ユヴェントス
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ユヴェントス | |
原語表記 | Juventus Football Club s.p.a |
---|---|
愛称 | La Vecchia Signora、Bianconeri、Zebre |
クラブカラー | 白と黒 |
創設年 | 1897年 |
所属リーグ | レガ・カルチョ |
所属ディビジョン | セリエA |
ホームタウン | トリノ |
ホームスタジアム | スタディオ・デッレ・アルピ スタディオ・オリンピコ・ディ・トリノ |
収容人数 | 71,012 |
代表者 | ジョヴァンニ・コボッリ・ジッリ |
監督 | クラウディオ・ラニエリ |
ユヴェントス・フットボール・クラブ(Juventus Football Club s.p.a) は、イタリア・トリノを本拠地とするサッカークラブチーム。
ユヴェントスはラテン語で「青春」という意味。「ユーヴェ」と略称される場合もある。愛称はエンブレムやユニフォームからビアンコネッロ(イタリア語で「白と黒」、複数形でビアンコネッリとも)や、シニョーラ(同じく「老貴婦人(イタリアの貴婦人)」)などがある。クラブ設立当初のユニフォームはピンクであった。
エンブレム[1]の真ん中にいるのは馬ではなく牛。これはホームのトリノ市の紋章にも描かれていて、トリノの語源が「タウリーニ(牛の人々)」であることが由来である。
セリエA優勝27回(最多)など、イタリアのみならず世界を代表するチーム。ただしUEFAチャンピオンズリーグの優勝回数2回はACミランの7回には及ばない。96年から98年には3年連続決勝に進出。過去7度決勝に進むもうち5度は準優勝に終わっている。欧州の主要リーグでは、国内リーグの優勝回数が最も多いクラブがチャンピオンズリーグの優勝回数も最多である場合が多いのだが、セリエAに関しては例外である。
ホームタウンという概念が確立しているヨーロッパには珍しく、全国的な人気を持つクラブである。ただし全国的に人気があることが嫌われてか、地元トリノではトリノFCの方が人気がある。ホームスタジアムのデッレ・アルピは、平日開催の試合や、コッパ・イタリアの試合などで閑散となる事がしばしばある。
2005/2006シーズン時点までは、1929年のセリエA(1部リーグ)開幕以来一度もセリエB(2部リーグ)に降格したことが無い2チームのうちの1つであり、現在も降格経験が無いインテルとの対戦は「イタリア・ダービー」と呼ばれ国内外の注目を集め、「ミラノ・ダービー」や「ローマ・ダービー」と並び、イタリアを代表するビッグマッチの一つであった。
その後、ユヴェントスは「カルチョ・スキャンダル」における八百長に対するペナルティを受け、2006年にクラブ史上初めてセリエBへの降格処分となった。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 創設期 - セリエA以前
クラブは1897年11月1日にマッシモ・ダゼーリオ高等学校の生徒らによってスポルト・クラブ・ユヴェントス(Sport Club Juventus)として創設された。1900年よりイタリア選手権(後のセリエAに相当する全国大会)に参加。この時期までユヴェントスが使用していたピンクと黒のユニフォームは色褪せしやすいという問題があり、1903年に現在の白と黒(ビアンコネッロ)に代わった。この配色は、当時クラブに所属したイングランド人選手ジョン・サヴェージから代替ユニフォームを頼まれた母国の友人がノッツ・カウンティのファンであったことに由来する。
1905年にイタリア選手権で初優勝した。1906年にはクラブの紛争によってスイス人のアルフレド・ディック会長がクラブを去り、FBCトリノ(現FCトリノ)を創設した。
1923年、地元の自動車会社フィアット社オーナーのエドアルド・アニェッリがクラブが買い取り、会長に就任。これが現在まで続くアニェッリ家とフィアットによるユヴェントスへの関与の端緒となる。1925–1926シーズンには21年ぶりにイタリア選手権に優勝した。
[編集] セリエA発足 - 欧州制覇
1929年にセリエAが発足。間もない1930年代前半には5シーズン連続の優勝を飾り、クラブの歴史上最初の黄金時代を築いた。1934年のFIFAワールドカップ・イタリア大会に優勝したイタリア代表には、アルゼンチン出身のFWライムンド・オルシやMFルイス・モンティ、代表主将を務めたGKジャンピエロ・コンビら、実に9人ものユヴェントス選手を含んだ。
