デポルティーボ・ラ・コルーニャ
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デポルティーボ・ラ・コルーニャ | |
原語表記 | Real Club Deportivo de La Coruña |
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愛称 | Depor |
クラブカラー | 青と白 |
創設年 | 1904年 |
所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ |
所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン |
ホームタウン | ラ・コルーニャ |
ホームスタジアム | リアソール |
収容人数 | 35,600 |
代表者 | アウグスト・セサル・レンドイロ |
監督 | ミゲル・アンヘル・ロティーナ |
レアル・クラブ・デポルティーボ・デ・ラ・コルーニャ(Real Club Deportivo de La Coruña S.A.D.)は、スペインのガリシア州ラ・コルーニャに本拠地を置くプロサッカークラブである。現在はリーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに所属している。
「Deportivo(デポルティーボ)」はスペイン語で「スポーツ」という意味を持つため「Deportivo」の名を冠したスポーツクラブは世界に多数存在するが、スペインを始め世界各国では特にこのクラブが「デポル」、「デポルティーボ」の略称で親しまれる事が多い。
目次 |
[編集] 歴史
チーム創立以来長い間二部が定位置の弱小クラブであったが、1988年に弁護士で政治家であったレンドイロが会長として雇われてからは豊富な資金力とレンドイロのタフな交渉力を武器に効果的な選手補強を実行。1991年に念願の1部昇格を果たす。
1993-1994シーズンには鉄壁の守備陣に支えられ、最終節を残して2位と勝ち点1差の首位に立つ。しかし、最終節では終了間際のPKミスによりドローに終わり、FCバルセロナに大逆転優勝をさらわれるという悲劇を味わった。
デポルティボの黄金期は1998-1999シーズン、知将ハビエル・イルレタが監督に就任したことから始まった。リーガ屈指の戦術家であるイルレタによって徹底的に鍛え上げられたチームは、翌1999-2000シーズンには悲願のリーガ・エスパニョーラ制覇を達成。その後数年間にわたってチームは国内外で猛威を奮い、特にUEFAチャンピオンズリーグの舞台では、アーセナル、ユヴェントス、バイエルン・ミュンヘン、マンチェスター・ユナイテッド、ACミランなど多くの世界的な強豪クラブが、この一ローカルクラブによって打ち破られている。特にユヴェントスとは短期間に頻繁に激突し、数々の名勝負を繰り広げた。対戦成績は3勝1敗4分と勝ち越している。なおこの黄金期のチームは「Super Depor」(スーペルデポル)と呼ばれた。
しかし2003-2004シーズンにリーガ・エスパニョーラ3位、UEFAチャンピオンズリーグベスト4という好成績を残したのを最後に、翌シーズンは国内外で不振を極め、チーム躍進の立役者であったイルレタの退任と共にデポルティボの黄金期は終わりを迎えることになる。この不振の理由としては、主力選手の高齢化、戦術・メンバーの固定化によるマンネリズムの蔓延、大規模な選手育成施設をつくり負債を抱えたため以前ほど補強に資金を回せなくなったこと等様々な理由が挙げられている。
2005-2006シーズンにはセビージャFCから若手育成に長けたホアキン・カパロスを監督に招聘し、チームの建て直しを図った。好調な滑り出しを見せたが、フアン・カルロス・バレロン、ジョルジュ・アンドラーデの怪我と共に失速していくなど、往年の輝きを取り戻すには至らなかった。
2006-2007シーズンはカパロス政権二年目を迎えてさらに大胆なチーム編成に乗り出し、長年チームを支えたフランシスコ・モリーナ、リオネル・スカローニ、ディエゴ・トリスタンらベテランを放出して前政権の遺産を一掃する一方で、有望な若手選手を数多く補強し、再びヨーロッパの舞台への返り咲きを目指したが、チームは大きく低迷。 さらにカプデビラ、アリスメンディ、アンドラーデら主力をシーズン後に放出、バレロンの怪我の長期化、カパロス監督の辞任など、今後どうなるのか不安が残る。
