テコンドー
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テコンドー | |
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各種表記 | |
ハングル: | 태권도 |
漢字: | 跆拳道 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
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片仮名: (現地語読み仮名) |
テックォンド |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語表記: | Taekwondo |
テコンドーとは格闘技、スポーツの一種で、韓国の国技でオリンピックの公式種目にもなっている。「跆」{足偏に台}は、踏む・跳ぶ・蹴る等の足技、「拳」は突く、叩く、受ける等の手技、「道」は、礼に始まり礼に終わる精神を表している。
多彩な足技と、下段への攻撃が厳しく制限されていることから、足でやるボクシングと形容される。
創始者は、崔泓熙(チェ・ホンヒ)。日本の「松涛館空手道」を参考にして作られたとされる格闘技で、1955年4月11日、テコンドーと命名した。1966年にITFが発足。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 李承晩大統領時代
日韓併合時に日本から伝わった空手は空手道(そのまま日本語読み)、コンスド(空手道の韓国語読み)、タンスド(唐手道の韓国語読み)、拳法など、様々な名称で普及されていた。当時の主な道場勢力は以下の通りである。
- 青涛館
- (1944-)初代館長は李元国(朝鮮戦争時、日本に密航し、「売国奴」として地位は抹殺される)。二代目はユン・ ケピョン。
この分館として下記のものが派生した。
- 吾道館
- 館長は崔泓煕(チェ・ホンヒ)少将。軍隊内で広める。蒼軒流空手と称したこともあるが、李承晩大統領 と接し、1955からテコンドーの名称を使い始める。1960年におきたベトナム戦争時には657名のテコンドー師範を同地に派遣した。また、民間道場 とは差別化し、一線を画していた。
- 国武館
- 正道館
- 青龍館
- 朝鮮研武館空手道部智道館(1946 -)
- 館長チョ・サンソク。 柔道道場内に発生。
- YMCA拳法部彰武館(1946 -)
- 館長ユン・ピョギン。のち智道館と親交が厚くなる。 この館の分館として講徳院、韓武館等が挙げられる。
- 武徳館
- 館長黄琦(ファン・ギ)。館長は南満州で朝鮮古武術を学んだとしているが裏付ける資料はない。鉄道局内のクラブとして発生。唐手道(タンスド)あるいは手縛道(スバクド、手縛は高句麗時代からあったとされる武術)の名で普及。この系統はいまも活動中。
- 松武館(1946 -)
- 館長ノ・ピョンジク。
[編集] 「テコンドー」への改称
- 1950年に朝鮮戦争が勃発。臨時政府のあったプサンで「大韓空手道協会」が創立される。 1ヶ月後、主導権争いの為か武徳館館長の黄琦が離脱。続いてその1ヶ月後に、青涛館館長の孫徳成(ソン・トクソン)もまた離脱する。
- 1953年に黄琦は独自に大韓唐手道協会および大韓手縛道協会の2つの団体創立させる。また大韓民国文教部(日本で言う文部科学省)体育会で登録を図る。
- 空手道や唐手道では名称がいかにも外国のものなので、それを排するために民族的な名称に統一するのがふさわしいとされる。 1954年12月に崔泓煕が中心となった名称制定委員会で、テッキョン(元々は踊り)の名を模したテコンドーの名称が満場一致で決定された。
- 1959年9月に少将が大韓空手道協会を「大韓テコンドー協会」に改称する。ところが1961年、崔泓煕の立場は彼の後輩にあたる朴正煕による軍事クーデターが起きてから、一転してしまう。 経済政策に失敗し、当時の李承晩大統領が、1960年の4.19学生革命で国外に追われ、続く1961年の5.16クーデター後、政権が朴正煕が率いる「国家再建委員会」の手に握ら れる。旧政権関係者であった崔泓煕は、立場上いろいろと難しくなったのか軍職を退き、マレーシア大使として国外に出国。
彼が居なくなった後、国家再建委員会が団体の文教部への再登録を求めたことから、再び統一名称問題が持ち上がってしまう。崔泓煕の政治的豪腕に対する反発からか、各館の館長たちは実はいままでどおりの名称を継続していたのである。
- 1961年9月「すでに空手の名称は世界に通用している」と言う事で新たに名称制定会議が開催され、テコンドーのテ(跆)の字と空手の(手)の字を 繋ぎ、跆手道(テースド)という名称が造られる。組織もまた「大韓テースド協会」に改称される。この時何故か、武徳館館長黄琦が参加している。しかし、やがて独自の運動を始め、1962年8月に智道館のウン・チビュンを伴い、正式脱退する。