1947年にジャンニ・アニェッリが会長に就任、クラブは株式会社化された。1940年代はライバルであるACトリノ(現トリノFC)の好調の影に隠れる格好になった。
1957–1958シーズン、クラブは初めてのダブルを達成したのみならず、通算10回目のリーグ優勝によってステッラ(星)を胸に付けることを認められる最初のクラブになった。このシーズンから1960–1961シーズンまでの4シーズンの間にスクデット3回、カップ2回を獲得。長らくクラブの最多得点記録者だったジャンピエロ・ボニペルティ、ジョン・チャールズ、オマール・シボリのFW三人組は「魔法のトリオ (Il Trio Magico)」と呼ばれた。
1960年代以降、クラブは欧州のカップ戦でたびたび上位に入ったが、優勝にまでは至らなかった。
1976年に監督に就任したジョヴァンニ・トラパットーニは、1986年まで続く長期政権下に多くの栄誉をユヴェントスにもたらした。まず、初年度の1976–1977シーズンにクラブ初の欧州タイトルとなるUEFAカップに優勝。セリエAでもコンスタントに優勝し、1981–1982シーズンに通算20回目のリーグ優勝を達成。1983–1984シーズンにUEFAカップウィナーズカップに初優勝。
1984–1985シーズンのヨーロピアンカップにおいて、ユヴェントスは3度目の決勝進出で初勝利し、念願の欧州チャンピオンに輝いた。試合前にはイングランドのフーリガンの蛮行に端を発する惨劇で多くの死傷者が出た(詳細はヘイゼルの悲劇を参照)。同年末にはトヨタカップでアルゼンチンのアルヘンティノス・ジュニアーズをPK戦の末に破り、世界一のタイトルも手に入れた。
この時代のチームには、セリエAで3シーズン連続得点王となったミシェル・プラティニを始め、後にユヴェントスの最多試合出場記録を作るガエターノ・シレア、1982年FIFAワールドカップ得点王のFWパオロ・ロッシらがいた。
1980年代後半から1990年代前半にかけて、セリエAではしばらく優勝から遠ざかったが、その間にも欧州では2度UEFAカップに優勝した。1994年にマルチェロ・リッピが監督に就任すると、初年度の1994–1995シーズンに9年ぶりにスクデットを獲得。1995–1996シーズンには、後に絶対的なバンディエラとなるアレッサンドロ・デルピエロがエースとして活躍、UEFAチャンピオンズリーグで2度目の欧州チャンピオンに輝き、同年末のトヨタカップにも勝利した。
[編集] 2000年代
約3年間のブランクを経て、再びマルチェロ・リッピが監督に就任すると、2001-2002、2002-2003シーズンのセリエA連覇を果たす。また、2002-2003シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ決勝に駒を進めたが、PK戦の末、惜しくもACミランに敗れる。次のシーズン、セリエAで3位に終わったことの責任を取り、マルチェロ・リッピ監督が辞任。フロントは新監督にファビオ・カペッロ氏を指名した。ファビオ・カペッロ監督の下、ユヴェントスは2004-2005、2005-2006シーズンのセリエAを連覇する。しかし、2006年夏にルチアーノ・モッジゼネラルマネージャーらによる審判への買収・脅迫行為が発覚。クラブは2004–2005および2005–2006シーズンのスクデット剥奪、クラブ史上初のセリエB降格処分を受けた(詳細はカルチョ・スキャンダルを参照)。2006–2007シーズンにセリエB優勝を決め、1年でのセリエA復帰を果たした。下馬評ではUEFAチャンピオンズリーグへの復帰は難しいだろうと考えられていた2007-08シーズンは予想を覆す勢いで勝利を挙げ3位でシーズンを終え、2008-09シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予備戦3回戦からの復帰が確定した。デル・ピエロとダヴィド・トレゼゲの2トップはリーグ戦合計で41ゴールを挙げ、デル・ピエロは21ゴールで得点王のタイトルを獲得した。
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- スクデット:27回(無効分は含まず)
