ニンマ派
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チベット語名 | |
---|---|
チベット文字: | རྙིང་མ་ |
ワイリー方式: | rnying ma |
IPA発音表記: | [ɲiŋma] |
蔵文ピン音: | Nyingma |
THDL式: | Nyingma |
その他の表記: | — |
中国語名 | |
繁体字: | 寧瑪派、紅教 |
簡体字: | 宁玛派、红教 |
ピン音: | Níngmǎpài, Hóngjiào |
ニンマ派はチベット仏教4大学派の1つ。(残りはカギュ派、サキャ派、ゲルク派。)「ニンマ」は「古」を意味し、前伝期(8~9世紀)に翻訳された聖典を奉じているためこの呼称で呼ばれる。なお、ニンマ派は「ニンマパ」とも呼ばれる。語尾の「パ」は「実行する人々(ニンマパ=ニンマの人々)」を意味する。
ニンマ派と見られる宗派は早くも8世紀に作られたサンスクリット語のチベット語翻訳書に登場する。今日、活動拠点はチベット東部のカムが中心である。
歴史的にニンマ派は赤サンガと白サンガに分かれており、赤サンガは戒律を厳格に守っている出家修行僧であり、白サンガには出家修行僧ほどの戒律が求められない。ニンマ派は、最初期の密教の伝統を伝える宗派である。一人一派あるいは一寺院一派の傾向が強く、宗派としてのまとまりは他派ほどには強くない[1]。そのためもあって、ニンマ派の歴史の上の重要人物は学者、教育者が多く、政治家は少ない。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 起源
760年前後、チベットでは数10年前に伝来した仏教と伝統宗教のボン教との間で対立が生まれようとしていた。仏教に帰依していた吐蕃王朝を統べるチベット王ティソン・デツェンは、インドからパドマサンバヴァとナーランダ大学の僧シャーンタラクシタを招聘した[2]。ティソン・デツェンは仏教の聖典であるダルマの全てをチベット語に翻訳するよう依頼した。パドマサンバヴァ、シャーンタラクシタ、108人の翻訳家、パドマサンバヴァの直弟子25人がこの巨大な翻訳プロジェクトのために長年を費やした。この業績が後のチベット仏教に大きな影響を与えることになる。パドマサンバヴァは、主としてタントラ(密教の聖典)の翻訳監督を、シャーンタラクシタはスートラ(釈迦の説話)を担当した。また、パドマサンバヴァとシャーンタラクシタは協力してサムイェー寺の建設に当たり、775年に建設[3]、810年に[2]落慶している。サムイェー寺はその後長い間、チベットの聖典翻訳の拠点となった[4]。
この時、僧に7つの位階が初めて制定された。また中国人僧の摩訶衍[4](あるいは大乗和尚[3])を宗論の末にチベットから追放し、禅宗を異端とし、インド仏教を国是と定めている[3]。ただしその後も禅宗の影響はニンマ派に残っている[4]。これらの活動が基礎となり、チベットにタントラを基にした仏教が確立された。8世紀から11世紀までの間、ニンマ派はチベット仏教で唯一の宗派だった。
[編集] 発展
840年代、ボン教徒のランダルマ王は仏教を弾圧し、大きく衰退した。(ボン教徒と仏教徒の対立が原因で政治は混乱、これが遠因となって9世紀の終わりごろに吐蕃王朝は滅びた。)
11世紀、インドから渡来僧と新しい仏教書がもたらされ、それを基にしてサキャ派、カギュ派などの新宗派が次々と作られた。この頃からニンマ派がニンマ派(古派)と呼ばれ始めるようになった。ニンマ派は中世に1度もチベットの政権を取らなかったという点で4大学派の中では特異である。このため、チベットの政治陰謀とも距離を置くことができた。
12世紀、カムのペユル(現カンゼ・チベット族自治州白玉県付近)に、カトク・ゴンパ(呷妥寺)ができている[5]。
14世紀に登場したロンチェン・ラプジャムパ(en:Longchenpa 1308–1363)は, 他派から「ニンマ派の教義には仏教以外の要素が多すぎる」と[6]非難が集中したため、「九条教判」と呼ばれる教義体系(後述)を生み出した[7]。この中で、ニンマ派の究極の奥義であるゾクチェンの教えを始めて書き記している[8]。
15世紀にはラトナリンパ(Ratna gling pa, 1403-1476)が登場し、『ニンマ百万聖典』(rNying ma rgyud 'bum)を編纂している[2]。
16世紀にはテルトン(後述)であるペマワンゲルがエワムチョカル寺を建立している[2]。
ニンマ派が政治勢力として他宗派の記録に現れ始めるのは17世紀に入ってからである。この頃、ダライ・ラマ5世はチベット古来の神々の力を封じさせるため、ニンマ派を保護した。現存するニンマ派の大寺はほとんどがこの時期に造られている。ラサ南方では1659年にガキワンポによってドルジェタク寺が、1676年にテルダクリンパ(1646-1719)によってミンドゥルリン寺が建立され、カム地方では1665年にペルユル寺、1685年にゾクチェン・リンポチェにより[9]ゾクチェン寺が建立された[2]。また、ペユルにはデルゲ王によってペユル・ゴンパが建てられている[10]。
