦に参加し、米軍を主力とする国連軍と交戦した。しかしこの際には、錬度の差や機体の航続距離などにより、朝鮮半島中部と南部では劣勢を余儀なくされた。これらのMiG-15の運用を支えるため、中国は瀋陽の航空機工場でスペアパーツやコンポーネントの製造を行ない、ついには機体そのものの生産も行なうようになり、複座の練習機型であるMiG-15UTIをJJ-2としてライセンス生産するに至った。しかし単座の戦闘機型であるMiG-15の生産は行なわれず、J-2(殲撃二型)と呼ばれる機体は、ソ連より供与されたMiG-15bisであるとされている。中国製のジェット戦闘機として最初に実戦配備されたのは、MiG-17Fのライセンス生産型であるJ-5(殲撃五型)である。J-5は1956年7月に初飛行し、767機が生産された。1965年からはレーダーを搭載した全天候型であるMiG-17PFのライセンス生産が行なわれ、J-5A(殲撃五甲型)と呼称された。J-5系列の機体はすべて1980年代には退役したものと考えられている。
[編集] J-6(殲撃六型)
これに続いて1961年よりライセンス生産されたMiG-19SはJ-6(殲撃六型)と呼称され、これによって人民解放軍空軍は初めて超音速戦闘機を手にした。しかしJ-6の生産中に中ソ関係が悪化したため、その生産には困難が伴ったと伝えられている。その後、全天候型のMiG-19PFおよびMiG-19PMのライセンス生産が試みられたが、いずれも失敗した。その一方で、中国はJ-6系列に独自の改良を施した機体を開発し、高高度昼間戦闘機であるJ-6Iが1966年に、その改良型であるJ-6IIおよびJ-6IIIが1969年に初飛行している。しかしこれに続いて開発された全天候戦闘機であるJ-6IVの開発は難航し、最終的には中止された。その後も全天候型の開発は難航し、その完成は1976年のJ-6Aを待たねばならなかった。また、J-6の派生型としては、空気取り入れ口を胴体前部両側に移し、胴体内に爆弾倉を設けた対地攻撃機Q-5(強撃五型)があり、1965年に初飛行している。Q-5は空気取り込み口を機体両脇に移し、機首部にレドームを配置している。4000機近くが生産されて空海軍で使用されていたが現在では全て退役(標的機は除く)している。
[編集] J-7(殲撃七型)
MiG-19に続いて、中国はマッハ2級の戦闘機であるMiG-21の生産を望んだが、中ソ関係の悪化のためにそれは困難であった。しかし1961年、旧ソ連はMiG-21FおよびツマンスキーR-11Fエンジン、AA-2空対空ミサイルの中国への供与を承認した。これはおそらく自らのリーダーシップを誇示しようとしたソ連のパフォーマンスであったと考えられているが、機体の引渡しののち対立はさらに激化し、最終的にMiG-21関連の資料は引き渡されなかった。このため、中国はMiG-21をリバース・エンジニアリングによって解析することによって、その中国版であるJ-7(殲撃七型)を開発し、1966年に初飛行させた。その後、J-7の国産量産型であるJ-7Iが開発され、1976年に初飛行した。しかしこれは性能的に不足であったため、運用は限られたものでしかなかった。J-7Iは1990年代前半には退役したが、退役機の少数は無人標的機に改造された。その後、J-7Iの改良型としてJ-7IIが1978年に初飛行し、これがJ-7系列の本格量産型となった。その発展型として、1984年には西側の技術を導入して改良したJ-7IIAが、1985年にはエンジンや兵装搭載力を強化したJ-7IIH(のちのJ-7H)が初飛行した。また、J-7II系列の輸出型としては、F-7B,F-7M,F-7Pがある。1980年代より、設計に抜本的な改正を加えた新世代のJ-7が出現した。1990年に初飛行したJ-7Eはダブルデルタ翼を装備し、より強力なエンジンを搭載したほか、アビオニクスも強化されている。2002年にはJ-7Eをさらに発展させたJ-7Gが登場した。J-7Gは、イスラエルのEL/M2001をベースとしたKLJ-6Eパルス・ドップラー・レーダーを搭載しており、より優れたアビオニクスを搭載している。
