パドマサンバヴァ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パドマサンバヴァ(पद्मसंभव Padmasaṃbhava、蓮華生、チベット語:པདྨ་འབྱུང་གནས་ padma 'byung gnas/pɛʔma tɕuŋnɛʔ/ペマ・チュンネ、8世紀後半頃)はチベットに密教をもたらした人物。チベット・ブータンではグル・リンポチェ(གུ་རུ་ཪིན་པོ་ཆེ་ gu ru rin po che)として知られる。ニンマ派(紅教)の創始者である。このニンマ派の「ニンマ」とはチベット語で「古」を意味し、これが最初の密宗であることによる。
パドマサンバヴァ(サンスクリットで「蓮華生」の意)の名は、彼がウッディヤーナ(烏杖那国)―今日のパキスタン、スワート渓谷に当たる―のダナコーシャ湖の蓮の花の中から8歳の子供の姿で現れたという伝承に由来する。この不思議な子供は国王の養子に迎えられ、国政を委ねられたが、あるとき虚空に現れた金剛薩埵(ヴァジュラサットヴァ)の教えを受け、出家して僧となった。 多くの師の元で修行して高僧となると、彼の神通力を聞いたチベットのティソン・デツェン王が彼を招き、土着のボン教を調伏してチベット仏教の基礎を開いた。
布教の際に、時にはなだめ、時には驚かすために8つの姿=グル・ツェンギェー(གུ་རུ་མཚན་བརྒྱད་ gu ru mtshan brgyad)を見せたと伝えられる。
パドマサンバヴァはサムイェー寺の建設にも携わり、伝承によると810年に落慶後、ゾクチェンなどの教義はまだチベット人には早いとしてさまざまな形で埋蔵し、チベットを去って羅刹国に向かったという。チベットでは今でもパドマサンバヴァが去った4月10日に大祭が行われている[1]。
[編集] 注釈、出典
- ^ 立川 p.33
[編集] 参考文献
- 立川武蔵・頼富本宏編『チベット密教』1999年、春秋社、ISBN 4-393-11212-1