2007-2008シーズンは序盤から低迷し一時降格圏にまで低迷した。しかし年明けから5バックの守備と徹底したカウンターサッカーを導入し得点力が増加、FCバルセロナ戦を含めた5連勝などで降格圏から中位まで上昇した。
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
[編集] 国際タイトル
なし
[編集] 過去の成績
- 1996-1997 プリメーラ・ディビシオン 3位
- 1997-1998 プリメーラ・ディビシオン12位
- 1998-1999 プリメーラ・ディビシオン 6位
- 1999-2000 プリメーラ・ディビシオン 1位
- 2000-2001 プリメーラ・ディビシオン 2位
- 2001-2002 プリメーラ・ディビシオン 2位
- 2002-2003 プリメーラ・ディビシオン 3位
- 2003-2004 プリメーラ・ディビシオン 3位
- 2004-2005 プリメーラ・ディビシオン 8位
- 2005-2006 プリメーラ・ディビシオン 8位
- 2006-2007 プリメーラ・ディビシオン 13位
- 2007-2008 プリメーラ・ディビシオン 9位
[編集] 現所属メンバー
- 3rd February, 2008 現在
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[編集] ローン移籍選手
- in
- out
- ― MF モモ toシェレス
- ― MF イアゴ toエルチェ
[編集] 歴代監督
- ミゲル・アンヘル・ロティーナ 2007 - 現在
- ホアキン・カパロス 2005 - 2007
- ハビエル・イルレタ 1998 - 2005
- カルロス・アウベルト・ダ・シウバ 1997 - 1998
- ジョン・トシャック 1995 - 1997
[編集] 歴代所属選手
詳細はCategory:デポルティーボ・ラ・コルーニャの選手を参照
[編集] GK
- ペトル・コウバ(チェコ) 1996 - 1997, 1999 - 2001
- ヌーノ・サント(ポルトガル) 1996 - 2002
- ペーター・ルファイ(ナイジェリア) 1997 - 1999
- フランシスコ・モリーナ(スペイン) 2000 - 2006
- ダニ・マージョ(スペイン) 2001 - ?
- グスタボ・ムヌア(ウルグアイ) 2003 -
- ジャック・ソンゴォ(カメルーン) 2003 - 2004
- ドゥドゥ・アワット(イスラエル) 2006 -
[編集] DF
- ミロスラフ・ジュキッチ(セルビア) 1990 - 1997
- ジェローム・ボニセル(フランス) 1996 - 1999
- ヌルディーヌ・ナイベト(モロッコ) 1996 - 2004
- ガブリエル・シュレール(アルゼンチン) 1998 - 2000
- エンリケ・ロメロ(スペイン) 1998 - 2006
- セサル・マルティン(スペイン) 1999 - 2006
- マヌエル・パブロ(スペイン) 1999 -
- ジョアン・カプデビラ(スペイン) 2000 - 2007
- ゴラン・ジョロビッチ(セルビア) 2001 - 2003
- ジョルジュ・アンドラーデ(ポルトガル) 2002 - 2007
- ファブリシオ・コロッチーニ(アルゼンチン) 2005 -
- ファンマ(スペイン) 2005 -2007
- アントニオ・バラガン(スペイン) 2006 -
- アルベルト・ロポ(スペイン) 2006 -
- ロドリ(スペイン) 2007 -
[編集] MF
- ステファン・ジアーニ(フランス)
- ルイス・スアレス(スペイン) 1953 - 1954
- フラン(スペイン) 1987 - 2005
- ドラガン・カナトラロフスキー(マケドニア共和国) 1990 - 1992
- ドナト(スペイン) 1993 - 2003
- ブランコ・ミロバノビッチ(セルビア) 1995 - 1996
- フラビオ・コンセイソン(ブラジル) 1996 - 2000
- コランタン・マルタン(フランス) 1996 - 1997, 1998
- リバウド(ブラジル) 1996 - 1997
- ジャウミーニャ(ブラジル) 1997 - 2002、2003 - 2004
- リオネル・スカローニ(アルゼンチン) 1997 - 2006.1
- ムスタファ・ハッジ(モロッコ) 1997 - 1999
- セザール・サンパイオ(ブラジル) 1999 - 2001
- マウロ・シウバ(ブラジル) 1999 - 2005