J-7系列の機体は合計で500機以上、おそらく700機が就役中と考えられており、数的には人民解放軍空軍の主力機と言ってよい。今後は順次FC-1,J-10(殲撃十型)によって代替されるものと考えられている。
詳細はJ-7 (航空機)を参照
[編集] J-8(殲撃八型)・J-8I(殲撃八型I)・J-8II(殲撃八型II)
1960年代、中国は上記のJ-7の整備を続けていたが、J-7はベースとなったMiG-21に対して性能的に優れておらず、全天候能力にも欠けていた上、高高度を高速で侵攻してくる爆撃機に対する対処能力の点で問題があった。しかし中ソ対立の中でソ連からの技術供与は期待できず、中国はJ-7を拡大・双発化することで、より大型で強力な戦闘機を開発することにした。この計画は、中国にとって初めての独力での戦闘機開発の試みであり、これによって開発されたのがJ-8(殲撃八型)であった。本機の試作機は1969年には初飛行に成功していたが、文化大革命の影響から量産に至ったのは1979年であった。しかし当時の中国の技術力では本機に搭載するレーダーFCSを開発できず、全天候性能の付与に失敗した上、昼間戦闘機としての性能はJ-7に劣っていた。このため、本機の生産は少数に留まり、改良型のJ-8Iの生産に移行した。J-8Iは204型モノパルス・レーダーなどを装備したが、依然として性能的には不足であり、大規模な改設計を行なったJ-8IIの開発が行なわれた。
J-8IIでは、空気取り入れ口を胴体左右両脇に配置することでレドームの大型化を可能にし、ここに208型モノパルス・レーダーなどより強力なアヴィオニクスを搭載した。またエンジンもより強力なWP-13AIIに換装され、操縦システムも改良されたものの、視程外戦闘能力は保有しない。その後、さらにアヴィオニクスを強化したJ-8BおよびJ-8C、空中受油能力を付与したJ-8Dが開発されたが、いずれも視程外戦闘能力の保有には至らなかった。2000年に初飛行したJ-8Fは本格的な多用途戦闘機となっており、JL-10ないし1492式と見られる新型レーダーを装備し、PL-12やR-77といったアクティヴ・レーダー・ホーミングの中距離空対空ミサイルの運用を可能にすることで視程外戦闘能力を獲得したほか、ロシア製のAS-17対艦ミサイルも運用可能となっている。
詳細はJ-8 (航空機)、J-8II (航空機)をそれぞれ参照
[編集] FC-1(J-9(殲撃九型))
中国は1960年代後半以降、長くJ-7系列の機体を運用してきたが、基礎設計の古さには覆いがたいものがあった。このため、西側の技術を導入して設計を大幅に改めたスーパー7計画が1986年より開始されたものの、第二次天安門事件の影響で頓挫した。その後、90年代になってパキスタンとの共同開発という形で復活したのがFC-1計画である。FC-1計画にはミコヤン設計局が関与していることから、その設計にはF-16やMiG-29の影響がある。フライ・バイ・ワイヤを導入し、また視程外戦闘能力を保有するものの、航空戦闘の能力的にはJ-10(殲撃十型)やJ-11(殲撃十一型),Su-30MKには劣っている。元来は輸出用として開発されたものと考えられていたが、中国軍もJ-9(殲撃九型)として200機の導入を予定していると伝えられており、おそらくJ-10やJ-11を補完する機体として運用されるものと推定されている。
詳細はFC-1 (航空機)を参照
[編集] J-10(殲撃十型)