- 1965年、韓国に帰国した崔泓煕はテースドに対し、巻き返 しの活動を開始。再度テコンドーの名を復活させ、同年8月に「大韓テコンドー協会」と改称し会長に就任。
- 1965年3月18日「統合宣言式」を大々的に開催。何故か黄琦の姿がそこにあった。翌朝、彼は「統合は無効!」と宣言。大韓手縛道会と して独自の活動を開始。
[編集] 団体の分裂
再び会長職についた崔泓煕も、一年あまりで職を退き、カナダへ移住。この亡命には込み入った政治的事情があったようである。 国際テコンドー連盟の発表によれば朴正煕大統領暗殺計画を立てた嫌疑による亡命とされている。
- 1966年に大韓テコンドー協会、カナダ、アメリカ、西ドイツ、イタリアなどの海外組織により、国際テコンドー連盟(ITF)が創設。式典はソウルの朝鮮ホテルで行われた。ところが、同年、松武館館長ノ ・ビョンジクが大韓テコンドー協会の第五代会長に就任している。こうしてテコンドーは2つの組織によって世界に広まっていくことになる。
- 1967年 - 国会議員の金容彩が大韓テコンドー協会の第6代会長に就任。
- 1968年 - 大韓手縛道会がソウルで第一回世界大会を開催。
- 1971年 - 朴正煕大統領から「国技テコンドー」の揮毫を受ける。
- 1973年 - 世界テコンドー本部総本部道場「国技院」が開館。
[編集] オリンピック競技化
1973年に崔泓熙がカナダへ亡命、その際ITFの本拠地をトロントへと変更し、これを受けて韓国が独自にWTFを設立する。
1988年のソウルオリンピック、1992年のバルセロナオリンピックで公開競技として実施。
1996年のアトランタオリンピックではスキップされたが、WTFの総裁であり、かつIOC副会長(当時)であった金雲龍の手によって2000年のシドニーオリンピックで正式競技として採用。
[編集] 団体
[編集] ITF
国際テコンドー連盟 (The International Taekwon-do Federation)は、1966年に9ヶ国の承認を受けてソウルで発足した。手足のみ防具を着用し、ライトコンタクト制のルールだが、ベースとなった空手により近い。ルーツは北朝鮮系。
[編集] WTF
世界テコンドー連盟 (The World Taekwondo Federation)は、崔泓熙が亡命したことを受けて1973年に設立された。オリンピックの正式競技となっているのはこちらである。頭部、胴部を保護する防具を着用するなど、よりスポーツ的になっており、空手との差別化を念頭に置かれている。ルーツは韓国系。
[編集] ITA
独立テコンドー連盟(Independent Taekwon-do Alliance)は、政治 派閥に関わる事無く、修行者の段位を国際的に認知し登録する事を目的とした協会。
ITFより独立した。
[編集] ルーツ・国籍に関する問題
一般にWTF-韓国系、ITF-北朝鮮系である、と紹介されることが多いが、関係者間には異論もある。 ・第一に創始者は韓国籍であり、韓国からウィーンを経てカナダに亡命しており北朝鮮籍になったわけではない。ルーツは北朝鮮と言われる理由のひとつに、創始者崔泓煕の故郷が現在の北朝鮮にあたることも考えられる。(ただし崔泓煕は戦前に来日しており、戦後は韓国軍の高級将校であった)
・北朝鮮で広まっているのは確かにITFテコンドーであるが、これはテコンドーの国際化を標榜する上で当然の過程と考えられており、実際北朝鮮にテコンドーが初めて紹介されたのは日本や欧米よりもかなり遅い。
・崔泓煕亡命後、韓国では新たに立ち上がったWTFが国技の担い手となり、学校教育から軍隊格闘技まで国を挙げて盛んに奨励された(分裂以前からテコンドーは軍隊格闘技として大きく発展したのであるが)。このためWTFは北にはあまり紹介されず、韓国を中心としたスポーツとなったのに対し、世界を周り回った後、北朝鮮に伝えられたITFテコンドーは、民族伝統の武術であると、こちらも軍隊を中心に盛んに奨励された。そのため北にはITF競技者が多く、後進ながらもITF競技国の中でも屈指のテコンドー大国になっており、その強烈なイメージ(たとえば大きなイベントの際に、マスゲームと共に大規模な演武を行う等が報道番組でたびたび放映されている)が北朝鮮系といわれる所以と考えられる。北系というよりは、北にはITFしか入らなかったというのが実際のところである。
・日本にはITF・WTFともに国内の在日韓国・朝鮮人の多さや、近年の格闘技人気の高まりもあり一定数の競技人口が存在する。日本のITF団体(日本国内でもITF・WTFともに多数の団体に分裂している)の中には朝鮮総連と親交のある団体、北朝鮮籍の競技者も多数おり、これがまた前述のイメージにつながっていると考えられる。
・日本国内には北・南のどちらでもない"朝鮮籍"の競技者も多数おり、純粋な競技を国籍で類別される現状に疑問を呈する見方も存在する。