- 1905, 1925–26, 1930–31, 1931–32, 1932–33, 1933–34, 1934–35, 1949–50, 1951–52, 1957–58, 1959–60, 1960–61, 1966–67, 1971–72, 1972–73, 1974–75, 1976–77, 1977–78, 1980–81, 1981–82, 1983–84, 1985–86, 1994–95, 1996–97, 1997–98, 2001–02, 2002–03
- セリエB:1回
- 2006–07
- コッパ・イタリア:9回
- 1937–38, 1941–42, 1958–59, 1959–60, 1964–65, 1978–79, 1982–83, 1989–90, 1994–95
- スーペルコッパ:4回
- 1995, 1997, 2002, 2003
[編集] 国際タイトル
- 1984–85, 1995–96
- 1983–84
- UEFAカップ:3回
- 1976–77, 1989–90, 1992–93
- 1999
- UEFAスーパーカップ:2回
- 1984, 1996
- 1985, 1996
[編集] 過去の成績
シーズン | カテゴリ | 順位 | 勝点 | 試合数 | 勝 | 分 | 負 | 得点 | 失点 | 監督 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007-2008 | セリエA | 3位 | 72 | 38 | 20 | 12 | 6 | 72 | 37 | クラウディオ・ラニエリ |
2006-2007 | セリエB | 優勝 | 85*1 | 42 | 28 | 10 | 4 | 83 | 30 | ディディエ・デシャン |
2005-2006 | セリエA | 優勝*2 | 91 | 38 | 27 | 10 | 1 | 71 | 24 | ファビオ・カペッロ |
2004-2005 | セリエA | 優勝*2 | 86 | 38 | 26 | 8 | 4 | 67 | 27 | ファビオ・カペッロ |
2003-2004 | セリエA | 3位 | 69 | 34 | 21 | 6 | 7 | 67 | 42 | マルチェロ・リッピ |
2002-2003 | セリエA | 優勝 | 72 | 34 | 21 | 9 | 4 | 64 | 29 | マルチェロ・リッピ |
2001-2002 | セリエA | 優勝 | 71 | 34 | 20 | 11 | 3 | 64 | 23 | マルチェロ・リッピ |
2000-2001 | セリエA | 2位 | 73 | 34 | 21 | 11 | 3 | 61 | 27 | カルロ・アンチェロッティ |
1999-2000 | セリエA | 2位 | 71 | 34 | 21 | 8 | 5 | 46 | 20 | カルロ・アンチェロッティ |
1998-1999 | セリエA | 6位 | 54 | 34 | 15 | 9 | 10 | 42 | 36 | カルロ・アンチェロッティ |
1997-1998 | セリエA | 優勝 | 74 | 34 | 21 | 11 | 2 | 67 | 28 | マルチェロ・リッピ |
1996-1997 | セリエA | 優勝 | 65 | 34 | 17 | 14 | 3 | 51 | 24 | マルチェロ・リッピ |
1995-1996 | セリエA | 2位 | 65 | 34 | 19 | 8 | 7 | 58 | 35 | マルチェロ・リッピ |
1994-1995*3 | セリエA | 優勝 | 73 | 34 | 23 | 4 | 7 | 59 | 32 | マルチェロ・リッピ |
1993-1994 | セリエA | 2位 | 47 | 34 | 17 | 13 | 4 | 58 | 25 | ジョバンニ・トラパットーニ |
1992-1993 | セリエA | 4位 | 39 | 34 | 15 | 9 | 10 | 59 | 47 | ジョバンニ・トラパットーニ |
1991-1992 | セリエA | 2位 | 48 | 34 | 18 | 12 | 4 | 45 | 22 | ジョバンニ・トラパットーニ |
1990-1991 | セリエA | 7位 | 37 | 34 | 13 | 11 | 10 | 45 | 32 | ルイジ・マイフレディ |
1989-1990 | セリエA | 3位 | 44 | 34 | 15 | 14 | 5 | 56 | 36 | ディノ・ゾフ |