J-7,J-8系列はいずれもロシアのMiG-21をベースとしており、その将来的な発展性には限界があった。これらを代替するため、まったくの新設計の国産戦闘機として開発されたのがJ-10(殲撃十型)である。本機の開発には、イスラエルがかつて開発していたラビ (航空機)のノウハウが導入されたと広く信じられており、機体の特徴もそれを強く示唆している。本機は、人民解放軍空軍が現在導入を進めているSu-27系列の機体と混合運用(ハイ・ロー・ミックス)を行うものと考えられている。本機の原型機は1996年に初飛行したが、この機体が搭載する国産の渦扇10(WS-10)エンジンは推力不足であった。ロシア製のAL-31Fエンジンを搭載した量産先行型は2003年より配備が開始された。現状では60-100機程度が配備されていると推定されている。
詳細はJ-10 (戦闘機)を参照
[編集] J-11(殲撃十一型),Su-27・Su-30MK
90年代に入って、中国は次世代の戦闘機として当時のロシア空軍の主力機であるSu-27の導入を決定し、1992年に20機のSu-27SKおよび6機の複座練習型のSu-27UBKを導入した。その後93年には単座型16機および複座型6機を購入、95年までにSu-27SK 36機およびSu-27UBK 12機が納入された。そして96年にはSu-27SKのライセンス生産契約を結び、これをJ-11(殲撃十一型)と称した。200機以上を生産する計画だったが、J-11の生産は96機で終わり、第二バッチであるJ-11Bに移行したようだ。J-11Bには国産のフェイズド・アレイ・レーダーが装備されており、少数の配備が確認されている。現在確認されている情報によると、99年には28機のSu-27UBKが購入され、計172機が導入されている。現在の調達は改良されたマルチロール型のSu-30MKKに移行しているが、これのライセンス生産は行なわれず、全機が輸入となっている。1999年に38機、2001年にさらに38機が購入され、計76機が配備された。また2002年には海軍航空隊向けに24機が導入された。当初計画では、最終的には700機が整備されることになっていたが、J-11の生産が不十分に終わったため、計画の達成は困難との見方もある。2008年にはロシア側が中国のSu-27/30シリーズのアビオニクスのアップグレードを行う事が決まった。
詳細はSu-27 (航空機)を参照
[編集] 爆撃機・攻撃機
[編集] JH-7A(殲轟七型)
老朽化したH-5(轟炸五型)及びQ-5(強撃五型)を代替するため、1974年より人民解放軍空軍および海軍は新型の攻撃機の開発を開始した。空軍の要求と海軍の要求に応じた計画が推進されたが、前者は80年に放棄された。海軍の要求に基いた試作機は88年に完成し、90年代初頭より配備が開始された。これを改良したJH-7Aが2004年に実用化されており、空軍はこれを150機調達する予定である。本機はレーザー誘導爆弾、YJ-91 (ミサイル)対レーダーミサイル、対艦ミサイルYJ-8 (ミサイル)及び対地型YJ-85巡航ミサイルの運用能力を有しており、攻撃能力についてはSu-27系列の機体よりも優れている部分もあると考えられている。
詳細はJH-7 (航空機)を参照
[編集] H-5(轟炸五型)
第二次大戦後まもなくソ連で開発された戦術爆撃機であるIl-28 (航空機)は、社会主義陣営に広く輸出され、中国もその例外ではなかった。中国は本機のライセンス生産を計画したが、1960年代における中ソ関係の悪化のためにこれは実現しなかった。中国はリバース・エンジニアリングによって本機を解析してコピーし、1963年より生産を開始した。練習型HJ-5、偵察型H-5R(もしくはHZ-5)などの派生型が開発され、また海軍型には雷撃能力が備えられた。中国は本機を90年代後半までにほぼ退役させた。
詳細はIl-28 (航空機)を参照
[編集] H-6(轟炸六型)