[編集] オリンピック競技としてのテコンドー
1988年のソウルオリンピック、1992年のバルセロナオリンピックで公開競技として実施。アトランタオリンピックではスキップされたが、WTF総裁である金雲龍IOC副会長(当時)の手によってシドニーオリンピックで正式競技として採用されている。
本来、男女ともに8階級存在するテコンドーだが、正式競技として採用された際に簡略化のために4階級に制限されている。また、代表選手数は男女ともに一カ国からふたりまで、最大で4人までに制限されている。そのため、以前は韓国がメダルを独占していたが、シドニーオリンピック以降では多彩な国がメダルを獲得している。このような形で出場枠制限が行われているオリンピック競技は他に存在しない。
[編集] 主なテコンドーの選手
[編集] WTF系
- 岡本依子 - シドニーオリンピックのテコンドー女子67キロ級の銅メダリスト。
[編集] ITF系
[編集] テコンドーの起源に関する議論
テコンドーの起源を五世紀に描かれた高句麗壁画に記された手搏やテッキョン(片足で相手をけって倒す遊びと言われる)に求めるのが韓国、北朝鮮では一般的である。
しかし、日本で良く指摘されるところでは、李氏朝鮮時代には射亭と呼ばれる弓矢の射的場などがあって弓技は盛んだったが、それを除いては武が軽んじられていたので、1950年代の朝鮮半島に独自の武道、武術が残存していたかについては疑問が残るという。 また、朝鮮半島の歴史書『三国史記』『三国遺事』『高麗史』『高麗史堤綱』『高麗史節要』『朝鮮王朝実録』の原文には、手縛・テッキョンに関する記述が見えないことも指摘され、これらには、日本や中国で言う流派や門派に相当するものや、故実・伝書なども現存していない。このような点が不明瞭な為、日帝に弾圧された・禁止された等という説を説く者も多い。しかし、それらの説は証明されていない。
一方、テコンドーの創始者である崔泓熙らは、船越義珍の松涛館空手を学んでテコンドーを創始したと認めており、空手の影響があることは否定できない。
また、韓国 国技院 副院長は、「テコンドーの起源を三国時代以前とすることが一般的だが、 歴史的想像力を動員しても それには無理がある。中国から日本へ入り、日本が改良して韓国へ入ってきた。テコンドーは空手の変形である。私も創始期にはテコンドーの起源をテッキョンとして本を執筆したことがあるが、海外に普及させる過程で昔からあった韓国の伝統武術だとすれば名分が立つからである。」と告白している[1]。 更にこの記事では「空手から派生したテコンドーだが、蹴りを主眼に置いて競技化したことで、型や手動作に重きを置いた空手の陰から脱した」とも述べている。
ITF、WTF共に型(トゥル・プンセ)にはテグ(太極)など空手の形と同じ漢字の物も多く、型動作やチルギ(突き)、マッキ(受け)なども空手とほぼ同じ動作がある(ただし、ITFの型(トゥル)では朝鮮の歴史や神話の人物にちなんだ独自の形名がつけられているし、WTFの型(プンセ)には高麗(コリョ)、金剛(クンガン)等地名が使われている)。
これは創始直後の政治的混乱から崔泓熙らがITFとともに北朝鮮に亡命したときに、韓国は組織防衛のためにWTFを立ち上げたが、そのときにはまだルールや形などが確定していなかったことも原因であろうと言われている。
ともあれ近代格闘技としてのテコンドーが日本の空手を参考にして作られた可能性が極めて高いが、韓国の一部にはテコンドーを空手の源流とする流派も存在しており、時として日韓の間で争いとなることがある。
[編集] 日本におけるテコンドー
日本では分裂問題が相次いでおり、2001年にはJITFから独立したJTAが創設。2004年にはJITFが3つ、WTFが2つに分裂した。
特にWTFの分裂において、2000年にシドニーオリンピックのテコンドー競技で銅メダルを獲得し、2004年2月にアテネオリンピック出場権を勝ち取っていた岡本依子のアテネオリンピック出場が危ぶまれ問題となったが、最終的には団体の分裂を無視した形で個人資格での参加を認めることとなった。
また、2005年にはWTFがさらに分裂し、ITF系、WTF系がそれぞれ3つ、JTAがひとつ、計7つの団体が日本国内に存在することになった。この件についてはJOCもほぼさじを投げている状態のようである。
[編集] 脚注
- ^ 国技院副院長のテコンドー歴史ショッキング告白!東亜日報(韓国語原文)
[編集] 外部リンク
- The World Taekwondo Federation (英語)
- The International Taekwon-do Federation (英語)
- 韓国のホームページを日本語で読む
- Taekwondo Instructions
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