1988-1989 | セリエA | 4位 | 43 | 34 | 15 | 13 | 6 | 51 | 36 | ジョバンニ・トラパットーニ |
1987-1988 | セリエA | 6位 | 31 | 30 | 11 | 9 | 10 | 35 | 30 | ジョバンニ・トラパットーニ |
1986-1987 | セリエA | 2位 | 39 | 30 | 14 | 11 | 5 | 42 | 27 | ジョバンニ・トラパットーニ |
1985-1986 | セリエA | 優勝 | 45 | 30 | 18 | 9 | 3 | 43 | 17 | ジョバンニ・トラパットーニ |
1984-1985 | セリエA | 5位 | 36 | 30 | 11 | 14 | 5 | 48 | 33 | ジョバンニ・トラパットーニ |
1983-1984 | セリエA | 優勝 | 43 | 30 | 17 | 9 | 4 | 57 | 29 | ジョバンニ・トラパットーニ |
- 1 2005-2006シーズンに発覚した不正行為により勝ち点9が減点された。
- 2 2005-2006シーズンに発覚した不正行為によりタイトルが剥奪された。
- 3 1994-1995シーズンより勝利チームには勝ち点3が与えられるようになった。
[編集] 現所属選手
Pos. | 背番号 | 国籍 | 選手名 (日本語表記) |
選手名(原語表記) | 前所属クラブ | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
監督 | クラウディオ・ラニエリ | Claudio Ranieri | パルマ | |||
GK | 1 | ジャンルイジ・ブッフォン | Gianluigi Buffon | パルマ | ||
12 | エマヌエレ・ベラルディ | Emanuele Belardi | カタンザーロ | |||
13 | ジェス・ヴァンシュトラッタン | Jess Vanstrattan | エラス・ヴェローナ | |||
31 | クリスティアーノ・ノヴェンブレ | Cristiano Novembre | ファーノ | |||
DF | 2 | アレッサンドロ・ビリンデッリ | Alessandro Birindelli | エンポリ | ||
3 | ジョルジョ・キエッリーニ | Giorgio Chiellini | フィオレンティーナ | |||
5 | ジョナサン・ゼビナ | Jonathan Zebina | ローマ | |||
14 | ジョルジュ・アンドラーデ | Jorge Manuel Almeida Gomes de Andrade | デポルティーボ | |||
21 | ズデネク・グリゲラ | Zdeněk Grygera | アヤックス | |||
25 | グリエルモ・ステンダルド | Guglielmo Stendardo | ラツィオ | ※ | ||
28 | クリスティアン・モリナーロ | Cristian Molinaro | シエナ | |||
33 | ニコラ・レグロッターリエ | Nicola Legrottaglie | シエナ | |||
MF | 6 | クリスティアーノ・ザネッティ | Cristiano Zanetti | インテル | ||
7 | ハサン・サリハミジッチ | Hasan Salihamidžić | バイエルン・ミュンヘン | |||
8 | マウロ・カモラネージ | Mauro German Camoranesi | エラス・ヴェローナ | |||
11 | パベル・ネドベド | Pavel Nedved | ラツィオ | |||
22 | モハメド・シソッコ | Mohamed Lamine Sissoko | リヴァプール | |||
30 | チアゴ・メンデス | Tiago Cardoso Mendes | リヨン | |||
32 | マルコ・マルキオンニ | Marco Marchionni | パルマ | |||
FW | 9 | ヴィンチェンツォ・イアクインタ | Vincenzo Iaquinta | ウディネーゼ | ||
10 | アレッサンドロ・デル・ピエロ | Alessandro Del Piero | パドヴァ | |||
17 | ダヴィド・トレゼゲ | David Trezeguet | ASモナコ | |||