1950年代前半にソ連で開発された戦略爆撃機であるTu-16 (航空機)は、1958年より中国に導入された。また中国は本機のライセンス生産を行い、68年より生産を開始した。中国において本機はH-6(轟炸六型)と呼称されている。H-6の当初の目的は核兵器の運用であったが、、弾道ミサイルの発達によってこの役割は縮小された。ちょうどソ連本国のTu-16がそうであったように、中国のH-6はその長大な航続距離と大きな搭載量を生かし、巡航ミサイルや対艦ミサイルの発射母機、機雷投下機や空中給油機などとして数々の派生型が生産されている。1990年代までに各型合わせて少なくとも150機が生産され、現在およそ120機程度が運用状態にあると考えられている。
詳細はH-6 (航空機)を参照
[編集] 輸送機・給油機
[編集] Y-7(运-7)
オランダ・フォッカー社のフォッカー F27の影響を受けてソ連で開発された小型の双発戦術輸送機が、An-24 (航空機)である。中国が本機にもとづいて開発した旅客機がY-7であったが、エンジンの推力不足から開発は難航し、開発の完了は1982年になった。しかしその設計は既に陳腐化していたことから、改良型として、80年代後半にはY-7-100型が、93年にはY-7-200A型が開発された。また、軍用の貨物型はAn-24の発展型であるAn-26をベースに開発が進められ、Y-7Hとして90年代前半より就役した。また、Y-7-200B型をベースに開発されたと考えられる旅客型であるY-7Gも就役中であり、両型あわせて20機以上を運用していると考えられている。
[編集] Y-8(运-8),Y-9(运-9)
人民解放軍空軍の輸送戦力の主力をなすY-8は、ターボプロップ・エンジンを4発に配した戦術輸送機で、ソ連のAn-12をコピーした機体である。オリジナルの機体との識別点は機首部にあり、Y-8はより長く尖ってガラス部が増積された機首を採用している。中国は1966年から68年にかけて12機の機体をソ連より輸入し、これをリバース・エンジニアリングにより解析した。これにもとづいて設計されたY-8の初号機は1974年に初飛行した。Y-8の最大搭載量は20トンで、96名の武装兵を収容できるほか、82名の空挺隊員を降下させることができる。また、Y-8の初期型はAn-12と同様に23mm連装機関砲を装備しているが、後期の生産型では撤去されている。また、Y-8は多数の派生型の母機となっている。
詳細はAn-12 (航空機)を参照
人民解放軍空軍において長く使用されたY-8だが、原型機の初飛行が1957年とあって、陳腐化が進んでいた。このため、2001年よりY-8X計画として代替計画が開始された。2005年にはY-9計画と改称された本機は、拡張された貨物搭載能力と強化されたエンジンを備え、アビオニクスも更新される。最大搭載量は30トンとなり、132名の武装した空挺隊員を収容可能である。
詳細はY-9 (航空機)を参照
[編集] Il-76MD,Il-78
1990年代初頭より、中国は初の大型輸送機としてロシアのIl-76の導入を推進した。1991年には最初の3機が到着し、92年には7機が追加された。98年には、中国は14機のIl-76を保有しており、2005年にはさらに34機の発注が行なわれた。しかしこの発注分の引渡しは主としてコスト面の問題により遅延していると伝えられている。中国が導入しているIl-76MD型は40トンの貨物を搭載可能であり、190名の武装兵ないし3両の軽装甲車輌を輸送できる。これは人民解放軍空軍が従来保有していたいかなる輸送機よりも強力な輸送能力である。
また、中国はIl-76をベースに開発された空中給油機であるIl-78も導入している。人民解放軍空軍には既に空中給油機としてHY-6(轟油六型)があったが、人民解放軍が導入しつつあるSu-27系列の機体とは規格が合わないため、別途に導入することとなった。
詳細はIl-76 (航空機)、Il-78 (航空機)をそれぞれ参照
[編集] 早期警戒管制機
[編集] KJ-2000(空警二千型)