- ビクトル・サンチェス(スペイン) 1999 - 2006
- スラビシャ・ヨカノビッチ(セルビア) 1999 - 2000
- エメルソン(ブラジル) 2000 - 2002
- アルド・ドゥシェル(アルゼンチン) 2000 - 2007
- フアン・カルロス・バレロン(スペイン) 2000 -
- セルヒオ・ゴンサレス(スペイン) 2001 -
- ホセ・アマビスカ(スペイン) 2001 - 2004
- "トロ"・アクーニャ(パラグアイ) 2002 - 2003、2004 - 2006
- ペドロ・ムニティス(スペイン) 2003 - 2006
- イアゴ(スペイン) 2005 -
- ジュリアン・デ・グスマン(カナダ) 2005 -
- パブロ・アルバレス(スペイン) 2006 -
- ファビアン・エストヤノフ(ウルグアイ) 2006 - 2007
- ジョアン・ベルドゥ(スペイン) 2006 -
- ファン・ロドリゲス(スペイン) 2006 -
- アンヘル・ラフィタ(スペイン) 2007 -
[編集] FW
- エミール・コスタディノフ(ブルガリア)
- サラヘディヌ・バシール(モロッコ)
- アマンシオ・アマーロ(スペイン) 1958 - 1962
- ベベット(ブラジル) 1992 - 1996
- フリオ・サリナス(スペイン) 1994 - 1995
- アイトール・ベギリスタイン(スペイン) 1995 - 1997
- ドミトリー・ラドチェンコ(ロシア) 1995 - 1996
- ミカエル・マダール(フランス) 1996 - 1997
- ルイゾン(ブラジル) 1997 - 1998
- セバスティアン・アブレウ(ウルグアイ) 1996 - 1997
- ペドロ・パウレタ(ポルトガル) 1998 - 2000
- ロイ・マカーイ(オランダ) 1999 - 2003
- ディエゴ・トリスタン(スペイン) 2000 - 2006
- ワルテル・パンディアーニ(ウルグアイ) 2000 - 2005.1
- アルベルト・ルケ(スペイン) 2002 - 2005
- アンヘル・アリスメンディ(スペイン) 2005 - 2007
- セバスティアン・タボルダ(ウルグアイ) 2005 -
- リキ(スペイン) 2006 -
- クリスティアン(スペイン) 2006 -
- ロドルフォ・ボディポ(赤道ギニア) 2006 -
- ルベン・リベラ(スペイン) 2006 -
- フィリペ・ルイス(ブラジル) 2006 -
- アドリアン・ロペス(スペイン) 2006 -
[編集] 「デポる」「デポられる」
全盛期のデポルティボは、強豪相手に爆発的な勝利をおさめることも多かった反面、格下相手にあっけなく惨敗してしまう場面も多かった(アウェーでASモナコに3-8という記録的大敗を喫したり、やはりACミラン相手にアウェーの第1戦を1-4で落とすも、ホームの第2戦で4-0とやり返してACミランを撃破した2003-2004シーズンのUEFAチャンピオンズリーグにおける浮き沈みの激しい成績が記憶に新しい)。その落差の激しさから、日本の一部のサッカーファンの間では、爆発的な大勝を収めることを「デポる」、大敗することを「デポられる」という表現が用いられることになった。この表現は現在でも、ネット上のサッカー掲示板などで度々用いられている場面を目にすることができる。
[編集] 外部リンク
- 公式サイト(スペイン語)
デポルティーボ・ラ・コルーニャ - 現所属メンバー |
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1 アワット | 2 マヌエル・パブロ | 3 フィリペ | 4 ロポ | 5 コロッチーニ | 6 デ・グスマン | 7 ボディポ | 8 セルヒオ | 9 タボルダ | 10 ベルドゥ | 11 リキ | 12 アドリアン | 13 ムヌア | 14 パブロ・アルバレス | 15 ルベン | 17 ラフィタ | 18 グアルダード | 19 バラガン | 20 クリスティアン | 21 バレロン | 22 フアン・ロドリゲス | 23 シスコ | 24 パブロ・アモ | 25 アイタミ | - ハイロ | - マヌ | - アントニオ・トマス 監督: ミゲル・アンヘル・ロティーナ |
ラ・リーガ プリメーラ・ディビシオン, 2007-08
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