20 | ラッファエレ・パッラディーノ | Raffaele Palladino | リヴォルノ |
備考欄に※が付してある選手はレンタルでの獲得中であることを示す。
[編集] 歴代記録
[編集] 出場試合数
位 | 名前 | 出場試合数 | 期間 |
---|---|---|---|
1 | アレッサンドロ・デル・ピエロ(#) | 560 | 1993- |
2 | ガエターノ・シレア | 552 | 1974-1988 |
3 | ジュゼッペ・フリーノ | 528 | 1965-1966、1969-1984 |
4 | ロベルト・ベッテガ | 481 | 1966-1969、1970-1983 |
5 | ディノ・ゾフ | 476 | 1972-1983 |
[編集] 得点
位 | 名前 | 得点数 | 期間 |
---|---|---|---|
1 | アレッサンドロ・デル・ピエロ(#) | 241 | 1993- |
2 | ジャンピエロ・ボニペルティ | 179 | 1946-1961 |
3 | ロベルト・ベッテガ | 178 | 1966-1969、1970-1983 |
4 | オマール・シボリ | 167 | 1957-1965 |
5 | ダヴィド・トレゼゲ(#) | 160 | 2000- |
(#)は現役選手であることを示す。
[編集] 歴代監督
氏名 | 国籍 | 期間 |
---|---|---|
アルマンド・ピッキ | イタリア | 1970 |
チェストミール・ヴィツパーレク | チェコ | 1970-1974 |
カルロ・パローラ | イタリア | 1974-1976 |
ジョバンニ・トラパットーニ | イタリア | 1976-1986 |
ディノ・ゾフ | イタリア | 1989-1990 |
ルイジ・マイフレディ | イタリア | 1990-1991 |
ジョバンニ・トラパットーニ | イタリア | 1991-1994 |
マルチェロ・リッピ | イタリア | 1994-1999 |
カルロ・アンチェロッティ | イタリア | 1998-2001 |
マルチェロ・リッピ | イタリア | 2001-2004 |
ファビオ・カペッロ | イタリア | 2004-2006 |
ディディエ・デシャン | フランス | 2006-2007 |
ジャンカルロ・コッラディーニ | イタリア | 2007 |
クラウディオ・ラニエリ | イタリア | 2007- |
[編集] 関連項目
- ユヴェントスの選手一覧
- ジャンニ・アニェッリ
- ルチアーノ・モッジ
- アントニオ・ジラウド
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- Juventus.com(公式)(イタリア語)
- ホームユニフォーム
- アウェイユニフォーム
ユヴェントス - 現所属メンバー |
---|
1 ブッフォン | 2 ビリンデッリ | 3 キエッリーニ | 5 ゼビナ | 6 ザネッティ | 7 サリハミジッチ | 8 カモラネージ | 9 イアクインタ | 10 デル・ピエロ | 11 ネドベド | 12 ベラルディ | 13 ヴァンストラッタン | 14 アンドラーデ | 17 トレゼゲ | 20 パッラディーノ | 21 グリゲラ | 22 シソッコ | 23 ノチェリーノ | 25 ステンダルド | 28 モリナーロ | 30 チアゴ | 31 ノーヴェンブレ | 32 マルキオンニ | 33 レグロッターリエ | 34 パスクァート | 35 エスポジト | 36 カスティーリア | 38 デリア | 43 アリアウド | 監督: ラニエリ |
レガ・カルチョ セリエA |
---|
2007-2008 |
アタランタ | インテル | ウディネーゼ | エンポリ | カターニア | カリアリ | サンプドリア | シエナ | ジェノア | トリノ | ナポリ | パルマ | パレルモ | フィオレンティーナ | ACミラン | ユヴェントス | ラツィオ | リヴォルノ | レッジーナ | ローマ |
アーセナル | アヤックス | インテル | バイエル・レバークーゼン | バイエルン・ミュンヘン | パリ・サンジェルマン | バルセロナ | バレンシア | PSVアイントホーフェン | ボルシア・ドルトムント | ポルト | マルセイユ | マンチェスター・ユナイテッド | ACミラン | ユヴェントス | リヴァプール | リヨン | レアル・マドリード