中国の防空能力において大きな欠点とみなされていたのが空中早期警戒能力の欠如である。これを改善するため、中国は1994年よりイスラエルおよびロシアとの協議を開始した。このときの計画では、ロシアのA-50早期警戒管制機の機体にイスラエル製のファルコン・レーダーシステムを搭載することになっていた。しかし外国からの政治的な圧力によって、ファルコン・レーダーシステムの搭載は行われず、機体のみが中国に引き渡された。中国はこの機体に搭載する国産のレーダーシステムの開発を推進し、これを搭載した機体は2003年に初飛行した。現在までに4機の存在が確認されている。KJ-2000は固定型のフェイズド・アレイ・レーダーを三面に配したトライアンギュラー・レドームを搭載しており、最大探知距離は200-400km程度と推測されている。
詳細はKJ-2000 (航空機)を参照
[編集] Y-8バランス・ビーム(KJ-200),Y-8 AEW(ロートドーム)
上記のように中国は早期警戒能力の獲得のため外国機の導入を模索していたが、それと並行して、1990年代後半より、自国での開発計画を開始した。これによって開発されたのがKJ-200(空警二百型)であり、西側の情報機関にはY-8バランス・ビームと命名された。母体となったのは、中国軍の主力輸送機であるY-8で、この機体背面に棒状のレーダーを搭載しており、これがバランス・ビーム(平均台)という仇名の由来となった。このレーダーはスウェーデンのエリアイ・レーダーに類似しているが、二面のアンテナで全周をカバーできる。原型機は2001年に初飛行し、その後Y-8の改良型をベースとした機体が2005年に初飛行した。
その一方で、中国はY-8をベースとした第二の早期警戒機の開発を行なっており、その計画は2005年に公表された。先行する二つの計画が固定型のフェイズド・アレイ・レーダーを使用していたのとは対照的に、本機は従来どおりの回転型ロート・ドームを装備している。このことから、日本や欧米などではY-8「ロートドーム」と通称されることが多い。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ J-7の原型機であるMig-21の初飛行は1955年、J-8試作機の初飛行は1969年である。
[編集] 参考文献・外部リンク
- 田岡俊次『日本を囲む軍事力の構図』中経出版, 2003. ISBN 4806118729
- 田岡俊次『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』 朝日新聞社, 2007. ISBN 4022731364
- 石川潤一「中国最新軍用機事情」」『航空ファン』2007年4月号(通巻第652集)、50-57頁
- 岡部いさく「中国空軍戦闘機の系譜」『航空ファン』2007年4月号(通巻第652集)、58-63頁
- 中華民国九十五年国防報告書(繁体字、英語)
- ВОЗДУШНАЯ МОЩЬ "ПОДНЕБЕСНОЙ"(ロシア語)
- Chinese Defense Today(英語)
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戦闘機 | J-2 - J-4 - J-5 - J-6 - J-7 - J-8 - J-8II - J-9 - J-10 - J-11 - J-12 - J-13 - J-XX - FC-1 - Su-30MKK |
攻撃機・爆撃機 | Q-5 - Q-6 - H-5 - H-6 - H-X - SH-5 - JH-7 |
輸送機・給油機 | Y-5 - Y-6 - Y-7 - Y-8 - Y-9 - Y-10 - Y-11 - Y-12 - MA-60 - ARJ-21 - HY-6 - Il-78 |
練習機 | JJ-1 - CJ-5 - CJ-6 - JL-8 - JL-9 - L-15 |
回転翼機 | Z-5 - Z-6 - Z-7 - Z-8 - Z-9 - Z-10 - Z-11 - Z-15 - S-70 - EC-120 |
その他 | KJ-2000 - KJ-200 - 暗剣 |
備考 | 中国人民解放軍空軍 - 中華人民共和国製の航空機一覧 |