テルダクリンパはダライ・ラマ5世の師であり弟子でもあり、ニンマ派の仏説文献群を編集した。ミンドゥルリン寺の座主は代々テルダクリンパの子孫が受け継いでいる[2]。一方ドルジェタク寺の座主は代々リクジン・ゴデムジェ(1337-1408)の転生者がリクジン(持明)の号を名乗って継いでいる[2]。
1717年、モンゴルのジュンガル部が侵略してきた際にはドルジェタク寺[11]、ミンドゥルリン寺が灰燼に帰している。
[編集] ロンチェン・ニンティクの成立
リンジン・ジグメ・リンパ(1730-1798)は、14世紀のロンチェン・ラプジャムパの著書『広大心要』をテルマとして再評価し、『ロンチェン・ニンティク』としてまとめた。『ロンチェン・ニンティク』は後のリメ運動(en)の基盤となり、現代のゾクチェンの教本としても利用されている。ジグメ・リンパの教えは東チベットのデルゲで栄え、3人の転生者が認められている。en:Do Khyentse (1800?-1859?), ジャムヤン・キェンツェ・ワンポ1820-1892) 、ペユル・リンポチェ (1808-1887)の3人で、いずれもリメ運動で中心的役割を担っている。(チベットにおける転生は、単なる生まれ変わりではなく、修行者の化身であるため、複数の子供として現れる場合がある[13]。)
[編集] 埋蔵教全書
『埋蔵教全書』(英:Rinchen Terdzod; ワイリー方式:rin chen gter mdzod; 蔵文拼音:རིན་ཆེན་གཏེར་མཛོད།)とは、19世紀に『ロンチェン・ニンティク』を始めとする過去の重要なテルトンを1冊にまとめたものである。編纂にはジャムヤン・キェンツェ・ワンポ(Jamyang Khyentse Wangpo), ジャムグン・コントゥル・ロドゥ・タイェ(Jamgon Kongtrul Lodro Thaye), チョギュル・デチェン・リンパ(Chogyur Dechen Lingpa)が携わっている。『埋蔵教全書』は現代のニンマ派にとってももっとも重要な経典である。
[編集] 偉大なミパムの登場
「偉大なミパム」として知られるミパム・ジャムヤン・ギャツォ(Mipham Jamyang Gyatso ,1846–1912)は、1846年、チベット東部カムの上流家庭に生まれた。ジャムヤン・ギャツォは「克服されない大海」を意味し、彼は学者として活躍し、文殊菩薩の転生者として認定された。
当時のニンマ派の教えはまだ他派ほどには体系化されておらず、それがしばしば他派の学者からの攻撃材料となっていた。ミパムはニンマ派の哲学の体系化を要望され、それに着手した。
ミパムは、ニンマ派の教義を、スートラ(釈迦の説教)と密教の教義に基づいて解説した本を記した。そこではニンマ派の重要な教えであるゾクチェンについても詳細に解説した。ミパムはこの解説書をたちどころに作り上げたと言われている。ミパムの業績により、ニンマ派の権威は大きく向上した。ミパムの解説書はニンマ派だけでなく、カギュ派も教本として取り上げるほどであった。そして数多くの弟子がミパムの教えを受け継いだ。彼らの多くがニンマ派寺院の要職に就き、ミパムの教えを広めた。
ミパムのこの教えには和訳本もある[14]。
[編集] 近現代
ニンマ派のソギェル・レラブ・リンパはダライ・ラマ13世の師の一人であり、ダライ・ラマ13世が1895年から国政を担当するに際して、彼の権威を確立するきっかけとなった政治事件に若干関わっている[15]。
近現代のニンマ派の長は次の通り。
- チュン・リンポチェ(Gcung rin po che) ニンマ派の長として1955年カムに派遣され、56年チベット自治区準備委員会メンバー[16]
- デュジョム・リンポチェ(en:Dudjom Rinpoche)(c. 1904–1987) 1959年から死ぬまでニンマ派の長。1975年からフランスに住む。[17]
- ディンゴ・ケンツェ・リンポチェ(en:Dilgo Khyentse Rinpoche) (c. 1910–1991) 1988年から死ぬまでニンマ派の長、西欧に頻繁に滞在[18]
- ペノル・リンポチェ(en:Penor Rinpoche, 在職1991-2003) ペユル寺座主。ディンゴ・ケンツェ・リンポチェの死後、宗主の役割を果たしている。2008年現在、健在である。
- ミンリン・ティチェン・リンポチェ(en:Mindroling Trichen Rinpoche)(c. 1930–2008) 2003年から死ぬまでニンマ派の長。2008年2月現在、後継者は決まっていない。
現在、ニンマ派6大寺院と呼ばれているのは、ゾクチェン寺、カトク寺(カトック寺)、ペユル寺、シェチェン寺、ミンドゥルリン寺、ドルジェ・ダク寺である[19]。
ゾクチェン寺は1960年代の文化大革命で被害を受けるが、文化大革命後の1970年代後半から中国政府黙認の形で復興が始まり、2004年にはメイン・テンプルが再建されている。2008年現在は13代目のゾクチェン七世テンジン・ロンドク・ニイマが僧院長を務めている[19]。
カトク寺はモンゴル、中国、シッキムにも分院を持ち、何人かの活仏も住んでいる[20]。
ペユル寺は、座主ペノル・リンポチェは1959年のチベット動乱の際に亡命してペユル寺も南インドバイラクッペ(en)に移された。ペノル・リンポチェは時々帰国して中国のペユル寺再建にも携わっており、また、ディンゴ・ケンツェ・リンポチェが亡命先で死んだ後はニンマ派の宗主の役割を果たしている[20]。
シェチェン寺も文化大革命で破壊され、亡命した活仏シェチェン・ラブジャム・リンポチェ7世がネパールに寺を移している。一方、中国のシェチェン寺も再建が進んでいる[20]。
ニンマ派の総本山の一つ、ミンドルリン寺は、文化大革命で被害を受け、インドに再建されている[21]。ミンドルリン寺の座主はインド在住である。一方、山南地区に残されたミンドルリン寺も文化大革命時には倉庫になっていたが、現在は再建が進んでいる[20]。
ニンマ派のもう一つの総本山であるドルジェタク寺は1959年には400人の僧がいたが、60年代の文化大革命で破壊され[11]、インドに再建されている[21]。中国のドルジェタク寺も1985年から再建が始められている[11]。
一方、チベット本土で新たにできるニンマ派の寺もある。それは、カリスマを持つラマのもとに自然に集まってきてできたもので、カンゼ・チベット族自治州白玉県付近のアチェン・ガル、ラルン・ガルなどである[22]。
[編集] ニンマ派の特徴
ニンマ派中興の祖であるロンチェン・ラプジャムパは14世紀、ニンマ派の教義を整え「カーマ(仏説部)、テルマ(埋蔵部)、ダナンの3つが重要である」と説明した[21]。
「カーマ」(師資相承)とは文献を主とした聖典で、釈迦から何人かの師弟の相承を通じてパドマサンバヴァに伝わり、その後ニンマ派に伝承されているとされる[21]。
「テルマ」とはパドマサンバヴァが秘匿した教法で、「カーマ」の真髄を表したものとされる[21]。これはニンマ派の大きな特徴であり、詳しくは後述する。
「ダナン」とは啓示的な幻視であり、パドマサンバヴァが修行者テルトン(後述)に直接教えを与えるというものである[21]。
[編集] タントラのシステム
ニンマ派の教義体系の主流は、14世紀にロンチェン・ラプジャムパがまとめた「九乗教判」である[23]。
- 顕教
- 外タントラ
- 4. クリヤー乗(en:Kriya)
- 正しい行いや言葉と体の浄化、および基本的な視覚化の瞑想[24]。
- 5. ウパ乗(en:Carya or en:Ubhaya)
- 瞑想する神々と合一するため、自身の内外の能力を養う
- 6. ヨーガ乗(en:Yogatantra)
- 内なる精神物理学的な活力を強化する
- 4. クリヤー乗(en:Kriya)
- 内タントラ
- 7. マハーヨーガ乗(生起次第,en:Mahayoga)
- 通常の知覚や執着を消滅させる
- 8. アヌヨーガ乗(円満次第,en:Anuyoga)
- 原初の知覚を実現する
- 9. アティヨーガ乗(大円満,ゾクチェン,en:Atiyoga/en:Dzogchen)
- 直接悟ることのみで知ることができる言葉を越えた世界
- 7. マハーヨーガ乗(生起次第,en:Mahayoga)
[編集] テルマとテルトン
テルマ(埋蔵宝典,terma)はニンマ派を特徴付ける重要なものである。ニンマ派の教義の伝達は、師から弟子へと受け継がれる「師資相承」と、発見されたテルマから新たに得られるものの2種類から成る。
ニンマ派の教義によれば、祖師パドマサンバワは8世紀、後のチベット人のためにニンマ派の教えの真髄をさまざまな形で埋蔵したとされる。この埋蔵されたものがテルマであり、それを発掘する役割を与えられた僧がテルトンである。
[編集] テルマ
テルマとはテルトン(埋蔵宝典発掘僧,en:terton)が探してきた古代の経典や遺物、あるいは啓示のことである。ボン教徒のテルトンもいるが、一般的にテルトンと言えばニンマ派の僧を指す。
ニンマ派の伝承によれば、パドマサンバワと彼の主な弟子達は、ラン・ダルマ王の仏教弾圧の時代、彼らは仏教を守るため、数百もの聖典、仏具をチベット高原各地に秘密裏に隠したとされる。そして、人智の進化に応じてその時代にあったテルマが発見される[25]。(ただしその古代性は疑わしい[26]。)テルマは必ずしも物ではなく、テルトンが岩上や洞穴で得た体験(en:Mindstream)であることもある。
ニンマ派の教えは、時代と共に発見されたテルマを元に、少しずつ膨大なものとして発達を遂げていった。そしてテルマによって明かされた教えにより、多くの修行僧達が悟りを開くこととなった。
テルマという考え方は、インドに先例がある。例えばナーガールジュナは釈迦から時を越えて伝えられた般若経の最後の部分を再発見している。
[編集] テルトン
ニンマ派の教義によると、テルトンの多くはパドマサンバワの25人の主要な弟子の転生者である。
最初に現れたテルトンはサムギェ・ラマ(Sangye Lama, 1000–1080)である。テルマの発見者として有名なのは、五大テルトンと八大リンパである。
- 五大テルトン(生没年には異説もあるが、ここでは立川『チベット密教』記載のもの[2]を挙げる。)
- 八大リンパ(チベット語: གླིང་པ་བརྒྱད་; ワイリー式: gling-pa brgyad)
- Sangye Lingpa (1340-1396)
- Dorje Lingpa (1346-1405)
- Rinchen Lingpa
- Pema Lingpa (or Padma Lingpa) (1445/50-1521)
- ラトナ・リンパ(Ratna Lingpa 1403-1471/76)
- Kunkyong Lingpa (or Khyungdrak Dorje)
- Do-ngag Lingpa
- Tennyi Lingpa.
その他に重要なテルトンとして、[:en:Rigdzin Godem]] (1307–1408), en:Orgyen Chokyur Lingpa (1829–1870), Jamyang Khyentse Wangpo (1820–1892), Orgyen Chokyur Lingpa (1829–1870)らがいる。
[編集] 他国への影響
ネパールの主な宗教はヒンドゥー教であるが、仏教も存在する。どちらも哲学的な宗教であることから、自らがヒンドゥー教徒であるか仏教徒であるかを意識していない人も多い。ネパールはもともと釈迦の出身地だったこともあり、古くから仏教が存在し、密教も早くから伝わっているが、ニンマ派の影響も見られる。仏教は近年では衰退の傾向にある[27]。
[編集] 関連項目
- en:Rigpa(英語)
- en:Chokling Tersar(英語)
- en:Longchen Nyingthig(英語)
- en:Ngagpa(英語)
[編集] 出典、注釈
- ^ ツルティム p.46
- ^ a b c d e f g h i 立川 p.33
- ^ a b c ペマ・ギャルポ p.100
- ^ a b c 『チベット密教の本』p.154
- ^ 旅行人ノート p.242
- ^ ツルティム p.46
- ^ ツルティム p.200
- ^ 『チベット密教の本』p.162
- ^ 旅行人ノート p.244
- ^ 旅行人ノート p.243
- ^ a b c 旅行人ノート p.83
- ^ 旅行人ノート p.244
- ^ ロラン・デエ p.131
- ^ 『静寂と明晰―チベット仏教ゾクチェン修習次第』1992年、ダルマワークス、ISBN 978-4795282810
- ^ ロラン・デエ p.215
- ^ ロラン・デエ p.322、索引
- ^ ロラン・デエ p.348、索引
- ^ ロラン・デエ 索引p.28
- ^ a b ゾクチェン寺日本語ホームページ
- ^ a b c d 旅行人ノート p.243
- ^ a b c d e f 『チベット密教の本』p.162
- ^ 旅行人ノート p.238, 247
- ^ ツルティム p.200
- ^ 解説はhttp://club.pep.ne.jp/~faucon/tibet/nyingma.htmによる
- ^ ロラン・デエ p.21
- ^ ロラン・デエ p.21
- ^ 立川 p.239
[編集] 参考文献
概説
- Dudjom Rinpoche and Jikdrel Yeshe Dorje. The Nyingma School of Tibetan Buddhism: its Fundamentals and History. Two Volumes. 1991. Translated and edited by Gyurme Dorje with Matthew Kapstein. Wisdom Publications, Boston. ISBN 0-86171-087-8
- Jamyang Khyentse Rinpoche. The Opening of the Dharma. Library of Tibetan Works and Archives, Dharamsala 1974
- Keith Dowman. Skydancer - The Secret Life and Songs of the Lady Yeshe Tsogyal. Snow Lion Publ., Ithaca-New York 1996, ISBN 1-55939-065-4
- Ngawang Zangpo. Guru Rinpoché - His Life and Times. Snow Lion Publications, Ithaca-New York 2002, ISBN 1-55939-174-X
- Sogyal Rinpoche. The Tibetan Book of Living and Dying, ISBN 0-06-250834-2
ゾクチェン
- Dudjom Lingpa. Buddhahood Without Meditation, A Visionary Account known as Refining Apparent Phenomena. Padma Publishing, Junction City 1994, ISBN 1-881847-07-1
- Reynolds, John Myrdhin, Self-Liberation through seeing with naked awareness. Snow Lion Publications, Ithaca-New York 2000, ISBN 1-55939-144-8
- Longchen Rabjam. A Treasure Trove of Scriptural Transmission, a Commentary on The Precious Treasury of the Basic Space of Phenomena. Padma Publishing, Junction City 2001, ISBN 1-881847-30-6
- Longchen Ragjam. The Practice of Dzogchen. Snow Lion Publications, Ithaca-New York 1996, ISBN 1-55939-054-9
- Longchen Rabjam. The Precious Treasury of the Basic Space of Phenomena. Padma Publishing, Junction City 2001, ISBN 1-881847-32-2
- Longchen Rabjam. The Precious Treasury of the Way of Abiding. Padma Publishing, Junction City 1998, ISBN 1-881847-09-8
- Longchenpa. You Are the Eyes of the World. Snow Lion Publications, Ithaca-New York 2000, ISBN 1-55939-140-5
- Manjushrimitra. Primordial Experience, An Introduction to Dzogchen Meditation. Shambhala Publications, Boston & London 2001, ISBN 1-57062-898-X
- Nudan Dorje, James Low. Being Right Here - A Dzogchen Treasure Text of Nuden Dorje entitled The Mirror of Clear Meaning. Snow Lion Publications, Ithaca-New York 2004, ISBN 1-55939-208-8
- Padmasambhava. Advice from the Lotus-Born. Rangjung Yeshe Publications, Hong-Kong 1994, ISBN 962-7341-20-7
- Padmasambhava. Natural Liberation - Padmasambhava's Teachings on the Six Bardos. Wisdom Publications, Boston 1998, ISBN 0-86171-131-9
- Reynolds, John Myrdhin. The Golden Letters. Snow Lion Publications, Ithaca New York 1996, ISBN 1-55939-050-6
日本語の文献
- 立川武蔵・頼富本宏編『チベット密教』1999年、春秋社、ISBN 4-393-11212-1
- Books Esoterica 11号『チベット密教の本』1994年、学研、ISBN 4-05-600715-2
- ロラン・デエ『チベット史』春秋社、2005年、ISBN 4-393-11803-0
- ペマ・ギャルポ『チベット入門』日中出版、1987年、ISBN 4817512342
- ツルティム・ケサン/正木 晃『チベット仏教』ちくま新書、2000年、ISBN 4-480-05830-3
- 旅行人ノート『チベット』第4版、2006年、ISBN 4-947702-56-7
[編集] 外部リンク
- Kathok Nyingma Tradition of Tibetan Buddhism
- Nyingma Institute headed by Tharthang Tulku, with centres in Berkeley, Amsterdam and Rio de Janeiro
- The Nyingma Lineage and Terma Tradition from Simhanada
- Zangthal Translations of Tibetan texts into English.